第6話

 テーブルに夕飯が並んだのは、普段とそう変わらない時間だった。

 予定通り着替えなどを買い出しに行ったついでに、彼女が食材も買い込んできてくれた。

 メニューについてはお楽しみだと言われたので、食材選びは彼女に一任した。

 そうして買い物を済ませた彼女が帰宅し、意気揚々とキッチンに立って二時間ほど待ち、今に至る。

 料理はすでに並んでいる。

 だからあとは『いただきます』と言って食べ始めるだけなのだが……。

「…………」

 この沈黙の中、まずなにを言うのが正解なのか。

 それを考え始めてからすでに、三分が経過していた。

 俺はとりあえずテーブルに並んだ料理から視線を上げ、対面に座っている彼女を見てみる。

「…………」

 彼女――花芳は唇を一文字に閉じ、やや俯くようにテーブルを見つめていた。

 いや、もしかしたら視界に料理は入っていないかもしれない。

 心ここにあらず、とは少し違う。

 両の拳を膝の上で握り締め、微かに頬を赤らめていた。

 恐らくは、羞恥によるものだろう。

 俺は彼女に声をかけるのは一旦止め、料理に視線を戻す。

 テーブルに並んでいる料理は二人分、これは当然だ。

 白米が盛られた茶碗がそれぞれ一つずつ。

 その隣にあるお椀の味噌汁は、インスタントのものだ。

 そして最後の一皿はたぶん、野菜炒めだと思う。

 材料の肉と野菜が過剰に加熱された結果、若干不健康そうな見た目になってはいるけど、カテゴリーは変わらない。

 メニューとしてはとてもシンプル且つスタンダードで、久しく味わっていなかった家庭的なものを感じられる。

「ま、まぁ、料理は見た目だけじゃないしな」

「……見た目はダメ、ということですね」

「えっと……」

「いえわかってますから。無理にとは言いません。遠慮なくデリバリーでも頼んでください。私が責任をもって食べますので」

「いやいや! 大丈夫、ありがたく食べるから。そう悲観的にならないで」

「……悲観するような出来だってことですね」

「そんなネガティブに捉えなくても……」

 そうなる気持ちもわかるけど。

「いいからほら、食べようぜ、せっかくだしさ?」

「……いいんですか、本当に」

「そう言ってるだろ。ほら、いただきます」

 このまま話していると進みそうにないので、強引に切り上げて箸を伸ばす。

「…………いただき、ます」

 さすがに彼女もそれ以上は言わず、少し遅れて食事を始めた。

 とりあえず味噌汁に口をつける。

 お湯を入れるだけなので、特に問題はない。

 続けて白米を口に運ぶ。

 見たときからそうじゃないかと思っていたが、案の定ベチャっとしていた。

 水が適量じゃなかったのだろう。

 でもまぁ、問題になるほどではない。

 たまにはこういう白米もありと言えばありだろう。

「さて……」

 次はいよいよ野菜炒めだ。

「…………」

 ちらりと彼女のほうを窺うと、白米の出来具合に愕然としていた。

 もしかしたら現実を受け止め切れないのかもしれない。

 なにかフォローでも入れようかと思ったが、思い直して食事を再開する。

 下手に躊躇したりするのも失礼なので、誤魔化しようがないくらい焦げている肉と野菜を口の中に詰め込んだ。

 見た目は焦げているが、味付けさえしっかりしていればそれなりに食べられるはずだ。

「…………」

 はず、だったんだ。

 最後に野菜炒めを食べたのは、いつだっただろう?

 どうしても思い出せない。

 少なくとも今年に入ってからは一度も食べていないな。

 去年は、どうだったか……。

 そんなことを考えつつ、口の中の野菜炒めを咀嚼し、飲み込む。

「やっぱり失敗、してますか?」

「……正直、成功とは言えないかな」

「……ですよね。なんか、すみません」

「いや、うん」

 俺が食べる様子を真剣な表情で見ていた彼女は、小さくため息をつく。

 そして自分でも野菜炒めを食べて、情けないくらいに表情を曇らせた。

「味見とか、しなかったの?」

「……しますか?」

「普通はするんじゃないかな」

 世間一般的には調理と味見はセットという気がする。

 俺は頻繁に自炊とかはしないので、偉そうなことは言えないが。

 それでも一人暮らしは長いし、大学時代に居酒屋でバイトもしていたから、多少は作れる。

 基本的にはその都度、味が濃いか薄いかを判断し、次の機会に調整する感じだ。

 味見をしなくても、回数をこなせばそれなりの落としどころが自然と身につくものだと思う。

「あのさ、もしかして料理とか、しないタイプ?」

「……一人で作るのは、初めてです」

 申し訳なさそうな顔で、彼女は頷く。

 どうやら予想通りのようだ。

「お母さんの手伝いとか、したことあったから……だから、できると思って」

「いつも手伝ってたの?」

「……小さい頃に、ちょっとだけ」

「小さい頃に、ね」

 そのときの経験や記憶から、料理ができると思い込んでいたのか。

 まぁ、それはそれでいいと思う。

 何事も初めてはあるし、失敗だってつきものだ。

「にしても、意外だな。てっきり自信あるのかと思ってた」

 彼女のほうから言い出したくらいだから、すっかり安心して、期待までしてしまった。

「自信は、ありました。ただ、ちょっと上手くいかなかっただけです」

「……自信の根拠は?」

「…………」

 さすがに訊き返してしまった俺に、彼女はわかりやすく顔を紅潮させ、唇を引き結んで唸る。

 年相応……いや、それよりも少し幼く見える表情に、思わず笑いが込み上げてきた。

 気を遣って笑い声は噛み殺したが、彼女にはそれが屈辱的だったのかもしれない。

 眉間にしわが寄り、眉の端が吊り上がる。

「いや、ごめん。でもなんか、いや……まいったな」

「……我慢なんかしないで、笑えばいいじゃないですか」

 そうしたら今度こそ本当に怒りそうな気配を漂わせ、彼女はジト目になる。

 彼女はわかっていない。

 そういう反応こそがこっちのツボを突いてくるのだと。

 とは言え、このままでは彼女の機嫌を損ねてしまう。

 せめてもう少しフォローをしてあげたいのだが……。

「ま、まぁほら、正義の味方は忙しそうだし。料理が苦手でも仕方ないって」

 咄嗟に思いついたものだが、我ながら良いフォローだと思う。

「……今のあなたは正直、倒しても許される気がします」

 が、彼女的には嬉しくないフォローだったようだ。

 これ見よがしに頬を膨らませ、鼻を鳴らす。

 そんな様子がますます正義の味方という言葉とギャップを感じさせて、俺の内面を刺激する。

 花芳、という名前しか知らない正義の味方。

 彼女という個人がどんな人間なのか、俺はもう少し知りたいと、思い始めていた。

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