第三十一集:花天月地

「あ、あああ……、こ、こんな姿に……」

 持ち帰った遺体を確認した薬黎王は、あまりの惨さに静かに涙を流した。

 わたしは薬黎王の代わりに跡取りである春暁しゅんぎょう太子と話をすることになった。

「太子殿下……」

「いや、殿下はいらない。翠琅すいろう、本当に、ご苦労だった」

「いえ。全員救うつもりで行ったのに、申し訳ありません」

「そなたはよくやってくれた。救ってくれた五人は、今異常は無いか診察している。家族たちは涙を流して喜んでいるところだ。感謝してもしきれない。借りは溜まってゆくばかりだな」

「そんな! 梅寧軍の生き残りをすべて引き取ってくださり、平穏を与えてくださった薬黎院に恩こそあれ、貸しなどひとつもありません」

「……ありがとう、翠琅すいろう

 春暁しゅんぎょうは一筋の涙を流し、頭を下げた。

 わたしはあわてて春暁の肩に手を添え、「顔を上げてください」と彼の上半身を起こした。

「……翠琅すいろう、その顔は……、何かあったのか」

「春暁様には隠せませんね」

 わたしは心配そうに見つめてくる春暁に観念し、見たことを話した。

「白虹教の紅師こうすいが呪術を行っていたのですが、それと同じ場所に、英王府の兵がいたのです」

「なんだと⁉ 簫 祁潤しょう きじゅんめ……。一体何を……」

「推測ならありますが、確信に代わったらお話します」

「いや、今話してくれ。薬黎院が力になれるやもしれん」

「……危険です。それに、みやこに江湖の者の出入りが増えれば、必ず警戒されます」

「おいおい、ここは薬黎院だぞ? 都にいくつ薬舗を持っていると思う」

「……でも!」

「今更関わるなとでもいうのか?」

「そ……、そういうことでは……」

「話してくれ」

 わたしは春暁の熱意に押され、推測を話すことにした。

「考えたくないことだが……、陛下はすでに亡くなりかけているのではないかと……」

「な! 皇帝陛下が……。で、でも、なぜ!」

白虹はっこう教の紅師こうすいが行っていたのは、血の呪術を利用した同物同治どうぶつどうち。健康な者から生きたまま臓器を取り出し、病人の侵された臓器と入れ替えるのです。そうすれば、病人は病を克服し、健康を保つことが出来ます」

 春暁は口元を抑え、目を見開いた。

「まさか……、英王はそれを行っているというのか、自分の弟である皇帝陛下に!」

「英王が皇位を孫に継がせるためには、正当な儀式の元で行われる必要があります。簒奪では、民意はついてこないでしょう。諸侯たちの反発もありますし。だから、生きながらえさせているのです。準備が整うまで」

「……飛燕軍を始め、まだ英王に与しない大きな勢力があるから、大きな行動に移さないのか。でも、皇太子殿下はもうすぐ三十歳。陛下が譲位すれば、安泰ではないのか?」

 当然の疑問だ。

 わたしはそうであってほしくないと祈りながら、続きを話した。

「きっと、それができないよう、完治しない程度に呪術を施され、常に体調が思わしくないのかもしれません。それに加え、皇太子殿下の命を秘密裏に人質に取られているとしたら……。勝手に死ねば、皇太子殿下を殺す、とか」

「……自分が生きていれば、皇太子殿下も安全だということか」

「確証はありませんが、いくら心を病んで倒れてしまったとしても、聡明な陛下なら息子に譲位するという決断は出来るでしょう。でも、それが出来ない状況なら話は別です」

「太医はいったい何をしているのだ! そ、それに、お前のご両親は……」

「母は後宮での勤務で、父は数年前から皇宮の薬舗の管理を任されております。陛下に会う資格はありますが、調剤で忙しく、会えないようです」

「そうか。父君は意図的に遠ざけられているのだな」

「おそらくは」

「でも、いくら陛下の兄である英王とて、病気の陛下を隠し通すなど……」

 わたしは以前から皇宮内で囁かれていた噂を思い出し、自嘲気味に笑うと、それを口にした。

「太皇后ならできます」

「な! だ、だが、陛下も太皇后の嫡子だぞ⁉」

「長きに渡り、争いの絶えなかったこの中原で、母親は常に跡取りとなる長子を護るように生きてきました。胎を痛めて産んだ子供と言えど、こと皇宮では明確な順位が付きます。母親の心にそのような考え方が芽生えても、致し方ありますまい」

「つまり、太皇后は長子である英王派だということなのだな」

「ええ。その通りです。英王は太皇后にとっては初めての子供。生まれた瞬間から皇位を継ぐことが期待されていた男児。周りの妃たちから命を狙われないよう、必死で護り抜いて育てた子です。愛情が偏っても仕方がないのかもしれません」

「でも、太皇后もお年を召して……。なるほど。そういうことか。太皇后がそもそも白虹教を信仰し、紅師に同物同治を施されて生きながらえているのか」

「可能性はあります。まずは、それを調べねばなりません」

「……太皇后は後宮に住んでいるのか?」

「いえ。皇后陛下とあまり仲がよろしくないため、太皇后府に居を構え、暮らしておられます」

「ほう……。ならば楽勝だな」

「え?」

「血の呪術を使っているとはいえ、些細な病には薬を用いているだろう? だから、薬術師として誰かを潜入させる」

「そ、そううまくいきますかね」

「大丈夫だ。私が行くから」

「……は⁉ それはなりません! 薬黎院の跡継ぎを敵地に送るなど出来かねます!」

「そう言うと思ったし、父も許さぬだろう。冗談だ。訓練を積んだ猛者を潜入させることにする」

「うわ、もう、そういう冗談はおやめくださいと、幼い頃から何度も言っているでしょう!」

「そうだったか? あはははは」

 春暁は笑いながら、悪戯っ子のような視線を向けてきた。

 春暁は玲瓏と似ている。

 春の陽射しを思わせるような、あたたかな雰囲気。

 時に仲間を想い激情に揺さぶられる時の、山麓に吹きすさぶ風のような振る舞い。

 王者でも覇者でもなく、もっと大きな存在。

 例えるならば、守護神。

 護りたいと思う者が増えるたび、背中は重くなり、足腰はふらつくのだと思っていた。でも、その中の大きな存在が、共に戦うことができる強さを持っているから、わたしは自由に動けるのだ。

 わたしは薬黎院を通り抜けていく風を心地よく感じながら、微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る