第十二集:按甲休兵
「もう明け方かぁ……」
紫にさす
港町の朝は早い。それでも、まだ生鮮食品店以外の店は開いていない。
「マックスさんのところに届けるにはまだ早いかな……。あれ?」
「あいつら、まだ帰ってこないぞ」
「もしかしたら野宿でもしてるんじゃ……」
「いや、それはないだろう。行ったのは第一階層。それも、ただ蚕を取りに行っただけだ。こんなに遅くなるなんて、あいつららしくない」
「あれじゃね? 人面鷲と戦闘になってるのかも。あいつら性格悪いし。喧嘩なら売られなくても自ら巻き起こすだろ」
「見に行く?」
「ううん……。いや、あと一日待とう。それでも帰ってこなかったら見に行く。品物も心配だしな」
「そりゃそうだ。繭の方があいつらよりもよっぽど価値があるってもんだ」
「おい、言葉に気をつけろ」
「へいへい」
一旦解散になったのか、それぞれ別の方向へと歩き出した一団。
(……正直に伝えておいた方がいいかな)
わたしは彼らが捜している人たちの安否を知っている。というか、安否に関わった。
(でもまぁ、出てくる前にワイヤーを少し緩めておいたから大丈夫でしょ)
気にすることを辞め、梅の木の扉を近くの路地の壁に取り付け、わたしは中へと入っていった。
身体中から煙のにおいがする。はやくお風呂にでも入ってにおいも汚れも落としてしまいたかった。
「熱めのお湯にしよ」
服を洗濯機に放り込み、ゆっくりと休憩をとった。
移り変わる空の色。
いつの間にか意識が遠のいていた。
「……寝ちゃった!」
起きたらすでに昼を過ぎていた。
「支度しなきゃ!」
わたしは急いで身支度を整えると、外へ出て扉をポシェットに閉まった。
「えっと、たしかマックスさんのお店は
方向音痴はなぜか自信をもって自分の勘を信じ、突き進んでしまうひとが多いと聞くが、わたしもまさにそういう
だからこそ、父から言われた「一度上を見上げて標識や看板を確認しよう」という方法を積極的に実践することにしている。
「……あった! ここが
お店を見ながら、一つ、二つと数えていく。
「おお、素敵なお店」
大きな窓には金色の字で『MAX TAILOR』と描かれている。
飴色の木の扉には同じ金色で鋏のマークが描かれていてとても可愛い。
「ごめんください」
「はあい!
「ご依頼の品、お持ちしま……、ええ! スペンサーさん⁉」
「おやおやおや! 奇遇ですねぇ!」
「……なるほど、そういうことですか」
「……バレました?」
「バレバレですよ! 何もしなければわたしが一階層ごとに戻ってこないと思って、マックスさんに依頼してもらうことで、わたしを危険な環境に長くとどめさせないようにするつもりなんですね⁉ 大きなお世話です!」
「で、でも」
「大丈夫ですから! 大人しくお屋敷で待っていらしてください」
「むうう……」
マックスは二人の様子を眺めながらおろおろしている。
「あ、すみませんマックスさん。ご依頼の品はどちらに置きましょう? かなりの量があるので」
「では、倉庫へ案内いたします」
「よろしくおねがいします」
わたしは案内について行った。
「あの、差し出がましいようですが、アップルトン卿はとても心配しておられたんですよ」
「それは……。そうですね。強く言い過ぎたこと、あとで謝っておきます」
「アップルトン卿が心配なのは、あなたが
「あ、それは……」
「やはり。あの
マックスは大きくため息をついた。
「でも、我々のような弱小魔術師や何の能力も戦闘訓練も受けていないような人間にとっては、あんな姑息な
マックスは悲しそうな目で前を向き、倉庫の扉を開けた。
「こちらが、わが社自慢の倉庫です。といっても、社員は家族だけですが」
倉庫は亜空間を利用したものになっており、見た目よりもずっと広く清潔。
染物も倉庫内でやっているらしく、かすかに植物の匂いもした。
「どの辺に置きますか?」
「では、あの大きな釜の中にどばっと入れちゃってください。すぐに茹で始めます」
「わかりました」
窯はとんでもなく大きいものが三つあり、そこだけみれば扶桑国の地獄にあるという、釜茹での刑場に見えなくもない。
「なんと美しいのか……」
「そうですね……」
わたしは重力に逆らうようにふわりふわりと落ちていく繭を見ながら、昨夜の大火を思い出していた。
「何かあったのでしょう」
「……どうしてわかるんですか」
「うちの娘がまだ
わたしは自分の手を見ながら、苦笑した。
「でも、わたしがやっていることも同じですよね」
「違いますよ。同じだったら、絶対に依頼したりしません。私たちの依頼料には、自然保護のために
「そう、なんですね……」
「だから安心して頼めるんですよ」
信じてくれている。安心して任せてくれている。
「わたし、間違ってないんですね」
「そうです。まぁ、でも、一応アップルトン卿には直接相談してさしあげてくださいませ。もし
そう言うと、マックスはちらりと後ろを振り向いた。
わたしも気づいていたが、あえて見ないようにしていた。
「……スペンサーさん。相談したいことがあります」
「わあ! なんでもおっしゃってください!」
嬉しそうに駆け寄ってきた。雇い主なのだから、命令して言わせればいいものを。
とても優しいのだ。スペンサー・アップルトンという人物は。
「昨夜、こんなことがありました……」
わたしは
「それは大変でしたね……。では、一旦、
「味方、ですか?」
「そうです! それも、この国一強力な!」
「……
「ええ! 後宮です!」
「……は、はぁああ⁉」
わたしはここがマックスの倉庫だということも忘れて叫んだ。
後宮に出入りしていたのはとても幼い頃だ。まだ記憶が定かではなく、母の背中に抱っこ紐で結ばれて寝ていたり、父の作務衣によだれをたらしながら爆睡していたような頃。
覚えているのは多種多様な香油の香り。
母が仕事中、進んで面倒を見てくれた皇后の女官たちの顔周りで揺れる金色の装飾品のキラキラとした輝き。
それと、目に見えない、悪意の渦。
(願ってもいない、チャンスが来た……!)
(もし皇后陛下と交流を持つことが出来れば、何かわかるかもしれない)
皇兄は
幸い、皇宮守護の
(こんなにも早く近づけるなんて思ってもみなかった。どうにか皇后陛下と二人で話す隙を作らないと……)
降ってわいた幸運。
わたしは頭の中で組み立てていった。
聞きたいことを、順番に。
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