エピローグ



 ハーティア王国一の魔術師、ウィルフレッド・レイの屋敷は王立学園のすぐ隣にある。

 植えられたばかりの若い庭木が春の風に揺らされ、花々が咲き誇る花壇からは、甘い香りが漂う。

 庭の中央には、なぜか木製の柵で囲われた芝だけの空間があり、それがかなりの面積を占めている。不思議な庭だ。


「ブヒィ!」

「貴様! 一家のあるじたる私が直々にお前を洗ってやろうというのに、何の不満がある?」

「ブヒィ――――!」

「貴様のためにブラシつき洗浄機という、すばらしい『魔具』を開発したというのに、なぜ抵抗する!?」


 柵の中では必死に逃げ回る丸々と太った豚と、それを追いかけるウィルフレッドという、この屋敷では週に一度は見られる光景が繰り広げられている。

 ウィルフレッドはシャツの腕をまくり、ブラシのようなものを持って豚と対峙していた。

 呪われた豚は三ヶ月を過ぎた今でも元気に過ごしている。庭の大部分を占める木柵で囲まれた場所は、この豚の住まいだ。木柵も、中にある立派な小屋も、ウィルフレッドの手作りだというのに、彼にだけ全く懐かない。その理不尽さに彼はこっそり傷ついている。


 呪いの解呪方法で、人間には試せない『陣の改変』をウィルフレッドはこの豚に試した。彼としては成功する自信があったのだが、万が一にも失敗すれば爆発するとあっては、到底人間に対してできない方法だった。

 豚が肉塊になってしまったら、シャノンが悲しむだろうと思ったが、思い切って試し現在に至る。『元』呪われた豚を食用にするわけにもいかず、屋敷でペットとして飼っているのだ。


「仕方がない……」


 そう言ってウィルフレッドは豚と距離を置き、視線を標的の足元に向ける。

 途端に地面が輝きだし、光に包まれた豚は鳴き声を発することもできずに硬直する。身動きを封じる魔術を使ったのだ。

 ウィルフレッドは動けない豚を隅々まで石鹸で洗い、水でよく流してやる。


「まったく、そうしていれば貴様もそれなりの美豚だ。今日は貴様も家族の一員として、それにふさわしい態度を心がけるように!」

「ブヒィ……」


 最後に太い豚の首に特性の蝶ネクタイをつけてやり、ウィルフレッドは豚を解放する。


「あれまぁ、ウィルフレッド様。お支度はよろしいいのですか?」


 セルマが屋敷のテラスからひょこんと顔を出す。今日は人生で一度しかない重要な日だというのに、悠長に豚を洗っているウィルフレッドを呼びに来たのだ。

 屋敷の中では、夕方からおこなわれる宴の準備で、臨時雇いの使用人たちが忙しくしている。


「私の支度などすぐできる。……何かしていないと、時間ばかりが気になるのだ」

「まぁまぁ……」


 今日はウィルフレッドとシャノンの結婚式だ。二人はすでに夫婦だが、ウィルフレッドの都合で結婚式だけ後回しになっていた。

 数日前からシャノンは祖父母の家に泊まっている。彼女は一般的なハーティアの婚礼作法どおりに、生家の代わりとなる祖父母の家で身支度を整えて教会へ向かうことになっている。

 一人娘のサラの花嫁姿を見ることが叶わなかったエイベル夫妻にとって、これ以上の喜びはないだろう。


***


 祖父に手を引かれ、純白の婚礼衣装に身を包んだシャノンが、祭壇の前に立つウィルフレッドのもとへ、ゆっくりと歩みを進める。首までレースで覆った慎ましい婚礼衣装を身にまとったシャノンが、ベール越しに夫の姿を確認すると、緊張しすぎて眉間の皺が大変なことになっていた。

 参列者が皆、ウィルフレッドの眉間の皺が彼の気持ちを表していないことを承知していることが、せめてもの救いだ。

 司祭の導きで証明書へ署名をするときも、指輪の交換をするときも、ウィルフレッドは終始不機嫌そうだった。唯一、彼のことをよく知らない司祭の顔色が悪くなっていく様子を参列者が見守る中、シャノンの顔を隠す長いベールをウィルフレッドが丁寧にあげた。


「…………」


 シャノンの顔をしっかりと見据えたまま、ウィルフレッドは固まって動かない。誓いのくちづけをいつするのだろうと、シャノンが不安になっても、ウィルフレッドは動こうとしない。



「……綺麗だ」



 皆がしびれを切らす頃に、彼がぼそりと呟く。

 花嫁に見とれて、式の進行を妨げる花婿を、司祭がゴホンゴホンと咳払いをして注意し、やっと我に返った彼がシャノンに優しくくちづけをする。


「さぁ! これで終わりだな? 屋敷へ戻るぞ!」

「ウィルフレッド様? わっ、何するんですか!」


 勝手に式を終わらせたウィルフレッドは、シャノンをひょいと抱き上げて、歩き出す。

 せっかちな彼の行動を、シャノンの祖父母は驚いて、グレースとドミニクは呆れて見送る。セルマは微笑み、カーライル将軍は豪快に笑う。

 教会の扉が開かれ、外に出た二人を待っていたものは――――。



「偉大なる魔術師ウィルフレッド・レイ様に幸あれ!」

「花嫁に幸あれ!」



 二人を祝福したのは、王都に住む多くの市民だった。二人を祝う言葉と拍手、勝手に奏でられる演奏。家々の二階、三階の窓から大量の花びらが舞い、シャノンとウィルフレッドの視界をおおう。

 シャノンの夫は、こんなにも皆から尊敬され、愛されている。彼女にとってそのことはとても誇らしく、嬉しかった。

 強い風が吹いて、地面に落ちた花びらが再び天高く舞い上がる。教会の前だけではない、王都の上空から雨粒のように舞い落ちる花びら。もちろんそんなことが自然に起きるはずはない。王都を包み込むほどの魔術に市民から大きな歓声があがる。


「ウィルフレッド様?」


 シャノンが見上げると、魔術を使った犯人は眉間の皺をそのままに、とても嬉しそうに笑った。


「私も貴女も、もう孤独だなどと、決して口にできないな……」

「はい!」


 ハーティア王国で一番の魔術師、ウィルフレッド・レイとその妻であるシャノンの物語は終わらない。王子様役を兼ねた悪い魔術師は、この先もずっと、愛おしい妻を幸せな魔術で呪い続けるのだから。





<完>


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ウィルフレッド・レイと砂時計の呪い 日車メレ @kiiro_himawari

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