第二十集:後顧之憂

「おや、翠琅すいろうさん。なんだか浮かない顔をしていらっしゃいますね」

「そうですか?」

 銀耀ぎんように着き、中に入るとスペンサーに顔を覗き込まれた。

「お悩みですか?」

「まぁ……。大丈夫です」

「何か困っていることがあったら、何でもおっしゃってくださいね」

「はい。ありがとうございます」

 スペンサーはくるくると回転しながら机に近づくと、わたしを手招きした。

「さあ、いよいよ明日、刑部尚書を脅しに行きますよ!」

「お、脅すだなんて……。事実ですけど」

「残念ながら、あの刑部尚書は恩を売るだけでは不十分。情義ではなく金や損得、利益の有無で付く側を決めるような奴です。娘を救ったところで、一回か二回こちらの言うことを聞いたらすぐに恩など忘れてしまいますよ」

「じゃぁ、どうするんですか?」

「脅して間者スパイにするのです」

「……え」

「わたくしどもは皇宮にコネがありません。正確には、コネはあるけれどそれを使いたくない、というのが翠琅すいろうさんの本音でしょう。ならば、新しくコネを作るまでです」

「……父と母を巻き込まないよう、気を使ってくださっているのですね」

「そうです」

「でも、わたしが脅せば、父と母の関与も疑われませんか?」

「そこで! 変装します!」

「……女装ですか? もしかして、後宮に行った時のような……」

「いえ、違います。変装は変装でも、この先、翠琅すいろうさんが歩む道を比較的安全にするための、のろいをかけます」

「安全にするためののろいですか……?」

「ええ、そうです。翠琅すいろうさんは人間から見ればただの魔術師ですが、魔女族や呪術師、本物の魔術師から見れば、僅かに漏れる仙力からすぐに仙子せんしだとバレてしまいます。そうなると、色々厄介ですよね? なぜ姜家に仙子せんしがいるのか、感がよくて知識のある人が考えればすぐに〈取り替え子〉だとわかってしまうはずです。じゃぁ、誰と取り替えられたのか。お母上の妊娠回数を考えれば、弥王世子様の忘れ形見が思い浮かぶ人が出て来るやもしれません。それは避けたいでしょう?」

「……はい。絶対に避けたいです。わたしが仙術師だとバレるのはなんとかできるかもしれませんが、片割れの義兄が生きていることがバレるのは困ります」

「でそこで! わたくしの出番ということになります」

 わたしはどういうことなのかまだわからず、スペンサーの次の言葉を待った。

「髪色、目の色、肌の色、爪の色……。いざという時、それらを今の翠琅すいろうさんの特徴とは全く違うものに変えられる、そんなのろいをかけようと思うのです」

「……でも、、対象の目の前で変身したら意味ないですよね?」

「意味があるものに変身するのです。……天狐に!」

「……え?」

「妖狐の最高位の天狐ですよ。ご存知でしょう?」

「いや、知ってますけど……、なんでですか?」

「ほら、よく言うじゃないですか。狐に化かされた、と」

「……え? そ、それは比喩表現ですよね?」

「いいんです! ここ中原にはたくさんの妖狐が住んでいます。その中でも、天狐は神に等しい存在として、親しまれています。まぁ、人前に姿を現すことはほとんどありませんけど。だからいいんです」

「……見たことが無い人が多いから、真偽不明で誤魔化せられるってことですか?」

「その通り! みんなこう思ってくれますよ。『今のは翠琅すいろうではなく、妖狐が化けていた姿だったのか』と」

「でも、本物の天狐の皆さんが良い顔しないのでは?」

「そんなことはないですよ。一応、話は通しておきましたし。ただ、本人に会いたいと言われたので、挨拶に向かいましょう」

「ん? 話は通したって……。え? 挨拶? 本物の天狐に⁉」

 嫌な予感がする。とても。

「そうです! 花丹かたん国に住んでいるのはただ一人。金霞閣きんかかくに住む、蘭麝らんじゃ様です!」

金霞閣きんかかくの……、蘭麝らんじゃ様……。ひぇ」

 話には聞いたことがある。というか、会ったことはないが、伝説はよく知っている。

 金霞閣きんかかくはこの世にあるすべての書物を収蔵し、あらゆる多元世界の知識が集まるという。まさに学問の最高峰といえる場所だ。

 その金霞閣きんかかくの閣主であり、周辺の仙境を統治しているのが、天狐の蘭麝らんじゃ

 そして、わたしが仕える妖精女王〈九天玄女きゅうてんげんにょ〉の親友。

「あの、別に会いに行くのが嫌なわけでは全くないのですが、その、話に聞いている通りだと、蘭麝らんじゃ様はあまり男性が好きではないとか……」

「ええ、その通りです! 無類の女好きですから。好敵手ライバルになり得る男性は大っ嫌いですよ」

「え、えええ……。わたし、男なんですけど……」

「会ってみないとわかりませんよ? ほら、わたくしは仲良くしているわけですし」

「スペンサーさんは無性ですよね⁉」

「そうとも言いますね」

「ううう……」

 九天玄女からたびたび聞かされていた話によると、蘭麝らんじゃは自分の住む仙境に女性が迷い込むと手厚く迎え入れ、男性が迷い込むと追い出し、そのへんにある人里にぽいっと捨ててしまうのだとか……。

 人里に放っておいてくれるだけいいのかもしれないが、仙境内で野垂れ死ぬことすら許さないという徹底ぶり。

 ただ、弟子には男性もいるという。

 どういうことなのだろうか。

 知りたくもないが、スペンサーはすでに準備を整え、外出する気満々だ。

 ああなるともう止められない。

 わたしは一抹どころか大量の不安を抱きながら、スペンサーと共に銀耀ぎんようを出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る