第十九集:仙姿玉質

 姉は嫁ぎ先となる蘇芳すおう堂という薬舗調剤薬局ですでに働いている。

 蘇芳堂は瓏安ろうあんの隣の州、佳州けいしゅうにある大きな薬舗で、佳州知府知事の次男が営んでいる。

 その次男こそが姉の夫となる人だ。

 佳州けいしゅうには大きな運河が通っており、貿易拠点としてとても人気がある。

 花丹かたん国内だけではなく、多くの異民族も商売にやってくるので、珍しい工芸品や動植物なども、比較的手に入りやすい環境だ。

 長海とは違った趣のある異国情緒溢れる街。わたしが気に入っている場所の一つだ。

 わたしは大仙針だいせんしんに乗り、蘇芳堂にやってきたはいいが、立ち尽くしていた。

(……これから幸せになる姉に、何も聞かせたくない。巻き込みたくない)

 中へ入ろうか迷っていると、男性に話しかけられた。

翠琅すいろうかい?」

「あ、お義兄にいさん」

 近づいてきたのは、童顔だが身体はがっしりとしている、姉の夫となる人物だった。

清陽しんように会いに来たんだろう? ほら、中に入りなよ」

「あ……、はい」

 義兄はとてもいい人だ。この時代には珍しく、姉と義兄は恋愛による結婚。

 運がいいことに、互いの家柄が釣り合っていたため、すんなり婚約にこぎつけた。

 相思相愛。まさに小説の中の出来事のような婚姻である。

清陽しんようは昼過ぎに仕事を終えてご実家に向かう予定だから、一緒に馬車に乗って行ったらいいんじゃないかな」

「いえ、大丈夫です。その、わたしは魔術師ですので、飛んで帰ります」

「ああ、そうか。翠琅すいろうは魔術研究家だったね。いいなぁ、かっこいい」

「お義兄さんだけですよ、そう言ってくれるのは。世間ではそこまで印象のいい仕事ではありませんから」

「みんなもっと相手のことを知る努力をすればいいのにね。そうすれば不必要な偏見なんてなくなるのに」

「ふふ。お義兄さんはずっとそのままでいてくださいね」

 義兄は「うん。そうするよ」と微笑み、姉がいる調剤室に連れて行ってくれた。

清陽しんよう、素敵なお客様だよ」

「あら、翠琅すいろうじゃない。どうしたの? お腹でも壊しちゃったの?」

 硝子で出来た鈴がそよ風にその音を響かせているような心地よい声。青光りする長い髪は絹のようで、光が当たるたびにその艶めきが見る者を魅了する。

 顔は双子というだけあって兄と似ているが、姉の方が睫毛は長く、顎の線も丸みを帯びていて、まさに美女といった風情。

 この美貌を一目見たくて仮病を装い店にやってくる不届きものが後を絶たないほど、姉は地元では有名な美人なのだ。

「え、違いますよ。わたしが来るとすぐに体調不良だと思うのやめてもらえませんか、姉上」

「うふふ。ごめんなさいね。いつまでたっても心配なのよ。あなた、弟を案内してくださってありがとうございます」

「いやいや。可愛い義弟だからね。じゃぁ、僕は店番に戻るよ」

 義兄は姉の笑顔にちょっと顔を赤らめながらその場を後にした。

「どうしたの? 今日はわたし実家に帰る日よ? あとで会えるのに」

「ああ……、えっと、久しぶりに帰宅したのでご挨拶をと思いまして」

「あら、わざわざ? ありがとう、翠琅すいろう。あなたの新しいお仕事、危険が多いって聞いて心配だったの。泊りがけのことも多いのでしょう?」

「まぁ、そうですね。でもほら、わたしは丈夫ですから」

 姉は周囲を見回し、近くに人がいないことを確かめて小さくため息をついた。

「あなたが仙子せんし族だということは知っているけれど、そんなの関係ないの。私の大事な弟なのよ? お兄様にもそう言われたんじゃない?」

「言われましたけど……」

「本当は液化薬なんて危険な薬渡したくないの。でも、仙子せんし族だということが周囲に知られると困るというから作っているのよ? 副作用について説明したことしっかり覚えているの?」

「ちゃんと覚えていますよ。本当です。なるべく流血するような怪我をしないよう、気を付けて戦っています」

「まあ! もう、戦っているなんて……。そんなの聞きたくないわ」

「すみません。でも、お給料もいいですし、やりがいもあります。知り合いも増えたんですよ」

「……お金よりも命、身体の方が大事なのよ」

「十分に気を付けて働きますから、ね?」

「まったく。可愛い顔すれば私の機嫌が直るとでも思っているの? 甘いわ」

「もう、姉上ぇ」

「……はぁ」

 わたしは精いっぱいの可愛らしい顔で姉の顔を見つめ、「笑ってください、姉上。怒っていては美人が台無しですよ」と言った。

「調子のいい子ね、まったく」

「両親がこうなるように育ててくれたおかげですね」

「はいはい」

 わたしは姉に「ではそろそろ行きますね」と言い、その場から立ち去ろうとしたら、袖を引っ張られた。

「どうしました?」

「ねぇ、翠琅すいろう。あなた、私とお兄様に隠していることがあるでしょう? そろそろ話してほしいのだけれど」

 わたしは袖をつかむ姉の手を優しく外し、笑って見せた。

「お二人に隠し事なんて何もありませんよ」

 わたしは頭を下げると、調剤室から出ていった。

 姉はまだ何かを言いかけていたが、これ以上ここにいたら傷つく結果にしかならない。

 わたしは速足で店頭に向かい、義兄に挨拶してすぐに瓏安ろうあんに向かって飛び、銀耀ぎんようを目指した。

 何も言えない、嘘をついている、隠し事をしている。

 罪悪感が胸に積もっていく。

 わたしは負の感情を振り払うように大きく深呼吸を繰り返した。

 これからしようとしていることに、情を持ち込むわけにはいかないからだ。

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