🔁~Repeat Playback~

【⏮️】

「……う……ん」

　気が付くと、私はソファーにもたれかかっていた。足を投げ出し、手を放り出し、ぐったりと沈み込んでいる。

　ソファーで寝てしまっていたのだろうか？いや、ココアを飲んだ後、寝室に向かったはずだが――と、その時、身体中がピリピリと痺れていることに気が付いた。手足の筋肉が、弱々しい電流を流されているかのように痙攣している。

　背筋を伸ばそうと、起き上がろうとして――できなかった。身体が、いうことを聞かない。まるで、金縛りにあったかのように。

「ううっ……」

　わけもわからず、どうにか身体を動かそうとしていると、

「あ、起きたの？」

　ソファーの後ろ、キッチンの方から、瑠璃の声がした。

「る、るり……」

　助けて、と言おうとして、声が上手く出せなかった。舌がもつれて、まともに言葉を話すことができない。

　首も動かせず、振り向くこともできないでいると、

「動けないの？話せる？」

　瑠璃が、目の前まで来てくれた。さっきと同じパジャマ姿で、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

「き、きゅう…きう…しゃ……」

　救急車を呼んで、と伝えようと―――、

「動けないみたいだね、良かったぁ。これが効いて」

　不意に、瑠璃が私の顔の前に何かをかざした。

　それは、黄色いキャップの小瓶だった。中に、白い錠剤がいくつか入っていて、カラカラと音を立てている。

「たったの五万円しかしなかったから、偽物掴まされたんじゃないかと思ったけど、本物だったんだ。ねえ、ママ、私の言葉は分かるんでしょ？身体だけが動かせないんでしょ？」

　一体どういうことなのかと困惑していると、視界の隅に、転がっているマグカップを見つけた。瑠璃が中学生の時、修学旅行のお土産で買ってきてくれた、四つ葉のクローバーの柄がプリントされたマグカップ。その口から、ココアが吐き出され、床を盛大に汚している。

「……な…に……」

　必死に喉から声を絞り出していると、瑠璃はふうっと安心したかのように息をつき、

「これね、ギルティ錠っていうの。飲むと、身体が動かせなくなって、頭もぼんやりするんだって。即効性があるのは、身体の方だけみたいだけど。さっき、砕いてママのココアに混ぜておいたんだ」

　まるで、学校であった出来事を何の気なしに報告しているかのような口調で、瑠璃は続ける。

「ギルティ錠っていうのは通称みたいだけど。なんか、元は獣医さんが馬とかを安楽死させる時に使うお薬なんだって。それにちょっと別の成分を混ぜ込むとね、人間を寝たきり廃人みたいにしちゃうお薬になるらしいよ」

　黄色いキャップの小瓶が、テーブルに置かれる。よく見ると、飛び散ったココアがカーペットにいくつかのシミを作っていた。目だけが唯一、きょろきょろと不自由なく動かせることに気付く。

「これね、私たちWP世代の間で凄く流行ってるらしいんだ。ママも、馬鹿親を見世物にして配信やってるユーチューバーのことくらいは知ってるでしょ？あの人が最初にこれを使ったから、ギルティ錠なんて呼ばれてるらしいけど、ネットで見かけただけだから、単なる噂話かもね」

　瑠璃の口から、ぎるてぃの話が出て、ヒッと強張った喉が鳴った。

　まさか―――。

「……ねえ、ママ。私が、匿名掲示板の一部のスレッドで、何て呼ばれてるか知ってる？」

　そんなはずない。そんな―――。

「ロリコンのおかず御用達の、ロリっ娘ルリ姫って言われてるんだよ。ほら、見て」

　瑠璃がスマホを取り出し、画面を私の目の前にかざした。そこには―――。

「……凄いよね、ネットって。十何年前の画像とかやりとりが、未だに残ってるんだから」

　匿名掲示板のスレッドに貼られた、露出部の多い、魔法少女の衣装を身にまとった、幼い女児の画像——いや、

「ここに書かれてる、即ハボとか、エッッッとか、激シコとかって、どういう意味なのかな？ねえ、ママ、知ってる？昔のネット用語らしいんだけどさあ」

　私が作ったアニメキャラの服を着た、二歳の頃の瑠璃の写真——―。

「私の人気って凄いんだよ。海外の掲示板でもこの画像が出回ってるんだもん。これだけじゃなくて、こんなのも、ほら、ほら」

　瑠璃が、スマホの画面をスライドさせていく。次々と、画像が現れては消えていく。

　私が作ったキャミソールを着て寝そべっている三歳の頃の瑠璃。

　私が作った架空のスクール水着を着て水浴びをする四歳の頃の瑠璃。

　私が作った女児用ビキニを着てポーズを決める五歳の頃の瑠璃。

「こういうの、全部で何枚あると思う？私もね、正直分かんないの。もう無いかと思ったら、あちこちから、まだまだ出てくるんだから。終いには、これを３Dモデルにしたエロアニメまで作られてたし」

　違うの、これは、違う、と弁明しようとして、喉がひゅるひゅると音を立てた。辛うじてできたのは、目を瞑って視界を遮断することだけだった。

　目の前に突き付けられた、過去の過ちを直視しない為に。

「……私はね、この頃の事、ぼんやりとしか覚えてないよ。なんか、やけに張り切って写真を撮ってたことがあったなあ、くらいにしか思ってなかったんだけど……中一の時にね、友達とふざけてTikTokにダンスを投稿してたら、たまに変なコメントが来るようになったの。〝これって、あのルリ姫なんじゃね？〟とか、〝ロリルリめっちゃ成長してるやん！〟とか」

　そんな私に構うことなく、瑠璃は淡々と続ける。

「何のことだろって思ってたら、急に友達から距離置かれるようになってさ。わけ分かんなくて、一人で色々調べてたら、クラスのみんなからTwitterで悪口言われてた。〝あいつ、親がユーチューバーやってたんだって。恥ずかしいわ～〟とか、〝あいつの親、ワナペだったのかよ。しかも子供使ってエロ写真撮影って。引くわ～〟とかさ」

　できることなら、耳を塞ぎたかった。

「頭の中、真っ白になった。まさか、そんなはずないって思ったけど、〝ルリ姫　ロリルリ　画像〟で調べたら、すぐ出てきたよ。さっき見せたスレッドも、画像も。なんなら、サジェストの段階で〝ルリ姫　画像集〟とか出てきたし」

　しかし、どれだけ力を振りしぼっても、腕が動かなかった。

「どこの誰だか知らないけど、そのスレッドの人が、わざわざ年表まで作ってくれてたから、分かりやすかったあ。〝ロリッ娘ルリ姫チャンネルの歴史〟とか言ってさ。今から、読むね」

　―――やめて。

「2023年、〝ルリ姫チャンネル〟開設、この頃は、ほのぼのとした育児動画や裁縫動画を細々とUPしていた底辺チャンネルだった。2024年、Twitterで手作りのアニメキャラのコスプレ衣装を着たルリ姫の画像がバズり、以降は衣装制作と、それをルリ姫に着せてポーズを取らせたり、セリフを言わせたりするチャンネルへと変換していく」

　―――やめて、やめて。

「2025年、そこそこ名が知られたチャンネルになったが、段々と人気が落ちていく。そんな低迷期を脱する為か、この頃から、コスプレ衣装が少々際どいものになっていく。2026年、手作りスクール水着の動画がロリコン界隈で話題になり、その方面の人気を大々的に獲得」

　——―もう、やめて。

「2026年末、ミニスカサンタのコスプレが再びTwitterでバズるが、ある種の児童虐待ではないのかという声が上がり、悪い意味で話題になる。が、チャンネル主である母親はさらに注目を集める為か、2027年より、チャンネル名を〝ロリッ娘ルリ姫チャンネル〟へと変更。案の定炎上するも、Twitterアカウントで世間を挑発するような呟きをいくつも投稿し、活動は続く」

　——―もう、聞きたくない。

「2027年半ば、女児ビキニ姿のルリ姫を映して、明らかに卑猥な意味と取れるセリフを言わせる動画が投稿され、ありとあらゆる方面（ロリコン界隈以外）から、立派な児童虐待だと非難を浴びる。動画のコメント欄を閉鎖し、Twitterアカウントにも鍵を掛けるが、時すでに遅し。有志がTwitterにUPされていた画像や動画の背景を元に住所を特定し、スレッドに晒す。それによって、さすがに身の危険を感じたのか、〝ロリッ娘ルリ姫チャンネル〟のYouTubeチャンネルと、Twitter、インスタ、TikTokのアカウントは完全に消滅する……」

「……ち、が…う……」

　ようやく出たと思った声は、擦れた呻きにしかならなかった。

「何が違うの？全部真実でしょ？その時の動画の切り抜きとか、呟きのスクショとか、全部残ってたよ？どこかの気持ち悪い人たちが、保存してたみたいで」

　そんな、まさか、あれから、何年も経っているのに。

「そういう気持ち悪い人たちが、私が友達とTikTokに上げてた動画から、私のことをルリ姫だって特定したみたい。ほくろの位置とか、成長予測アプリとか使って。私が童顔だったから、尚更分かりやすかったのかもね」

　声が、急にグッと近付いてきた。瑠璃の息を、鼻先に感じる。

「ああ、私だけじゃなくて、どういうわけか、当時のママのことも、ある程度特定されてたけどね。どこまでが本当か分かんないけど、それを信じるなら、ファッションデザイナーを夢見てアパレルショップでバイトしてた女が店長と不倫して、子供ができたらあっという間に捨てられて、服飾業界から逃げ出して、それでも子供は産んで、細々と暮らしてる時に、子供を使って金儲けしようと企んだ……ってとこ？」

　……嘘だ。

「……ねえ、ママ。私を、どうしたかったの？」

　嘘だ、嘘だ。

「……いや、私を使って、人生どうにかしようとしたの？」

　なんで、どうして。

「何者にも成れなかったから、私を使って、何者かに成ろうとしたの？」

　どうして、そんなことまで知られているのだ。

「……本当にさ。私の人生どうしてくれるわけ？今、私が話したこと全部、学校中に知れ渡ってるんだよ？そのせいで、中学も高校も、まともな青春送れなかったんだよ？みんなから影でひそひそ言われて、画像ばら撒かれて、笑われて、街中で見たこともない人から指差されて、盗撮されて、それをまたネットに貼られてさ。知らないでしょ？私が言わないでおいてあげたから」

　瑠璃はいつの間にか、涙声になっていた。爆発寸前の怒りの気配をヒリヒリと、皮膚に、鼓膜に、感じた。が、

「……ふふっ。でもね、もういいんだ。いつか言ったみたいに、これから私が、ママの夢を引き継いであげるんだから」

　不意に顔を掴まれ、強く瞑っていた両目が、瑠璃の冷たく細い指によって、無理矢理こじ開けられた。目の前には―――、

「大学に行って、勉強して、ママに色んな種類の服をたくさん作ってあげる。それを着せて、動画にして、私もユーチューバーになるんだ。ママが私を使って何者かになろうとしたみたいに、今度は私がママを使って、何者かになるの」

　天使のような笑顔を浮かべる、瑠璃。

「ぎるてぃの二番煎じの人たちがたくさん出てきてるから、個性を出していかなきゃね。チャンネル名は何がいいかな？一応は建前として介護動画にしなきゃいけないんだけど……〝帰ってきたロリッ娘ルリ姫のクソ親介護チャンネル〟とか、どう？さすがに申請が通らないかなあ？」

「……ご、ご…がっ……」

　ごめんなさい、と言おうとして、喉が痙攣した。頭の後ろの方から、甘辛い痛みがじわじわと染み込むように伝ってくる。

「あ、もう頭の方もダメになってきた？大丈夫。時々、我に返る時もあるみたいだからさ。その時は聞かせてね。全世界に向けてオモチャにされるのって、どういう気分なのかさ」

　キャハハハ、と天使の笑い声が聴こえた気がした。

　それを最後に、私の意識は、白く霞んだ不明瞭な世界へと落ちていった―――。