第36話 デカい来訪者(父)

 次の日のお昼過ぎ。


「で、できたぁぁぁ……っ」


 作り直すこと、三回。遂に完成した。昨日の肉じゃがのリベンジ。


 大丈夫だよねっ。今度はちゃんと、塩……じゃなくて砂糖を使ったし!


「……もう一度、味見しておこっと」


 それから玄関の扉を開けると、


「え?」

「おや、そんな気合いの入った顔でどこに出かけるんだい?」

「おっ……おばあちゃん!?」


 甘乃あまの紀美子きみこ


 私の祖母で、『アパート間々水』の大家さん。


 鋭い眼光と、ときどき出てくる毒舌が特徴で、一部の人たちから『鬼』と言われていたらしい。


 だけど、みんなおばあちゃんを慕っている。厳しさの裏に愛情があるからだろう。


 そんなおばあちゃんに、私は憧れていたりする。毒舌は苦手だけど……。


「それから、えっと……どちら様ですか……?」


 祖母の後ろに、一人の長身の男性が立っていた。というか、高っ!?


 パッと見て、百八十後半はあるだろう。


 昔、モデルをやっていたのかと思ってしまうほど、脚が長かった。


「初めまして」


 大人な佇まいに、つい呆気に取られてしまう。


「あっ。こっ、こんにちは……」


 自分自身のぎこちなさが半端ない。


「えっと……おばあちゃん、どういうこと?」

「こやつは、上の部屋に住んでいる息子に会いに――」

「へっ?」


 上の部屋に住んでいる息子? 上……上ということは……つまり……


 香織は天井を見上げた顔を前に戻すと、


「も、も、もしかして……」

「鈴川真の父だよ」

「そうなんだー、へぇー………………えぇぇぇぇぇぇぇーっ!!?」




「ど、どうぞ……」


 部屋に移動すると、お茶を入れたコップをローテーブルの上に並べた。


「ありがとうございます。いただきます」


 鈴川すずかわ真二しんじ


 真ちゃんと琴美ちゃんのお父様で、世界から注目を集める一流カメラマン。


「そんなにかしこまらなくてもよかろうに。目の前に女が居るから緊張しているのか?」


 ビクッ。


「そ、そんなことはない。というか、自分の孫を『女』呼びはどうなんだ? ばあさ――」

「耳が遠いから、もう一度言っておくれ。……あぁん?」


 おばあちゃんは、真ちゃんのお父様をギロリと睨んだ。


「おっ、おばあちゃん!! 相手はお客様なんだから……」

「なにがお客様だい。こやつは昔、ここに住んでおった」

「ふーん……え、そうなの!?」


 鈴川家との意外な接点を発見!


「こやつがまだ売れないカメラマンだった頃、住む場所に困ってたときに助けてやったのが、このあたしさ」

「へぇー、そんなことがあったんだ」

「最初は通常通りの家賃にしようとしていたんだが……こやつの写真を見て、特別に安くすることにしたんだよ」

「え、どうして?」

「……写真の中の世界に引き込まれたんだ。このあたしが」


 写真に全く興味がないおばあちゃんが……。


 どんな写真なんだろう?


「……って、どうして今まで言ってくれなかったの!?」

「聞いてこないのだから、わざわざ言う必要はないだろ?」


 と言って、おばあちゃんはいい飲みっぷりでお茶を飲み干した。


「それもそうだけど……」

「あの……」

「!? は、はい、なんでしょうか?」


 すると、


「す……すみませんでしたっ!」


 突然、お父様がこちらに頭を下げた。


「ど、どうして急に頭を下げるんですか!?」

「うちの娘がご迷惑を……」

「!! い、いえいえっ!! 琴美ちゃんはとてもいい子でしたよ……っ!」

「そ、そうですか?」

「はいっ! 私の方がお世話になっていると言いますか……」


 おもに、ハンバーグ作りのとき。


「なら、いいんですけど……あ」


 ホッと胸を撫で下ろすと、お父様は横に置いていた紙袋から出した箱を、ローテーブルの上に置いた。


「地元で有名なお店の和菓子セットです。息子がいつもお世話になっておりますので……」

「そんなそんなっ!!  ……いただきます」


 えへっ……美味しそう……っ。


「よだれが出とるぞ」

「え、ウソ……っ!?」

「ウソだよ」

「…………むぅ」


 すると、お父様がポツリと呟いた。


「……琴美から事情は聴きました。真のこと、助けて下さったとのことで……」

「わ、私は、ただ真ちゃんに元気を出してもらおうと……それだけの気持ちで……。琴美ちゃんが来てくれたから、真ちゃんは元気を取り戻したんです。私一人の力だけじゃ……」

「『思い出のハンバーグ』ですよね」

「……はい」

「あのハンバーグは元々、玉ねぎが苦手だった真のために、妻が考案したものなんですよ」

「妻……お母様が、ですか?」


 お父様はなにも仰らないまま、一度だけ頷いた。


「はぁ……。二人はここに居ったときから――」

「えっ、もしかして、真ちゃんのお母様もここに住んでたの!?」

「そうだよ。わしがまだ、この部屋に住んでおったときのことだ」

「あの二人は、最初は隣の部屋に住んでおったんだが、夜になると途端にうるさくなっての。だから、すぐに端っこの部屋に移動させてやったわい」

「どうして?」

「恋人と一つ屋根の下に居れば、いずれわかることよ」

「?」

「ばあさん、余計なこと言うなよ……昔のことなんだからさ」

「本当のことを言っただけだよ」

「…………っ」


 お父様はコップの中のお茶を一気に流し込んだ。


 その様子を、ニヤッとした顔で見ているおばあちゃん。


 これだけで、二人の関係がよくわかる。


 おばあちゃん……完全に主導権を握ってる……。


「……あ。あの、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「私にですか? いいですけど」

「真ちゃんが……『ママ』になるきっかけについて聞きたいのですが」

「!」


 目を見開いているが、ある程度予想していたのか、ゆっくりとした口調で話を始めた。


「妻が……家を出て行ったことは、もう知っておられるんですよね?」

「琴美ちゃんから……」

「そうですか……。真には、本当にたくさんの迷惑をかけたと思います。遊び盛りの年なのに、仕事で手が回らない私の代わりに家のことを引き受けてくれたんですから……」

「ま……真ちゃんがワンピースを着たときって……」

「……最初はびっくりしましたよ。いきなり、妻のワンピースを着てきたと思ったら、『今日から、僕がママになるっ!』って言い出すんですから……」

「…………」

「でも、あの真剣な目を見たら、なにも言えなくて……。子供の方が、親の自分よりずっと大人だったんだなって……」


 その目からは、今にも涙がこぼれそうになっていた。


 父親としての覚悟と罪悪感が、そうさせているのだろう。


「まさかお前さん、まだ『あのこと』を話しておらんのか?」

「……ああぁ」


 ………………………………………………。


「? 何の話?」

「いや、こっちの話だ」


 ブゥウウウーッ。


「あ、仕事の電話みたいなのでちょっと出てきます」


 ……。


 …………。


 ………………。


「すみません。急に仕事が入っちゃったので、私はそろそろ……」

「え、真ちゃんに会われないんですか?」

「管理人さんのような方が居てくれれば、私が行く必要はないかな……っと」

「でも……」

「じゃ、あたしも帰るとするかね」

「え、もう帰るの?」

「あたしがここに居ったら、爺さんが悲しむだろ?」

「あ……そうだね」


 重そうな荷物を背負ったお父様とおばあちゃんは、一緒に帰っていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る