第三十五集:鬼気森然

「ど、どういうこと⁉」

 都城外壁周辺で巻き起こる鬼霊獣グゥェイリンショウと飛燕軍の戦闘。

 穆王府、隋王府の軍も次々に戦闘に加わっていく。

「……鬼霊獣グゥェイリンショウが甲冑ではなく、布の服を着ているなんて……。いや、あれは!」

 反魂珠によって作り出された鬼霊獣グゥェイリンショウは、術が解ければ元の人間に戻る。

 今眼下に広がっている凄惨な光景は、自国民同士の殺し合いに過ぎない。

「と、止めなくちゃ……。父上と兄上に伝えなくちゃ……」

 ただ、螢惑けいこくの姿で行ってもどうにもできない。

 急いで董青とうせい梨鶯りおうに知らせる必要がある。あの二人なら軍人からの信頼も厚い。

 話を聞いてもらえるだろう。

 翠琅すいろうは都の中へ入ろうと、視線を移すと、おかしなものが出現していた。

「け、結界⁉」

 瓏安ろうあん上空、ドーム状に貼られた白虹教の結界。

 いくら緊急事態だとは言え、早すぎる。そして、準備がよすぎる。

「……英王か」

 ついに、始めたのか。

 翠琅すいろうの瞳から涙が流れた。

 ただただ、悔しく、恐ろしく、悲しく、そして、どうしようもない怒りで。

「お前にとっての凶星が来てやったぞ、簫 祁潤しょう きじゅん!」

 翠琅すいろう螢惑けいこくの長い爪で結界を引き裂くと、中へと入って行った。

「来たぞ! 例の朱き天狐だ!」

 白虹教の導師たちが叫んでいる。

わざわいよ! 立ち去れ!」

 極超短マイクロ波による攻撃。当たれば、身体の内側から火傷してしまう。

 白虹教の導師は光の波長による攻撃を得意とする。厄介だ。

「大いなる光により、この世界は浄化される段階に入った! 邪魔するな!」

 翠琅すいろうは数十人の導師たちから放たれる光波を避け、蜜柑堂へと急いだ。

「光を操れるのはお前たちだけだと思うなよ」

 翠琅すいろう煌糸こうしで陽炎を再現すると、その中で変身を解き、導師たちの視界から消えた。

 螢惑けいこくが蜜柑堂と関係があると思われるのは困る。

 蜜柑堂の前は爆発で怪我をした市民で溢れていた。

「兄上!」

 中へ入ると、そこはまた違う戦場となっていた。

 泣き叫ぶ声、うめく声、薬の調合に走り回る音、血が流れる音。

翠琅すいろう! どうした? 何があったんだ……」

「兄上をここから連れ出すことは……」

 頭が混乱しかけていた。梨鶯りおうを連れ出し、都城の周囲で起こっている悲しい戦いを終わらせなければならないのに、蜜柑堂には兄の技術を必要としている怪我人があまりにも多すぎる。

「おい、翠琅すいろう……」

「行け、二人とも」

 振り返ると、そこには董青とうせい林蘭りんらんの姿があった。

「ち、父上、母上」

「皇宮の門が閉じられる前に抜け出してきた。やるべきことを果たしに行くんだ」

「ここは大丈夫。清陽しんようたちが向かってくれているわ」

 父の強い瞳。母の暖かな瞳。心の中に燻っていた怒りの炎が、勇気へと変わって行く。

「……わかりました。兄上、力を貸してください」

「私の甲冑を着ていきなさい」

 父の甲冑。この世界に唯一残っている、梅寧軍の甲冑。

「……わかった。すぐに着てくる」

 兄が着替えに侍従と部屋へと向かった。

「馬の準備はしてある。空からではなく、堂々と門から出るんだ」

「で、でも、門には英王の兵と禁軍、錦鏡衛きんきょうえい、それに、白虹教の導師たちがいます」

「……都で噂になっている朱い天狐、お前なんだろう。翠琅すいろう

 力が抜けそうになった。

 幻滅されるのか。

「息子の声がわからないわけないだろう。案ずるな。他言はしていない」

 董青とうせいは優しい目で言った。

「すべては玲瓏れいろう様のため。梅寧軍のため。そして、私のため……。苦しんでいるお前に、なんと声をかけたらいいのか、ずっとわからなかった。でも、今日こんなことになって、もう、私も逃げないと誓う。好きなだけ暴れてこい、翠琅すいろう

「父上……」

「姜侯府の者として、どうどうと、お前のままの姿で行け。責任は侯爵である私がとる」

「はい!」

「薬黎院には薬舗の者がすでに伝達に向かっている。そこから、玲瓏様にも伝わるだろう」

 そう言うと、董青とうせいは懐から一冊の古い書状を取り出した。

「これは、玲瓏様の出自を保証する公的な書類だ。すでに同意してくれた医師の何人かは亡くなってしまっているが、この私が生きている。今こそ、弥王府を復興させる時だ」

 その時、董青とうせいの、梅寧軍の甲冑を着た梨鶯りおうが現れた。

「ああ……。親戚だから似ているのは当然だと思っていたが……」

 董青とうせいの目から、涙が流れた。

「弥王世子様……、簫 桃鳳しょう とうほう少師しょうすいにそっくりだ」

「父上。子の甲冑に恥じぬ行いをしてまいります。蜜柑堂を頼みました」

「まかせとけ。行ってこい、姜家の息子たち」

 翠琅すいろう梨鶯りおうは両親に平伏すると、すぐに外へ出た。

旋風せんぷうじゃないか! 父上の愛馬……」

 美しい青みがかった黒い毛並みを持つ立派な戦馬。

 かつて董青とうせいと戦場を駆けた駿馬。

「老体のお前に最後の無理をさせてしまう。すまない」

 旋風は「早く乗れ」とでもいうようにいなないた。

 螢惑けいこくの時に言った『次世代のため』という言葉に、自分たちも含まれているのだとやっとわかったのだ。

「兄上」

「飛べ、翠琅すいろう。誰よりも高く!」

 「はっ!」という掛け声とともに走り出した梨鶯りおうと旋風。

 翠琅すいろうは周囲の目も気にすることなく、大仙針だいせんしんに乗り、大空へと飛び上がった。

 道は門に近づくにつれ兵の数が増えている。

「お、おい! そこの馬、止ま……」

 梨鶯りおうに向けられるすべての武器を仙術で吹き飛ばし、道を切り開いていく。

 そして門前、そこには英王府の兵と禁軍の大統領、そして錦鏡衛きんきょうえいの琰州がいた。

「おい! この門は閉じている! 例え姜家の世子といえど、通すわけには……」

 英王府の兵が吠えたその瞬間、禁軍大統領がその兵の頭を思いっきり殴りつけた。

「あの甲冑が見えないのか! あれは、梅寧軍の将軍である証だ。我々には止める術など無い」

「その通りです。さぁ、世子様、若様。あなた方がこの戦いをどう制圧するのか、お手並み拝見と行きましょうか」

「感謝する。大統領、琰州殿」

 琰州は門を開けよと命じ、禁軍大統領は「騎馬五百、世子様と若様にお供せよ!」と号令をかけた。

 門が開く。

「なだれ込んできた化物どもは、我らにお任せを!」

 悔しそうに歯噛みする白虹教の導師たちの上を飛んでいく翠琅すいろう

「兄上、布地の服を着ている鬼霊獣グゥェイリンショウはすべて民です! 英王が兵部と開発した反魂珠の爆弾によって変化させられているだけで、術さえ解けば人間に戻ります!」

「それなら……、塩と火薬だな。鉄は武器にふんだんに使われているだろう。隋王と穆王に伝えに行く! お前はこれをもって飛燕将軍の元へ!」

 そういって投げてよこされたのは、玉佩ぎょくはいだった。

「『梅寧軍 医師将軍 きょう 董青とうせい』……。承りました! 兄上はこちらを!」

 そういって投げたのは、剣。

 仙子せんしが精錬し、煌仙子スプリガンが鍛え抜いた剣。

「もし兄上が戦場に出るようなことがあれば、渡そうと作っておいたのです。こんな日が来なければいいと願いながら」

「案ずるな。これでも、将軍の息子だ」

 梨鶯りおうは受け取った剣を鞘から抜く。青く輝く刀身は、まるで深き海の底。

「では、行ってまいります!」

 翠琅すいろうは飛燕が戦う戦場へ向かって速度を上げて近づいた。

 いの一番に戦闘を始めたのだろう。

 鬼霊獣グゥェイリンショウを村の中にまで押し込めていた。

「飛燕将軍!」

 翠琅すいろうが叫ぶ。

「ん? ……私を将軍と呼ぶのは……、おお! 若様⁉ え、な、なぜ空を……」

「将軍! お話があります!」

「その玉佩は……、董青とうせい様の! 騎馬三百! 私に続き、一時離脱せよ!」

 周囲を騎馬に守らせ、その中心で二人は話すことになった。

「実は、あの鬼霊獣グゥェイリンショウたちは周辺の村民なのです」

「な、何⁉」

 反魂珠のこと、英王のこと、兵部と工部、そして梅寧軍がうけた裏切りのことなどを、すべて話した。

「……許せぬ! そんな……、では、董青とうせい様はたったお一人で苦しんでおられたのか……。なんたること……」

「父のことは大丈夫です。英王は今回の騒動で一気に皇位をとりにくるでしょう。そうはさせられません。皇太子殿下を救い出し、弥王府を復興させ、玲瓏様に梅寧軍を復活させてもらい、対抗しなければ!」

「もちろん、玲瓏殿下に付きますぞ! ただ、この度のこの戦い……。どうすれば……」

「あれは人間の身体に別の霊魂を入れて作りだしたもの……。つまりは、悪霊に憑かれているのと同じ状況なのです。急いで火薬と塩を混ぜ、その粉を付けた鉄製の物で強く鬼霊獣グゥェイリンショウたちの背中を叩いてください。そうすれば、悪霊は逃げ出し、人間に戻ります」

「わかりました。すぐに」

 飛燕は「伝令! すぐに火薬と塩を混ぜ、武器に着けて奴らの背を叩けと伝えるのだ!」と号令を出した。

 同じ場で話を聞いていた飛燕の四人の側近たちもそれに加わり、飛燕に「私は大丈夫だ。お前たちも行け!」と言われ、駆けだした。

「隋王と穆王にも伝えなければ……」

「そちらには、兄が向かっています」

「な! せ、世子様が戦場に……」

 飛燕は男泣きしながら深く頷いた。

「この国は……、花丹かたんは、次の世代も安泰ですな」

「そうできるよう、戦います」

「玲瓏殿下はいつお戻りになられるのですか?」

「……明日には到着するでしょう」

「まさか……、い、生きているうちに、こんな奇跡が起こるとは……。ああ、弥王殿下……。弥王世子様……。あなたがたの命は、今も続いておられるのですね……」

 飛燕の瞳に、暑く、煌々と輝く炎が灯った。

「次世代のため、英王……、いや、謀反人、簫 祁潤しょう きじゅんの討伐にお力添えいたします! これより、飛燕侯府および飛燕軍は、玲瓏殿下につきます」

「感謝します」

「では、若様。またのちほど!」

 そう言うと、また飛燕は騎馬隊と共に戦場へと戻って行った。

 すでに火薬と塩を混ぜたものが地面に撒かれており、それを剣につけながら駆けていった。


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「な、なんだと⁉ 姜侯府の世子と翠琅すいろうが⁉」

 伝令から報告を受けた英王は、顔を真っ赤にして机を殴った。

「……やはりか! 董青とうせいめ……。記憶をなくしてはいなかったのだな!」

 その言葉は、その場にいたすべての人々を驚愕させた。

 それは皇太子も例外ではなかった。

「どういうことなのだ、皇伯」

「……あなた様には関係なき事」

「それは……」

 皇太子の側に立っていた護衛が四人、突然意識を失い倒れた。

「なっ、これは、これはどういうことだ! 皇伯!」

 その後ろから現れたのは、白虹教の導師たちだった。

「わめかないでください。これからどうなるかって? そんなの、やってみないことにはわからないでしょう」

 毒は静かに浸蝕する。

 気付いた時には、もうすでに、壊死が始まっているのだ。

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