第五話 大御神火祭

⑤-1

(一……二……三……)

 小さな黒い靄が軽やかな足取りで土の上を跳ねている。数えられるだけで三つはある。まるで小鳥の食事風景のようだ。実際に靄の正体は鳥に似た形をしているのかもしれない。目を瞑っているから潔乃には分からない。

 靄が何かを察して飛び立とうとした時だった。柴犬程の大きさの靄が彼らに飛び掛かり、小さな靄の一つが捕らえられてしまった。

「――あっ! だめだめっ!」

 潔乃は目を開けて慌てた声を出した。周囲の生徒たちが何事かと振り返る。潔乃は冷や汗をかきながらそそくさと昇降口から離れ、校舎裏へと足早に向かった。

「捕まえちゃ駄目だよ、火車ちゃんっ……!」

 見ると、火車が鳥型の物の怪を満足そうに咥えていた。雀のような姿ではあるが羽模様が赤と黒の斑で、瞳は暗く濁っている。雀の物の怪は火車の口の中でじたばたと暴れていた。

 火車が口を開いた。解放された物の怪は必死に羽を上下させ高い空へと消えていった。その様子を見送った後潔乃が火車へと顔を向けると、火車は大きな口をにやりと歪めた。潔乃は溜息を吐いた。相変わらず性格が捻じ曲がっている。

「あれっ? 伊澄?」

 聞きなれた明るい声が玄関の方から聞こえて、潔乃は踵を返した。

「あ、ごめん柴君。ここにいるよ」

「何やってんだそんなところで」

「ううん、別に大したことない」

「ふーん。まあなんでもいいや」

 颯真とそんなやり取りをしながら、潔乃は彼の足元に纏わりつく火車を窘めるように見つめた。颯真の身体に跳びついて爪とぎのような仕草をする。もちろんそんなことをしたって意味はないのだが、単に楽しいのか、それとも潔乃を困らせたいのか、困らせて楽しみたいのか――もう二か月以上も一緒に居るのにずっとこんな調子だ。振り回されるのももう慣れてしまった。

「それでさ、話があるんだけど」

「うん、なに?」

 十二月の最初の土曜日。午前中の部活が終わって、潔乃は颯真と待ち合わせをしていた。何やら話したい事があるらしい。部活関係で悩みでもあるのだろうか。夏が終わって三年生が引退し、颯真は男子陸上部の部長になっていた。潔乃も部長に推薦されたが辞退し、今は副部長のような役割を担っている。中学の頃に二人とも部長だったため相談しやすいのか、颯真は女子陸上部の部長ではなく潔乃に部活の相談をすることが多かった。

「あのさあ……」

 颯真が話を切り出したが、珍しく歯切れが悪い。潔乃が相手の顔を覗き込もうとすると、颯真は目を逸らしながらも口を開いた。

「……伊澄、ラーメン好きだよな」

「えっ? う、うん、好きだけど……それがどうかしたの?」

「実は、俺の親父が知り合いからイベントの前売り貰ってさ。ほら、知ってるだろ、来週の土日にやるラーメンのイベント。チケット一枚で二人まで入場できるから、その……良かったら一緒に行かない?」

 部活の話ではなくまさかの遊びの誘いだったため潔乃は面食らってしまった。そのイベントには仁奈や陸上部の友人たちと行ったことがある。毎年ショッピングモールの駐車場で開催されるご当地ラーメン店が集まるイベントだ。潔乃は前回の光景を思い出して気分が高揚した。だがしかし、その気持ちもすぐに萎んでしまった。

「声かけてくれてありがとう。でも……ちょっと私は行けないや、ごめんね」

「都合悪い?」

「ううん、別に何もないんだけど……ちょっと」

「……伊澄、最近元気ないよな」

 颯真が眉をひそめてこちらの様子を窺ってくる。心配そうに瞳が揺らいでいる。相手が余計な気を遣わないように、潔乃は笑みを作った。

「大丈夫。そのうち元気出るから。みんなに心配かけちゃってるよね私。駄目だなあ……あはは……」

「駄目だなんてそんなことない。無理すんなよ。俺でよければ話聞くけど……」

「ありがとね柴君。でも大丈夫。じゃあそろそろ行くね。また月曜日に」

 これ以上詮索されると困ってしまうので話を切り上げた。潔乃は颯真に手を振ってさよならを告げた。

「伊澄!」背中越しに呼び掛けられて潔乃は振り返った。

「また誘ってもいいっ?」

「……うん! またみんなで遊びに行こうね!」

 潔乃が見せた表情は、最後まで笑顔だった。

 

 帰りのバスを待ちながら潔乃は空を見上げていた。灰色の空に広がる雲は重苦しく、太陽の光をほとんど通してくれない。木々にしがみ付く葉たちはすでに冷たい風に煽られ、凍りつくような寒さに包まれている。そろそろ初雪が降るかもしれない。九月中旬の大雨から、二か月半が経とうとしている。

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