呪いに関わった人々の、その結末は2



 ウィルフレッドが呪いから解放されてから一ヶ月、グレースは事件の後片づけに追われながらも、偏屈幼馴染の最後の依頼を実行するために新聞社を訪れていた。


「情報提供ありがとうございます!」

「うふふ、いい記事になるかしら?」

「それはもう! ハーティアで一番の魔術師の大恋愛ですからね」


 新聞記者の青年はニヤリと笑みを浮かべる。偉大な魔術師ウィルフレッド・レイがこっそり村娘と結婚していた、ということだけでも大きな話題になる。しかも、グレースが持ち込んだ情報はそれだけではなく、呪われた娘を助けようと命を懸けて結ばれた、という感動秘話と一緒なのだ。

 王都中が一月ひとつきはその話題で持ちきりになるほどの大事件だ。青年はそう確信していた。


 グレースがこの話を新聞社に持ち込んだのは、金銭目的でもウィルフレッドに対する嫌がらせでもない。ウィルフレッド本人が考えた作戦だった。

 婚姻の書類をこっそり出したのはいいが、実は王宮ではかなりの大きな問題になった。

 ウィルフレッドの王族の血を、庶民の血と混ぜるなど前代未聞の話で、血筋を重んじる国の重鎮たちから圧力がかかりそうだったのだ。

 現国王の個人的な意見では、力のある一族の娘と婚姻を結ばれるよりも庶民と結婚してくれたほうがウィルフレッドの力が削がれ、彼やその子孫が今後政治的に利用される可能性が低くなるので歓迎しているようだった。

 けれども国の有力者たちはそうは思わなかったようで、法を捻じ曲げて書類を無効にしようなどという乱暴な意見まで真剣に議論されていた。

 ウィルフレッドいわく、今まで身一つで生きてきて何の権利も与えられていないのに、今さら「高貴なる血筋」なんたらを持ち出されても知ったことではないと言い切り、あくまで一般人として法を遵守していると主張した。

 そこで、今回の作戦だ。ウィルフレッドの婚姻を美談と一緒に王都の民に広めてしまうのだ。もし二人を引き裂こうとする者がいたら、王都の民はどう思うだろうか。間違いなく二人を引き裂く者は悪役だ。


「まったく、そのうち物語にでもなりそうね……」


 グレースはつぶやいた。

 それは半年もしないうちに現実になる。ただし、物語に出てくる魔術師は眉間に皺を刻んだりはしないし、他人の屋敷を破壊などしなかったのだが。


***


 ドミニクはチェルトン一帯を管轄する領主が居を構える、アベラルドという街へやって来た。

 チェルトンでの一連の事件はシャノンの父親、継母、祖母、村長、魔術師の五人が捕らえられ、それぞれ殺人未遂やそのほう助という罪で裁かれることになっている。その五人はチェルトンからアベラルドに連行され、投獄されている状態だ。

 そして禁域のほこらにも軍の調査が入り、『砂時計の呪い』以外にも残されていた暗殺者の村の名残は全て回収された。

 ドミニクがこの地域で何かをできるわけではないが、視察という名目で状況を見聞きすることはできる。そしてシャノンが心配している彼女の四人の弟たち――――彼らに関してはドミニクでも力になれるのだ。


 ドミニクはまずアベラルドの監獄へと向かう。そこで収監されているシャノンの父親に面会する予定だ。

 アベラルドの監獄は石造りの建物と高い塀に囲まれた、監獄としては大した特徴もない建物だ。脱走を防止するために最低限の窓だけしかなく、ジメジメとした廊下を看守に案内されて歩く。


「俺はやってねぇ! なぁ看守さん! ……魔術師と村長が、大きな街なら呪いが解けるって言ったんだ! 娘を殺す気なんてなかったんだよぉ!」

「黙れ! お前の取り調べはもう終わった!」


 通路の奥からの叫び声がドミニクのところまで届き、目的の人物の居場所を教えてくれる。窓の少ない固い石で造られた建物は人の声がよく響き、不快な音を余計に不快にさせる効果がある。看守の怒鳴り声のあと、他の囚人から「うるせぇ」「いいぞ、もっとやれ」という野次や怒号があちこちから聞こえ、石の壁を伝いこだまする。


「あの小娘! 育ててやった恩も忘れて逆恨みしやがってっ!」


 ドミニクは看守から様子を聞く程度で、彼に話しかけるつもりなどなかった。けれどもその言葉で気が変わった。

 情けない言い訳を叫び続けるその人物は、衛生管理のために刈られた短髪に無精ひげ、窪んだ瞳をした男だった。


「へぇ……逆恨みなんですか?」

「そうですぜ! 看守さん! 親を罪人にするような娘なんて、ろくな女じゃないっ! 俺は嵌(は)められたんだ!」


 男はドミニクのことを看守と呼んだ。ドミニクは看守ではないが、薄暗い牢獄の中で、細かい制服の違いなどわからないのだろう。


「サイアーズに行くように彼女に言ったのはあなた方ですよね?」

「そこに行ったら呪いなんてすぐ解けるって村長が言うからよぉ」

「教えてあげましょうか? あなた方の罪の証拠の中に、娘さんの証言なんていっさい含まれていないんですよ? 全てこちらの警備隊が村で調べた証拠だけです。彼女は弟さんたちの将来を心配して、黙っているつもりだったみたいです。優しい方ですよねぇ……」


 これは本当の話だ。サイアーズに行くようにと言って、シャノンを村から追い出したのはこの父親をはじめとした村人たちだ。ウィルフレッドが呪われたシャノンを見つけてしまったのは偶然だったが、サイアーズに行くように強要し、ことが露見するきっかけを作ったのは彼らのほうでシャノンは何もしていない。

 そして彼女が証言をしたのは、チェルトンを管轄する警備隊が証拠を固めて動いたあとだった。


「どうせ知らされることですから、いいことを教えてあげます。あなたの罪は殺人罪ではなく殺人未遂罪なんですよ? この意味がわかります?」

「死んでなかったのか……?」

「ええ、実は彼女……本来なら会うことも叶わないほどの高貴なお方に見初められたんです。その高貴な人物が愛の力で解呪した、とでも言っておきましょうか。今、王都はその話題で持ちきりです」

「娘に会わせてくれ! お願いだ、看守さん! ……殺すつもりなんてなかった! だから会って話をさせてくれ!」


 男がギラついた瞳でドミニクに乞う。きっとそこに謝罪の気持ちなんていっさいないのだろう。高貴な人物に頼めば罪が軽くなるとでも思っているのか。ある意味でドミニクの期待を裏切らない反応だった。


「……そうでした! 正確には娘じゃなかったんでしたね。いやぁ、良かったです! ……あなたが無責任な人でなしで。身内に犯罪者がいると彼女の今後にいろいろと支障があったかもしれません。彼女はもう、あなたとは別の世界で優しい旦那様や王都の祖父母に見守られて、幸福に暮らすことが約束されています。何も心配はいりませんよ?」


 殺人未遂という犯罪はハーティアでは決して軽い罪ではない。この男が牢屋から出ることはまずないだろう。だからドミニクは親切心で物語の幸せな結末を彼に教えた。

 心清き者が幸せになり、醜いものは罰せられる。それが世界のことわり――――もちろん、軍に所属して罪なき人々が死ぬ理不尽な現実を何度も見てきたドミニクは、本気でそう考えている訳ではない。けれども、たまにはそういう結末があってもいいと思うのだ。

 この男は本来なら殺人罪に問われるべきなのだ。シャノンとウィルフレッドの努力でこの男の罪まで結果的に軽くなってしまった。

 だったら知らずにいるほうがよい、娘の幸福をあえて知らせて、醜い妬みと後悔に心を支配されたまま一生をこの薄暗い牢獄で終える。その手助けをしてやるくらいよいだろう。

 うなだれて何も言わなくなった男に、ドミニクはそれ以上声をかけるのをやめた。


 翌日、ドミニクはまだチェルトンにとまっているはずのシャノンの弟たちに会いに行くことにした。

 調査によれば、シャノンの弟たちは十五歳、十四歳、九歳、五歳の四兄弟で、上の二人はすでに村で仕事を得て働いていた。ただし、今回の事件で解雇されたようだ。


「これは、ひどいな……」


 訪ねた先は、田舎の民家としてはごく一般的な木造平屋の建物だ。けれど、窓は割られ、庭の菜園は踏み荒らされ、ひどいありさまだ。おそらく村人が荒らしたのだろう。小さな村では罪を犯した者の家族まで、私的に罰せられるのだ。


「軍人さん? ……我が家になんの御用でしょうか?」


 壊れかけの玄関から長男と思われる少年が顔を出す。背後に弟たちの気配がするが、見慣れぬ軍人の姿に警戒し、長男は弟たちを部屋の奥へ押しやり家の外へ出る。


「私は王都の部隊に所属している軍人で、ドミニク・カーライルです。君の姉上、シャノンさんとは個人的なつき合いがあってね……今日、ここへ来たのは任務ではなく、私的なものです」


 ドミニクはなるべく威圧しないように、柔らかい口調を心がける。軍服を着てきたのは、自身の身分を証明するためだった。威圧感はあるが、そのほうが信用されやすい。


「あの人の……? 何の用ですか!?」


 彼はシャノンのことを姉とは呼ばなかった。そして彼女の名前に警戒している。

 開かれた扉からは、がらんとした部屋が見える。明らかにここから去る準備をしているようだ。ドミニクは彼らがここから去ってしまう前に会いに行けたことに安堵した。


「君のお姉さんが、君たちのことを気にかけているようだったから、お節介を焼きに……君たち、村を出て当てがあるのかい?」

「それは……。でもなんであの人が? 俺たちはあの人に憎まれる理由はたくさんあるかもしれないけど、気にかけてもらう理由はないはずです」


 少年はもう母の言うことを鵜呑みにする子供ではなかった。少年の母は、シャノンの母親が悪い女で、シャノンだけが粗末な小屋で過ごすのは母親のごうを背負って当然のことなのだと日頃から言って聞かせていた。母のように罵声を浴びせることはしなかったが、少年自身も姉のことを存在しない者のように扱い、無視していた。

 けれども働きに出るようになってから、母の言うことだけが正しいわけではないのだと薄々気がついていた。それがわかるくらいには大人だったが、母や父を否定できるほど強い人間ではなかったのだと思う。

 今にして思えば、父や母だけではなく彼自身や弟たちも彼女から恨まれて当然だった。それなのに手助けしてもらえる理由が彼にはわからない。

 少年の母は、シャノンが不幸なのは彼女の母親のせいで、当然のことのように言っていた。皮肉にも親の業を子が背負うというその理不尽さを、今になって身をもって知ることになった。


「君たちは、憎しみの対象になるほど大人だとは思われていないのでしょうね」


 シャノン自身も兄弟を引き取って、ともに暮らす気はないようだ。けれども、ひどい目に合うことがわかっていて幼い弟を放置できるほど非情にもなれないという心情なのだろう。

 ドミニクからの提案は、下の弟二人を孤児院に入れること。上の二人には仕事を紹介することだった。

 この国の戸籍制度はとてもしっかりしている。だから、この村を離れたらすべてを無かったことにして自由に働ける、などというふうにはならないのだ。職を得るには紹介状がいるし余所者にはどの村も街も冷たい。親が罪人であることも調べられたらすぐにわかってしまう。

 彼らに紹介できるのは、そういった事情をきちんと説明したうえで与えられる仕事で、決して条件のいい仕事とはいえない。最初は自分一人の生活を支えるので手一杯だろう。


「だから、私からの提案を受ければ兄弟は離れ離れになります」

「でも! 俺は弟たちを守らなきゃいけなくて!」


 親が罪人だからこそ、自分だけは弟たちに対する責任を放棄したくない。少年はそう考えていた。


「そうですね。強制はしないから、一日皆で考えてくれますか?」

 明日、もう一度訪ねることを約束してドミニクはそこから去ろうとする。うつむいていた少年は顔を上げてドミニクを引きとめた。

「軍人さん! このまま四人でどこかへ逃げて、俺たちで暮らしていけると思いますか?」

「……難しいと思います。君一人が全てを背負えるほど君はまだ大人じゃない。私にはそう見えます」

「俺、ずるいですよね。弟たちと離れるのは無責任じゃないって、そのほうが弟たちも幸せになれるって……誰かに言ってほしくて。俺のすることを許してほしくてっ……。誰かにそう言ってもらえないと、自分じゃ決められないなんて……」


 顔をくしゃくしゃにして泣き出す少年は、本当にまだ子供だった。

 ドミニクは彼の頭をポンポンと軽く叩く。明日までにここを発つ準備を済ませるように伝えてから今度は本当に立ち去る。

 少年は頭を深く下げて彼を見送った。

 ドミニクの主な任務はウィルフレッドの護衛であり、彼に近づいてくる人間を監視することだ。

 シャノンの存在によってウィルフレッドと婚姻を結んで利用しようとする者はいなくなる。そして守るべき者が増えたウィルフレッドは今まで以上に慎重になり、やっと得た穏やかな生活を守るために努力するだろう。

 ドミニクとしては、シャノンに感謝しなければならない。彼女のお陰で今後の任務が非常にやりやすくなるのだから。弟たちの件はその礼のつもりだった。


「いやぁ、これでレイ様の大暴走はもう見られないのかな? ……うーん、嬉しいような、少し寂しいような」


 明日、少年たちを連れてこの地を発つ。その前に将軍や一族の者たちにお土産を買わねばならない。アベラルド周辺の特産品を思い出しながらドミニクは一旦チェルトンをあとにした。


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