第三十四集:宣戦布告(この話以降、三人称視点に変更します)

 錦鏡衛きんきょうえいは優秀だ。

 今日、螢惑けいこくを訪ねて銀耀ぎんよう錦鏡衛きんきょうえいが十人、訪れていた。

「アップルトン卿、螢惑けいこくという天狐を雇っているというのはまことですか?」

 錦鏡衛きんきょうえい主督しゅとく琰州えんしゅうはほとんど表情を動かすこともなく、淡々と問いかけた。

 スペンサーは柔和な笑顔を浮かべ、その質問が愉快だとでもいうように声を弾ませて答えた。

「ええ、そうです! とっても優秀なんですよぉ」

「それはよく存じております。ただ、殺人で連行しなくてはなりません」

「あらあら、それは無理でしょうね」

「と、申しますと?」

「人間が人間のために作ったような牢では、螢惑けいこくを捕えておくことは出来ません。捕まえても無意味だということです」

「では、どうしろと?」

「見逃してはどうです?」

「それは出来ません」

「頭が固いですねぇ」

「人殺しは大罪ですから」

「では、今回螢惑けいこくに殺されたお二方も大罪人ですねぇ?」

 琰州えんしゅうはふっと口元を緩め、小さくため息をついた。

「人を裁くのは法であるべきです。が、それが機能しないことがあることも事実。人ならざるものが天命を実行したとおっしゃりたいのですか?」

「そこまでは言いませんが……。はたして、あなたがたは尚書の地位に就く者を処刑できましたか? せいぜい、流刑がいいところでは?」

「いえ、処刑できたと思いますよ」

「なぜ?」

「彼が持っている様々な情報。それが漏れるのを防ぐには、流刑にして命綱を握るよりも、殺してしまった方が早いですから」

「なるほど。では、利害は一致しているわけですね」

「……螢惑けいこくをあまり自由にさせないでください」

「それは約束しかねます。なんせ、天狐ですから。種族がまるで違いますからね」

 笑顔を崩さず応えるスペンサーの姿に、琰州は観念したようにそっと微笑んだ。

「あなたは本当に不思議な方ですね。では、今日のところはこれで失礼いたします」

「はい。ごきげんよう」

 琰州は部下たちを連れて銀耀ぎんようを後にした。

「もう出てきてもいいですよ、翠琅すいろうさん」

 翠琅すいろうは大変気まずい様子でひっそりと応接室から現れた。

「なんか……、すみません」

「いいんですよ。螢惑けいこくが派手であればあるほど、翠琅すいろうさんに疑いの目が向かなくなります。頑張っていきましょう! 人間に嘘をつくのは得意ですから、悪魔なので!」

「あ、あはは……」

 その時だった。

 瓏安ろうあんの方向から地を揺らすような大きな音が響き渡り、空を厚い雲が覆ったのは。

「な、何事⁉」

「行ってください、翠琅すいろうさん!」

「わかりました!」

 翠琅すいろうは慌てて螢惑けいこくの姿になると、くうから取り出した大仙針だいせんしんに乗って都を目指して屋敷を飛び出した。

 黒い煙が立ち昇っている。

「どうか、どうかみんな無事でいて!」


☆★☆★☆☆★☆★☆☆★☆★☆


 爆発の数時間前……。

 英王府には怒号が響き渡っていた。

「工部尚書が殺されただと⁉」

 簫 祁潤しょう きじゅんは怒りに任せて机の上にあった書類を床に払い飛ばし、立ち上がって喚き散らした。

「まだあの反魂珠はんごんじゅの兵器は完成していないのだぞ! 資材の調達にどれほどの金と時間がかかっていると思う! 不埒ふらちおぞましい性癖のせいで殺されるなど、ふざけるな!」

「お、お怒りなきよう……」

 侍従長は怒り狂う英王をどうにか鎮めようと、連絡係を下がらせ、優しく声をかけ続けた。

「くそっ……」

 英王は何度も深呼吸を繰り返してから椅子に腰かけ、強く自身の手を握った。

「組み立ては兵部が行っております。工部の援助がなくなったのは痛手ですが、材料の半分はすでにそろっておりますので、計画は勧められるでしょう」

「ふんっ。半分だと? その半分を集めるのに三年以上かかっているのだぞ。また三年など、さすがに時間がかかりすぎる」

「入手経路の確保は出来ております。ズナアクの者も使えますから……」

「所詮あの男一人だけではないか。それが何の助けになるというのだ」

「……では、最小範囲で始めてしまえばよろしいのでは?」

 英王は眉をピクリと動かし、「どういう意味だ?」と侍従長に聞き返した。

「殿下は中原全体を欲しておられますが、そのためにはまず、花丹かたんを手中に収める必要がございます。長期的な作戦はひとまず寝かせておいて、一気に攻めてしまわれてはどうでしょう?」

「……力を中原に示し、恐怖による精神的な地盤を民の心の中に作ってしまえ、ということか」

「左様です。英王殿下を敵に回すと、恐ろしい目に合う、と、知らしめるのです。そうすれば、祐玄ゆうげん様が皇帝の座に就くころには、命の保証と引き換えに自ら国土を献上する国も現れましょう」

 英王は瞬時に脳内で想像を巡らせた。

 皇帝となった孫の側で実権を握る自分の姿を。

 頭を下げ、命乞いをする各国の王たちの姿を。

「ふむ……。それはいいかもしれないな。私に従わない飛燕、穆、隋の三家は鬼霊獣グゥェイリンショウ退治という名目で瓏安ろうあんの外へとおびき出し、そのまま帰ってこれなくしてしまえばいい……。鬼霊獣グゥェイリンショウなどいくらでも作れるからな。すべては時間の勝負。不意を突いてやろうではないか!」

「ただ……」

「なんだ?」

「あの螢惑けいこくとかいう天狐が心配ですね。本当に単独でのことなのか……」

「天狐は群れないと聞くが……。あれを瓏安ろうあんに入ってこられないようにする手立てはないのか?」

「残念ながら、神に等しき力を持つ天狐は、人間にはどうすることも出来ません」

「まあいい。たった一匹。どうにでも出来よう。さすがに千体の鬼霊獣グゥェイリンショウに襲い掛かられでもしたら、何もできないだろう」

「英明でございます」

「よし。近隣の村で反魂珠はんごんじゅの爆弾をすべて起動させよ。そして飛燕、穆、隋の三家の軍がそれぞれ鬼霊獣グゥェイリンショウの討伐に出たところで、瓏安ろうあんで爆弾を暴発させ、鬼霊獣グゥェイリンショウが攻めてきたように見せかけるのだ」

「ふふふふふ……。反魂珠はんごんじゅはその効果が切れれば遺体は普通の民の姿に戻ります。つまり、残るのは飛燕、穆、隋の三家が謀反を起して花丹の民を虐殺したという偽の事実だけ……。これは、愉快なことになりますね」

「邪魔なものはそれ相応の手段で消さなければな」

「……きょう家はどうしますか?」

「ふん。身体の悪いただの医師くすしに何が出来るというのだ。せいぜい、国の変化でも眺めさせておけばよい」

「かしこまりました」

 侍従長は不気味な笑顔を浮かべながら「それでは、殿下は皇宮へ行く準備をお願いいたします。なるべく、慌てて来たことが伝わるようなお召し物で」と言い、部屋を後にした。

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