第5話

「天気もいいから、ベランダに干しますね」

「悪いな、そんなことまでしてもらって」

「また同じ会話になりそうなので」

 彼女は肩を竦めると、ベッドの傍にある窓を開け、洗濯物が入った籠を手にベランダへと出た。

 確かに彼女が言う通り、同じ会話になるところだったな。

 なにかをしてもらって、俺がお礼を言って、彼女がこれくらいは当然だと答える。

 今日だけでも何度そんな会話をしたか。

 これ以上はさすがに不毛だろう。

 まだしばらくは彼女の世話になり続けるのだから。

 感謝の気持ちは、世話になる必要がなくなったときにまとめて返すことにしよう。

 そう自分を納得させ、洗濯物を干している彼女を眺める。

 自分の洗濯物を女性が干している姿は、少し落ち着かない。

 見知った相手ならまだしも、彼女とはまだ出会って二日だ。

 思春期の男子みたいな気分になるのも、ある程度は仕方がないと思う。

「…………ん?」

 特に意味もなく眺めていた俺は、干された洗濯物の中にあるものを見つけ、思わず声を漏らした。

 たった今彼女が干したのは、どう見ても俺の衣類じゃない。

 もちろん、バスタオルの類でも断じてない。

 あれはどう見ても女性ものの下着だ。

 誰の下着かは明白。

 さすがに詳細なデザインまでは把握していなかったが、これまでに何度か見えてしまうことがあったので、間違いない。

「どうかしました?」

「あー、いや……すまん」

「なにが…………あぁ」

 俺がなにに気づいたのか、彼女も理解したようだ。

 干したばかりの洗濯物を見て、納得するように頷き、微かに笑った。

「構いませんよ。気にしてませんから」

「普通、気にするんじゃないか?」

「知らない人が相手ならそうですけど、あなたが相手ですし」

 なんだか誤解してしまいそうな言い方だが、きっと他意はないのだろう。

 正義の味方というだけあって、彼女は少し浮世離れしている感じもするし。

 先入観なしに彼女を見たら、普通の女の子にしか見えないけど。

「それに今更ですし、下着くらい」

 彼女はそう言うと、少しだけ悪戯めいた笑みを見せた。

「……えっと、まぁ……申し訳ない」

「いえ、別に。シャツ一枚でいた私も悪いので」

 どうやら、下着が見える恰好をしていたという自覚はあったらしい。

 その上で見られても構わなかった、ということか。

 まぁ、たとえそうだったとしても見てしまったのはこっちなので、申し訳ないと言っておく必要があった。

 しかし、てっきり無自覚なのかと思っていたのだが……。

「あぁ、だから着替えたのか」

「そうなります。まぁ、洗濯もしたかったですし」

「なるほどな」

 彼女は朝食のあと、俺の体調が落ち着くのを待ってから洗濯機を動かした。

 そのときに新しいシャツとスウェットに着替えたのだが、そういう意図もあったようだ。

 目のやり場に困らなくて済むので、こっちとしてはありがたい。

 なんにせよ、彼女の違った一面を見ることができて、少し安心した。

 悪戯めいたことを言ったりもする、普通の女の子っぽいところもあるんだな。

「でも、そうか。代わりの下着、持ってたんだな」

 だから、だろう。

 意識していなかった部分の気が緩んだせいで、あまり深く考えずにそんなことを言ってしまったのは。

「持ってませんよ、着替えなんて」

 それに対して彼女は、さも当然のことのように答える。

「いやだって……あれ?」

 じゃあ、今ベランダに干されている下着はどういうことなんだ?

 代わりの下着がないのに、それがそこにあるということは……。

「……さすがにその視線はデリカシーなさすぎかと」

「っと、す、すまん、つい」

 僅かに細められた彼女の視線に、慌てて謝る。

 そうと気づいたときにはもう、視線が勝手に彼女の輪郭をなぞるように移動していた。

 今は五月。

 梅雨はまだ先で、夏の一歩手前という温かさが続いている。

 だから室内でも薄着ですごすのが当たり前の状態だ。

 彼女も例外ではなく、上半身は半袖のシャツ一枚しか着ていない。

 俺の着替えから適当に見繕ったのだろう。

 サイズが大きめのシャツは、ほどよく彼女の輪郭を緩やかに見せていた。

「まだなにか考えてますか?」

「……いや、もう、うん」

 ダメだ、これ以上深く考えるのは墓穴を掘る自殺行為に他ならない。

 ただでさえ同じベッドで眠ったりするのだから、意識しすぎるのは避けるべきだ。

 治りかけの心臓にも、不必要な負担をかけるだろうし。

 とは言っても、気づいた以上、放っておけない部分もある。

 俺の看病はまだ続くのだから。

「あのさ、少しならこっちも大丈夫だから、あとでその、買い出しに行ってきたらどうだ?」

「なにか必要なものでも?」

「あー、食料とか飲み物とか、少しは欲しいけど、そうじゃなくてさ。君の着替えとか、あったほうが絶対いいだろ?」

「……そのほうが落ち着きますか?」

「そうだって言わせたいのか?」

「冗談です。あなたの言い分は最もですし、そうします」

 少しは打ち解けてくれている、ということなのだろう。

 最初の様子からしてみれば、こんな風に冗談っぽく話す彼女は想像できなかった。

 まぁ、冗談の方向性があまりよろしくないんだけど。

「財布の場所は――」

「お金なら大丈夫ですよ。ちゃんとありますから」

「あ、あぁ、そうなの?」

「はい。なのでお昼を食べたあと、あなたの体調を診てから少し、出かけてきます」

「そうするといい」

 それがお互いのためだ。

 彼女だって、ちゃんとした着替えは欲しいだろう。

「せっかくだし、よければ夕飯は私が作りますよ」

「……そうだな。じゃあ、無理のない範囲で」

「任せてください」

 得意げな笑みを浮かべて、彼女は残りの洗濯物を干していく。

 昼はもうデリバリーを頼んであるし、なんなら夜もそれで良かったのだが、彼女が作ってくれるというのなら、それに甘えてもいいだろう。

 一体どんな夕飯になるのかが、今から楽しみだった。

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