第27話 答え

朱羽子が走り去った公園で、鷹也は1人、考えていた。

あの男に吐き捨てられた言葉が、もしも、本当だとしたら、『本当』だとしたら?

ここは映画館じゃない。

ここは遊園地じゃない。

ここは魔法の国なんかじゃない。


じゃあ…あの事は…朱羽子が父親を殺したのだとしたら…。


いつも空を灰色と言っていた朱羽子。

何の表情もない無愛想の接客。

何度も何度も手を洗う癖。


「本当…なのか?朱羽ちゃん…」


もう午後9時の公園は誰もいない。

そんな場所で、鷹也は一言、そう呟いた。




だけど、だけど、だけど、思ったんだ。

自分の写真を…空の写真を宝物を見た時のような輝いた瞳は、とてつもなく奇麗だった。

そして、呟いた。


「んなもん…関係あるか!!」


そう叫ぶと、鷹也は、朱羽子のアパートへ猛ダッシュした。

朱羽子のアパートに着くと、

「朱羽ちゃん!いる!?朱羽ちゃん!!」

ドアを叩きながら、必死でドアを叩き続けた。

けれど、何の返事もない。

その上、電気すら、点く事も無かった。



その夜、鷹也は朱羽子のアパートの前で朱羽子の帰りを待ったが、朱羽子は戻ることなく、それっきり、朱羽子とは、音信不通になってしまった―…。






「そうか…」

次の日、朝早く喫茶店に駆けつけた。

そして、マスターにも何も言わず、ポストに『辞めさせてください』と言う一行しかない手紙が放り込んであった。

マスターは、

「朱羽子ちゃんの背負っていた過去は…思ったよりずっと過酷なものだったんだね…」

と渋い顔をした。



そして、2日後、鷹也は、図書館で昔の新聞の記事を片っ端から調べ、あの時の男が言っていたらしい記事を見つけた。

記事には、『父親の虐待を苦にして…』と書いてあった。

鷹也は、朱羽子がどれだけ苦しんだか、想像できるだけ、想像してみた。

それでも、殺人に至るまでの朱羽子の苦痛は計り知れなかった。


マスターに言われた事を思い出した。

『過去を背負う覚悟はあるか…?』

と言ったマスターの言葉を。

足が竦んだ。

朱羽子の犯したことにじゃない。

朱羽子の傷にだ。

癒せるか?自分に。

その傷に貼る絆創膏を自分は持っているのか?



「朱羽ちゃんが…殺人だなんて…俺、どうしたら…」

「青野木君は、もう朱羽子ちゃんを好きじゃないのかい?」

「好きだよ!好きすぎて…解らないんです…」

「何がだい?」

「どうすれば、朱羽ちゃんが、俺に一緒にその過去を背負わせてくれるかどうかが…。朱羽ちゃんの空を灰色にしてたのが、この事だったとしても、俺は逃げるつもりなんかない。一緒に背負って生きていくつもりです。でも、朱羽ちゃんが逃げてしまったら、俺は…どうすることも出来ない」

「そうかな?青野木君。君は何のために2年間も付き合ってたんだい?朱羽子ちゃんの事、本当に分からないのかい?」

「え?」

「朱羽子ちゃんは、君の空に希望を見たんじゃないかな。それでも、解らないかい?」



以前、朱羽子が鷹也に聞いてきた事があった。

まだ、朱羽子が笑顔を忘れてた頃、まだ、2人が付き合う前の事。



「ねぇ、鷹也君、この『再会』何処で撮ったの?」

「あ、それは青ヶ島です!謎の孤島って呼ばれてて、こんなに奇麗なのに、ここと同じ東京なんですよ!」

「へー…そうなんだ…」



「………『再会』………青ヶ島!!!」

「そう。君が朱羽子ちゃんの空の色を変えてあげるんだ。朱羽子ちゃんの灰色の空を、奇麗なロビンエッグブルーに」

「ロビンエッグブルー…?」

「コマツグミと言う鳥が産む卵の色だよ。奇麗な青色をしているんだ。カメラマンだった頃、北アメリカ大陸に行ったことがあってね、その時撮ったのがこれだよ」


マスターは毎朝、朱羽子と開店前の準備をする。

そして、マスターは、店に何冊か飾ってある自分の写真集を丁寧に埃を取り、大事にしていた。


その本の1冊を持ち出し、1枚の写真を鷹也に見せた。

そこには、ティファニーブルーのような卵が写されていた。


「奇麗だ…。マスター…、俺、こんな色の空を朱羽ちゃんに見せてあげたい。だって、朱羽ちゃんは今のこの空だって灰色に見えてるんだ…。だったら、『再会』の場所で俺の撮った写真の場所に行けば…」


体をねじり、駆けだそうとした時、グッとテーブルに置いた方の左手にグッと力が入って一瞬動けなかった。


その時、呪文のように、マスターは言った。


「行きなさい」


「はい!」


鷹也は、次々と乗り物を乗り換え、急いで急いで青ヶ島へ向かった。



着くなり、鷹也は島中探した。

青空に浮かぶ雲が形を変え、太陽を隠し、薄暗くなったり、また青空が広がったり、いつの間にか、空は朱羽子が1番嫌いな真っ赤な夕陽に変わった。

夕陽が煌々と燃えるような空に。

そんな空の下、島のはずれにある岩場に、…朱羽子を見つけた。


「朱羽ちゃん…」


そこには、真っ直ぐ赤い夕陽を見て、一体どのくらい泣き続けていたのか分からないほど、美人が台無しのような顔をして、突っ立ている朱羽子がいた。


「朱羽ちゃん!」


その声に、朱羽子が振り向き、そして叫んだ。


「来ないで!もういい…。私はやっぱりあの時父に殺されていれば良かったの…。私自身も死ななきゃいけなかったんだよ…。生きてちゃ…いけなかったんだよ…」



“そんな事ない”とか、“もう苦しまないで良い”とか、“一緒に死ぬから”とか…きっと他の色んな慰めの言葉はあったかも知れない。

でも、どれも相応ではなかった。


少なくとも、鷹也はそう思った。




そして、鷹也は何も言わず、静かに、朱羽子の元に歩み寄った。

「来ないで!それ以上近づいたら死ぬから!」

鷹也は、そう叫ぶ朱羽子の震えた声を沈黙で受け止めながら、何も言わず、唯、一歩一歩朱羽子との距離を縮めていった。


そして、沈黙の鷹也に、叫び疲れた朱羽子を、手の届くまで捉えると、鷹也はスッと自分の胸に寄せ、強く、優しく抱きしめた。





そのまま、どれくらいそうしていただろう?

赤い空は戦意を喪失し、暗闇に呑まれ、少しずつ星が輝き出した。

それでもまだ、鷹也は朱羽子を離さなかった。

そして、夜が明け、朝陽が昇り、光で満たされた空が地球が持つ青に色を変えたその時…。




「朱羽ちゃん、見える?これが青空だよ。朱羽ちゃんが初めて俺の写真を欲しいって言ってくれた、“再会”の写真を撮った空」

「…」

鷹也の腕に包まれながら、朱羽子は何とも言えない涙が、流れた。

それを拭う事はせず、そのままジッと青空を見つめていた。



「朱羽ちゃん、見える?灰色じゃないでしょ?奇麗なロビンエッグブルーでしょ?」

「…っ…」

「朱羽ちゃん、空は必ず誰にでも平等に雨が降ったり、何もない曇りだったり、それこそ、青空だって…。朱羽ちゃん、一緒に生きよう?一緒にこのロビンエッグブルーの空の下、一緒に背負うよ。朱羽ちゃんの過去も、罪も、傷も生きよう、朱羽ちゃん…俺が居るよ…俺が居る!」


朱羽子は、震える指先で鷹也のシャツを握りしめ、

「…奇麗…知ってるよ。ロビンエッグブルー…」

「え…?そうなの?」

「マスターに聞いた。写真は見せてくれなかったけど、こうして見る事が出来るなんて…思ってもいなかった…」

「見えるの?この青い空が!灰色じゃないの!?」

「うん…。見える…。鷹也が初めて私に見せてくれた、青い空…」




「これからもずっと傍に…朱羽ちゃんの傍には俺とこの青い空が付いてる。生きよう。一緒に。」

「罪は消えなくても?

「うん」

「過ちが許されないものだとしても?」

「うん。この空が、青く見えるなら、俺の撮った写真を奇麗と言ってくれた朱羽ちゃんなら、誰が、何と言おうと、生きてていい。俺が…いる」



「うん…私は…生きる。私は、生きる

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ロビンエッグブルーの空の下、私は生きます。 @m-amiya

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