第三十六集:烽火連天

「英王め、鬼霊獣グゥェイリンショウも配置していたのか!」

 塩と火薬、そして飛燕、隋、穆の軍の活躍により、村人たちの正常化が終わったころ、陽が傾き始め、鬼霊獣グゥェイリンショウたちがわき始めた。

翠琅すいろう!」

「兄上!」

 どうやら梨鶯りおうには将軍としての才能があるようだ。

 引き連れている騎馬の数が増えている。

「隋王と穆王、それに飛燕将軍が三百ずつ連れて行けと……。大所帯になってしまったよ」

「さすがですね、兄上」

「私はこれから村人たちを城内へと連れていく。そのあと、また戻ってくるぞ。お前が止めてもな」

「姜家の跡取りなんですから、安全なところにいてもらわないと困るんですけど」

「大丈夫だ。翠琅すいろうがついているからな」

「えええ」

 ふっと微笑む梨鶯りおうの姿は、凛としていてとてもかっこいい。

「はやく玲瓏殿下に渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの……、え、まさか!」

「そのまさかだ。弥王世子様の玉佩。弥王殿下のは皇帝陛下が持っているが、世子様のは父上がずっと隠していたのだ。いつか跡を継ぐ、玲瓏様のために」

「英王に渡れば、返してもらえないですもんね」

 風が通り抜ける。血のにおいが混ざる、生暖かな空気。

「勝つぞ、翠琅すいろう

「はい、兄上」

 千人以上の兵を引き連れて戻って行く兄の背中を目で追い、翠琅すいろうは深呼吸を繰り返した。

 そして、夕闇が迫る中、籠城戦が始まろうとしていた。

 英王はいったい何体の鬼霊獣グゥェイリンショウを作っていたのだろうか。

 地平線が黒い影で埋まっている。

 それに対し、こちらは三軍合わせて十万弱。

 禁軍と錦鏡衛きんきょうえいは英王府の兵と白虹教が余計なことをしないよう、城内を護りつつにらみを利かせてくれている状況だ。

(怪我人を治療し、交代しながら戦うとして、常に戦場にいられるのは五万から六万ってとこか……。夜通しではこちらが圧倒的に不利だ)

「治療と補給はおまかせください!」

 城門が再び開き、中から百人以上の見知った顔が出てきた。

「薬黎院のみんな!」

翠琅すいろう様、とりあえず、近くにいた薬舗の者をすべて招集しました。城内で爆発に巻き込まれた人々の治療は完了しております。ご存分に我らをお使いください! 仲間もすぐにきます」

「ありがとう!」

 心強い。これで、三軍の兵で戦闘に回せる人員が大幅に増える。それに、あとから仲間が来ると言っていた。

(これなら、夜を越えられる!)

 しかし、ここは都城。

 人間相手なら籠城もそれなりに出来ただろうが、梯子はしご無しでも壁を上ることが出来る鬼霊獣グゥェイリンショウ相手では、ただ籠城するだけでは意味がない。

「若様」

 硬い表情。あまり、いい知らせではなさそうだ。

「飛燕将軍……。やはり、やられていましたか」

「はい。伝令からの報告によると、我が領地、穆王、隋王も領地周辺に鬼霊獣グゥェイリンショウがわいていると……。それも、ここ瓏安ろうあんまでの最短距離の場所に」

「兵の補充は絶望的ですね。それぞれ、国境線に領地がありますから」

「面目ありません。ただ、私も、穆王も隋王も、絶対に鬼霊獣グゥェイリンショウ瓏安ろうあんに流れ出るようなことだけは致しません」

「お三方には優秀な世子様方がいらっしゃいますから。そこは心配していません。ただ……」

「城の前方に出せる兵が少なすぎるということですね」

「そうです。なので、僕が出ます」

「……な! それはなりません! 先ほど、仙子せんし……、煌仙子スプリガンだということは伺いましたが、それでも……」

「兄を説得する時間はありません。もし何かあったら、兄をよろしくお願いいたします」

 飛燕は真剣な表情の翠琅すいろうに、自分の息子たちを重ね、ふっと力が抜けたように笑った。

「私は姜侯府から嫌われたくはありませんよ」

「そんなことにはなりません。父を、母を、そして弥王殿下を信じてくれている数少ない人ですから」

「そのようなお言葉、もったいない……。朝焼けに、世子様から説教でも受けてくださいね、若様」

「そうします」

 そのためには生きて戻らなくては。

 翠琅すいろうは前線で待機している兵たちの遥か前に出た。

「おや、お一人ですか?」

 声が聞こえた。聞きなれた、ひょうひょうとした甘い声。

「す、スペンサーさん⁉」

「戦化粧、しないんですか?」

「どうしてここに……」

 風が吹く。微かに香る、薬草のにおい。

「わかりました?」

「兄上ですね」

「賢い御兄弟で、わたくし、興奮しちゃいます!」

「蒐集屋敷は干渉しないんですよね?」

「そうです。でも、わたくしは銀耀ぎんようあるじ。自由なのです」

「でも……」

「因果が生まれる。そう言いたいのでしょう?」

 すると、スペンサーはニヤリと微笑み、変身し始めた。

「この姿は、不気味であまり好きではないのですが、正体を隠すにはもってこいです」

 巨大な蝙蝠のような羽に、全身を覆う硬い黒い毛。

 足は偶蹄類のような蹄に代わり、手には虎のように鋭い爪が鋭利な刃物のように輝いている。

「どうも、悪魔ですっ。翠琅すいろうさんも、一緒に不吉な姿になりませんか?」

「そのお誘い、のりました」

 朱い長髪、目尻に紅、青白い肌、豊かな九尾。

 翠琅すいろう螢惑けいこく変化へんげした。

「兄は『手は出さないが、翠琅すいろうが大事に想う場所を護ることに力を使うのは、やぶさかではないね』と、瓏安ろうあん上空に控えてくれています」

「なんとお礼を言えば……」

「ふふ。悪魔に礼など不要です。我々は、したいことしかしませんから」

 そう言って前を向いたスペンサーは、瞳を輝かせ、「さぁ、個人的に三千年ぶりの戦争。殺戮を楽しませてもらいましょうか」と、近づいてきた鬼霊獣グゥェイリンショウの波に飛び出していった。

 翠琅すいろう大仙針だいせんしんを構え、矛に変えた。

 紡いだ煌糸こうしを何万もの剣に形成し、血に飢えた群れの中へと飛び込んでいった。

煌糸こうし万雷ばんらい!」

 何万本にもおよぶ剣の雷が鬼霊獣グゥェイリンショウの脳天めがけて降り注いだ。

「やりますねぇ! さすがは煌仙子スプリガン!」

 後方で歓声が上がる。兵士たちの士気が上がっているのだ。

「どのくらいいるか見えますか⁉」

「目視で……、三十万ってとこでしょうか。燃えますね!」

「ここで半分は狩っておきたいです!」

「無茶ですが、不可能ではないですよぉお!」

 降り注ぐ剣から漏れた鬼霊獣グゥェイリンショウの首を次々に刎ねていく。

 相手の矢を避けている暇などない。

 頬を掠り、服は裂け、切れた皮膚からは白い血煙が上がる。

 それでも、ここでせめて半分には削らなければ、英王が何をしでかすかわからない。


☆★☆★☆☆★☆★☆☆★☆★☆


 籠城戦が始まり、二時間ほど経った頃。皇宮では英王が皇太子と向き合っていた。

 一人、白虹教の導師が英王にそっと近づき、何かを耳打ちした。

「そうか、始まったか」

「何が始まったというのだ!」

「殿下、取引しましょう」

「は、はあ?」

「皇位継承を放棄していただきたいのです」

「な、何⁉」

「今、城の外では鬼霊獣グゥェイリンショウによる侵略が始まっています。このままでは、瓏安ろうあんはおろか、花丹全体が大きな被害をこうむることになりかねません。ただ……、回避することもできます」

 英王は懐から書状を取り出し、皇太子に持たせた。

「これは……!」

 それは皇位継承権放棄を宣言する書状だった。

「あなたがそれに署名をし、血判を押してくだされば……。鬼霊獣グゥェイリンショウたちはもう二度と花丹国を襲うことはなくなるでしょう。さぁ、いかがなさいます……」

 その時だった。

 部屋の扉が音を立てて大きく開き、見知らぬ美しい男性が入って来たのは。

「誰だ! ここは天子がおわす……」

 男性の隣には、きょう 董青とうせいと、他に二人の太医。その後ろには、『梅』と描かれた旗を持つ兵士が十人、立っていた。

「英王、終わりだ」

 男性の声は誰の耳にも心地よく、春風のようにその場の空気を変化させていった。

「終わり、だと……」

 董青とうせいは手に持っていた美麗な箱から巻物を取り出すと、それを開き、広げた。

「こちらにおわすのは、弥王世子、簫 桃鳳しょう とうほう殿下の嫡子、簫 玲瓏しょう れいろう殿下。出生証明と、我ら三名の医師の証言により、これを証明する」

 一瞬、音が消えた。

 英王は開いた口がふさがらず、身体が固まってしまったかのように、呼吸だけを繰り返している。

「……な、なんだと?」

 それだけでは終わらなかった。

「私はここに、簫 玲瓏しょう れいろうを弥王位にほうずる」

 兵士たちの間から現れたのは、英王に囚われていたはずの皇帝、簫 祁玉しょう きぎょくだった。

「へ、陛下……」

「父上!」

「息子から離れろ、祁潤きじゅん!」

 英王は瞬きの間に状況悪化を理解し、近くに転がっていた兵士の剣を抜き、皇太子の首元に押し付けた。

「生きていたのか、簫 祁生しょう きせいの孫が……」

「ああ。姜侯きょうこうと奥方おかげでな。私の命を護るため、自らを犠牲にしてくれたのだ。この恩は一生かかっても返せぬだろう」

「冷静だな。さすがは桃鳳とうほうの子……。若輩者のくせに、鼻に付くほど優秀過ぎた。だから、梅寧軍もろとも消してやったというのに! なぜ、なぜまた私の前に現れるのだ!」

 英王が激高した瞬間、玲瓏は玻璃はりで出来た扇をくうから取り出し、風を起こした。

「うわっ!」

 英王が持っていた剣が玻璃はりのシャボン玉に包まれ、英王ごと風に揺らめき床に倒れた。

「な、なんだ⁉」

「私は仙子せんしの聖域に隠され育った。少しくらいなら、仙術が使えるのだ。怖いか? 英王」

仙子せんし……、仙術……。おかしな術……、突然現れた朱い九尾……」

 英王は絶望の中で高笑いを始めた。

「そうか! あれは翠琅すいろうなんだな⁉ いつからだ……、いつからこの時を狙っていた!」

「すべてを知った時からだ」

「はっ……。忌々しい……。死して尚、私を愚弄するか、簫 祁生しょう きせいよ! 庶出しょしゅつの分際で、ずっと生意気だった。政治的な駆け引きは不得意なくせに、武術の腕前は兄弟一……。重ね続けた武功は脅威となり、いつからかその評価は私をしのぐほどになっていた。梅寧軍の勢いはとどまることを知らず、他国から恐れられ、花丹かたんの守護神ともうたわれるほど。不遜だ……、それが私のものになれば、私の治世になるはずだったのに! あいつは昔から祁玉きぎょくにしか従わなかった! それに、お前もだ! きょう 董青とうせい! 宗室でありながら、庶出の祁生きせいなんぞに懐きおって……。優秀な才能は、すべて祁玉きぎょくに集まって行った……。なぜ、なぜ嫡子で長皇子の私ではないのだ! なぜ……、何故なのだ!」

 英王はフラフラと立ち上がると、薄ら笑いを浮かべながら玲瓏を見つめた。

「お前は言ったな、『終わりだ』と。ならば、その通りにしてやろう」

 一瞬だった。

 英王は袖に隠してあったのだろう小刀で左腕を切り裂いた。

 腕から深紅の血煙が立ち昇り、急速に広がって行った。

「何をした、英王!」

 玲瓏が叫んだ時には遅かった。

 皇宮内で叫び声が上がり始めた。

「私が何も隠してないとでも思ったか? この血は白虹教ののろい……。英王府の兵がすべて鬼霊獣グゥェイリンショウ化するのろいだ!」

 響き渡る歪んだ笑い声。

「わずかな梅寧軍で止められるかな? 城の外にも鬼霊獣グゥェイリンショウは溢れているぞ、若き弥王よ!」

 最悪の始まり。

 暗雲は、皇宮をも満たしていった。

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