第二十五集:匪石之心

 いくつもの、玻璃はりのシャボン玉が浮かんでいる。

 七色に光り輝くそれは、玲瓏が妖精女王九天玄女から与えられた特別な仙術。

 願いの強さに応じて強さの変わる不思議なシャボン玉。

 自分のことは二の次で、常に人を救うことを一番に生きている玲瓏のために、九天玄女が作り出した唯一無二の仙術。

 『もしも誰かを護りたいと願うならば、同じ強さで、己のことも護りなさい』と。

「玲瓏兄さん」

「おお、翠琅すいろうか」

 長い黒髪がよく似合うその容姿はまさに花のかんばせ

 だが、どこか武人を思わせる凛々しい眉と鋭い眼光。

 体格は翠琅すいろうとは違い、何枚布を重ねようと隠すことができないほど頑強さと屈強さがうかがえる。

 座る姿も姿勢がよく、とても凛々しい。

 会うたびに、本当に同い年なのかと疑いたくなる。

「相変わらず、体を鍛えているんですね」

「もちろん。……侍従たちは今いない。その、取ってつけたような敬語は辞めろ」

「……そう? だって他の兄上たちが怒るんだもん。『兄弟でもたった数分生まれが遅ければ、兄姉を敬うのは当然だ』って」

 わたしは文句を言いながらそのへんにあった座布団を引き寄せ座った。

「あのひとたちは王族としての自負があるからな。わたしとお前はどちらかと言えば武侠寄り。仕方がないんだ」

 わたしと玲瓏はいわゆる帝王学の教育を断り、幼い頃からずっと現世の江湖こうこへ修業に行かせてもらってきた。

 この聖域で保護していた梅寧軍の残党も、今は江湖に身を寄せている。

「ねぇ、わたし、こんなことが出来るようになったんだ」

 わたしは螢惑けいこくの姿を玲瓏に見せた。

「おお! かっこいいじゃないか」

「……これのおかげで、正体が露見することはなくなった。いくらでも、行動できる」

 わたしの表情から何かを察した玲瓏は、小さくうなずいた。

「何かわかったんだな」

 空気が変わった。ピリピリとした、重い雰囲気。

「……うん。やっぱり、兄上の読み通り、刑部尚書はずっと昔から英王と組んでた。鬼霊獣グゥェイリンショウの実験に必要な人体を集めたのも、尚書だ」

 玲瓏の目の色が変わった。怒りと、哀憐。何もかも、すべては初めから手遅れだったという、悔しさ。

「……そうか。ということは、叔父上を拷問し、叔母上に粗悪な自白剤を飲ませたのも、すべて英王の指示だったということか!」

 玲瓏が浮かべていたシャボン玉が爆発した。

 周囲には玻璃はりの鋭い欠片が飛び散り、屋敷のいたるところに刺さった。

「何年前から計画をしていたというのだ……。我が父と祖父を、そして梅寧軍を滅ぼすために、いったい、いったい、いつから……」

 玲瓏の瞳に涙が浮かんだ。

「お祖母ばあ様と母まで手にかけ、わたしまで殺そうと……。母は、母は妊婦だったのだぞ!」

「兄上……」

「ともに花丹かたん国を護り、その弥栄の礎となってきた我が祖父弥王を、なぜそこまで恨み、憎み、殺したのだ! ともに皇帝陛下を支え、富国強兵を目指していた梅寧軍を、何故全滅させるなんてこと……。叔父上は軍医だった。ともに駆ける瑞泉軍の兵士たちを何人も救ったことがあるというのに……。英王世子は、実の兄弟のように育ったわが父と叔父上に対して何も思わなかったのか⁉ 叔父上に拷問など、よくそんなことが出来たものだ!」

 心の痛みが伝わってくる。〈取り替え子〉の片割れだからという理由だけじゃない。

 『家族の中で自分だけが生き残った』という境遇が、余計にそうさせるのだ。

「必ず……、必ず梅寧軍を率い、英王の前に現れてやる。そして弥王府を、この手に取り戻すのだ。花丹かたん国を、奴らの好きにはさせない」

 玲瓏の仙力が突風のような速さで渦を巻き、部屋中の紙を巻き上げた。

「兄上、もうしばらくご辛抱ください」

 わたしは姿勢を正し、玲瓏に向き合った。

「今わたしが持っている情報だけでは、英王はただ鬼霊獣グゥェイリンショウの実験をしたという証拠にすぎません。このままでは、ただの恨み言と捉えられ、姜一族に英王府の刃が向けられてしまいます。今や瑞泉軍は十二万。姜侯府の私兵と江湖の勢力を合わせても遠く及ばず、すべてが無に帰すことになるでしょう」

 玲瓏は額に手を当て、深呼吸を繰り返した。

「お前の言うとおりだ。すまない」

 仙力の渦が消え、はらはらと紙が床に落ちていった。

「兄上が怒るのも当然だよ。謝らないで」

翠琅すいろうは強くなったな。わたしはまだまだ修行が足りないようだ」

「兄上で足りないなら、わたしはどうすればいいのさ」

「あははは」

 わたしは螢惑けいこくの変装を解くと、立ち上がった。

「今日は泊まるよ。久しぶりに、兄弟で過ごそう」

「そうだな。お前の冒険譚も聞きたいし」

「そうそう! 新しい雇い主、実は悪魔なんだ」

「……え?」

 わたしは会えない間に起ったすべてのことを玲瓏に話した。

 日輪が天高く上り、やがてゆっくりと落ち始め、夕綾ゆうあやを迎えた。

「……お腹空いた」

「忘れてたな、食事。すぐに用意させよう」

 玲瓏が廊下の方へ声をかけると、待ってましたと言わんばかりに侍従たちが動き回る音が聞こえ始めた。

「わたしたちに遠慮してくれていたんだな」

「さすがは兄上の侍従たち」

「いや、この家はお前のものでもあるんだぞ」

「そうだったけ」

「もっと頻繁に帰ってこい。玄女様が寂しがっているぞ」

「はいはぁい」

 わたしは板間に寝転んだ。

 それを見て、玲瓏は「変わらないな」と笑いながらわき腹をつついてきた。

 くすぐったくて、笑い転げながら逃げ、大仙針だいせんしんに乗って庭に飛び出した。

翠琅すいろうはいいな。飛んでいる姿が間抜けじゃない」

「いやいや、玲瓏兄さんが巨大なシャボン玉に乗ったり入ったりして飛んでいる姿は素敵ですよ?」

「はいはい、それはどうも」

 わたしは手を伸ばし、玲瓏を大仙針だいせんしんの上に引っ張り上げた。

「では、夕餉ができるまで空の散歩にでも行きますか」

「そうだな。まぁ、また義兄上たちに見つかったら怒られるだろうがな。『皇宮から飛んで出るな!』ってな」

「一緒に怒られれば怖くないよ」

「それもそうだ」

 わたしは玲瓏を乗せ、広く星が瞬き始めた空へと飛び出した。

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