第二十九集:対症下薬

 ズナアク族の男がやってきてから一週間。

 江湖にいる仲間から緊急の連絡が来た。

 『薬黎院やくれいいんの仲間が数名戻ってきません』と。

「わたし、調べに行ってきてもいいでしょうか」

 薬黎院やくれいいんには梅寧軍の生き残りが保護されている。心配だ。

「もちろんです!」

「でも、またあのズナアクの男が来たら……」

「わたくしは悪魔ですよ? 残念ながら人間では殺せません。ご心配なく」

「ううん……。でも」

「大丈夫ですよぉ。銀耀ぎんようは蒐集家協会から離脱しているとはいえ、兄が営んでいる水耀がついておりますので。そう簡単に手出ししてこないでしょう」

「……わかりました。くれぐれも気を付けて下さいね」

「もちろんですとも!」

 わたしは屋敷内に不審な人物が隠れていないか一応確認し、薬黎院やくれいいんに向けて出発した。

 今回はわたしの、翠琅すいろうの姿で。

螢惑けいこくの姿をみんなに見せてあげなきゃなぁ)

 薬黎院やくれいいんは深い谷の合間に作られた秘境で、江湖の人間くらいしかまともに近づくことは出来ないほど険しいところにある。

 そのおかげで、梅寧軍の生き残りが都の者たち、ひいては英王に露見することなく暮らすことが出来ている。

「おお、なんて壮観な……」

 大仙針だいせんしんに乗って見下ろす薬黎院やくれいいんはまるで美術品のよう。

 黒い漆塗りの柱には、神龍となった聖女の物語が極彩色の彫刻として刻まれており、その意匠はまさに豪華絢爛。

 瓦は艶々と陽の光に照らされ、遠くから見ると黄金のようにも見える。

 ここは初代薬黎王やくれいおうが妖精王〈五毒将軍〉との解毒対決に勝利した褒美に建ててもらった宮殿だと伝説では伝わっている。仙子せんし族からすれば事実だが、人間にとって人智を超えた伝承というのはしばしば神話のように語られることがある。

「ん、あれは……。ああ! 翠琅すいろう様! 翠琅すいろう様がいらしたぞ!」

 宮殿の門を守っている者たちが一斉に手を振って迎え入れてくれた。

「こちらに! こちらに降りてください!」

「わかった! すぐに行く!」

 わたしは旋回し、大きくせり出している庇に降り立った。

「伝書鳩が届いたのですね」

「うん。詳しく話を聞きたい」

「すぐに仲間たちを集めます」

「先に薬黎王やくれいおうに挨拶してくる」

「王もお喜びになるでしょう」

 わたしは回廊を通り、一番奥にある部屋へと向かった。

薬黎王やくれいおう、お久しぶりです」

「おお! 翠琅すいろう坊ちゃん!」

 純白の長髪に、浅黒い肌。その肌は真珠のように艶々で、矍鑠としている。

 紺碧の瞳は、普段は鋭く光っているのだが、わたしが来たことで緩み、まるで温和なおじいちゃんだ。

「坊ちゃんはやめてくださいってば」

「では、若様とお呼びしましょうか?」

「……坊ちゃんでいいです」

「玲瓏様はお元気でいらっしゃいますか」

「兄さんは元気ですよ。とっても。未来のために頑張ってます」

「うんうん、流石です」

「今日はもらった連絡のために来ました」

 薬黎王は険しい表情で頷いた。

「ああ……。本当に、不甲斐ないことです」

「いえ。世は戦国。江湖とて、無関係ではいられません。我々は兵士ではない。でも、個人が持つ知識や能力は都の文官武官に全く引けを取りません。そのため、狙われることもありましょう。わたしが必ず突き止めてまいります」

「……本当に、大きくなりましたな、翠琅すいろう様」

「ありがとうございます。でも、まだまだです」

 「ではまた」と一礼し、わたしは部屋から出た。

 扉の前には若衆が三人立っており、挨拶が終わるのを待っていたようだ。

翠琅すいろう様、こちらです」

 案内について行く。回廊から見える景色は、いつ見ても美しい。

 清らかな薬草の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「こちらです」

 入った部屋には、三十名ほどが集まっていた。

「お待ちしておりました。この度は我らの失態のせいでお呼びたてしてしまい……」

 一斉に叩頭するみんなの前に立ち、「頭を上げて」と言い、わたしは部屋の奥に用意された座布団に座った。

「みんな座って楽にして。とにかく、話を聞きたい」

「はっ」

はく将軍、詳しく話して」

 はくは梅寧軍の元将軍で、現在はここ薬黎院で保護され、修行を積んでいる。

 十七年前の真相を知る一人だ。

「一週間前に、販路拡大のために北方の山へ向かった五名が戻ってこず、探しに出た二名も行方不明の状況です。慎重を期し、さらに三人で見に行かせたところ、山中でこれを見つけてまいりました」

 目の前に出されたのは、七人分の旅の荷物だった。

「荷物が目的で攫われたのではないってことだな」

「そのようです」

「無差別なのか、それとも薬黎院の人間だけを狙っているのか……」

「それが、妙なのです」

「妙というと?」

「近隣の村で聞き込みを行った結果、同じ時期に病人が二人、連れ去られたというのです」

 頭に、ある言葉が浮かんだ。もしそれがただの勘では無かったら……。

「……嫌な予感しかしない。お前たちは動くな。わたし一人で行く」

「そんな! 若様をお一人で行かせたとなれば、我々、玲瓏様に……」

「大丈夫。兄さんがこの場にいたら、きっと同じことをするはずだ」

「で、でも!」

「わたしのことが信じられないのか?」

「そ、そういうわけでは……」

「例え変装したとしても、お前たちからは微かに薬草の匂いがする。そうなれば、すぐに薬黎院の者だとバレて攫われるだろう」

「な! では、翠琅すいろう様はわかったのですか⁉」

「まだ推測でしかないから言わないけど」

「そんな、お、教えてください!」

「だめ。わたしが頑固なの知ってるでしょ? じゃぁ、そういうことで。行ってくるから」

「え、えええ……」

 わたしは大仙針だいせんしんに乗り、窓から飛び出した。

 後ろから「お、お待ちください! 翠琅すいろう様ぁああ!」と聞こえるが、彼らを連れて行くわけにはいかないのだ。

 なぜなら、犯人たちが欲しいのは、彼らの身体だから。

(おそらく、同物同治どうぶつどうちの素材にされているんだろう)

 同物同治どうぶつどうちとは、体の不調部分と、豚や牛の同じ部位を食して健康を取り戻そうとする考え方である。

 肝臓が悪いならば豚の肝臓を、目が悪いならば牛の眼球を食す。といった具合に。

(それを健康で内功も強く、薬膳で清められた身体を持つ薬黎院の者でやれば、絶大な効果が得られるとでも思ったんだろう)

 病人を連れ去ったのはもしかすると実験のためかもしれない。ただ健康な人間の部位を食べさせるだけでなく、何か魔術か呪術を使おうとしている可能性がある。

(ということは、きっと犯人たちにとって重要な人物が病気なんだ)

 わたしはポシェットから玉佩を取り出し、腰に下げた。

 それは白い瑪瑙で出来た、〈薬黎院〉の者を示す紋章が彫り込まれている。

(探すより、攫ってもらった方が手っ取り早いし)

 わたしは木陰で大仙針だいせんしんから降り、山道に出て歩き始めた。

 一時間後、首筋にチクリという感覚の後、意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る