一矢の雅澄と千代御前【其の三】

「うわ。ゆいゆい、お早い到着だね!」

「康介はどこ?」

「あちらでございます!」


 ここは、繁華街の近くにある国立公園。時刻は正午過ぎ、ベンチでスマホをいじっていた咲耶の前に、メッセージアプリの写真を見た由衣が、神社清掃を切り上げて飛んできた。


 咲耶が指差す方向の丘には、赤や白や黄色の百日草が色とりどりに咲き誇り、所々コキアが植えられている。二人がいるベンチから見て、だいぶ離れた花畑前の芝生には、康介と河野が並んで座り込んでいた。楽しそうに話したり、スマホを見せあったりしていて、雰囲気はとてもいい。


「ひどい……浮気だよ、こんなの」


 何故か咲耶が肩を震わせながら、ベンチ越しに裏切られた様な顔で二人を見ている。よく分からない反応に、由衣は冷静にツッコミを入れた。


「浮気も何も……そもそも康介は誰とも、付き合ってないはずだし」


「じゃあ何で、海釣りに行くって嘘ついたのーッ⁉︎」


「康介的に、この事が他の誰かに知られたらマズイからじゃない?」


「ほらぁ! やっぱ浮気だよぉ!」


「だから、誰にとっての浮気なの」


 由衣が咲耶を落ち着かせる裏で、すっかり仲良くなった康介まさずみ河野ちよは、雅澄と千代の物語について話していた。


「茶屋で過ごした後は『花圃で手を繋ぎ』……二人は逃亡の最中でもこうして、歩みを止めて語り合ったんでしょうか?」


  河野がスマホで、百日草の花畑を撮りながら、空想にふけっていると、隣にいた康介はごろんと芝に寝転がる。


「こうして寝転がって、目を閉じるとさ。俺にも見えてきそうだよ、雅澄と千代の姿が……。芝の上で寝るのは、最高だな——」


 気持ち良さそうに目を閉じる康介を見て、隣にいた河野もスカートを気にしながらゆっくり寝転がった。


「いいですよね——。芝生に身体を預けると、心から自然と色々な事が、湧いてきます……」


 康介と河野がより深く物語に没入する為、芝生から自然と一体化してる様子を、女子二人がベンチに隠れながら、遠くから見ていた。


「並んでお昼寝始めたよ! あのまま、あお……ッふぐぇ⁉︎ なんで咲耶ちゃんをぶつのさ、ゆいゆいーッ!」


「ある程度人目があるんだから、そんな事する訳ないでしょ馬鹿。でも……あの子誰なんだろうね」


「うーん……まず、同級生ではないよね。他校の生徒かもしれないし……。よしッ! ゆいゆい、今突撃して真壁君から、直接聞いてこーいッ!」


「なんで私が命令されなきゃいけないの」


 二人がベンチ裏で静かに騒ぐ一方、芝生に寝転がった康介と河野は目を閉じて、物語の世界観に浸りながら会話を続ける。


「今なら、雅澄の気持ちってやつに上手く乗り移れそうだ——。でさ、やっぱこれ手を繋がないとダメか……?」


「物語上では、今の段階で手を繋いでますからね……ああ……芝生、きもちいいですね——」


「フリとはいえ、流石にいきなり握るのは、ちょっと抵抗あるな——。なんか、いい手ないか? 手だけにさ……」


「じゃあ……手のひらを合わせるだけなら、どうでしょう? ほら。指と指合わせて、以心伝心みたいなやつです。握ろうとしなければいいんですよ……」


「なるほど、そりゃあ名案だ。じゃあ俺が右手広げるから、河野さんの左手のひら——乗せてくれ……」


「了解しました〜……」


 心地よい自然のカーペットに抱かれてウトウトする中、康介はスッと右手を伸ばして放置する。そこに河野が手探りで左手を乗せ、真壁まさずみ河野ちよの手は、上手く重なり合った。


「あッ……ああああッ! ゆいゆい、遂に手を繋いだよぉおーッ! もう止めないとヤバいってぇ!」


「ああもう、うるっさい!」


 その瞬間を目撃した咲耶は大慌てするが、由衣が静かに押し退けてそれを宥める。いくら騒いでも芝生にいる二人には気づかれないが、距離があるせいで手を繋いでいるように見えるのは確かである。


「……」


 由衣はその様子を、無言で見ている事しか出来ない。腐れ縁で何度だって手が触れ合っただろう、握手だってしただろう。しかし今、身近だった康介の手の中には——別の女子の手が触れている。


 それを遠目に見つめる由衣の表情は、あれほど騒いでいた咲耶を落ち着かせる。距離のせいなのか、ベンチに隠れてしまっているせいなのか、あの重ね合う手を解く事が二人には出来ない。


「ゆいゆい、見てるだけで……いいの?」

「……」

「よしよし」

「何で私、撫でられてるの?」


 とにかく咲耶は、優しく由衣の頭を撫でてあげた。青春っぽい甘酸っぱさがベンチを包む一方、芝生ゴロゴロ組は——。


「せんぱぁい……手を繋ぐのは、最後にもありますからねー……。ここである程度、慣れてくださいよー? 所詮は、フリなんですからあ〜」


「へーい。頑張って慣れまーす。次……なんだっけ……」


「ええと……『お社で幸せを願った』なんで、神社いきますか……物語もクライマックスですよ……」


「なるほどなー……動くか……」


「動きましょう……」


 今にも寝落ちそうな二人は起き上がり、背中についた芝生をはたいて背伸びした。次に目指すは神を奉ってある神社、物語も終わりに近づいている。公園から移動する康介と河野に、咲耶と由衣は気がつく。


「あぁあ……ゆいゆーい、早く乱入しないと取り返しがつかない事になっちゃうよー……」


「……私には関係ないよ。そもそも咲耶は、勝手に色々妄想し過ぎだし、私と康介を近付けて何がしたいの」


「えー? だって誰かと誰かの青春模様を見るのが、咲耶ちゃんの生きがいなんだもーん!」


「何それ。他人の恋愛事情に口挟むより、自分の事をまず考えたら? 咲耶だって、恋の一つくらい——」


「咲耶ちゃんはね、好かれちゃいけない子ってやつなの。だからゆいゆいには——その分、恋して幸せになって欲しいんだ」


 その言葉に、由衣は違和感を抱いた。いつもぎゃあぎゃあ騒ぐ咲耶が、とても落ち着いている。それは良い傾向である筈なのに、どこか自嘲気味じちょうぎみで、不幸を待ち望んでいるようで。


「……咲耶? それ、どういう意味——」


「で、尾行するの? ゆいゆいにはキッツイ展開、この後あるかもしれないよー?」


「……。追いかけたい」


 遠のいていく康介と河野を視界に入れた由衣は、目を逸らしたくない思いで見つめた。何も分からないまま咲耶と由衣は、そのまま静かに二人の後を追いかける——。





 ——次に康介まさずみ河野ちよは、近くの神社に向かった。境内は国立公園程ではないが割と広い。二人は石造りの大きい鳥居の前で、一度足を止めた。


「あの歴史小説の時代背景が、だいぶ昔の日本ですからね。参拝も作法通りにいきますよ、私の言う通りにすれば大丈夫です」


「俺、あんま作法とか気にしねぇからなあ。普通に、ズカズカと賽銭箱の前に向かうし……」


「うふふ、そういう所も真壁先輩らしいですね」


 二人は物語通り『幸せを願う』為、作法通り参拝を始めた。鳥居で一礼し、社殿へ向かう。社中を避けて通り、手水舎で手と口を清め、一礼。そして拝殿まで歩き、河野は小声で言った。


(これはフリですからね、神様へのお願い事は、自分の事をされて大丈夫ですよ)


(おう、分かった)


 そして、二礼二拍手一礼。康介と河野はそれぞれ、本心のお願いをした。参拝を終えて二人は、拝殿の隅で足を止める。


「さて、ここでやる事はもうありませんね。せっかく来ましたし、おみくじでも引きますか?」


「だな。おみくじは去年の初詣以来か……」


 そのまま二人はおみくじを買いに向かう。その様子を由衣と咲耶は、鳥居の後ろに隠れながら見ていた。


「あれ、作法通りの参拝だよ。適当な康介が真面目にやるなんて……」


「それほど大事なお願い事って事じゃん……もう、これ付き合ってるんじゃあ……」


「咲耶、私達も参拝しに行こ」


「え? あー……はい、付き合います」


 急にお参りを希望する由衣に困惑しながら、女子二人も尾行がバレないように拝殿に向かった。その裏では、社務所で康介と河野がおみくじを引いている。


「あ、私大吉です! 真壁先輩はどうでした?」


「小吉……可なく不可も無く……」


「どんな内容なんですか?」


 このなんとも言えない幸薄さが、自身に噛み合ってる事に苦笑いしながら、康介はおみくじを広げて、結果を読み上げた。


「えーっと、『願望』——身をつつしめば、必ず叶う。『方角』——北東ならば吉。『探物』——物陰にあり。『学業』——自信をもってなせ。『金運』——苦労あるが開ける。『争事』——障りあるべし。『病気』——意外に早く治る。『恋愛』——良きことあり待ちなさい……」


「うーん……聞く限り、頑張ったり待てば大丈夫感がありますね。その中だと『争事』が不穏ですね——これから障害が、あるってお告げですよ」


「げぇ……マジかよ」


「おみくじですから、今後の生活指針として受け止めるといいと思いますよ。結んでも、持って帰ってもいいですし」


「そうだな。とりあえず持って帰るか……」


 康介はジーンズの後ろポケットに突っ込んでいる財布の中に引いたおみくじを入れた。河野は近くの御神籤掛おみくじかけに、引いたおみくじを結ぶと、先程通り抜けた鳥居の方へ振り返る。


「ここで——永遠の幸せを雅澄と千代は願ったんでしょうね。そして物語も次で、終わりです」


「遂にクライマックスか。もうすぐ夕方だし、行くか」


「はい! 次は泉が出てくるので……駅前にある公園に行きましょう。あそこは、池がありますから」


 物語を見届けに二人は肩を並べながら、鳥居に向かっていく。その後ろには、参拝を終えた由衣と咲耶が、木の裏に隠れながら、康介と河野の尾行を続けていた。


「意外とバレないもんだね。ちょっとスリルあって、楽しいかも」


「ここまで見せつけられてるのに、ゆいゆいってば嫉妬したり、修羅場起こしたりしないし、どういう神経してんのー……」


 咲耶はしゃがみ込み、ため息をつく。なかなか恋の争いに発展しない事が、もどかしいのだろう。そんな様子を見た由衣は、呆れた目で見下げる。


「私は康介がモテても別に構わないし」


「じゃあ何で尾行してんのさーッ!」


「こうでもしないと、咲耶が大人しくならないでしょ」


「もおぉ! そろそろキスくらいしそうな勢いなのに、なんでそんな落ち着いてられるのーッ! 前にゆいゆい、真壁君に彼女いたら『やだ。すっごいムカつく』って言ってたじゃあん!」


「確かに言ったよ。でも……今こうして見てるとさ、思ってたより——ムカついてないの……訳がわからなくて」


 由衣はどんどん離れていく二人を、目で追う。想像の中では、康介に彼女がいたとしたら不満はあった。しかし今、現実を目の当たりにして介入出来ない疎外感、遠慮、自己肯定。自分の立ち位置が分からなくなっていく感覚が、彼女を無気力にさせている。


「はぁ……やっぱり幼馴染って、負けヒロインになっちゃうもんなのかもねー、ゆいゆい」


「だから私は康介に負けるつもりはないし、誰と付き合おうが悔しくも……ないし」


「……。はぁ……ったくもー、厚手のハンカチくらいは、貸してあげるよぉ。ほら、行こ?」


 次第に元気を無くしていく由衣の背中を咲耶が押しながら、尾行組は鳥居を出て行く二人を追った。遂に『一矢いっし雅澄まさずみ千代御前ちよごぜん物語』は、終わりを迎えるのだ——。

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