最終話 第三十七集:雲心月性
皇宮の方から、数多の雄叫びと悲鳴が入り交じった音が、
「まさか……、皇宮にも
「困りましたね、
目の前には未だ二十万以上の
今この戦場から抜けることは出来ない。
ただ、危機的状況になった割には、
「……玲瓏兄上が言っていた通りになりました」
スペンサーは鋭い爪で掴んだ
「ほう。というと?」
「『申し訳ないが、城外の戦闘はお前に任せる。わたしは梅寧軍と共に皇宮で戦おう。おそらく、罠があるはずだ』と。だから、ひそかに立て直していた三万の梅寧軍が、皇宮付近に待機しているんです。市民のふりをして」
「さ、三万も、ですか!」
「多くはまだ十代で若く未熟ではありますが、十七年の時を経ても、梅寧軍の志は脈々と受け継がれているんです」
「さすが、
「怖いこと言わないでください……」
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「……玲瓏、動揺の一つでもしてみたらどうだ」
「英王の卑怯な性格や残酷な性分は承知している。きっと何かしてくるだろうと思っていた。だから、対策は十分にしてある」
「対策、だと?」
「あなたは梅寧軍の生命力と志、そして忠誠心を侮りすぎているようだ」
「なんだと⁉」
英王が顔をゆがめ、怒りをあらわにしたその時、扉の外から聞こえてきたのは、戦闘が始まったことを告げる鬨の声だった。
「そんな……。一体どこに隠していた!」
「江湖だ。我らの勢力は深く傷を負い、悲しみと悔しさに身を震わせながらたどり着いた江湖に身を寄せ、ずっと力を蓄えてきた。お前から家族の名誉を取り戻すために!」
玲瓏は剣を構え、英王に迫った。
「罪を認め、裁きを受けよ! 真実を白日のもとへ還すのだ!」
英王は目を見開き、膝から崩れ落ちながら空気が口から洩れるように笑い始めた。
「はは……ははははは……。何十年もかけて練り上げてきた計画が……。こんな、こんな小僧に敗れるとは……。あと少しだったというのに……。あと少しだったというのに!」
英王はうなだれ、話すこともやめてしまった。
玲瓏の合図で英王に近づいていった兵士が、腕を拘束し、周囲にいた白虹教の導師たちも同様に捕縛され、
玲瓏は目の前で淡々と過ぎていく光景に、違和感を覚えた。
あっさりしすぎている気がするのだ。
英王はおそらく、まだ何かを隠している。
ただ、今は早く
玲瓏は皇帝と皇太子、そして姜医師に挨拶をすると、城外へと向かって走って行った。
☆★☆★☆☆★☆★☆☆★☆★☆
「あ! 兄上!」
「おう、
「ありがとうございます」
梅寧軍五千を引き連れ、援軍に来てくれた玲瓏のおかげで、
「玲瓏殿下ぁ! 若様ぁ!」
「あ、飛燕将軍」
「世子様が『休憩しろ』とのことですぞ。もうあとは我々でどうにでもできましょう。お二人はお休みください」
「わかりました」
「ありがとう、将軍」
玲瓏を目の当たりにした飛燕は感無量だったらしく、男泣きをしながら微笑んだ。
「あれ? あのさっきまで一緒に戦ってくれていたひとは?」
「ああ、スペンサーさんは悪魔だから、飛燕将軍が来る数秒前に離脱したよ」
「いればいいのに」
「悪魔の姿があまり好きじゃないみたいで。見られたくないんだと思う」
「そうか。あとで礼を言いに行かねばな」
「うん」
二人で休んでいると、
「あ、兄上!」
「玲瓏殿下、
「世子殿もお疲れ様です。戦ったり治療に回ったりかなり忙しかったようですね。お休みになられた方がいいのでは?」
「弟たちの体調の方が心配なので」
「あはははは。これから末永くお世話になります」
「もちろん。おかえりなさい、玲瓏殿下」
「ただいまです。
「これをお返ししておきますね」
そう言って
「ち、父上の……。ありがとうございます!」
「あとで母にも会ってください。とても喜ぶと思います」
「いいなぁ、
「ふふふ。そうでしょう、そうでしょう!」
「ああいう武人になりたいものだ」
「兄上ならなれるよ」
「鍛錬あるのみだな」
他愛のない話をしながら食事を済ませると、玲瓏は
「一応、英王は天牢に入れてはいるが……」
「心配なんだね」
「見に行ってみようと思う」
「わたしも行く」
近くにいた飛燕侯府の兵に行き先を告げ、二人は天牢へと向かった。
到着すると、天牢の入口は物々しいほどの警備がしかれていた。
「ず、隋王府の屈強な兵士が三十人……」
「これは誰も近づけないだろうな」
二人は挨拶と来た理由を話し、中へと入れてもらった。
下へ下へと降りていく階段は、一段降りるごとに寒気を感じる。
湿気はほとんどなく、ただただ寒い地下牢。
その中でも、特に厳重なのが〈
ここにも、隋王府の兵士が五人、立っている。
二人は丁重に案内され、ある牢の前までやってきた。
かけられた赤い札には、〈
「居心地はどうだ」
玲瓏が声をかけると、囚人用の服で装飾品がすべて奪われた姿の
「ふんっ。何しに来たのですかな? 殿下」
「何を隠しているのか聞きに来ただけだ」
「さぁ? 何のことでしょう」
「今更とぼけることもないだろうに」
「何がおっしゃりたいのかわかりかねますな」
「……腕の傷はどうだ?」
「手当をしていただきましたので、もう血は止まっております」
「血? わたしには煙に見えたが」
「殿下にそう見えたのなら、そうなのでしょうねぇ」
「あくまでもとぼけるつもりなんだな」
「今日は疲れました。もし温情をかけてくださるのなら、あともう少し藁を敷いてくれませんかね」
「あとで運ばせよう」
「感謝いたします、殿下」
その時だった。天牢がにわかに騒がしくなったのは。
「やはり、何か隠していたのだな」
「さて、何のことでしょう」
玲瓏に目配せされ、
「どうしたんですか?」
「それが……」
案内された牢へと見に行くと、そこには自害した白虹教の導師たちの遺体が十二体転がっていた。
「壁に血文字……。そうか、そういうことか」
「自害した導師たちの牢には、怨霊化の
「だろうな。
「こ、ここに、すべて、か、書いておいた。わ、私が、したこと……。お、お前たちが、望んで、い、いる、真実、と、いう、やつだ」
格子の隙間からそれを受け取った玲瓏は、苦しむ
「わ、私は、お、お前たちを、見て、いるぞ。昏く、深い、死の底から、ずっと、ずっと、な……」
大きく血を吹き出し、
直後、赤い煙と生温かい風が吹き抜け、外へと出ていった。
「怨霊の初期段階だな。まだ力は弱いが、三年もすれば疫病を振り撒くくらいは出来るようになるだろう」
「封印しないと……」
「幸いと言っていいのか、封印の媒介になる身体はここにある」
「……問題は場所かぁ」
「そうだ。封印に適した場所でなければ、すぐに破られてしまう」
「……スペンサーさんに聞いてみるよ」
「え、そんなことまでしてくれるのか」
「人脈がすごいからね。きっといい場所を知っていると思う」
「では、頼むとしよう」
「兄上は父上と母上のところに行ってきていいよ」
「でも、わたしも頭を下げてスペンサー殿に頼まなくていいのか?」
「そんなことしなくても大丈夫ですよ。わたし、従業員で稼ぎ頭だし」
「なにやら不思議な間柄なんだな」
「まあね」
二人は牢の入口に立っている兵に
空はもう白み始めており、朝はもうそこまで来ている。
上空から見下ろす
数日もすれば、また、いつもの営みの音が戻ってくるだろう。
十七年前に野に放たれた
それでも、玲瓏と梅寧軍が戻ってきたことで、花丹国には光がさしている。
不安は一つだけ。
怨霊化した
「あ、見えた」
蒐集屋敷
「お待ちしておりましたよぉ」
「先ほどはありがとうございました」
「あれしきのこと。いやぁ、久々の運動は楽しかったです」
屋敷の中へと通されると、そこにはアーサーが立っていた。
「
「え、そ、そうですけど……。なぜそれを……。あ! そうか。
「いやいや。やはり人間の欲にまみれた感情というのは香ばしいね。あの
「あは、あはは……」
「で、封印するんだろう?」
「あ、はい。どこがいいかなぁと、場所の相談に来ました」
「それならちょうどいい場所がある!」
「え、どこですか?」
アーサーとスペンサーは顔を見合わせると、ニヤリと微笑みながら地図を机に広げ、指さした。
「ここは……、旧憧林……。ど、
「その通り! あそこ。今空いているだろう?」
「あ、空いているって……」
「場所もちょうどいいですし、
「え、それって危険なんじゃ……」
「
「えええ……」
「ハンターたちの流入も増えて、
「う、ううん……」
さすがは商売人。
「じゃぁ、兄上に伝えてきます」
「さっそく明日行いますか? 封印の媒介となる遺体はなるべく新鮮な方がいいですからね」
「そうですね。では、明日封印を行います」
「わたくしたちは万が一に備えて旧憧琳の近くで待機します」
「ありがとうございます。では、また明日」
「もう帰ってしまうのですか? お茶しましょう?」
「あ、じゃぁ……、ちょっとだけ」
昨夜あんなに必死で戦っていたのが嘘のような穏やかな時間。
国内が安定したとしても、この世は戦国。
戦いがなくなることはもうしばらくないのだろうと思うと、少し感傷的な気持ちになってしまう。
そんな
翌日、旧憧林に来ると、そこは以前とは違う不思議な空気に包まれていた。
清濁何もない、ただただ静かな雰囲気。
「これは……」
「
花丹国では勝利の女神として今も信仰されている。
「かつての部下のために、目をかけてくれていたのだろう。ここには聖も悪もない。ただただ、『何もない』空間になっている。たしかにここなら、
「では、さっそくやりますか」
「そうしよう」
木製の棺にたくさんの氷と共に入っている
それを馬車からおろし、
「
「そう。
「大変だったな」
「うん。気持ち悪いものがいっぱい出てきて大変だったけど、今はその影もないね」
「虫も動物も、植物さえ生えていない。まさに、虚無だな」
「うん……」
下へ下へ。深き場所まで進んでいくと、大きな広間へ出た。
「ああ、ここだ。戦った場所」
「跡形もないな」
「だだの岩肌にぽっかり空いた空間って感じだね」
二人で棺を中央に置くと、蓋を外し、玲瓏が呪文を唱え始めた。
――
――
――ふるえふるえ、匣の中。
――ふるえふるえ、鎖に繋がれ。
――ふるえふるえ、無限の牢に。
棺が揺る。遺体が動いているのだ。
己の魂を呼び戻すために。
(来た)
赤く湿った生暖かい煙が入って来た。
抵抗でもしているかのように空中で止まるが、成すすべなく煙は遺体の中へと吸われて行った。
「今だ、
「剣をもって封と成す」
最後に、玲瓏が鉄で出来た剣を深く差し込み、封印となった。
「ふう。上手く言ったな」
「そうだね。ただ……」
「ああ。空気が変わった。数分もすれば、ここは再び恐ろしい
「いいのかなぁ……」
「大丈夫だろう。ここは蒐集屋敷の管轄となるらしいからな。
「たしかに。それもそうだね」
顔を見合わせると、玲瓏はふと力が抜けたように微笑んだ。
「帰るか、
「うん。あ、でも、兄上は屋敷と領地をもらうんだよね?」
「ああ。領地は
「わあ! 嬉しい!」
「完成は来年だ。しばらくは皇宮に部屋をもらい、住むことになる」
「遊びに行くね」
「ああ。菓子を用意して待っている」
生き物は清すぎる場所にも、穢れ過ぎた場所にも、住むことは出来ない。
清濁併せ持つ場所で、皆生きていくのだ。
誰もが心に光と闇を抱えている。
それをどう表現し活かすかは、その人次第。
だからこそ、生きるのだ。
自分の中の光に気づき、闇を受け入れるために。
「では、玲瓏殿下。わたしは本日もお仕事があります。そろそろ
「ふっ。とってつけたような敬語だな」
「えへへ」
そのまま
眼下に、一匹の狐が目に入った。
また変身することもあるだろうか。
朝廷に混乱をもたらす不吉な存在。でも、
もし新しい時代に必要な瞬間が現れたら、迷うことはないだろう。
護りたいものがあるから。いくらでも、凶を纏える。
「えっと、今日の行先は……」
今日は海底遺跡に出現した
何が待っているかはわからないが、きっと安全ではないだろう。
でも、それが楽しいのだ。
「頑張って稼ぐぞ!」
穏やかな風が吹く。
新しい季節と時代が、待っているのだ。
螢惑守心の煌仙子 智郷めぐる @yoakenobannin
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