#6:探偵と少年兵

 銃声が轟く。

 俺の体を銃弾が貫き……は、しなかった。

 なぜなら。

 弾丸は俺の目の前にいるもじゃ髭の銃から放たれたのではないのだから。

 もちろん俺の銃からでもない。

「ぐっ……」

 しかし。

 もじゃ髭は右手を押さえてうずくまる。その足元にはリボルバーが転がっていた。弾丸で銃を弾かれたのは明らかという状況である。

「な、なんだっ?」

 根津が警戒するように周囲を見回す。ああそうか、こいつには話してなかったな。

「作戦通りだ。助かったよ、

 そう。

 広場の周囲に置かれたコンテナのひとつ。

 その上に彼女はいた。

 暗がりの中でも目立つ銀髪と金色の瞳。

 樺太から着ているフライトジャケットをなびかせて。

 マチルダ・ポートマンは立っていた。

「あ、ロシア娘! お前なんでここに!」

「仕事です」

 彼女の手にはストックを取り付けた拳銃――VP70が握られていた。銃口からはわずかに硝煙が噴き出していて、あの銃が先ほど火を噴いたことは明白である。

 つまり。

 もじゃ髭の銃を撃ち落としたのは彼女だ。

「てめえ…………!」

 右手を押さえながらもじゃ髭がこちらを睨む。

「決闘に横槍入れやがったな!」

「入れたのは槍じゃなくて弾丸だけどな」

「うるせえ! この卑怯者が!」

「お前さあ、何か勘違いしてないか?」

 俺は抜いて左手に持っていた銃をしまう。

「お前の遊びに俺がわざわざ付き合うわけないだろ。お前たちは決闘ごっこでちゃちな遊びをしている三流アマチュア。こっちは零細探偵とはいえ銃を扱うプロだ。アマがプロと同じ土俵で戦える道理はない」

 それにこっちは金をもらって仕事しているんだ。遊びじゃない。

「お前……。おいてめえら! やっちまえ!」

 もじゃ髭の合図で倶楽部の連中は銃を構える。

 だが……もう遅い。

「貴様ら! 全員銃を地面に置いて跪け!」

 さっきの銃声が合図だ。

 どやどやと、待機していたスーツ姿の刑事たちが大挙して押し寄せてくる。

「決闘罪の容疑で逮捕する! ……まさかこのご時世に決闘罪の現行犯逮捕するとはなあ」

 むしろこの銃社会ごじせいだからこそじゃないだろうか。

「やれやれ、一時はどうなることかと思ったが、何とかなったな!」

 勝手に肩の荷を下ろしてほっとしている根津は別にいいとして。

 俺は……。

「ミスター所長代理」

 コンテナから下りたマチルダがこちらに向かってくる。

「ああ、ご苦労さん」

 VP70が返却される。本来は彼女が持っていていい銃ではないので、このどさくさに紛れて俺が預かる。

「ところで」

「なんだ?」

「歯を食いしばれ」

「えっなにそのけいこ――――」

 直後。

 俺の顔面左側面を。

 マチルダの景気のいい右ストレートが捉えた。

「ぐえええっ」

 蛙が潰れるような声が出る。

 そのまま吹っ飛ばされて地面に突っ伏す。

「な、なんで………」

「レオン大尉から教わりました」

 右手を振りながらマチルダが平然と言う。

「二者間でなにかしらの機能不全が生じた際は、すると円滑な問題解決が望めると」

「たぶんそれ状況設定と手順に重大な抜け落ちがあると思うぞ」

 拳で語り合うが許されるのは青少年までだろ。

 大人がやったらそれこそ決闘罪で捕まるぞ。

「というか俺とレオンの間でも殴り合って問題解決したことはないな! あいつ何教えてんだ!」

「コーカシタという場所で夕方にガクランという格好で殴り合うのが作法ということですが、簡略化しました」

「不良漫画好きだったかなあ、あいつ」

 あんまりその印象はないんだけど。

「ミスター所長代理、わたしは…………」

 マチルダが言う。

「青柳美鈴を撃ったことを間違った判断だとは考えていません」

「…………」

「あの状況下では、撃たなければ青柳鈴郎は殺害されていました。場合によっては所長代理とわたしも」

「上官である俺が間違いだと指摘しても、間違いじゃないって君は言うか?」

「軍の規則に従えば、上官が間違いだと指摘するならそれは間違いです。上官が言うなら黒いカラスも白いのです。ですが所長代理は言葉を弄しているだけです。本気でそうだとは思っていません」

「……そうだな」

「ですが」

 重ねて、マチルダが言う。

「撃ったことを間違いだと考えていない。この思考こそが間違いなのかもしれないと、わたしは思っています。

「…………」

「レオン大尉からも言われました。わたしは軍しか知りません。戦場、銃声の響くところがわたしのすべてでした。ですが、世界は広く、どこまでも歩いていけば、銃声の届かないところがあります。そこへたどり着いたとき、私の考え方はひどくいびつなものに見えるだろうと、大尉は言っていました。それは一年近く、樺太の収容所にいるだけでもなんとなく察してはいたのです」

 そうか。

 そうだな。

 彼女はまだ十六歳だが、もう十六歳でもあるのだ。いくら戦場しか知らないと言っても、大人にかなり近い年になっている。自分を客観的に見て、周囲と比較し、何かがおかしいということに気づくだけの能力は持っているはずだ。

「君は間違ってない」

 俺は返した。

「青柳美鈴を撃ったことも、その判断が間違っていないと思っていることも、そう思うこと自体が間違いだと考えていることも。間違っていたのは俺の方だ。間違っていたというか……覚悟が足りなかった。いや覚悟じゃないな。君にどう向き合うかの対応、その具体性が欠けていた」

 レオンの置き土産だというのにな。

 手に持っていたVP70を握りしめる。

 よっぽど、今この場で言ってしまおうかと思った。

 レオンがもういないことを。

 相棒の死を隠したのは、成り行きだ。たぶん彼女がショックを受けるんじゃないかと思って適当に隠しただけ。本当は俺が彼の死を宣告するのが嫌だったのだ。

 だから言おうかと思って、やめた。

 今度は覚悟を持って嘘を吐く。

 方便ではなく、明白な嘘を。

 今の彼女に、レオンの死を受け入れられる力があるかは分からない。だからこそ、それをきちんと俺が見極めた上で、彼女に混乱を与えないよう手順を踏んで教えなければならない。

 それまでは、嘘をつき続ける。

 ひょっとしたら途中で何かがあってバレるかもしれない。そのとき、彼女からひどく責められるかもしれないが……それすらも覚悟して。

「所長代理。仕事はまだ終わっていません」

「いや、終わったさ。ここから先は無賃労働だ」

 マチルダが手を差し伸ばす。

 俺はそれを取って、立ち上がる。

「ん? おいおいちょっと待て?」

 空気の読めない根津が間に割り込んでくる。

「なんか仲直りしました的な空気出てるけど、おかしくないか? なんでこの子はここにいたんだよ。お前ら、没交渉になってたんじゃなかったか?」

「ああ、あれか。嘘」

「うそぉ!?」

 方便ってやつだよ。

「実は天竺さんから依頼を受けた翌日には直接会って話をしている。そこで没交渉になっているフリをした方が都合がいいだろうと考えて、今まで演技していたわけだ」

 今日、事務所三階のマチルダの部屋のドアノブに荷物を引っかけておいたが、それがこのVP70である。その際天竺は俺がマチルダの不在を知らないかのように喋っていたが、実は彼女がそのとき警察署で聴取を受けていたのは知っていた。

「なんでそんなことを……」

「必要があったんだよ。まあ、あくまで依頼は決闘倶楽部の逮捕だ。ここから先は頼まれたわけでもないし、報酬も発生しないが社会人の道義的責任ってやつで動く」

「道義的責任? 探偵、お前にそんなものがあったとはな」

「いい年した大人なんでな。普遍的正義を墨守するくらいの社会性は持ち合わせているんだよ。それにわが社としても活躍すれば警察に恩を売れるし宣伝にもなるという目論見もある」

 会社が行うボランティアはただの善意と福祉ではない。それをした方が企業イメージがよろしいという戦略に基づいている。見返りありきの行動だが、人の善意ってのは弱いものだ。正しさは簡単に捻じ曲がる。だから人の善意だけに頼るのではなく、社会的に「善行を積んだ方が得だな」と思わせて動かすのはけっこう大事だ。

「しかし……決闘倶楽部以外になんかあったか?」

「お前忘れてるだろ。そもそも決闘倶楽部を捕まえたのはイコライザー事件の犯人がそこに混ざっていると警察が考えたからだろ。だけどイコライザー事件そのものの捜査に手を取られて倶楽部の逮捕までこぎつけられないから俺が出たんじゃないか」

「あ、そうか」

 根津め、本当に刑事としてやっていけているんだろうな。こいつの将来性を心配する立場じゃないが、俺たちの税金で雇われているんだからもう少ししっかりしてほしい。

「時間がありません。急いだほうがいいかと」

 マチルダが急かす。

「そうだな。根津、パトカー一台回せ」

「それはいいが……。どこ行く気だ?」

「国守中央病院だ」

 そこに目的の人間がいる。

「分かったよ。手配する。一台くらい使えるだろ。……あれ、そういえば」

 今更になって、根津が気づく。

「天竺さん、どこだ?」

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