#5:戦死者は眠れない

 靖国神社。言わずと知れた、日本における慰霊の場である。政治家が参拝に訪れれば問題視されるが、おそらく多くの日本人は何が問題か把握してはいまい。

「理三郎くんは来たことある?」

「一度だけ、昔にな」

 そのことはよく覚えている。

 靖国神社には明治期以降の様々な時代の戦死者が祀られているが、樺太紛争の戦死者の多くもここに眠っている。眠っているというか……まさか現代戦において戦死者の身元が分からないということはなく、遺骨は遺族に返されているので靖国に安置されているわけじゃない。だから記録されているという表現の方が適切かもしれない。

 あまりそこに差異はないのだろうが。

 靖国神社は戦死者を多く祀り、戦争の被害を記録する場所だが、政治的問題も抱えている。その問題ってのも多種多様だが、二つに絞ってまとめるなら「死者の宗派に関わらず埋葬されてしまう」ことと、「戦争の記録が極端に偏っていること」と言える。

 前者は少しわかりにくいが、考えてみればあからさまな話だ。日本人は無宗教であるという前提がそれこそ狂信的に信じられているが、実際は様々な宗教に帰属している。たいていは仏教だが、中には神道やキリスト教などに属している戦死者もいるだろう。そういう戦死者を一緒くたに神道的なニュアンスで埋葬し祀ってしまうことは個人の信仰の自由を著しく棄損するものだ。

 似たような問題は第二次大戦の連合国軍戦死者を祀る無名戦士の墓などでも起きているようだ。まあ、誰とも分からぬ戦死者をいっぺんに埋葬する上でどうしても生じてしまう問題ではあるな。ただ靖国の場合、遺族が明確でかつ埋葬を拒否していてもなお止めないという問題も起きている。

 後者の問題……記録の偏りは、見れば分かる。靖国には多くの展示物があるが、そのひとつでも見れば、俺が説明するより分かりが早い。

 資料館の中に入ると、展示エリアが二つに分かれていた。前来たときはこんな構造じゃなかった気がするが……。

「へえ。樺太紛争の展示資料もあるんだ」

 青柳が言うように、従来の展示エリアから拡張し、近年の樺太紛争に関する展示エリアを増やしたらしい。仕事が早いというかなんというか……。

「じゃあ樺太の方から見るか」

「そうだね」

 まずは樺太紛争の展示エリアに入ってみた。つい最近の出来事とはいえ、歴史が風化するのは早いからこういう展示に意義があるのは理解している。とはいえ、靖国でこれをしてもな……。

 樺太紛争における戦闘を説明するパネルがまず目に入る。現代の戦争というのは、特にアメリカの中東介入の影響でイメージが作られている。それすなわち「不均衡な非正規戦」である。要するにアメリカ軍という国軍が相手取るのは敵国の軍隊ではなくあくまでテロ組織であり、その点で立場も戦力も彼我の差がある。ゆえに不均衡。そしてそんな連中を相手にするから、戦闘も正面からぶつかって戦うというよりは、軍隊が進軍してきたところをゲリラ的に攻められて偶発的に戦闘が発生するというケースが多い。

 モガディシュの戦闘などで大きな人的被害を出したアメリカは、ミサイルや空爆などを用いた人を使わない戦闘スタイルへ変化していったという。ドローン技術の発展もそうした流れの中にあるらしい。だから現代の戦争というのは人同士が戦わない、敵を一方的にドローンで空爆するような無人の戦いになるだろうと、多くの人間が思っていた。軍事アナリストなどでさえも。

 だが俺はそんなことにはならないだろうと考えていた。いざ戦争になれば、アナログな血で血を洗う戦いが起きるだろうと。そして結果的に、東欧紛争と樺太紛争はそうなった。

「へえ、塹壕を掘ってにらみ合ったんだって……。なんだか昔の戦争みたい」

 パネルには樺太紛争における前線の様子が写真付きで紹介されていた。いくつかの前線では塹壕が構築され、それを互いに攻略しあう戦いが起きていたという。戦車の進軍に合わせ歩兵が突撃し、互いに銃を撃ちあうまさに戦争だ。

 俺は戦争がとどのつまりそうなるものだと思っていた。だがそれは俺が、戦争に関して他の人より抜きんでた先見性を持っていたわけじゃない。俺はただ単に知っていただけだ。

 どれだけ技術が進歩しても戦争が無人化することなどないと知っていた。なぜなら、ドローンより人の命の方が安いから。人間を使った方が安価で効率的だ。

 兵士が前線で命を落とせば厭戦ムードになる? なるほど、アメリカではベトナムでも中東でもそういうケースはあった。だがそれはメディアが前線の様子をちゃんと伝えれば、の話だ。政府がメディアにちょっと金を握らせて戦意を高揚させるような番組を流させれば万事解決。握らせる金を考慮しても、やはりドローンよりは安くつく。

 なにより戦争したがる国ってのは、人間という資源を安く見積もる傾向があるからな。

「鈴郎くんは戦場の話をあまりしなかったみたいだな」

 俺は青柳に聞いた。彼女は弟から前線の話をそれなりに聞いていると思っていたので、展示パネルを見て純粋に感心する彼女が少し不思議だった。

「うん。戦いのことになると口が重くて。だからあたしが知ってるのも、愛知の師団から一緒に派遣された人に聞いた話なんだけど……」

 また聞きってことは、鈴郎は口が重いというか完全に閉ざしていないか、それは? …………やはり樺太で何かあったんだろう。それが脱柵の原因というわけか。

 問題は何があったのか。そしてそれは彼の居場所を見つけるヒントになるのか、だな。

 道順に沿って展示を進んでいく。丸いドーム状の建物の写真が映し出されていた。説明にはロシア軍が使っていた掩体壕トーチカと書かれている。

「そうそう。トーチカで思い出した」

「なにを?」

「鈴郎の話。すごかったんだって。鈴郎ね、自分たちのところに投げ込まれた手榴弾を掴んで、そのまま相手の立てこもってるトーチカに近づいて放り込んだって。それをみんなすごいって褒めてた」

「それはまた……ずいぶんアナログな戦闘をしているな」

 とはいえ、実態はそんなもんである。どれだけ軍事技術が発達しようとも、それを運用する側の戦術要綱ドクトリンが第二次大戦から進歩していないのなら、同じことを繰り返すしかない。

 それに関して言えば、ロシアも日本も古い戦い方からアップデートできていなかった。ロシアの事情は知らないが、日本はアメリカにくっついて中東にも派遣されていたはずなのに……。中東での戦闘と樺太での紛争は性質が違いすぎて、参考にならなかったということなのか。

 どのみちロシアは東欧で攫ったり国内で粛清のため捉えた人員を樺太に送って防衛要員にしていた。つまりあくまで力点は東欧にあって、まさか本気で日本が樺太に攻めてくるとは思っていなかった。それは日本も同じで、ロシアが本気で守っていると思わず攻めた。だから互いに出し惜しみがあって、それがアナログスティックな戦闘を誘発する原因にもなったのだろう。互いが本気で空爆していれば、そんな余裕はなかった。

 その出し惜しみが戦闘を長引かせたわけだが。

 次に展示されていたのは日本軍とロシア軍の兵器だった。特に小火器類、つまり歩兵が運用するライフルなどである。

 日本軍が主に使用していたのはM4カービンだ。

「ねえ、そういえば国防軍って新しい銃を作ってなかったっけ?」

 青柳が聞いてくる。

「ああ。20式小銃な」

「ここには展示されてないみたいだけど」

「採用してから配備までは時間がかかる。特殊部隊とか、そのあたりから順番に配備されていたらしい。……まあ樺太で戦う兵士に配備できなかったら採用する意味もない気がするが」

 自衛隊から国防軍に改編するにあたり、軍は新型ライフルの開発を始めた。同時に、軍の拡大に伴い不足する従来の89式小銃を補うためにアメリカからM4カービンを調達していた。

「二〇〇〇年代初頭に国防軍の改編と銃刀法の改正が同時に行われたのは、アメリカからの要請があったためと言われているな。米軍と一緒に各地に派遣できる軍隊を構築するために国防軍が作られた。一方で、米国内で高まる銃規制を求める声に答えつつ、同時に共和党最大の後ろ盾である全米ライフル協会を満足させるため、日本という新たな銃器市場を開拓した。日本が不足する銃器の補填にM4を採用したのも、アメリカの銃器メーカーに対する利益供与の側面がある」

 本来なら89式小銃を量産して国内企業を潤すところ、アメリカ企業から銃を買ってしまうあたり、日本の政府がどちらの方向を見ているのかは分かりやすい。アメリカ五十一番目の州という名は伊達じゃない。

「詳しいんだね、理三郎くんは。やっぱり仕事の関係?」

「そりゃあな」

 ここら辺は、レオンの受け売りも多分に含まれている。非正規雇用にここまで政治的動向をチェックする職業的義務は生じない。

「見て、ロシア軍が使っているの、ずいぶん古い銃みたいだよ」

「ああ……モシンナガンにペーペーシャか」

 どちらも第二次大戦の兵器だ。さすがにこればっかりということはなくて、普通にAKとかも使っていたはずなのだが……。それらは展示されていないな。

 とはいえモシンナガンなど古い銃器が使われていたのも事実だ。東欧もロシアも急な戦争状態で武器が不足して、古い銃を引っ張り出して戦った。東欧は各国の支援を受けて様々な銃を手に入れていたが、侵略者側――つまり秩序の破壊者たるロシアはそうもいかない。人は攫うなり徴発するなりで増やせても、武器は畑から取れないからな。

 樺太ではそうやって強制的に動員された人間に古い武器とわずかな弾薬を持たせて日本軍に突撃させていたらしい。

「そういえばマチルダちゃんって……」

 唐突に、青柳が突っ込んだ話をする。

「東欧系だよね? 名前はそれっぽくないけど」

「ん? あー、さてね」

「ごまかさないでよ」

 彼女は少しむくれた。

「理三郎くんが引き取ったの?」

「ああ。諸事情あって」

「ふうん。彼女、少年兵でしょ?」

 おっと。気づかれていたか。いや、マチルダの所作を見ればいずれ気づくか。

 だが青柳がマチルダをそう判断したのは、俺の想像とは少し違う要素からだったようだ。

「昨日ね、銭湯に行ったの。東久留米にあるスーパー銭湯みたいなところ。マチルダちゃんも東京は慣れてないみたいだったから、あまり遠出はしない方がいいかなと思って。そこであの子の体に、たくさん傷があるのを見たよ?」

「…………」

 それは、知らなかった。ある程度想像はしていたが、まさか彼女の裸体を見る機会などないので、確認はしていなかった。

 それと……なるほど、マチルダがいつ青柳の鞄の中を覗いたのか疑問だったが、更衣室で着替えるときに見たのだろう。

「彼女は訳ありなんだ。相棒の頼みで引き取っている」

「そうなんだ……。ロシアって、やっぱり酷いことするんだね。東欧でも虐殺があったって聞いていたけど、少年兵まで使うなんて」

 マチルダは樺太に動員されたであろう少年兵とは経歴が異なるが、それを指摘する意味もないな。

「マチルダちゃんも、こんな武器を持って戦ったのかな。あんな普通の女の子なのに」

「どうだろうな。あまり戦場でのことは、聞いてない」

 俺たちは道順に沿って、次の展示場へ進んだ。

 ちらりと最後に展示されていたパネルを見る。そこには『高校を辞して戦場へ向かった勇敢な少年志士たち』の顔写真が掲載されていた。

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