#4:仕事の話
「そういうわけで、歌舞伎町は空振りだった。一日調べただけだから、また調べ直す必要はあるかもしれないが……。日を改めないとどうにもな」
「なるほど。では次はわたしが動く番ですね」
翌日。
東久留米の東横INN、つまり青柳の宿っているビジネスホテルのロビーで、俺とマチルダは打ち合わせをしていた。
「夢城区内の城下町で調査をします」
「ああ。くれぐれも気をつけてくれ。あまり無理はするな」
「問題ありません。人探しの経験はあります」
そういう意味じゃないんだけどな……。
「ところで、所長代理。少しよろしいですか?」
「ん?」
あらたまって、マチルダは声を潜めながら言う。
「依頼人……青柳美鈴のことなのですが」
「あ、ああ……」
ぎくりと、思わず身を固くした。
だがマチルダの言葉は俺の想定したものではなかった。
「彼女は銃を所持しているようです」
「……銃?」
それがどうしたというのだろうか。
「青柳さんが銃……。珍しいというか、意外ではあるな。だが彼女も大人だ。銃を手に入れられる年齢だし、そう奇妙な話でもないだろう」
「はい。銃を持っていることはさほど不自然ではないと、わたしも思います」
「なら…………」
「ですが、銃は人を殺すための道具です」
端的に、彼女は指摘する。
「すなわち青柳は、誰かを殺害することを想定しているということではないでしょうか」
「いや、そりゃあ……」
思考が濁る。考えがまとまらないままに話を続けた。
「それは論理の飛躍だ。銃は人を殺す道具だが、護身用だろう? まあ、護身のために銃を撃って、結果的に相手を殺害してしまうという可能性はあるし……。銃を手にした以上、その可能性……つまり誰かを殺害することを想定しているという言い方はできるが、それは露悪的すぎないか?」
「ですが、護身用なら銃は常に体に保持しているはずです」
マチルダには何か確信があるのか、言葉を続ける。
「青柳は銃を鞄に入れていました。身の危険があった際、すぐに取り出せないところに。それはすなわち、殺すべき相手がまだ近くにいないと本人が認識しているからではないでしょうか」
「単に、ホルスターが準備できなかっただけじゃないか? 銃は重いし大きい。女性の格好ではきちんと保持するのが難しいということも……」
「青柳の銃は小型軽量のグロック26です。ポケットにも入るサイズでしょう」
堀を埋められている気分になった。……なぜ追い詰められているような感覚に陥っているんだ、俺は。
「いずれにせよ、彼女が銃を持っているのは護身用だ。誰かを殺すために銃を持っているわけじゃない。そもそも彼女が東京に来た目的は弟を探すことなんだから」
「理解しています。念のため、情報の共有が必要と判断しました」
「そうか……分かった」
じっと。
彼女はその金色の瞳で射抜くようにこちらを見た。銃口を向けられるよりも、なぜか数段恐ろしいと感じる。
彼女は何を考えているのだろうか。何を思っているのか。マチルダの目には、青柳美鈴はどう映っているのか。
直接聞くのが一番早い。マチルダは俺が聞いて、隠し立てたり誤魔化したりはしないだろう。しかし俺は聞かないことにした。良くも悪くも元少年兵……戦争に身を浸した人間の感性だ。今回の件で彼女の感覚が何かをキャッチしたとして、それが鈴郎探しの役に立つとも限らない。
「そろそろ時間だな」
スマホで時計を見る。
「じゃあ城下町に向かってくれ。何度も言うようだが気をつけてな」
「了解しました」
敬礼をして、マチルダはロビーを去っていく。
入れ替わるように、青柳がエレベーターから降りてくる。
「お待たせ。……さっきまで、マチルダちゃんもいたの?」
「ん、ああ……」
いつの間にマチルダちゃんなんて呼ぶようになったんだ……。まあいいけど。
「じゃあ、行こうか」
俺と青柳は連れ立ってホテルを出た。ロビーで動く影があり、それが俺たちの後を追いかけ始めたのも確認する。マチルダにはついていかず、俺たちの方へ来たのなら作戦通りだ。
「それにしても、本当に久しぶりだね」
目的地へ向かう道中、青柳はそんなことを言った。
「ああ、そうだな」
「理三郎くん、成人式以来見かけなかったもんね。同窓会、何度かあったけど来なかったし」
「忙しくてな」
同窓会が数度開かれていたことを今知ったのは言わないでおくか。どのみち誘われても忙しくて出られなかっただろうことは間違いないし。
「そんなに忙しいの? PMCの仕事って」
「そりゃあな。でも、独立した今よりは気苦労は少なかったかもな」
「そっか……。前はピンカートンにいたんだっけ?」
俺のウィンドブレーカーの背中に書かれているロゴを見ながら青柳が聞く。
「PMCなんてすごいね。同級生のみんな、理三郎くんがそんなところに勤めてるなんて想像もしてないと思うよ」
「だろうな。俺も、予想してなかった」
左腰のホルスターに収めた銃を触る。銃刀法が改正されたころは「なんか大変そうだなあ」と思っていたのに、いつの間には銃を携帯するのが当たり前の仕事に就いている。人の人生ってのは転がるサイコロみたいにどこへ行くか分からない。
「でも大学は愛知県だったよね。どうして東京に出たの?」
「紆余曲折ってやつだ」
大学を出ても就職先がなく、いろいろ探したら東京で働くことになったというのは言う必要もあるまい。
「だが東京も悪くない。物価が高いとか家賃が高いってイメージもあったが。日本って地域で物価がそう変わる国じゃないし、郊外に出れば普通のアパートにちょうどいい家賃で住める。国守区は都会っぽくないが、必要な店はけっこうたくさんあって過ごしやすい」
東京というか、都会の強さみたいなものを実感するのは、池袋や新宿のようなまさしく『都心』を訪れたときより、むしろ暮らしている家の周りが何かにつけて便利だなと感じたときだ。適当に歩けばコンビニがある。スーパーがある。外食店がいくつもあって選択肢が多い。清瀬駅を中心に必要なものはまとまっていて、池袋にも電車で一時間かからず着く。こういう何気ない便利さが都会の良さだと思う。
地元だとこうはいかないからな。コンビニはない、スーパーもない、もちろん外食店もない。何をするにも車で大移動を強いられ、最寄り駅まで山ふたつを超える。名古屋まで電車で一時間ちょっと掛かる。それに比べればこの街は過ごしやすい。
「それで地元に帰らなくなっちゃうんだね」
「そうだな……」
まあ、それと実家に足が遠のく理由はまったく別なんだが、そういうことにしておいた。
「そういう青柳さんはどうしてた? 離婚したとは言っていたが……」
「うん」
確か、中学時代の同級生と結婚したんだったよな。結婚式の招待状すらもらっていない体たらくなのでよく知らない。
「価値観の違いなのかな。三十過ぎたころに、なんか別れちゃって」
「売れ始めたロックバンドみたいなこと言ってる……」
「でもそれに近いかも。二十代と三十代だと、同じ生活はできないから」
そんなものかな。俺は基本的にずっと同じ生活をしてきたから分からない。唯一変わったことは、独立して探偵になったことだが、それだって年齢でどうこうという話じゃない。
「昔は気にならなかったことが気になるようになっちゃったんだよね。それで、これから先この人とずっと子どもを育てていけるのかなってふと考えたら、やめた方がいいのかなって」
「…………」
「今はシングルで子育てしてる人も珍しくないし、実家に戻れば両親もいたから……。それで離婚のハードルが低かったってのもあるかも」
「まあなんにせよ、選択肢が多いのはいいことだ」
「そうかな?」
「そうだろう。世の中には、生き方を選べないやつも大勢いる。その選択に満足するにせよ後悔するにせよ、『選択できる』だけでマシだ」
脳裏にちらつくのは、やはりレオンとマチルダのことだった。生き方を選べなかったのか、それとも選んでああなったのかは、彼らの過去を把握しているわけではない俺には分からない。だが少なくとも、青柳は自分の意志で道を選べたんだから、それはいいことのはずだ。
たとえ後悔することになったとしても、選べないよりはずいぶん気楽だろう。
少なくとも俺はそう思う。PMCに入社したのは俺の意志とは言い難いものだったが、探偵になったのは俺の意志だ。自分で、レオンとともに歩くことを選んだ。結果的にあいつはいなくなって俺はひとりになったし、だからこの先独立したことを後悔するかもしれないが……。自分の歩く道を選ぶことさえできなかったときに比べれば、いい方だと思うのだ。
「こういう仕事をしているといろんなやつを見るけど、やっぱり自分で進むべき道を選んだやつの方が気分がよさそうだったな。その結果身を滅ぼすことになったとしても。見てるこっちとしては『自業自得だろ』って言い訳が効くから見ていて疲れないってのもあるかもしれないが」
負傷退役してもなお働くことを余儀なくされ、その結果過労がたたって自殺に追い込まれた芦原。少女を殺してなお反省の色なく、その報いで苦しんで死んだ影本。ふたりを見るだけでも明らかだ。
「鈴郎もそうなのかな?」
青柳が呟く。
「あの子も……自分の意志で逃げ出したのかな」
「それは分からないな。自分の意志で脱柵したのか、それとも追い詰められて逃げる以外の選択肢がなくなったのか。それを知るためにも、国防軍より早く彼を探さないといけない」
「でも本当に、あの子が脱柵した理由って想像もできないんだよね。あんなに志の高かった子が……」
それはあくまで青柳の視点であって、そもそも彼自身の自認では志が高かったのかもわからない。案外、「兵士になって人を撃ち殺したいぜ!」という欲望があってそれを隠すために愛国心を表にしていただけかもしれないわけだし。
人を撃ち殺したいという短絡的な理由で軍に入っても、いざ人を撃たされれば腰が抜けて逃げ出したくなるってこともあるだろうしな。俺には人を撃ちたいという発想も、国を守りたいという感情も理解の外だから想像もできないが。
「だが推測するとすれば、やはり樺太紛争で彼の考えを変える何かがあったんだろう。侵略戦争なんてものに手を貸せば少なからず変節する可能性はあるだろうし」
「樺太は日本の領土でしょ。それをロシアが実効支配したから、東欧紛争の隙に奪い返しただけだって」
「…………まあそういうことにはなってるな」
「でも確かに、何かあるとしたら樺太紛争しかないよね」
「紛争で負傷したとか、そういうことはないんだよな?」
「うん。前線で戦ったから擦り傷切り傷くらいは作ったけど、撃たれたりとかはなかった」
とはいえ前線でのドンパチを経験すれば臆病になっても当然だろう。怪我の有無はあまり関係なかったな。
「樺太紛争って……」
彼女は思い出すように首をひねる。
「結局、樺太の南半分しか取り返せなかったんだよね」
「ああ。タライカ湾を少し北上したところまでだな」
「それを無念に思って、とか?」
「だとしたら脱柵というのは手段としてちぐはぐだな」
「抗議の意味を込めて?」
「僧侶が焼身自殺するみたいな話じゃあるまいに……」
貧困が原因だったか……新幹線で焼身自殺した老人もいたから日本じゃ洒落になってないがな。三島由紀夫にでもなるつもりか? 俺は文学部出だが専門は大正から昭和初期の作品だったので、詳しくないんだけども。
「もし政治や軍の在り方に疑問があるなら、他の同志を集めて意見陳情するのが穏当だし普通の流れだろう。鈴郎くんはレンジャー課程も出ていて特殊部隊の入隊試験を受けるかもと噂されるくらいに有望で、赤貝くんのように慕ってくれる後輩もいたことだし」
裏返せば、それほど順調に見える男でも職場から逃げ出すほどの何かがある、ということだ。およそ順風満帆とは程遠い人生を送ってきた俺には分からない。いいじゃん、別に。それだけ有望で慕われるなら逃げることはない。ずっと軍で働けば。
………………それこそ、彼にしか分からない動機、か。
考えてみれば、レオンもそうだな。ロシア軍で働き、スパイとして日本に赴く。リスキーな生活ではあるが、あいつはそれを苦にするタイプじゃないはずだ。現に日本じゃうまくやっていたし、たぶんマチルダの元でもうまくやっていただろう。なにせ探偵事務所開設のために俺より先にPJ社を辞して、それからマチルダのところで仕事しながら事務所開設の諸々をやっていたくらいだ。二足の草鞋を履くのが上手すぎる。それくらいうまく立ち回れる男なら、わざわざスパイの仕事を辞める必要もなかっただろうし、俺と組む理由もなかったはずだ。
探偵として独立する。そのためにロシア軍から抜けようとして、リスクの高い仕事を押し付けられた。普通に仕事をしていればそんなことにはならなかったのに。そうまでして俺と探偵をしたいとあいつに思わせた要因はなんだったんだろう。
今となっては分からない。聞くことができないからな。
俺がぼうっと考え事をしていると、青柳がこっちを覗き込んでくる。
顔の距離が近くて、俺は少し離れた。
「どうした?」
「さっきから理三郎くん、ぶすっとして仕事の話ばっかりだね」
「…………」
「女性をエスコートするのにそんなのじゃダメだよ?」
仕事の話はむしろ彼女が振った話題の気もするが……。要するにそれに乗って話している時点でダメってことなんだろう。
「仕事の話くらいしか引き出しがなくてな。最近じゃ会話デッキって表現するんだったか? 俺のデッキは四十枚全部同じカードだ」
「ルール違反で怒られるよ、それ」
彼女は苦笑する。
「何か別の話はないの? ……そうだ、理三郎くんって、昔小説家になるのが夢だったよね? 今でも書いてるの?」
「ん、ああ……」
言葉に少し詰まる。
「一応、な」
嘘だ。最後に小説を書くために文書ソフトを立ち上げたのがいつだったかも覚えていない。それでいい。別に、子どもの頃の夢なんてそんなもんだし、ここで嘘を吐く必要はなかったはずなのに、俺は嘘をついていた。
「どんなの書いてるの?」
「完成してもない作品のことを喋るのはな」
「そう?」
「あー、でも。創作の勉強の一環で今でもフィクションにはよく触れている」
話の方向を変える。だがこれも嘘だ。フィクション作品は今でも見ているが、創作の勉強なんて高尚な目的意識はない。ただの気分転換にすぎない。
「どういった作品を見るの?」
「いろいろな……。最近は、そうだな。西部劇を見た。日本人の原作者が書いたやつの実写映画でな」
言って、二つの意味で話題選択を間違えたと思った。ひとつはその作者が嫌いだということ。ふたつ目はそれを見たのが全然最近ではなく五年くらい前だということだ。
ただ印象的だったので、つい記憶の底から引っ張り出しやすくて出てきてしまった。
「西部劇って……ウエスタンな?」
「そうウエスタン。監督も原作者も俳優も日本人がやる滑稽というか、滑ってる作品だったよ。興行成績はそれなりだったらしいが」
俺にはただ日本人がアメリカ人の真似をしただけの映画にしか見えなかった。今どき、西部劇でも現代の社会情勢を反映した作風が多いというのに、その映画は本当にただ、「西部劇ってこんな感じだよね」というイメージのパッチワークでしかなかった。俺は西部劇などほとんど見ないが、それでもこれを作った制作陣の全員が西部劇を見たことがないのだろうと確信するほどだ。
「面白い作品のどこが面白いのかを明確に言葉にするのはけっこう難しい。でも、それ以上に難しいのは駄目な作品のどこが駄目かを説明することだ。面白さってのは人に伝えたくなるから、必然言葉を尽くしがちだ。だがつまらない作品はただ一言『つまらない』で切り捨てて終わらせられるからな。その怠惰を乗り越えて言葉にするのは困難だ」
それにここ最近じゃ、ネガティブな批評はとにかく嫌われる傾向にある。作品の何を語るにしても賞賛以外は認めないという態度の人間が多すぎる。
「だからその映画を見たとき、俺もいろいろ言葉をひねり出したが、うまくいかなかった。だが俺の相棒――仕事でよくつるんでたやつは、すぐに作品の問題点に気づいた」
レオンはそういうところ、本当によく気づく。本人は今まであまり映画など見なかったと言っていたが、審美眼は確かなものだった。
「そいついわく、主人公の銃がいけないんだとさ。西部劇のガンマンが持つ銃はリボルバーと相場が決まっているが、リボルバーにも種類がある。当時のガンマンが持っていた銃はそこまで大口径じゃないし、威力も高くない。だがその主人公が持っていたのはS&WM500、アメリカ最強のマグナムリボルバーだったんだ」
そもそも西部劇の時代にマグナムリボルバーは存在しない。それにマグナムは重すぎかつ高威力すぎて、西部劇でよくやる早撃ちにも適さない。リボルバーという外観が似ているがゆえにいまいちピンとこないが、レオンいわく「バブル期を舞台にしたトレンディドラマにスマホが出てくるようなもの」だという。まあ確かに、それはちぐはぐだな。
「ことは主人公の持っている銃の種類、それだけだ。だが神は細部に宿る。銃ひとつ西部劇の時代背景に合わせられないやつの作る映画が面白いわけないってことだな」
「けっきょく仕事の話になっちゃったね。理三郎くんが他人のこと相棒なんて呼ぶとは思わなかった」
「……俺もそう思うよ」
そんなことを言いあっているうちに、目的地に着いた。
青柳と話しているとどうしても視野が狭くなるというか、それ以外のことが考えられなくなる。電車を乗り継いで来たはずなのに、その道程をほとんど俺は覚えていなかった。かろうじて、尾行の人間がついてきているのは把握していたが。
まったく……これでは探偵としてやっていけないな。
今はいいか。
「しかし、別に東京のどこを散策しても作戦に支障はないとはいえ……」
到着した目的地の入り口で、俺は呟く。
「こんなところでよかったのか?」
「うん。東京に来たら一度は行ってみたかったけど、あんまりその機会もなくて」
俺たちがたどり着いた場所。
そこは靖国神社だった。
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