一矢の雅澄と千代御前【其の二】
「……」
遂にデートの日を迎えた。公園のベンチで河野を待ちながら、康介は無言でスマホを操作している。今日の康介の私服は、フード付きパーカーと、長いつばのキャップとメンズジーンズ——身を隠す気満々の服装である。そんな康介がネットサーフィンをしていると、あるニュースページが目に止まった。
【署によると、8月28日午前0時~同日午後3時半、被害男性が別の女性と密会し、ホテルに連れ込む所に、加害者女性が居合わせた事が発端となり、容疑者女性が殴る蹴るの暴行を加え、男性は意識不明の重体。加害者女性は妊娠中で、来月挙式の予定だったという——】
「浮気とかマジねぇわ。……俺は違うぞ?」
誰かに聞かれてもいないのに、何故か康介は咄嗟にそう言い訳した。辺りをキョロキョロ見回すが、人通りが少ない。約束の時間の五分前であるが、暇すぎて康介は、ベンチの背もたれに体を預ける。
「はー……なんで、嘘言っちまったんだろ」
康介は、昨日からずっとそれを気にしている。由衣に事情を全て話すつもりが、男友達と釣りに行くという嘘をついてしまった。隠す事でもないのに、何故か素直に言えなかった。何がそうさせてしまったのか、彼は——分からないのだ。
「とにかく、これが由衣にバレたらまずい」
「真壁先輩ーッ!」
焦りを押し殺していた所に、河野が康介を呼ぶ声が響いた。千代御前になりきる事を意識してか、本日の彼女のコーデは真っ白なフリルブラウス、袴に近い紺の和スカート、そして羽織のような黒い上着。そんな彼女が手を振りながら、ベンチに早歩きで寄ってくる。
「待ちましたか?」
「いいや、……今、きたとこ」
隠し事をしてしまった罪悪感から逃れる為に、一時間以上前から来ていたが、康介は待ち合わせの常套句で誤魔化した。そして念には念を入れて、彼は河野に言い聞かせる。
「何回でも言うけど、過ごし方はデートでも、俺はデートとは思わないからな!」
「分かってます。つまらなそうにして構いませんから! お話に沿って、デートのフリするだけでいいので〜」
「じゃあ早速だけど、何をすればいいんだ?」
「
本格的に河野の欲望を満たす為の聖地巡礼デートが始まった。すると彼女は物語の再現度を高めるために、何かの文章が書かれた一枚の紙切れを康介に手渡した。
「片膝を付いて私の右手を取り、このセリフを読んでください」
「えぇ……そこまでやるのかよ。しょうがねぇなあ……」
約束して来てしまった以上、文句を垂れても物語は進まない。康介は河野から受け取った紙切れを目で読んでみた。そこには雅澄の台詞と思われる文章が綺麗に書かれている。
これ読むの……と康介は視線で河野に訴えかけるが、もう彼女は千代御前になりきって右手を手前に出していた。やる以外の選択肢がない康介は、片膝をついて手を取ると、左手に持った紙を見つめながら雅澄の言葉を読み上げた。
「え〜っ……と、おひめぎみ、いずれ覆い隠す影が、貴女の美しき命の花を、朽ちさせる……だろう? われが、貴女を摘み取る刃となり、陽の元へ、お連れいた……いたします。この手が、我が弓の
「はい、雅澄様——貴方と共に在れるなら、何処までも私は征きます。堅城鉄壁の先にある、朝陽の道導を頼りに…………はーい、オッケーでーす!」
「ドラマの撮影みたいだなオイ……」
導入部分はこれでいいらしい。こうして、今日一日限りの、雅澄と千代の逃避行……のなりきりが始まった。形はなんとも
「で、次は何をするんだ?」
「えっとですね、雅澄が千代を連れ去った後は、『二人は馬にまたがり、朝日に向かって駆けて征く…』なので、馬に乗りましょう」
「待て、マジで馬に乗るつもりなのか⁉︎」
「はい、全力で物語を再現しましょう!」
「うーん……でもよ、この繁華街に乗馬出来るとこねーだろ、どうすんだよそこは」
「それがあるんですよ、馬に乗れる所が!」
河野は自信満々に右手でグッと、康介にいいねサインする。二人が物語を辿る場所は、高校の近くにある繁華街。動物園すら近くにないその場所で、どう乗馬を再現するつもりなのか——しかし、それは以外にも簡単な形で達成される事となる。
「——。確かに、馬だがよ……」
そして
康介の遊具からは犬のおまわりさん、河野の遊具からはオモチャのチャチャの音楽が、大音量で炸裂している。人の歩く速度より遅い動きで、二人はそれぞれハンドルを駆使して、同じ場所をグルグルしていた。
「こうやって雅澄と千代は、国を追われる身になるんですね——。はぁあ……進む道は朝陽で明るくも、背中は槍や刃の影が迫る——二人の後戻りが出来ない、逃避行の情景が見えてくるようです……ッ!」
空想にふける河野であるが、康介は顔を上げられずにいた。至近距離に小さい男の子と母親が順番を待ちながら、遊具に跨る高校生達を見ているからだ。
「はやくのりたいよ、ママ〜‼︎」
「順番! お姉ちゃんとお兄ちゃんが終わるまで、待ちましょうね〜?」
親子の視線が、康介にグサグサ刺さる。それだけではなく複数の買い物客達が、その異様な光景を遠目に眺めている。物語に一切感情移入出来ない康介は、顔を真っ赤にしてハンドルを握り、視線から逃げ回るしかない。
「俺には、進む先に槍や刃があるように見えるよ……」
「あらそうですか? 確かに、雅澄と千代に待ち構える困難を考えれば、その解釈は正解ともいえますね」
話が噛み合ってない。機械から鳴る犬のおまわりさんと、オモチャのチャチャが混ざり合って、もはや何の音楽か分からない。康介は、頭が痛くなっていた。
「他にやり様あっただろ……乗馬教室行くとかさ。実際の馬乗った方が、俺はもっと感情移入出来たな……」
「仕方ないですよ、乗馬出来る所が近くにありませんでしたし……。でも、私はめッッッちゃ千代御前に感情移入出来ましたよ! はぁ……最高です」
「それはよかったです……」
そこでやっと馬と音楽が停止した。メロディペットから降りて、二人は順番待ちしていた子供に遊具を譲る。康介は今すぐこの場を離れる為に、物語の進行を急かした。
「よしさっさと、次行くぞッ! 目的地は⁉︎」
「えっとですね——次は『猫住う地にて、契りを交わし』になります」
「猫すまう……って事は、猫がいるとこか。戦国時代にそんな場所あるかぁ? 都合の良く、舞台を用意してみました感しかねぇ」
「あー……ここらへんは、原作小説著者の
「なるほどな。歴史小説って言っても、物語を盛り上げる為に、色々追加するのは今と変わらないのな」
「あはは、そういう事ですね」
文系二人の話が弾む。物語に対して真剣な視点で解釈する所は、絵本作家を目指す康介も、文芸部に身を置く河野も同じ。なんだかんだ相性は良いようだ。
「そうなってくると、次は猫カフェか?」
「そうです! この商業施設の中に、猫カフェがあるので、行きましょう。予約はもうしてあるので!」
次の物語を辿る為、二人は商業施設内にある猫カフェを目指した。場所は彼女の言った商業施設内、三階にある『猫カフェごろにゃん』という店である——。
「かわいいなぁ……おー、うしうし……」
カフェに入店してすぐに、
「真壁先輩ッ! 楽しんでいる所、悪いんですが、契りを交わさないと!」
「んへ? あ、ああ。そうだったな……。契りを交わす……ね。じゃあ、俺から——」
「予防線を張らせて頂きますけど、真壁先輩まさかあっちの解釈してませんよね?」
「んなわけねぇだろッ! わぁってるよ、結婚の約束だろ、約束ッ!」
康介が顔を真っ赤にして大声を上げると、辺りにいた猫が驚いて、一斉にその場を離れた。契りに関しては性的な意味も含まれているが、絵本作家志望はしっかり弁別している。そんな康介の人間性を理解しているのか、気まずい話をしても、河野は照れてすらいない。
「……で、原作小説では雅澄から千代にプロポーズするんですけど、私的には千代からもアリだと思うんです。真壁先輩はどう思います?」
「いや、やっぱこういうのは男からなんじゃねぇの? 様式美みたいなもんだし……」
「んー? まぁ、確かに千代として言われてみたくなってきたかも。千代攻め雅澄受けは後で、脳内補完しておきますね」
「なんだそりゃあ……ほら、台詞のメモくれよ。俺から言うから」
すっかり雅澄になる事に抵抗が無くなった康介が、ほれほれと手を伸ばす。それを見た河野は猫の喉を撫でながら、首を傾げる。
「え? 無いです。アドリブでいいですよ」
「はぁ? ア、アドリブ……⁉︎ うーん、台詞もちゃんと、時代背景に合わせた方がいいよな……」
再び集まってきた猫達を順番に撫でながら、康介は契りの言葉を考えた。学力的にそこまで古文が得意では無いのだが、作家を目指す者として魅力的なプロポーズを考える。
「姫……拙者と結婚して下さいで、御座る……」
「は?」
「ひッ! うそうそ、今の無しだッ!」
「……プッ……、アハハ……でも、雅澄はそれでいいかもしれませんよ、真壁先輩」
これでいいのかよッと、
「あのですね、雅澄って矢を一本しか持たない弓の名手ってお話はしましたよね?」
「ああ、硬派なスナイパーってイメージだな」
「実はあれ、
「マジかよそれ!」
「はい。実際の郷土資料によると、雅澄は弓が下手ってバレないように、矢を一本しか持ち歩かなかったそうなんです。千代にカッコつける為に、あえてそうしていたって話も残ってます」
「んだよ……一発必中の、カッコいい男を想像してたのによぉ……」
「作者によるキャラクターの美化もありますけど、『矢一本』に対して背景を加えるだけで、ここまで印象が変わるんですから文章って面白いですよね!」
作中内では勇敢な雅澄。しかし実際は、自分の不都合を隠して虚勢を張るだけの男だった。強い主人公に読み手は魅了されるが、そういう人間臭いところもまた魅力なのである。
絵本作家を目指す為に、色々意地を張る康介も、やっと雅澄に感情移入出来る要素を見つけ、自然と笑みが溢れる。
「それ聞いて、むしろ親近感湧いたよ」
「うふふ。きっと実際の雅澄も、こんな風に不器用な言い方したんだと思いますよ。はぁ……楽しいですね、こんな風になりきりながら物語を追うのも。真壁先輩にお願いして、良かったです」
猫を可愛がりながら感謝を視線で示す河野に、康介は少し照れて後頭部を撫でる。妙な事に付き合わされたものの、物語を体験しながら追うデートに康介も面白みを感じ、雅澄と千代のキャラクター像を想像し始めた。
「相手は姫君だもんなぁ……身分が違うし、そりゃあ緊張するよな。まず俺だったら、命狙われながら駆け落ちする事自体、出来ねぇや」
「特に千代は高い身分ですからね、戦国時代は政略結婚が当たり前でしたし、姫君が一般男性と駆け落ちなんてしようものなら、殺そうと地の果てまで追いかけたそうですよ」
「うわぁ……そこまでリスク背負ってるなら、プロポーズくらい、もっと良い言い方してやりたかったな……でもこれで話が進むか、次は?」
「次は『富士見える茶屋にて主菓子を賞翫し』になります」
「茶屋ってんだから、飲食店か。しょ、しょうがん? ってなんだっけ」
「
「ぐぬ……ッお、俺は児童文学専門だから、歴史小説みてぇな難しい言葉使う必要ねーんだよ!」
「ま、どうでもいいですけど。次のお店も押さえてますので行きましょう。ただ……『富士が見える』の、再現が難しくてですね——」
懐いてくる猫達に別れを告げ、二人は逃避行の物語を続ける。しかし次は、景観的要素が入ってくる場面。近代的地理を考えれば、まず富士は見えないのだが、河野には妥協案があるようだ——。
「確かに、山は見えるけどさ……」
次に
「すいませーん。予約の河野です!」
河野が店員を呼び出すと、カフェの店内から紺色のエプロンを着た男が、丁寧に出迎えた。
「いらっしゃいませ、カップル限定テラス席のご利用ですね?」
「いや、俺達そういう奴じゃ——」
「ま・さ・ず・み先輩ッ!」
「あ、そか。……はい、そうです」
「お席は、こちらになります」
カップル扱いを否定しようとしたが、河野の訂正によって物語の中にいる事を思い出した康介はそれを通す。店員が席を案内する後ろで、若き二人はヒソヒソ声で話していた。
(やっぱカップル扱いされるの俺、困るって……)
(席に着くまでの我慢ですよ。それにフリする価値、あると思いますよ?)
(え?)
康介達は、見晴らしの良いテラス席に案内された。着席してしばらくすると、『カップル限定デザート』が提供された。なんと出されたのは、一個千円はくだらない高級マカロンだった。甘党の康介は、飛び付くようにそれを口に運ぶ。
「……んご⁉︎ なんだ、ここのマカロン! めっちゃくちゃ、うめえぞぉッ⁉︎」
「美術部の木之下先輩から、甘党で特にマカロンに目がないと聞きました。それにしても、真壁先輩って可愛いお菓子が好物なんですね。嫌いな男性が多いって聞くので、意外です」
「悪いかよ、俺がマカロン好きでさ……」
「そんなことないですよ? 私も好きですし。あ、先輩——『ガルフド』ってお店ご存知ですか? この近くの複合型大型ショッピングモールの裏にある商店街に最近出来た、マカロンの専門店なんですけど」
「マジ⁉︎ そんな神店舗があったのか……詳しく聞かせてくれよ!」
「えっとですね、今検索しますね……。——あ、ここです。ショッピングモール最寄り駅の西口から出て、バス停を抜けて左側を八分程歩いていくと商店街に出るんです。そこに和食のファミレスがあって、隣のビル三階にお店があります。写真見ますか?」
河野は康介にグルメサイトページを見せようと、彼に近寄った。二人は肩を合わせながら、スマホを見る。
「どれどれ……。おおッ、結構種類あるな! ショーケースから選べるのか、うまそうだ——でも、マカロンって高いんだよなぁ。あのサイズ一個で、コンビニ菓子パンいくつも買えるし……」
「マカロンの原料は、そんなに高くないのですが、時間と手間がかかりますからね。十種類くらいのセットでも、五千円くらいになりますし……。手軽に食べられるお菓子ではないですね〜」
「俺にとってマカロンは、手が届かなそうで届く高級グルメでさ。たまに小遣いはたいて、食べるのが最高なんだ。ちなみに一番好きな味は——」
すっかり二人は意気投合し、マカロンの話で盛り上がる。楽しむ気が一切無かった康介も、恋愛要素抜きで話が合う女子と出かける事の楽しさを、改めて実感する。
「なんか、結構面白いな。聖地巡礼みたいな感じでデートすんの。……フリだけど、なんだか俺も雅澄の気分になってきたし」
「文学舞台を巡る旅行も楽しいですよ、原作をより深く読みたくなります」
「おー、それは確かに言えてるな。あんま本読まない奴も、旅行なら自然と興味が湧くだろうし」
顔を隠す為の、フード付きパーカーとつば付きキャップの役割をすっかり忘れて、康介はカフェの食事と河野との雑談を楽しんでいた。安心しきってデートのフリに夢中になる彼は……気づかなかった。その場面を目撃してしまった、同級生がいた事に。
「うにゅんッ⁉︎ ……あれ、真壁君じゃん!」
その視線は、テラスカフェの反対車線の歩道からだった。それは由衣の友達、五十嵐咲耶である。彼女も自転車に乗って一人で出かけていたようで、偶然テラスにいた康介を見つけてしまったのだ。
ここら辺をよく通る咲耶には、康介と河野がいる席の意味を、当然理解していた。そこはカップル限定で入れるテラス。ただの外出で、そんな所に行くだろうか。高校生の男子と女子が二人で。
「海釣りって話……これで嘘なの確定だし、こりゃあ真壁君やらかしちゃったね〜」
咲耶は早とちりに飲まれず、冷静に考えたがどう見てもそれは『デートの現場』であり、由衣が指摘した通り、男友達と海釣りは嘘である事の決定打となってしまった。
「真壁君、悪く思わないでねぇ。ゆいゆいの積極性を引き出す為、生贄になりたまえーッ!」
修羅場を起こしたい騒動好きの咲耶は、その場面の写真をスマホに収めた。そしてメッセージアプリを通じて、それを送信した。
送り先は、地元で律儀に神社清掃をしている——樋口由衣である。
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