第二十六集:光風霽月

 王太子含めた兄たちにとても怒られたり、聖域シードに付随するように存在する異種族間交易を目的とした城塞都市である聖域外城塞都市デシェルの視察に行ったりと、かなり充実した時間を過ごした二日目。

 さすがにまた夜に空へ散歩に出ることはしなかったが、兄たちが盛大な宴を開いてくれた。

 『どうせまた何か月も来ないのだから』と。

 わたしは照れ臭かったが、兄たちがわたしの少ない滞在を寂しがってくれている事実に、少しだけ、同じような切なさを抱いた。

 そして翌朝、わたしは兄を一人一人抱きしめ、現世へと戻っていった。


「か、感動的ですぅぅ」

「な、泣かないでください……」

 銀耀ぎんように着き、スペンサーに兄たちのことを話したら、突然泣き出してしまった。

「わたくしにもアーサー以外に数十人兄がいるのですが、皆、それぞれ様々な理由で殺し合いをしていたので、翠琅すいろうさんたちのような温かい兄弟愛に弱いんですわたくしぃ」

「わ、わかりましたから……」

 スペンサーは近くにあった天使か何かの彫刻の頭を撫でまわしながら「素晴らしき兄弟愛!」と叫んでいる。 

「あの、お仕事のお話しましょう」

「……それもそうですね!」

 スペンサーはパッと泣き止むと、一枚の地図を持ってきた。

「あれ? 長海の魔窟ダンジョンはもういいんですか? あの、アーサーさんと共同で依頼していただいた件」

翠琅すいろうさんが提出してくださった各階の詳細なレポートを渡したら、水耀の探索者サーチャーさんたちが『子供一人に行かせるなんて! こんな危険な場所、私たちが行きます』となったらしいですよ」

「え、そんな、いいのに……」

「水耀はそういう耀ですからね。それに、やはり未知の魔窟ダンジョンというのは魅力的ですから!」

「そうなんですか……。では、新しいお仕事はどんなところなんですか?」

 スペンサーが広げた地図には、なんだか見たことのある建物の名が書いてあった。

「……これ、もしかして兵部ですか?」

「もちろんそうです。皇伯派には工部、兵部、そしてこのあいだ間者にした刑部の尚書。この中でどこが一番問題かというと、やっぱり兵部ですよね? 軍事資金も兵器も兵士のあれこれも握っているわけですから。皇宮外の防衛を引き受けているのも兵部直轄の兵士たちです」

 「つまり!」と、スペンサーはもう一枚の地図、瓏安ろうあん全体の地図を広げ、言った。

「すでにみやこは英王殿下の息のかかった者たちが武装して徘徊しているという状況なわけです」

 「ではなぜ、まだ謀反を起さないのかと言いますと」と言い、今度は飛燕ひえん侯府、ぼく王府、ずい王府が兵部に登録している兵士の名簿を出してきた。

「皇帝陛下が呼び寄せたこの国随一の武人集団です。何十年にもわたり、国境を護ってきた強者が揃う軍人の一族。それが鬼霊獣グゥェイリンショウ討伐のために一時的に瓏安ろうあんに集まっているから、英王は手が出せないのです。彼らは英王とは違い、皇帝陛下とこの国に忠誠を誓っています。そう簡単に懐柔されることはないでしょう」

 わたしにはとても大きな援軍に思えた。特に飛燕主師はもともと梅寧軍で戦っていた元将軍で、十七年前の事件の時も最後まで「弥王殿下が率いる梅寧軍が一方的に敗れるなど、ありえません! 再調査を要求します!」と戦ってくれた人なのだ。

「強大な軍の主師が三人集結しているうちに、すべてを行わなければ……」

「国境も心配ですしね。ただ、三つの軍の世子様方が将軍として国境に残っていらっしゃるので、そこまで危険なわけではありません。翠琅すいろうさんが集中するべきは、瓏安ろうあんのみです」

「ありがとうございます。頑張ります」

「では本題です」

 そう言うと、スペンサーはまた兵部の地図を一番上に持ってきた。

「兵部は英王殿下とは深い関係にあります。兵部尚書の娘が英王世子、簫 青爽しょう せいそうの正妻ですからね」

「身分の差を乗り越えた恋愛結婚と言われていますが、今聞くとまったくの嘘だとわかります」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

「それで、ここに何があるんですか?」

「もちろん、兵器です。それも、英王が開発している、恐ろしい兵器の試作品と設計図があるんです」

「それを持ち帰って来れば、次に何を企んでいるかわかるというわけですね」

「その通りです!」

「まさか皇宮に正面からじゃなく、忍び込むことになるなんて……。楽しそうですね」

「そうこなくては! 時間は夜に螢惑けいこくに化けてから行ってください」

「わかりました」

「設計図があるのは研究をしている部署で、試作品があるのは兵器の保管庫です」

 スペンサーは地図に二か所印をつけた。

「……さっそく、間者スパイの情報ですか?」

「その通り。丸薬を一個差し上げました」

「あの、あと情報を二回貰って丸薬を渡し終わったらどうするんですか?」

「そのあとはお金で買いますよ、情報」

「え、売ってくれますか?」

「売ってくれるでしょう。何故なら、彼にとって一番の危機的状況である娘の異変を解決したのはわたくしたちです。つまり、彼にとっては英王よりも我らの方がこの先何かと頼りになるということになります」

「さすがですね、スペンサーさん」

「忠義がない人と取引するのは楽で助かります」

「たしかに」

「それで、お薬の代金を翠琅すいろうさんのお兄様にお支払いしたいのですが、総額を聞いてきてはいただけませんでしょうか」

「……あ、忘れてた! そうですね。お薬のお金……」

「これ、多分とっても高価ですよ。……いや、やっぱりお気持ちも添えてお支払いしたいので、お兄様のところまで金塊を運びましょう!」

「え! き、金塊はやりすぎですよ!」

「え? でも、つい数年前から発行され始めたあの紙幣は信用なりませんし、銀子もたくさん持っていったら重くなってしまいます。金塊の方が保管しやすくないですか?」

「えええ……」

 わたしは修行生活が長く、正直物の価値を正しく量るのは苦手だ。

「あの、じゃぁ、兄に会ってから相談して決めませんか?」

「それもそうですね……。金塊よりも貴重な薬草とか素材の方がいいかもしれませんし」

「ああ、うん……。そうですね」

 わたしはスペンサーと共に蜜柑堂へと向かった。

 夜の作戦開始まで時間はたっぷりある。

「……馬車に金塊乗せてきたでしょう、スペンサーさん」

「一応、一応ですって」

「はあ……」

 蜜柑堂に着くと、ちょうど父と母が皇宮に出仕しに行くところだった。

「父上! 母上!」

翠琅すいろうじゃないの。最近忙しそうだから、来てくれて嬉しいわ。またお夕飯食べにくる?」

 母、きょう 林蘭りんらんは禁軍大統領の娘だけあって、どこから見ても健康的な女性だ。

 はつらつとした笑顔が似合う、凛とした美人。

 武術も身に着けており、自分よりも大きな男性を背負って運ぶこともできる。

 昔は男装して江湖こうこに出入りしていたこともあるらしい。

「はい。今日は無理ですが、また必ず来ます」

「今度は私たちと食べてくれよ、翠琅すいろう

 父、きょう 董青とうせいは、元は武人であり梅寧軍軍医だった。

 弥王世子、簫 桃鳳しょう とうほうと江湖まで修業に行ったことがあるらしい。

 そのときに、禁軍大統領の娘たちに会い、恋に落ちたとかなんとかかんとか。

 見た目は長公主に似て童顔。幼い頃は女児に間違えられることも多かったという。

 でも、今は片足が不自由で肺を患っているため、杖をついて歩いている。

 薬が手放せない人生だ。

 こうなったのも、全部英王のせいだ。

「そうします。父上にお酌をしなければなりませんから」

「おお、酒には触らせないぞ。お前はまだ未成年だからな」

「じゃぁ、あと数年後ですね」

「楽しみにしているよ」

 二人は馬車に乗り、皇宮へと向かう最中、わたしのことが見えなくなるまで手を振り続けてくれた。

「素敵なご両親ですね!」

「ええ。自慢の両親です」

 「さぁ、こちらへ」とスペンサーを案内したのは調剤室。

 兄がいる場所だ。

「兄上、あの、会わせたい人が……」

「ん? 翠琅すいろう……、お! そちらの方が雇い主のアップルトン卿か」

「そうです」

 兄はスペンサーを招き入れると、座布団を出し、座るよう促した。

「初めまして。私は翠琅すいろうの兄、きょう 梨鶯りおうです。いつも弟がお世話になっております」

「おお……、あなた様が噂の姜家の世子様! お会いできて光栄至極にございます!」

「ありがとうございます」

「わたくしはスペンサー・アップルトン。蒐集屋敷銀耀ぎんようの当主でございます」

翠琅すいろうの話によると、珍しい薬草なども多数お持ちだとか」

「ええ、もちろんです、ええ!」

「見せていただくことは可能ですか?」

「きゃあ! もちろん! 今日も実は持ってきておりまして、なんでも好きなものを御包します! お薬のお礼に金塊もお持ちしました!」

「き、金塊? それはあの、ご丁寧に……。でも、そんなにいただけません。金塊はお持ち帰りください」

「いえ。あなた様の技術には相応の金額が払われるべきなのです! お願いいたします。わたくしの誠意だと思って、お受け取りください」

 場の空気がひやりとしたものに変わった。今まで兄からは感じたことの無いほど強く冷たい空気が漂ってくる。

「……その誠意は、弟を雇っていることに関してですか? それとも、弟がやろうとしている危険なことに手を貸すことに対してですか?」

「……お噂通り、聡明でいらっしゃいますね。その誠意に関しましては、いくら金塊を積んだところで、示しきることは出来ないでしょう。だから、こうして参った次第です」

「父と母にではなく、私に誓う理由は?」

翠琅すいろうさんが最も崇めている方だからです」

 兄がふと気を緩め、いつもの笑顔に変わった。

「……ふふ。崇めてはいないでしょう。でも、私は家族を愛しています。護るためなら、なんでもするでしょうね」

「ええ、存じております」

「あなたの誠意、受け取りました。弟のことも、弟がやり遂げたいと思っていることも、お任せします」

「かしこまりました。未来の姜侯爵様」

 兄は驚き、わたしと目を合わせてからもう一度スペンサーを見て息が抜けたように笑った。

「……すでに爵位を継ぐのを許されていることも知っているのですね」

「ええ。通常、爵位は世代交代ごとに一つずつ下がっていきます。功績に応じて維持できるか決まる制度です。その点、梨鶯りおう様はその類稀なる技術で調合した薬で、公主をはじめとした皇族子女の命を十一回救っておられます。爵位継続は当然のことでしょう」

「冊封はもう少し先ですけどね」

「成年すればすぐでしょう」

「情報通ですね」

「はい。商人ですから」

 どうやら、兄とスペンサーは仲良くなったようだ。

 正直、ホッとした。

 きっと、わたしのことや、家族のことで一番心を砕いているのは兄だから。

 わたしの仕事のことも、口には出さなくても、相当気にしていたはずだ。

 だから早い内に会わせておきたかった。

 覚悟の印として。

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