第十三集:怨望隠伏

「わぁ……」

 十メートルを超える高い塀。南北に約九百メートル、東西に約千メートルもある広大な土地に、それぞれきさきたちにあてがわれた贅を尽くして建てられた庭園付きの屋敷は、まさに圧巻のひと言。

 后の格によって大きさや調度品の数は違うものの、こだわって建てられた意匠はとても美しい。

 後宮はみやこに入るための門から何度も何度も曲がり、たどりつくだけでも大変な場所。

 一番安全であり、そうあるべき場所なのだ。

「皇后陛下、そしてひんの皆様もすべてお集りのようですよ!」

「……あの、聞いてもいいですか?」

「なんでしょう、翠琅すいろうさん」

「その恰好というか……、え? どちら様ですか?」

 蒐集屋敷〈銀耀ぎんよう〉の前に迎えに来た後宮の馬車に乗り、ここまでまったく外も見えないように目隠しをされてたどり着いた。

 下車してすぐ隣を見ると、見知らぬ人物が立っていた。

 今も。隣でしゃべっているのはあきらかにスペンサーではない。

 というか、そう、女性だ。すらりとした長身からあふれ出る気品はスペンサーに通ずるものがあるが、それでも、身体の特徴が違う。声もまったく違う。

「嫌だなぁ、翠琅すいろうさん。わたくしですよ! スペンサー……、の身体ではありませんが、スペンサーです。でも後宮ではシェリーと呼んでくださいね! スペンサーは夫の名前ということにしておりますので」

「……え、それ以外に大事な説明は無しですか」

 わたしは思わず大きな声を出しそうになってしまったが、誰にも聞かれる心配はなかった。

 それもそのはず。ここは後宮内にある大きな池に浮かぶ東屋あずまや

 后たちの準備が整うまで待つよう案内された場所だ。

「もう、知りたがりさんですねぇ」

 そう言うと、スペンサーは豊満な胸元から腕の長さほどの銀色の杖を出して見せてきた。

「もう少し経ってからタイミングをみてお伝えしようと思っていたのですが、わたくし、実は悪魔なのです」

「……え?」

 聞き間違いかと思い、スペンサーの目を見ながらもう一度「え?」と言ってみたが、彼は、いや、彼女は微笑むばかり。

零度界リンドゥジェはご存知ですよね?」

「え、あ、はい……。あの、絶対零度の……。周波数を持っている生物は生きていけない世界ですよね?」

「そうです。わたくしはそこの出身なのです」

「え、えええ!」

 零度界リンドゥジェはいわゆるこの世に数多あまたに分岐し存在する多元世界の一つで、その中でも唯一周波数の及ばない世界だ。

 つまり、一切振動していないので、時間という概念も熱も存在しない。

 何も生まれないし、何も生きていない世界。

 ただ、そんな零度界リンドゥジェにおいて、唯一出現する〈もの〉がある。

 それが『悪魔』と呼ばれている、『虚無』なのである。

 虚無はどこからともなく零度界リンドゥジェに出現し、あるものを求めて人間界に移動する。

 それが〈欲〉だ。

 虚無は人間たちの欲を吸収し、その中で自分自身を定義し、今度は欲を刺激し、作り出す側にまわる。

 それが様々な世界の多種多様な宗教で〈悪〉とみなされ、その具現化した存在として『悪魔』と呼ばれるようになったのである。

「この蒐集家という職業はまさに悪魔向き! 人々の〈欲〉を刺激するような逸品を集め、それを披露し、〈欲〉の赴くままに近づいてくる人々に甘言を交えながらお売りする……。ああ、なんて甘美な瞬間! だから兄と共に大陸中原に住み着き、蒐集家として生活を始めたのです。およそ二千年前から」

「え? うん? え? にせ、二千年?」

「そうです。見た目は長年の研究の結果、商売において恋愛感情抜きで一番好印象を与えやすい年齢と容姿に設定しております。ただ、後宮は基本的に男子禁制……。そもそも無い性別を変更することは出来ませんので、とりあえず一目見ただけで女性とわかるような特徴を容姿にほどこしているというわけです。声は頑張って高く発声しているだけですが」

「その、ドレスは……」

「可愛いでしょう? 身長は変えられないので特注で作ってもらったんです。身体の線がそれなりに出るようなものを」

 濃紺のマーメイドラインのドレスは装飾の少ない意匠でありながら、生地の良さと形の良さが際立っており、概念としての女性らしさが際立っている。

 気品と色気を両立している素晴らしいドレスだ。

翠琅すいろうさんもこういうの着ますか?」

「き、着ませんよ。わたしは男ですが、祖母が長公主という立場なので、お許しさえあれば後宮に入ることが出来ますから。さすがに寝宮しんきゅうは無理ですけど」

「あらま。……もう少し身長があったら似合いそうですけれどね」

「そ、それはどうも」

 わたしは大きくため息をつき、周囲を満たしている池を見回した。

 後宮には磁魂じこんという、魂を二つ持った占星術師が勤めている。

 身体には男性の魂、心は女性の魂。

 中には身体も女性に変更した占星術師もいるが、多くは生殖器切除のみで働いている。

 この池を管理しているのは占星術師なのだろう。水がとても清らかで、底の方まで見えている。

 とても美しい景色だ。

「あ、来ましたね」

 池のほとり、この景色が一望できる一番大きな屋敷から、宮女たちが列をなしてこちらに歩いてきた。

 東屋の前に到着した宮女たちは腕が円になるように手を袖の中に入れて隠し、腕を前に出しながら深く頭を下げた。

「準備が整いました。ご案内いたします」

 宮女たちはその恰好のまま左右に分かれ、道を作ると、わたしたちを中心に招き、姿勢を直して歩き出した。

 優雅で柔らかい物腰だが、軍隊並みの統率がとれている。

 皇后はそうとうやり手のようだ。この大きな組織である後宮をよく仕切っている。

 麗らかな景色の中を歩くこと五分、皇后が宴を開くときにつかう屋敷の門に着いた。

 門を通り、季節の花々で彩られた小道を通り、少し奥に入った場所に精巧な彫刻が施された扉があった。

 すでに開かれており、宮女たちに招き入れられ中へと入ると、芍薬の香りがただよってきた。

「お連れいたしました」

(すごい……)

 香りが混ざらないよう、后全員に芍薬の薫香を焚き染めさせているのだろう。

 匂いに雑味がない。

 ただただ芳醇で甘やかな芍薬の香りだけが漂っている。

「皇后陛下に拝謁はいえつ……」

 わたしとスペンサーは平伏しようと身体を動かすと、皇后に止められた。

「その必要はありません。よくおいでくださいました」

「ご機嫌麗しく、陛下。お心遣いに感謝いたします」

 スペンサーが恭しく挨拶をする中、わたしは目の前に並ぶ豪華絢爛な女性たちの姿に圧倒されていた。

(す、すごい髪飾りの数……。重くないのかな……)

 いったい、何本簪をさしているんだと思ってしまうほど髪を彩る装飾品の数。

 この部屋にある貴金属だけで大きな屋敷が買えそうだ。

「今日は紹介したいひとがいるとか……。そちらの方でしょうか」

「はい、陛下。こちらは我が蒐集屋敷にて、夫スペンサーが雇っております探索者サーチャーきょう 翠琅すいろうでございます」

「姜……、まあ! 姜先生のご子息ではありませんか。大きくなりましたね。幼き日の翠琅すいろうは、わたくしの膝で寝たことがあるのですよ」

「お、恐れ多く……。その節はありがとうございました」

「姜先生方には陛下もわたくし共もとてもお世話になっています。まさかこのような状況であなたに会うとは思いもしませんでした。アップルトン夫人、本当に、良いのでしょうか。翠琅すいろうにお願いしても……」

「もちろんでございます。夫も、翠琅すいろうの持つ力には常日頃から感心しており、これ以上ないほどの信頼を置いております」

 わたしは話が見えず、心臓がバクバクと激しく脈打ちだした。

「では……。翠琅すいろう、最近届いたある品物について調べてほしいのです」

 皇后がそう言うと、妃嬪たちの顔が恐怖に曇った。

 宮女の一人が奥から大きな盆に乗った小箱を運んでくる。

(え、何あの禍々しい箱……)

 きさきたちは口元を袖で覆い隠すようにその宮女から身体ごと顔をそむけた。

 わたしの目の前にそれは置かれた。

 運んできた宮女はまるで逃げるようにそそくさとまた奥へと歩いて行ってしまった。

「それなのですが……。どうやら呪物のようなのです」

「呪物……」

 漆黒の漆に螺鈿細工で花の模様が施された真四角のはこ。触らなくてもわかる。これは酷い悪意の塊だ。

「何があったのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

 わたしが訊ねると、皇后は深呼吸をし、口を開いた。

「その箱が届いてから立て続けに、妃の一人と嬪の二人が高熱にうなされ、同じ悪夢を見たというのです」

 皇后は徳妃に目を向け、話すよう促した。

「わたくしたちが見た夢は……。息子が酷い病にかかる夢なのです」

 徳妃は恐ろしさのあまり、泣き出してしまった。

 皇后が引き継ぎ、続きを話してくれた。

「でも、嬪の一人には娘しかおらず、それでも男児が酷い病になる夢を見たというのです。これは何かの暗示なのでしょうか。お調べいただけますか?」

「もちろんです。では、嬪のお二人からお願いします。どこか静かな部屋をご用意いただけますか? 匣はわたしが運びます」

「感謝します、翠琅すいろう。では、池に面した部屋を一室開けましょう」

 すぐに宮女たちが動き出し、わたしと嬪二人をその部屋へと案内した。

 部屋の中は本当に静かで、池にそよぐ風の音が聞こえるだけだった。

「では、お座りください。お二人とも手に触れさせてください」

 わたしは匣を二人から遠い場所に置くと、座布団に座った二人の手に触れた。

(……ああ、そういうことか)

「あなたはお戻りください。ただ霊感が強かっただけですね。あなたに心配はありません。変わりに徳妃に来ていただいてください」

 数分後、青ざめた顔で徳妃が現れた。

「では、手に触れます」

 わたしが徳妃と嬪の手に触れた瞬間、凄まじい怨念が箱から異音を放ち始めた。

 嬪と徳妃には聞こえていないようだが、何かは感じているようで、とても怯えている。

「お二人にお伺いいたします。ご子息がお生まれになった頃、恐ろしい病が流行ってはおりませんでしたでしょうか?」

 二人ははっとしたように口元を覆うと、徳妃が話し始めた。

「わたくしが息子を生んだ頃、西班牙風邪インフルエンザが流行っておりました。嬪のときは……、ええ、そうです。麻疹はしかが流行っておりました」

「わかりました。これから解呪を行いますので、お二人とも戻っていただいて結構です。結果は後でお伝えしますから、安心してお待ちください」

 徳妃と嬪は顔を見合わせ、深く平伏すると、互いに手を取り合って皇后の元へと戻っていった。

 わたしはくうから大仙針だいせんしんを取り出すと、匣の蓋に突き立てた。

「うわっ」

 すると、煌糸こうしが真っ黒に染まりながら空中をうねり、やがて絡まりながら雲のように浮き始めた。

「……複数体ってこと?」

 わたしは煌糸こうしに吸い出させたのろいを遮光瓶に詰め、鞄にしまった。

「開けてみるか」

 すでにのろいは吸い出した。今目の前にある匣はただただ気味の悪い工芸品にすぎない。

 蓋を開け、中を見ると、そこには数体分の赤子の骨が入っていた。

「逆恨みか……」

 徳妃が言っていた。息子を生んだ時、病気が流行っていた、と。

 わたしの両親のもとにも、同じような呪物が届いたことがあるのでわかる。

 病が流行った時期、侍医だけでなく、民間の医師たちも多くが皇宮に呼ばれ、皇族の治療に当たった。そのせいで助からなかった平民の数は残念の一言では語れないほど多い。

 その多くが子供や老人、そして、まだ生まれてもいない赤子だった。

 妊婦が病に罹患すると、流産の確率が跳ねあがる。

 運よく助かったとしても、後遺症が残ることも多い。

 徳妃の皇子にも、四肢のいずれかに麻痺が残ってしまっている。

(後宮のきさきたちを呪ったとなれば、重罪。当然、犯人は死罪になる。でも、そうなったら……)

 わたしは一先ず皇后の元へ戻り、結果を報告することにした。

「陛下に拝謁いたします」

「礼はいりません。どうでしたか、翠琅すいろう。その、呪物は……」

 民心の乱れによるものだということを説明し、詳しい話を濁すと、察した皇后は人払いをしてくれた。

 部屋にはスペンサーとわたし、そして皇后だけとなった。

「これでわたくしたちだけです。話して、翠琅すいろう

のろいの媒介は赤子の骨でした。妃嬪の方々と同じ時期……、病が流行った時期に生まれる予定だった赤子たちのものでしょう」

「そんな! ……ということは、公には出来ませんね」

 思った通りだった。

 聡明な皇后には理解できたようだ。

「後宮が、皇族が呪われたなどと世間に知られたら、それだけで権威は低下するというもの。それだけでなく、呪物を送って来た可哀そうな母親たちを罰しでもしたら、人心を逆なでもしましょう。陛下もそれは望まぬはず……。この件は内密に処置することとします」

「英明です。ですが、やはり呪物は危険なもの。占星術師の皆様により注意を促しておいた方がいいかと」

「そうしましょう」

 わたしたちの会話を聞いていたスペンサーは、薔薇のように優雅な微笑みを浮かべて、皇后に進言した。

翠琅すいろうは暇ではありませんが、命じていただけましたら、可能な限り参内させましょう」

「それはとても心強い提案です。では……」

 皇后が女官を呼ぶと、すでに用意していたのか、盆に乗った六角形の箱が運ばれてきた。

「わたくしの曾祖父の玉佩ぎょくはいです。これがあれば、皇宮への出入りは自由になりましょう。さらに、皇太子に頼んで勅書も出しておきますから、安心して下さい」

 皇后の曾祖父は元中書省の長官、中書令。皇族のみならず、朝臣たちからの信頼も厚く、その名声は亡くなった後何十年も響き渡っている。

 そんな偉大な人物の玉佩ならば、どこにでも出入りが出来るだろう。

 わたしは跪き、それを受け取った。

「拝命いたします」

「では、わたくしどもはこれで失礼いたします」

 スペンサーの言葉に、わたしは肩をピクリと震わせ、その顔を見た。

 スペンサーは頭を小さく横に振り、「今は質問するときではありません」と暗に示した。

「また、いつでもいらしてね」

「はい、陛下」

 スペンサーとともに頭を下げ、後宮を後にした。

 馬車に乗り、揺れに身体を任せながら過ごす。舌を嚙まないよう、静かにしながら。

 銀耀ぎんようの前で降ろされた二人は、護衛でついてきていた禁軍の兵士に会釈し、屋敷の中へと入っていった。

「なぜ質問させてくれなかったんですか」

「お父上が護ったあなたがた家族を危険にさらさないためです」

「……記憶喪失を装ったことを知っているのですね」

「ええ。なんせわたくし、二千年も生きていますから。それに……」

 スペンサーはドレスからいつもの服装へと魔法で着替えながら言った。

翠琅すいろうさんのお父上のお師匠様に仙子せんし族の薬草売りを紹介したのは、何を隠そうわたくしですもの」

「……では、都の周辺に出没する鬼霊獣グゥェイリンショウが皇伯の手によって作られたものだということもご存知なのですね」

 わたしは湧き上がる怒りを抑えながらスペンサーを睨みつけた。

「ええ、知っていますよ」

「ではなぜ! なぜそれを上奏じょうそうしないのです! 陛下に……、陛下に言ってくだされば調査が入り、国中に弥王殿下と世子様、そして梅寧軍八万が亡くなってしまった真相を知らせることが出来るのに! わたしの父は梅寧軍の軍医だったために殺されそうになったんですよ! わたしの家族も! 記憶喪失を信じ込ませるために、死んでいく仲間たちの光景を思い浮かべながら、父がどれだけ心を砕いたことか!」

 わたしはくうから大仙針だいせんしんを取り出し、スペンサーの喉元に突き付けた。

「弥王殿下は嵌められたんです! 梅寧軍の名は天下に轟き、その主師であった弥王殿下は朝政でも皇帝陛下を献身的に支えておられました……。まさに、陛下の寵愛をその一身に受け、期待に応えるべく民のために働かれていたのです! 世子様はその心を受け継ぎ、皇太子を支え、花丹かたん国の未来は安泰だと思われておりました。でも、十七年前のあの日、たった一夜にしてそれは塵のごとく消え去り、暗雲立ち込めることになりました……。それもこれも、兵士を外法と薬で鬼霊獣グゥェイリンショウに改造し、梅寧軍を虐殺した皇伯の仕業なのですよ! ただ自分が皇帝になれなかったというだけで!」

 手が震える。涙をこらえきれなかった。

「今聖域にいるわたしの義兄は、弥王世子様の忘れ形見……。弥王府と梅寧軍を復興させるため、準備をしておられます。おそらく、皇伯は孫を皇帝にするべく、そのうち動き出すでしょう。謀反を起す気です。今の皇帝陛下に、自身の兄とその軍、瑞泉軍を阻む気力はありません。皇太子殿下も、いつ命を奪われるか……。だから梅寧軍が必要なのです。新たなる弥王殿下の元、再建しなければならないのです」

 スペンサーは泣きながら睨みつけるわたしを見つめ、口を開いた。

「蒐集屋敷の掟は簡単。いかなる場合でも政治に介入しないこと。なぜならば、朝廷は一番強い〈欲〉が渦巻く場所だからです。それに触れれば、簡単に国を滅ぼしてしまい、商売どころではありませんから」

「善悪はいいのですか」

「ええ。そうですね。ただ……」

 スペンサーは大仙針だいせんしんの先を自身の額につけると、微笑んだ。

翠琅すいろうさんは違うでしょう? それに、銀耀ぎんようも今では蒐集屋敷の組合からは外れております。つまり、そういうことです」

「……わたしに手を貸す、ということですか」

「その通りです。それを期待して我が屋敷を選んだのでしょう?」

「バレていましたか。その通りです。当初は情報収集が目的でしたが……」

「それだけでは狡猾な皇伯は倒せませんよ。英王世子も、その冷徹さを十二分に受け継いでいます。一筋縄ではいかないでしょうね。父親よりも厄介なくらいですから」

 英王世子は自身の配下に朝臣たちを襲わせ、家族の命を人質にとり、裏でやりたい放題している。

 戦地となってしまった村々を復興させるための予算も懐に入れ、私腹を肥やす始末。

「このままでは、花丹かたんは衰退してゆくばかり。賢王になれたはずの皇帝陛下も、歴史に汚名を残すことになりかねません。近隣諸国は今も機会を窺っています。花丹かたん国を亡ぼす、大いなる機会を」

「止めなければ……」

 わたしは大仙針だいせんしんを下げ、スペンサーに頭を下げた。

「つい怒りに任せて失礼なことを……。すみませんでした」

「いいんですよ。わたくしはこの国が好きです。清濁併せ持つ、この国が」

 スペンサーはにっこりと微笑み、「さぁ、疲れたでしょう。お茶にしましょうか」と、キッチンへと向かっていった。

 わたしはその後姿を見ながら、大きくため息をついた。

 幼い頃、悪夢にうなされる父の姿が衝撃的で、半ば無理やり母にその理由を聞いた。

 もちろん、父にも。

 それで自分と義兄の関係を知ったのだ。なぜ〈取り替え子〉になったのかも。

 父の片足が不自由なのは十七年前に受けた拷問のせい。

 父の肺が弱いのは飲まされた毒薬による後遺症。

 弟の視力が低いのは、母が飲まされた質の悪い自白剤のせい。

 許せるわけがない。

 でも、両親も兄姉弟きょうだいも未来がある。家族を巻き込みたくはない。

 だから義兄とその配下、十七年前にわずかに生き残った梅寧軍とともに、皇伯を倒そうと決めたのだ。

 いざというときは、家族に害が及ばないよう、証明できるものを持っている。

 父と母の実子ではないという、証拠を。

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