一矢の雅澄と千代御前【其の一】


————遠い昔のおとぎ話


主人公は弓の名手と一国のお姫様

少年は勇敢な雅澄、姫は美しく可憐な千代


小さな二人は

竹籔で運命的な出会いをした



時が経ち

自由を奪われた姫君を救う為

城という鳥籠から

雅澄は千代を攫う



二人は馬にまたがり

朝日に向かって駆けて征く

背後より追手が迫る


追手を振り払いながら

二人は穏やかなひと時を過ごした


猫住う地にて

契りを交わした後


富士が見える茶屋にて

主菓子を賞翫し


花圃で手を繋ぎ


お社で幸せを願った


そこで二人を追い詰めたのは

千代の父親だった


最期を悟った雅澄は

紅き泉に千代を連れた



そして、二人は————



「——なんだこれ?」


「何って『一矢いっし雅澄まさずみ千代御前ちよごぜん』という、戦国時代の郷土資料を元にした歴史小説ですよお!」


 昼休み。高校中庭のベンチに腰掛け、コンビニおにぎりを片手にシンプルな文章が書かれた一枚のルーズリーフを見つめる真壁康介の目の前にいる女子生徒は、両手を左頬添えながら目を輝かせてそう言った。


「ふーん……歴史小説にしては、かなりシンプルに書き直されてるみてぇだが?」


「もちろんです! 児童文芸しか頭に無い真壁先輩でも分かる様に、私の方で要約したんですからぁ!」


「……。俺だって、古文くらいは分かるぞ」


 ジト目で少々悔しがる康介をバカにする女子生徒は文芸部の一年生、河野莉香かわのりかである。どの部にも所属しない康介にも、この様に顔馴染みの後輩がいるのだ。


「はぁ〜……いいですよねぇ。お姫様と名も無き弓使いの逃避行! 何より、雅澄の魅力は持たない所にあります!」


「つまり一発勝負に命を賭けるスナイパーって訳か。手数が多い弓で、そのスタイルを貫くのは確かにかっけーな」


「はぁい! で、今先輩を呼び出したのは、この逃避行の聖地巡礼に付き合って欲しいからです!」


 康介はルーズリーフから河野に視点を移す。ハーフアップのセミロングの彼女は、夢見がちな文系女子であった。


「聖地巡礼?」


「そうです! そもそも『歴史小説』は、史実を元に物語が構成されているので、舞台が実際に存在している事が多いんです。なんと、この作品は、学校の周辺が元ネタなんですよーッ!」


「へー。そういや、首塚とか公碑とか俺も通学途中に見た事あるな。つまり、ゆかりの史跡巡りって事か——面白そうじゃん」


 康介は腕を組み、歴史小説の聖地巡礼に興味を示し始めた。文学的知識教養を期待している彼を見て、河野はキャハハと笑いながら右手を横に振った。


「史跡? 私そういうの、全ッッ然興味無いです〜」


「何ぃ! 史実巡りをするんじゃねぇのか⁉︎」


「私が辿りたいのは、歴史じゃなくてですよぉ」


「えぇ……河野さんは何がしたいんだよ?」


「私は『千代御前』になりたいんです! だから真壁先輩、私と一緒にデートじみた聖地巡礼しに行きましょう!」


 困惑する康介にグィッと河野が詰め寄った。そして彼は、彼女の目的をやっと理解する。つまり河野はなりきりたいのだ、物語のヒロインに。


「……つまり、俺に雅澄になれって言ってんのか?」


「そーゆう事ですね!」


「……俺からしたら、高校生にもなってお姫様になりたいって考えが、そもそも理解できないんだけど」


「えー? 夢見がちな女の子は、いくつになっても綺麗な衣装着て、イケメンからチヤホヤされるお姫様になりたいんですよぉ! だ・か・ら、悪役令嬢ものというのは、幅広い年代の女性から支持されているんです!」


 現代の女性向け書籍のジャンルが、河野の言い分の説得力を高める。彼女が好きな事に対して、口答えしても仕方ないと察した康介は、その欲望を満たす事に、巻き込まれなくてはいけない理由を尋ねた。


「あのさ、俺をデートに誘おうとしてるって事は、理解してる?」


「ええ。だって真壁先輩なら彼女なんていないでしょうし、現在好きな人もいないでしょうし、部活もやってませんし、文芸に理解があるので丁度いいんです」


「うぐ……ッ俺が恋愛に無関心な根拠だって、ねぇだろ!」


「だって児童文学に対して、人一倍情熱を持つ真壁先輩ですよぉ? 自分の夢にまっしぐらな男の人が恋にうつつを抜かす暇なんてないでしょう」


「割と同意しちまう理屈なのが、また……」


「てなわけで、明日お願いしますね」


 河野がトントン拍子でスマホに予定を打ち込んでいると、流石に振り回されている康介は黙ってられず反論した。


「おいおい! 出かける内容の時点で滅茶苦茶なのに、いくらなんでも急すぎるだろ!」


「ビーンジャム文庫新人賞の締め切りが、迫ってるんですよ。あと二万文字で規定枚数いくんですけど、筆が進まないんです。だから、妄想力高める為に協力して下さい」


「いやいやいやッ! そもそも俺は明日、町内会の掃除に行くって約束があってだな——!」


「そういえば最近〜、文芸部内で真壁先輩がロリコン、またはショタコンという疑惑が浮上してきてるんですよねぇ」


「ファッ⁉︎」


 ここに来て河野は予定をゴリ押すための、強力な武器を取り出した。集団生活において、学生内のよくない噂は、無碍に出来ない事柄である、康介も焦り出した。


「何でそんな事になってんだよ!」


「児童文学に興味がある姿勢を普段から見せられれば、そう思われても仕方ないと思いますよぅ?」


「く……ッ事実無根って俺が言えば、済む話だろ!」


「んー? 果たして本人の主張を、疑心しかない部員達が信じますかね?」


「う……ぐく……」


「ですが、一人でも女子の味方がいれば……この誤解を解く事が出来ると思いませんか? 聖地巡礼に協力してくれるなら、部員達を説得しますよ」


「いや、だから……俺には明日予定が!」


「明日断るのなら、私にとってはどうでもいい事なんで放置します。あーあー……残りの学生生活は白い目で見られ続けて、卒業後——有名作家になったら、ペドフィリアとネットのおもちゃにされるでしょうねぇ〜」


「そ、そんなのあんまりだぁ……」


「勇ましき雅澄、蔑まれる小児性愛者……真壁先輩はどっちになりたいんですかぁッ!」


 ビシィッと指をさされ、追い詰められた康介は肩を脱力させた。この誤解をなんとかしなければ、今後の学生生活どころか将来も崩壊しかねない。お姫様になって貰う為に、なりきるしかないのだ。


「雅澄に……なりてぇっす……」


「やったー! じゃあ明日お願いしますね。集合場所と時間は、後々メッセージで送りますから!」


「はい……」


 もう好きにしてくれと、康介は頷く事しか出来ない。河野は感謝を示す笑顔を振りまきながら、その場から去っていた。


 ため息をついて、康介も教室に戻ろうと歩き始めるが、もう一つの問題が浮上する。それは、元々の予定を上手く断らなければならない事だ。


「由衣に……なんて、言い訳すっかな」


 重い足を引きずりながら、康介は考える。明日行く予定の町内会の神社清掃には、恩が返しきれないくらいある保育士の加藤悦子も参加する。


 しかし、草むしりやゴミ袋運びと面倒な事を押し付けられるのが、安易に想像出来るのも事実。天秤にかけると、内容はどうあれ河野とのお出かけの方がマシなのだ。


「うーん……普通に出かける事になったって、言えばいいか」


 あれこれ誤魔化しても仕方ないと、康介は素直に出かける理由を、由衣に話す事に決めた。実際掃除の方が彼にとっては面倒であり、回避できるなら万々歳だろう。


 前向きに考えているうちに教室の入り口まで到着した。室内を覗くと、由衣が友達の五十嵐咲耶と机を向かい合わせてお弁当を食べている。そのまま康介は、二人がいる席まで接近した。


「でさー咲耶ちゃん、明日は——」

「おい、ちょっといいか由衣」

「ん? どうしたの康介」

「話があるんだけど……」


 青春を予感させる会話を、咲耶は聞き逃さない。ガタッと席を立ち、シチュエーションを作り出そうとニヤニヤしながら由衣に気を利かせた。


「おぉと、咲耶ちゃんはお邪魔っぽいので離席……」


「全然邪魔じゃないよ、大人しく座ってて」


「……。はいはい。はー、面白くない」


 ぷくーと頬を膨らませて、不服そうに咲耶は着席した。康介は早速、明日の予定変更について話を切り出した。


「あのさ。俺、明日出かける事になってさ。神社の掃除——行けなくなった」


「随分急だね、誰と何しに行くの?」


 面倒事に付き合わされている事を、形式上デートであるが、お互い好意的なものは一切ない事を、康介は話そうとする。何も包み隠さずに。


「柔道部の奴等と……釣りに、行くんだ」


「釣り? 奴等って事は、何人か集まってるの?」


「……ま、まあ。男だけで海釣りってやつ」


 康介は自身が言ってる事に焦りながら、言葉を絞り出す。後輩の女子と聖地巡礼に行くと言うハズが、咄嗟に濁してしまったのだ。由衣はそんな彼の妙な表情に首を傾げながらも、机から出したスマホに視点を移した。


「ふぅん。いいじゃない、行ってくれば?」


「え……いいのか?」


「はぁ? いいよ、町内会の神社清掃くらいなら一人来なくても大した問題じゃないし」


「そうか? じゃあ悪りぃけど、よろしく」


 結果オーライと康介は、由衣に背中を向けた。しかし、彼は咄嗟に嘘をついてしまった事と、妙な後ろめたさに困惑した。緊張感に尿意が刺激され、彼は静かにトイレに向かっていく。それを見送った咲耶は、クリームパンをもぐもぐしながら、由衣に話しかけた。


「いいのー? 真壁君と神社掃除に行くのが先約だったのに、あんな風に許しちゃって」


「いいよ。そもそも釣りに行くって事、多分嘘だし」


「えっ、そうなのぉ⁉︎」


 なんと由衣は、康介の嘘を見抜いていた。流石、付き合いの長い幼馴染と言った所か。それを聞いた咲耶は由衣に突っかかる。


「ヤバくない⁉︎ 男子が女子に嘘つく時って、だいたいやましい事があるって話だよ!」


「別にいいよ、嘘の一つや二つ。康介の事だから、掃除サボりたいだけでしょ」


「嘘オッケーってマジなの、ゆいゆい……」


「ただ……ひとつだけ——」


 フッと暗転したスマホが反射するのは、由衣が鮮明に覚えている、あの日の幼き康介の姿だった。その誓いの言葉が、彼女の脳内に再生される。



 ——俺は日本のエリック・カールになるんだ! 先生よりも、子供に好かれる男になってやる——



「嘘にして欲しくない事は、あるかな……」

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