第2話
ギルドからクビと宣告された翌日。町に響き渡る時刻を伝える鐘が八回ほどなった頃に、僕は退職するためにギルドへと向かった。ギルドに着くやいなや、いつもなら一番に出社している僕がいないのが不思議だったからなのか、はたまたサボりだと思われたからなのかは不明だが、一人の職員が僕に近づき。
「ナリオ、お前出社が遅いってどういう……!」
少し怒った様子であったが、それを遮るように。
「ナリオさん。お早うございます」
エリー副長が挨拶をして、そして。
「そちらで待っていてください」
そう言って僕を応接室へ向かわせた。僕は応接室の椅子に座り待機し、程なくして。
「ナリオさん、こちらに」
エリー副長は応接室の外から僕を呼ぶ。僕は「はい」と短く返事をして、部屋を出た。部屋を出た後、職員全員が起立している最前列へとエリー副長の後ろについて歩いていった。
「知っている方もいらっしゃるとは思いますが、本日で、ナリオ臨時職員は退職なされます」
そう、説明をはじめた。エリー副長は僕が退職する理由やそれによるギルドの体制には何ら変更はないことなど、話を淡々と進めた。ふと職員へと目線を向けると、隠れてあくびをする者、興味がなく上の空な者、なぜか僕を睨み付ける者など色々な人がいたが、皆共通して言えるのは、悲しんでいる様子はなかったことだ。
まあ、臨時職員が一人いなくなること何て、ざらにあるからなぁ。
エリー副長から、退職する僕に一言と振られたので。
「皆さん、短い間でしたが本当にお世話になりました」
そう言って、深々とお辞儀をし、小さい拍手が鳴った後ゆっくりと顔を上げた。
最後にエリー副長が締めの言葉を言って、僕の退職は無事に終った。その後、僕は自分の机の整理に行こうとしたが。
「私も付き添います」
断りを入れたのだが、帰ってきた言葉は。
「私も付き添います」
先程と同じ言葉。そして何故かエリー副長が着いてくることに。
机に着くと、何故か置かれている書類。しかも昨日のように塔が立っていたが。
「……これは担当の者に返しておきますから」
「あはは……。お願いします」
僕は机にある私物のペンや定規などを持ってきたショルダーバックに入れる。
「他に持っていくものはないの?」
「事務所の私物はこれだけです。後はギルド宿舎にある服と少しの私物だけですから」
「そうですか。それなら今から行きましょう」
「はい、取ってきますね」
「私も行きます」
「え、いや、大丈夫ですよ。私服もあまり持っていないし、私物の片付けなんてすぐに終わりますから」
「それでも行きます」
「いやでも……」
「い・き・ま・す」
「…………はい」
エリー副長の圧に負けた僕は、小さく返事を返した。
僕達はギルドを後、関係者専用出入り口から職員宿舎へと向かった。ギルド職員、専門職員が住む五階建ての宿舎。四階の一番西にある僕の部屋へと向かう最中に。
「はあ……」
眉間にしわを寄せたエリー副長は小さくため息を吐いた。
「ごめんなさい、エリー副長。僕の退職に付き合わせちゃって……」
「ああ、違うの。ナリオのことで困っているとかじゃないの。ただ、ちょっとね……」
「ちょっと?」
「今後のギルドのことを考えると頭痛が止まらなくてね……」
「ああ、なるほど」
確か僕が抜けても体制は変わらないって言ってたっけ。一人減になるから、その分の仕事を割り振らないといけないし、振り分けるのはたぶん、エリー副長だ。頭が痛くなるのもうなずける。
「さっきの書類の山で確信を得たけど、ナリオがいなくなることを考えると、いや、考えたくないのが本音だけど。たぶん仕事が回らなくなるわ」
「まあ、職員が一人減りますからね」
「職員というかナリオがいなくなるからよ」
「でも、来年の予算で新しい職員を取れれば、また楽になりますよ」
「来年どころか今年を乗り切れそうにないのだけれど」
「あはは。エリー副長、流石にそれは大げさすぎですよ」
「いや、結構本気で考えてるのよ……。はあ……」
小さく笑う僕に、エリー副長は再度、眉間にしわを寄せてため息を吐いた。
「ナリオ。ちなみに聞いておきたいのだけれど」
「なんですか?」
「朝、机に積まれていた書類。あれはいつから積み上がっていたモノなの?」
「今日の朝だと思いますよ。昨日の分は昨日のうちに終わらしましたから」
「昨日の分……?昨日の分!まって!あの書類の山、昨日もできてたの!」
「そうですよ」
「えっと、聞くのが怖いんだけど。一昨日は、どうだったの……?」
「一昨日もありましたし、その前の日もありましたよ。まあでも、他の人に比べれば僕がやっていたのは簡単な仕事ですからその日のうちに終わりますけどね。他の職員さんは重要な仕事があるって言ってたし、周りの人の簡単な仕事をかき集めたらどうしても書類の塔はできますよ。ん、どうしたんですか、エリー副長。お腹を押さえて」
「お腹というか、胃が痛くなってきた……」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、ナリオ。大丈夫じゃないけど、大丈夫だから」
「それは大丈夫じゃないんじゃ……」
「大丈夫と言うことにしておいて。これ以上あなたに負担はかけられないわ。いや、私に負担が掛かるのも嫌なんだけど」
「…………?」
四階まで階段を上り、一番西にある僕の部屋。そこに着いた僕は中へと入る。エリー副長は。
「部屋の外で待ってるわ」
そう言って、扉を閉めた。僕は部屋の全体を見渡す。木製のベットに小さいテーブルが一つとその上に置かれた木箱と白い本。椅子には昨日来ていた上着が掛かっており、洗った洗濯物が無造作に置かれている小さな部屋。
「さて、やるか」
僕はそう言うと、肩に掛けてあったショルダーバックを降ろした。
まずは、服を何とかしないと。
椅子の上にある無造作な洗濯物に手を伸ばす。シャツ、パンツ、下着を各二枚ずつ次々に畳んでいき、上着は小さく丸め込む。畳み終わった物をバックへと入れた。テーブルの上にある木箱を開けて、中身を確認する。中にある小さなすり鉢と棒、三枚の小皿、三つのビーカーと一本の長いガラス棒を確認し、敷き詰められた綿に隙間ができていないかチェック。隙間に詰めたアルコールランプや台、折り畳みのナイフなども忘れず確認し、丁寧にふたを閉めバックへと静かに入れる。
「最後に忘れないように」
僕はそう言って、テーブルの上に置いてある白い本を一冊、手に取って、表紙を確認する。
本の表紙には『調合士大全』という大きな文字。
僕はその本を丁寧にバックへと入れた。
「こんなものかな?」
辺りを見渡して、僕はそう言った。ベットやテーブルはギルドの支給品だし、他に物を買って置いた記憶もないし、これだけ入れてもバックにはまだ余裕がある。これはバックを褒めるべきなのか、はたまた僕の持ち物が少ないのか。
「まあ、後者だね」
明らかに、一人暮らしの男性の持ち物とは思えないほどの少なさだ。自分で用意しておいてなんだが、あまりの少なさに若干引いている。
さて、この部屋ともお別れか。
少し狭い部屋だとは思っていたが、いざ離れるとなると、結構良い場所で会ったんだなと思う。というか、これからどんな部屋に住むのか不安でしょうがない。いや、まず部屋に住めるのだろうか?できることなら屋根のある場所で生活したいが。
「まあでも、無職だしなぁ……」
人として生活できるのかというとこまで想像してしまう。
とりあえず頑張るしかないのは分かっているが、それでも僕の心の中は暗い未来のことで不安でいっぱいだった。
「お待たせしました」
扉を開けそう言った僕に、エリー副長は少し驚いた様子で。
「ずいぶんと早いのね」
部屋を出た僕にそう言った。
「はい。元々、荷物が少なかったですから」
「それにしたって、あなた。荷物は……」
「ここに入ってますよ」
そう言って、僕は持っているショルダーバックを軽く叩いた。
「これだけ?」
「はい。このバック、物が結構入るんですよ」
「だからって少なすぎじゃない?中身は全て服?」
「いいえ。服も入ってますが、二着だけですから」
「いくら何でも少な過ぎよ。ギルドに置いていくなら、こちらで処理するけど、流石にもっと持って行けば良いんじゃないかしら?」
「あ、いえ。これで全部です。これしか服を持ってないんで」
「え?」
「え?」
キョトンとした顔で僕を見るエリー副長に同じ表情をする僕。
「に、二着だけなの?持ってる服」
「え、はい」
僕がそう答えると、「ああ、そう……」と驚きつつも納得するエリー副長。
「えと、後は何を持ったの?」
「簡易の調合キットと本です。調合キットは木箱に入ってるんでバックに入るか不安でしたけど、案外入りましたね」
「なるほどね。本って、あなたの……」
「そうです。僕の宝物です。これだけは、忘れてはいけないですから」
「……大事に持っていなさいね」
エリー副長の柔和な表情の笑顔に。
「はい!」
僕は元気いっぱいに答えた。
部屋を後にした僕とエリー副長は、そのまま宿舎の門へと移動した。
「さて、ナリオさん。私が案内できるのはここまでです。一度、門の外に出ればギルド職員ではないあなたは、二度とここには入れません」
「はい、分かりました」
「退所する際、忘れ物等はありませんか?」
「ありません。大丈夫です」
「それでは、これで退所となります」
「はい。エリー副長、お世話になりました」
僕はエリー副長に深々とお辞儀をした。
「それじゃあ、はいこれ」
頭を上げた僕に、エリー副長は右手のひらを見せる。手の中には一本の鍵が。
「鍵……ですか?」
「私の家の鍵。今日は帰りが遅くなるかもしれないから、先に渡しておくわ。言っておくけど落とさないでよ」
「い、いや、そんな……」
「つべこべ言わずに泊まりなさい。仕事も寝床もない状態なんて、心配以外の何物でもないわ。両方見つかるまで私の家にいて頂戴」
「でも、悪いし……」
「ナリオ」
エリー副長は僕の両肩を掴むと。
「こんな時ぐらい、私に甘えなさい」
力強く、でも、少しさみしそうに、エリー副長は言った。
「あなたが困ってるのに私が何もしてあげないなんて、そんな情けない話はないわ。天国にいる姉さんや義兄さんに顔向けできない。これぐらいは、させて頂戴」
「……分かった」
僕は小さく頷いて。
「ありがとう、エリー姉さん」
「良いの。だから、そんなに申し訳なさそうな表情しないで。私が、姉さん達に怒られてしまうわ」
「……うん」
僕は頷いて、姉さんから鍵を受け取った。
仕事は明日から考えましょう。今日は何も考えないで休みなさい。
別れ際、エリー副長からそんなことを言われた僕は何をどうするでもなく、ただただトボトボ、元気なく歩いていた。どのくらい歩いたかは分からなかったけれど、無意識に歩いていたなと気がついたのは、町の広場に出てからだった。噴水近くで立ち話する女性達。広場で元気よく走り回る子供達。ベンチで新聞を読む老人。いつも通りの日常のはずなのだが。
こんな感じだっただろうか?
僕の中で浮かぶ疑問。いつもなら、終わりが見えない書類との格闘や、新人からベテランまでの冒険者への対応など、めまぐるしいのが当たり前だったからなあ。こんなにほのぼのしている景色を見ると、落ち着かないというか、むしろ違和感しかないというか。
ああ、いけない。
考え方がネガティブになってきている。
「まあ、それもそうか。クビだもんなあ」
僕はため息を一つ吐くと、老人が座るベンチの一つ隣に腰掛け、項垂れながら、再度ため息を吐く
「ああ、生活どうしよ……。その前に、アトレの後期分の学費、どうにかしないと」
まずは仕事だ。
以前やっていた中央ギルド関連の調合士日雇いバイトでは、通常勤務並みには働かしてはくれない。ギルド職員をクビとなった今、働けるかどうかも怪しいだろう。なら、一般クランで働ける場所を探して。いや、厳しいか?調合士とはいえ、僕は銅級。雇って貰える可能性すら無いかもしれない。ならばいっそ、別の場所で働いて……。ダメだ、アトレの学費が終わるまで、ルナカ二ア王国を離れるわけにはいかない。万が一、学費の支払いに遅れが生じた場合は、最悪、退学となってしまう。そうなれば五年間の彼女の頑張りが台無しだ。それだけは、あってはならない。
ああ……。と弱気な声を小さく漏らしながら、頭を抱える。
どうしよう。
頭が回らない。
次の手順が思い付かない。
僕は、何から、手を着ければ……。
「なーに死にそうな顔してんだよっ!」
後ろから声が聞こえたと同時に僕の背中に痛みが広がる。「ぶほっ!」という鳴き声とともに、背中に一気胃に痛みが広がった。
僕はすぐ後ろを振り返る。僕の後ろには、短くツンツンとした黒髪の高身長の青年が一人。軽装の鉄鎧と鉄小手、膝当てとすね当てを身に付け、腰には装飾の多いロングソードを下げている。そして何より特徴的な、左耳に着けた銀のピアス。
ああ、間違いない。
確信した僕は青年に向かって、一言。
「ルーマ、なんでここに……!」
「いよっ、親友!まだ生きてろよなっ!」
冒険者には三つの階級がある。
駆け出し冒険者であり、禁竜討伐の実績の少ない者が、一番下の階級である銅級。
ベテラン冒険者の証であり、第二指定禁竜を討伐した者に与えられる、銀級。
そして銀級冒険者のなかで、多くの第一級禁竜を討伐した者に送られる金色の称号。
一握りの天才、金級冒険者。
多くの冒険者は、金級にあこがれ、この称号を手に入れることに夢を見る。
そして目の前にいる青年、ルーマは、中央ギルド記録で史上最年少で金級冒険者になった男である。
実力、才能、そして向上心。
冒険者として一流の彼。
そんな彼が。
「何でここにいるの……」
「お前がヘコんでると思って、励ましに来た」
「そうじゃなくて!」
中央ギルドの若きエースと評価され、若手の冒険者から尊敬の眼差しを向けられ、ベテラン冒険者から一目置かれる存在である。
そんな彼が。
「い、いやいや!だってルーマ、依頼を受けたの一昨日でしょ!しかも第一級禁竜の討伐依頼!普通に考えて七日!頑張っても五日は掛かる仕事だよ!なのに今、どうしてここにいるのさ!」
「一昨日移動して昨日討伐して今日さっき帰ってきた」
「無茶すぎる!」
第一級指定の中でも危険度が高い禁竜を相手に、一歩も引かず立ち向かう勇気と相手を圧倒する技量は、王国の貴族や王族にまで届いているなんて噂も聞いたことがある。
そんな彼が。
「ちなみに、その移動方法ってかなりハードっぽいけど、不満とか出なかったの?一人で行ったわけじゃなし、反対意見も出たと思うんだけど?」
「出たけど全員黙らした」
「横暴すぎる!」
時々。
ルーマの数多くの噂が全部嘘なんじゃないかって思うときがある。
「もう一つ聞きたいんだけど、ルーマが組んだパーティメンバーを黙らした方法って……もちろん話し合ってだよね?」
「拳で会話はしたな。まず右の拳で相手の顔を……」
「うん、もう大丈夫。もう聞くのは辞めておく」
というか、聞きたくない。
僕がギルド職員の時なら、完全にクレーム案件だ。
「んなことよりもよ!」
ルーマは急に大きな声を出し、僕の隣へと座った。
「聞いたぜナリオ!ギルドをクビになったって!」
ああ、依頼の報告をしに中央ギルドへ行ったときに知ったんだな。
「いや、あー、その。お恥ずかしい話ですが。本日から無職でして……」
目をそらし小さな声で答える僕。事実は事実なんのだが、何となくばつが悪い。
「やっぱり、本当なのか」
「うん、まあ……」
驚きの顔をするルーマに、思わず僕は下を見て俯く。
「まったく、どうすんだよ……」
「うん……。仕事は早めに見つけようと思ってる。クビって言ったって、どこかしら雇ってくれる場所もあるはずだから……」
「いや、そっちじゃない。俺がどうすんだって言ってんのは中央ギルドの方。むしろナリオの方は一ミリも心配してねえ」
「……それはそれで、なんかショックなんだけど」
いや、心配してないと言ってくれるのは嬉しいんだけど、なんか言い方が雑というか、なんというか。
「でも、僕じゃなくて中央ギルドが心配って、なんで?」
だってよー。とルーマは眉間にしわを寄せながら。
「たぶん潰れっぞ、あそこ」
「どういうこと?確かに経営は厳しいけど、何も今すぐ潰れるって話にはならないんじゃない?カルデアギルド長もエリー副長もいるし、何とか立て直しは出来そうじゃない」
「なに、中央ギルドって経営破綻でもしてんの?」
「いや、そこまで酷くはないと思うけど」
「はー、まあ何でも良いけどよ。俺は単に、ナリオがいなくなったから中央ギルドはおしまいだなって思っただけで」
真面目な顔で話すルーマに。
「なんでさ」
苦笑いで僕は返した。
「僕がやってた仕事は、一番下っ端の仕事だよ?それに人員が一人いなくなったくらいでギルドが傾くような影響はないって」
「いや、傾くんじゃなくて潰れる。これは間違いねえ」
「ないない。下っ端一人いなくなったって仕事は回るって」
「無理だろ」
僕の言葉を全て否定するルーマ。
そして、理由を一言。
「だって俺、あいつらが仕事してる姿なんて見たことねーもん」
ルーマがギルド職員に対して爆弾発言をした後、僕はルーマにこれまでの経緯を話した。
クビになった理由、退職金の額はいくら貰ったか、カルデアギルド長やエリー副長は僕のクビを最後まで拒否してくれたが、結局は退職になってしまったこと。これらを聞いたルーマの堪忍袋は弾けるような爆発をした。そこから、ルーマのギルド職員への愚痴がしばらく続いた。特に若手の愚痴が酷かったが、それに関しては僕からは同意も否定もできず。話題を変え、ドイトンさんとカーノさんもクビであることを伝えると、ここでルーマの堪忍袋が二回目の爆発をした。だけど、二人は別の町で働き口が決まっていたことを聞いて少し落ち着いた。そして、僕も二人が行く町に行かないかと誘われたことと、それを断ったことを伝えると。
「何で断ったんだ?」
足を組みリラックスした姿勢のルーマが、ふと僕に聞いた。
「ギルドをクビになった話が届かない別の町なら、新しい仕事も見つかりやすいだろ。移動する金がなかったらドイトンに借りれば良かったじゃねえか。金は無えっつっても、移動費ぐらいは出せるだろうし」
「昔、ルーマに話しただろ。アトレの話」
「アトレ……。ああ、妹さんか」
「妹には学校を卒業して欲しい。彼女は五年間も頑張って、そして今も頑張っている。なのに『お金が足りないから退学です』なんて、そんな事で台無しになって良いはずがない」
「だからお前が無理をするってことか、ナリオ?」
「無理じゃないさ。これは僕のエゴ。身勝手な願いだから。それでも、この願いは突き通したいんだ」
それが、僕の夢でもあるし。
彼女の為でもあって欲しい。
何より。
父さんとの約束だから。
「だから絶対に何とかする」
両手をグッと握り、僕は静かにそう言った。
「お前がそれでいいなら、俺は無理して止めねえけどよ」
左手で頭を掻き、納得はしてない様子のルーマだったが、僕に賛同をしてくれた。
「ありがとう、ルーマ。大丈夫だよ。学費だって今年の後期分だけだし。それが終わればお金を貯めて、やりたいことやってみようと考えてるからさ」
「ナリオのやりたいこと?へえ、興味あるな」
再び目を合わせるルーマ。僕は鞄から一冊の本を出して。
「ルーマ、これ知ってる?」
「ん、調合士大全……?知らん。なんの本?」
「調合士の基本が全て載っている本だよ。クスリの調合方法から薬効、作ったクスリのランクの判定まで。ありとあらゆる基礎基本がここに載ってるんだ」
「へえ。すげえ万能な本ってことだな」
「まあ、そんなところ。欠点は、作成方法の説明が詳しく書いていなかったり、本当に基礎しか載っていないって点だけど」
「万能からほど遠い本だな」
「本来は調合したクスリが正しく調合されているかの判定や、調合物のランク決めに使われるのがほとんどだから。普通に調合するなら他の参考書や研究所を見た方が早く正確に作れるよ」
「ほお。で、その本がどうしたんだ?」
「僕はね、ここに書いてある図鑑の全てをさ」
この手で全て調合したいんだ。
真っ直ぐに遠くを見るように。
僕はそう言った。
「いやまあ、夢だよ?できたら良いなあって言うか、やってみたいというか、やっぱりこれは調合士としては一度は見る夢で、銅級調合士の僕が何夢見てんだとか思われると思うけど、ほら、できたら、できたらで良いかなとか、挑戦するだけならいいかななんて……」
「できるさ、ナリオなら」
そしてルーマは。
真っ直ぐに言葉を返してくれた。
「お前はいつか、でかいことをやる男だ。親友の俺には分かる!」
「あ、あはは。ありがとう、ルーマ。そう言ってくれるだけでも嬉しいよ。そうだね。いつか、アトレの学費が払い終わって軍資金を貯めて、僕はこの国を出て本を埋める旅に出たいと思って……」
「いいな、それ!」
僕の話に、ルーマは食い気味に笑顔で賛同してくれた。
「面白そうだな!俺も行きてえ!」
「いや、ルーマは金級冒険者だから、ふらふらと旅するのは難しいんじゃないかな。有事の際にはギルドから強制的に依頼を受けないといけないし」
「……あっっ!」
一瞬固まったルーマは、頭を抱えて徐々に背を丸める姿勢を取っていった。
「くそ……。ここに来て金級を捨てたくなってきた……」
「いや、無理でしょ。依頼を立て続けに失敗とか、依頼を長期間受けないとかしない限りは下がらないし」
「くそう……。いいかナリオ!旅に出るときは俺に一声かけろよ!で、俺を連れて行けよ!」
「そんな無茶な……。それに、今すぐじゃないから。いつか。いつかの話だから。学費を払い終えて、軍資金稼いで、それからの話だから。だいぶ先は長いよ?」
「うわ、ほんとにまだ先だな……。金返して金稼いで、その間に俺は金級を剥奪させて……。ん、ちょっと待てよ?」
頭をあげ姿勢を戻し、口に手を当て無言で何か考え出すルーマ。
そして。
「もし」
真剣な眼差しを僕に向け、一言。
「ん、なに?どうしたの、ルーマ?」
「もし、妹さんの学費分プラス旅に出る軍資金が手に入って、かつ俺が金級冒険者ではなくなれば、俺達はすぐに旅に出られるって事だよな?」
「うん?まあ、そうなるね。え、でも、俺達?」
いつの間にかルーマも行く事になってるけど。
ルーマは僕の疑問をスルーして、そして何故か不敵な笑みを浮かべながら。
「ナリオ、俺に良い考えがある」
決め顔で僕にそう言った。
うわぁ。
絶対にろくな事じゃないだろうなぁ。
一瞬の間も置かず、引きつった表情の僕がそう思ったのは、町がお昼の鐘を鳴らした時であった。
今日はハードな一日である。と、今日が終わってないにもかかわらず断定できる自身が僕にはあった。ギルドからの退職、新しい収束先への不安、思い気持ちの中で現れた友人からの励ましの言葉。この全てが午前中の家に起きていたことに、濃密な時間を過ごし心身共に疲弊している僕なのだが、そこに追加された友人からの提案。
その提案に対して僕は、とてつもなく不安しか感じなかった。
というのも。
昔から、ルーマは無茶な提案をしてくることは多々あった。例えばと事例をあげるなら。
「ナリオの給料って少なくないか?俺がギルド長に賃金揚げるよう話をつけてやるよ」
そう言ってくれたことがあったが、結果的にはカルデアギルド長と殴り合いの大げんかをしていた事があった。ちなみに、そのような経緯になった理由は不明だが、ギルド長はルーマとの殴り合いを楽しんでいて、エリー副長が無理矢理止めたらしい。別の日には。
「あいつら、ナリオに対して生意気な態度を取るな。俺、ちっと注意してくるわ」
そうも言ってくれたのだが、結果的には冒険者五名に重傷の怪我を負わせた。ちなみに、ナリオはほぼ無傷の状態であった。また別の日には。
「ナリオ、お前休み取ってんのかよ?あ、昨日も仕事?なんだそりゃ。俺が休みを入れるよう上に話をつけてきてやる!」
これは僕が全力でルーマを止めた。休みたいという気持ちはあったが、それより、またギルド内で暴行事件が起きるのではという懸念の方が上回った。そちらの方が絶対に面倒くさい事になるのが分かっているためである。
ともあれ。
ルーマの提案については、心配や不安があるのだ。
まあ、僕への提案は僕のためを思ってのことであるから、ありがたい話ではあるのだけれど。
今回のことも、お金が必要な僕のためにしてくれた提案である。姉さんからもお金を借りることすら拒否した僕が友人から金を借りるという行為をよく思うはずもなく、ルーマに対し借りることを遠慮したのだが。
「はっはっは、任しとけよ親友!」
聞く耳もたず。行き先をどことも告げず、僕は行こうぜとルーマに誘われる。僕はルーマの横を歩いて、どこに行くのかを聞き出そうとするが。
「行きゃあ分かるって!」
屈託のない笑顔で言う彼に、引きつった笑顔で僕は了解の意を伝えた。
そして、現在。
あれだけ濃密な出来事があった午前中のあと、昼食も取らずにも僕達が訪れた場所は、大きい門作りに豪華な二階建ての建物。そして正面玄関前にかけられた大きな看板には大きな文字で書かれた建物の名称。
ルナカニア王国中央ギルド。
今日の朝、濃密な時間を過ごしていた、僕の元職場で会った。
「よし、行くぞナリオ!」
「え、行きたくない……」
「なんでだよ!せっかく俺らのチャンスが目の前にあるんだぜ?」
「いや、僕の目の前にあるのはチャンスではなくピンチだと思うよ。」
「ピンチをチャンスに変えるために来たんだろ?」
「どう転がっても、この場所ではピンチがチャンスに変わる絵が見えないけど……」
ていうか、あれだけ中央ギルドをボロクソ言ってたのに、本当にチャンスがここにあるのかと疑いたくなる。
「ねえルーマ、本当にここなの?君の提案のために訪れた場所は、本当にここで合ってるの?」
「おう」
「だって、ここ……」
「任せろって!」
そう言って、僕の背中をバシンとはたいて。
「覚悟を決めて、行ってみようぜ」
「いやいや、元職場に行く覚悟は決まらな……」
僕の言葉を聞き終わらぬうちに、ルーマは中央ギルドへと歩いて行く。自信満々のルーマの背中を見て、僕は今日一番の大きなため息を吐いた。
僕とルーマが中央ギルドに入った第一の感想は。
「えーと、あー……。ほ、本日は大変混み合っておりますので、受付は二番の窓口へ向かってくだ……」
「バカなこと言わないでください!こっちだって手がいっぱいです!そちらで処理してください!あ、はい!ヨルケダ地区の地図ですね!しょ、少々お待ちください!今、資料を探しておりますので……!」
「おい、第二級禁竜のガンビンの資料はどこにある!」
「私が知るわけないでしょ!自分で探しなさいよ!こっちだって禁竜素材の鑑定書を作るのに忙しいの!」
「アイテムの仕入れ書類、まだ出来ねえのか!もう仕入れ先が来ちまうぞ!」
「先に仕入れた荷物の荷解きしてくださいよ!」
「どこに置くか知らねぇよ!お前がやっとけ!」
「俺だって知るわけないでしょ!」
「おい、副長はどこだ!」
「知るかよ!ギルド長とどっか行ったよ!」
なんだか今日はとてつもなく忙しい日である、ということだった。
「おーおー。忙しいねえ。ま、ナリオがいないんだから当たり前か」
冒険者で混み合う受付。資料室から窓ガラスがわれるような大声。職員専用ドアの近くでは、書類のことで喧嘩のような大声が聞こえる。
「今日は、特別忙しいね……。僕がいたときでもこんなに忙しくはなかったよ」
「ナリオがいたら、そうだろうなー。ま、自業自得だよ」
「ぼ、僕達もこの列に並ぶの……?結構、時間が掛かりそうだけど……」
僕はルーマに耳打ちすると、ルーマはニカッと笑って。
「そこは大丈夫だ。俺の特権を使わして貰うからよ」
「特権?」
「ほらこれ」
ルーマはクビに書けているネックレスを上着の首元からから出して。
「どんだけ沢山の冒険者がいようとも、金級からの大事な話を後回しにはできねえだろ」
金色のプレートをユラユラと揺らした。
「し、私的の使用はマズいんじゃ……」
「安心しろって。仕事の話だから問題なし」
「え、それってどういう……」
「おい、お前ナリオだな!」
僕らがこそこそと話をしている中、一人のギルド職員が叫んだ。突然の大声に僕達は驚き、僕に至っては体をビクつかせるほど。ふと、声のする方へ目を向けると、そこには冒険者と見間違うほどの大きな体にぼさぼさの髪、無精髭と鋭い目つきが怖い印象を与えるギルド職員が一人。
「フェ、フェインさん……」
僕が名前を喚ぶと、フェインさんは僕達にすごい勢いで近づき。
「お前の仕事の不備で皆が迷惑してるんだ!辞めたからって、いい気になってんじゃねえ!お前もこっち来て手伝え!」
怒りを伴いながら、力強く僕の腕を掴みかかる。
「おい」
フェインさんが掴もうとした右手は僕を掴むことはなく、僕の前で止まり、代わりにフェインさんの左手首をルーマが掴んでいた。
「誰に掴みかかろうとしてんのか分かってっか?」
低く、静かに、怒りを隠すことなく、ルーマはそう言った。
「ル、ルーマ……!」
フェインさんの怒りの顔が、一瞬で青ざめていく。
「こいつは俺の親友だぜ?」
表情を少しも変えないルーマに、フェインさんは青ざめた顔を今度は赤く染めていき。
「じ、人員が不足してるんだ!こいつが辞めたせいで!だから、ギルドを効率よく回すために、こいつにも働かせるべきなんだよ!」
「てめえ、仕事を辞めた人間に忙しいからもう一度働けってか?自分の言ってることがオカシイって分かって言ってんのかよ」
「こ、こいつの仕事の不備で、こっちは迷惑してるんだ……!邪魔しないでいただ……」
「俺、同じセリフ二回言うの嫌いなんだよ」
ミシミシ、と聞こえる不穏な音。
ルーマの握る手に力が加わるのが分かった。
「痛っ!痛い痛い!」
「臨時一人が抜けたくらいで迷惑してる?ナリオをクビにしたのてめえらだろ。だから俺は、てめえら言ってることがオカシイって分かってんのか、って聞いてんだよ。理解してんのか、ああ?」
「痛い!は、離せ!」
「いっそのこと、職員をもう一人リタイアさせてやろうか?二人減ればもっと忙しくなるだろうから。あ、それだとギルドがもっと回らなくなるわけか。でも、俺、今ものすごくイライラすんだよなぁ。あ。んじゃ、間を取って腕だけやっとくか。安心しろよ。腕一本をグチャグチャにするだけでチャラにしてやるよ。もちろん、利き腕じゃない方にしてやる。仕事が出来なくなるからな。あ、左が利き腕ならドンマイだけどな。運が悪いと思ってくれ。言いたいことやりたいことは、ジャラジャバリの巨体ほど沢山あるけどよ。ま、俺は優しい男だから、今の怒りはお前への八つ当たりで勘弁してやるさ」
「や、やめ……!」
ゴキリ、と。
予告も、猶予も、躊躇もなく。
フェインさんの手首から鳴った重く不快な音と共に。
「いいいぃいいぃぃだぁあぁぁぁああぁ!」
悲痛な叫びがギルドないに大きく広がった。
左手首をルーマに捕まれた状態で、その場で跪くフェインさん。ルーマの威圧に当てられて、中央ギルドにいる職員、冒険者、僕までもが皆、黙り込む。
「金級冒険者の友人に危害を加えそうになったギルド職員の横暴を止めた。立派な理由になりそうだな。なあおい?」
ルーマは跪くフェインさんに、涼しい顔でそう一言。
「どうした?なんか言ったらどうだ?弁解があんなら聞いてやるよ」
「い、い、いい、いっ……」
「俺の話を聞けっての」
苦悶の表情をするフェインさんに「やれやれ」といって困り顔をするルーマ。
「あの、ルーマ……」
僕がルーマに声をかけると、困り顔から一点、花が咲いたような笑顔で。
「おう、なんだ?」
気さくに答えるルーマ。
「フェインさんの左手首、それって……」
「あ?ああ、ただの脱臼だよ。折っちゃいない」
「その、ルーマは手首の脱臼を直すことはできるの?」
「ああ、戻せるぜ。戻すときは戻すときで痛むけどな。ま、このままでも十分に痛いままだけど」
「直してあげて」
「ああ、何でだよ」
僕の意見に、ルーマは眉間にしわを寄せる。怒っているわけじゃないけど、少し不機嫌になっている様子だった。
「こいつら、ナリオを追い出したくせに、都合が悪くなったらまた働かそうとしたんだぜ?俺はこいつらが困ってんのを見んのは別に良いが、助けてやる義理なんてもってねえよ」
ルーマの言葉を聞いて。
「気に入らないからって暴力かよ……」
「ヒドい……」
「あんなのが金級冒険者なんて……」
「自分が偉いとでも思ってんのかよ……」
徐々にこそこそと聞こえてくる、ギルド職員や他の冒険者からの影口に。
「あんだよ、文句あるなら仕事中だろうがなんだろうが聞いてやるよ。誰からだ?」
再び静まりかえる中央ギルド。ルーマは一人、ニヒルに笑いながらけんか腰の口調で周りを煽る。
「ルーマ」
僕は気にせず、再度ルーマを呼んだ。
「君の怒りがなんであれ、暴力で解決はダメだ」
「でもよ、ナリオ。あの言い方はよ……」
「僕のための怒りなのは、何となく分かった。それでも、僕のために争い事を起こすのは、それは僕は望んでいないことだ」
「…………」
「頼むルーマ。フェインさんの腕を治してあげて」
僕は真っ直ぐにルーマを見つめた。ルーマは眉間にしわを寄せたり目をぎゅっと瞑ったりと、長い時間、色々な迷いの表情をした後に。
「……わーったよ」
小さな声でそう言ったルーマは、ばつが悪いからか、目線をそらしながらも了承をしてくれた。そしてフェインさんの左腕を両手で持ち。
「おらっ、っと」
ゴキン、と先程と同じ音がフェインさんの手首から鳴った。それと同時になんの合図もなく骨を繋がれたフェインさんは。
「あがっ!」
大きく情けない声をあげていた。
「おらよ、繋いでやったぞ。手を何回か握ったり開いたりして確認してみろ。繋げてなかったらできねえはずだ」
ルーマの言葉を聞いてフェインさんは左手で握る動作と開く動作を交互に繰り返していた。
「そんだけできてれば大丈夫だろ。おら、どっか行け。て言うか仕事しろ。ただでさえ混んでんだから、冒険者の列さばいてこい」
邪険そうにルーマはフェインさんに言う。フェインさんは一度ルーマを睨み、無言のままギルド受付裏へと消えていった。
「これでいいか?」
僕と目線を合わせずにへの字口したルーマは、武器苛棒にそう言った。
「うん。ありがとう、ルーマ」
「ったく、ナリオは甘い、善人過ぎる。お人好しも良いところだぜ?俺としては、もっとキッツいお返ししてやりたかったんだけど」
「あはは……」
どんなことをしようとしたかは、怖くて聞けない。
「ま、それがお前の良いところでもあるよ。まあ、そんなことは置いといてだ。ナリオ、金級冒険者様のありがたーい仕事の話をギルド職員にしに行こうぜ」
「行こうぜって、僕も行くの?」
「当たり前だろ?」
「……ずっと気になってたけど、ルーマは何をしに中央ギルドに来たの?」
僕の問いに、ルーマは「ん?」ととぼけながら。
「あれ、言ってなかったか?」
「何をするかどころか、どこに行くのかも聞いてない。ルーマが言ったのは『行くぞ』とか『大丈夫』とかばっかだし」
「まあ、行きゃあわか……」
「『行きゃあ分かるさ大丈夫』なんて言わないよね?」
「………………」
固まるように停止し、無言になるルーマをみて、こいつ言う気はないなと確信した。まあ、ないなら内でこちらも対応を考えるだけだからいいのだけど。
僕がする対応、つまりは
「さすがに何をしに来たか聞かないと、一緒には行かないけど?」
同行の拒否。
まあ何をするかもわからないのについて来いと言われて、こんな対応になるのは常人なら当たり前といえば当たり前だけど。それがルーマなら尚更だ。何をするのか、いや、何をしでかすか分からないし。
「えっ!それは困んだけど!」
しかしながら、ルーマにとって僕の返答は想定外の対応だったらしい。
「なら、何しに来たかは教えてよ。それ聞いて判断するから」
「言ったら一緒にきてくれるんだな?」
「内容次第で決めさせてもらうけどね」
またも眉間にしわを寄せるルーマ。しかし今度は一瞬で考えをまとめ、結論に達したようで。
「ま、いっか。そんなに難しい話じゃねーし」
実はな、と。
わくわく顔で話し出すルーマに、不安な気持ちで一杯な僕は、静かに耳を傾けた。
「おい、受付員」
「ひっ……!」
ルーマがぶっきらぼうに話しかけたのは、ギルドの一番窓口で対応していたモカさんだった。モカさんはおびえた表情をしており。
「あ、あの、何か御用ですか……」
小さく震えた声で、ルーマへの対応をしていた。
「あるから来てんだろうよ」
「ひいっ!ご、ごめんなさ……」
「ちょっとルーマ。そんな喧嘩腰の言い方はないだろ」
「ああ?だってよ、こっちは用事があるから来ている訳だぜ。なのによ……」
「言い訳は無しだよ。どのようなケースでも、真摯な対応を取らないと。女性に対してなら尚更さ」
「はいはい、わーってるって。受付のねーちゃん、悪かった」
「は、はい……」
「んでよ、会いたいギルド職員がいるんだが、呼んできてくんねーか?」
「あ、あの、どなたを……」
恐る恐るルーマに聞くモカさん。ルーマはニヤリと笑って。
「ギルド幹部のユッカ殿を呼んでくれ。金級冒険者が急ぎの用事で会いたいって言えば、嫌でも来んだろ」
「わ、分かりました……。今すぐに……」
モカさんが言葉を発すると同時に、体をギルド室置くにある扉に向かい歩き出す。
「かまわん。ここにいる」
モカさんが歩き出すのと同時に、部屋の奥、ギルド幹部職員の扉から聞こえる男性の声。立ち止まったモカさん、周りにいるギルド職員、そして僕達は、一斉に扉へと目を向けた。扉の前には白長髪に白長髭、白いローブをまとった小柄の老人が一人、杖をついてこちらに歩いてくる。ギルド職員は、老人の歩む道の邪魔にならぬよう、あるいは老人を避けるように道を空けていった。
ゆっくりと、老人は僕達に近づいて、そして前に立ち。
「モカさん。ここからは私がルーマ殿のお相手をしましょう」
「あの、えと、ユッカ様……」
「あなたは下がりなさい」
「は、はい」
会釈をし、足早に去って行くモカさん。
「さて」
笑顔でモカさんを送り出したのとは裏腹に、僕達を前にした表情は、無表情だった。喜怒哀楽を感じない、僕らに関心がないような。そんな表情に僕は何故か、少しだけ息をのんだ。
「やあ、ユッカ殿。ご機嫌はどーだよ?」
緊張する僕とは真逆に、ルーマは無表情のユッカさんに軽口を叩く。
「ルーマ殿、先程の騒ぎは貴方だな。ギルド職員に無礼を働くのは止めて頂きたい」
「注意喚起ご苦労なこった。そっちの職員の躾がなってないおかげで、俺の親友が怪我しそうになった。まずはその謝罪を貰いたいね」
「ふむ。その友人に怪我がなくて何よりだな」
「職員への教育が足りてねえんじゃないか?」
「ご指摘はありがたいが、ギルド職員は皆が優秀ですので、その必要はありませんよ」
「優秀ねぇ。この混み具合を見て、それでも優秀な人物が集まってるなんて言葉をはけるとは。さすがはユッカ殿、器がでかい」
「お褒めにあずかり光栄ですな。ルーマ殿もご存じの通り、冒険者の中には知能が低く野蛮な者もおります故、どうしても対応が丁寧になってしまいます」
「はっ、そうかよ」
イライラしながら軽口を叩くルーマに対し、白い髭を整えるように撫でながら、飄々と答えるユッカさん。そして、目線をルーマから僕に移して「おや?」と一言。
「どうしてここに、ギルドを退職した者がおるのかな?しかも、今日の朝に辞められたばかりなのに。よくもまあ、ぬけぬけと顔を出せましたな」
「え、あ、あの……」
「まあ、あなたがギルドにいてもいなくても、中央ギルドには何も影響はないでしょうから。別にかまいませんがな、はっはっは」
バン、と。
陽気に笑うユッカさんの目の前で、ルーマは受付の机を壊れそうなほどの力で叩く。
「……あんたとのんびり話す気はねえんだよ。ユッカ殿、仕事の話がしたい。今すぐに」
「ふむ」
あからさまにイライラするルーマに対して、ユッカさんは態度を崩さずに。
「よろしい。ならば今から、私の部屋でどうですかな?ルーマ殿は、他の冒険者には聞かれたくない話でもあるのでしょうからな」
「別にあんたと話せるならかまわねえよ。どこだって我慢してやる」
「では、案内しましょう。ところで」
ユッカさんは再び僕を見て。
「部屋に来るのはルーマ殿のみですかな?、まさかオトモダチも一緒とは言いませんでしょうし」
「え、ああ、僕は……」
「いや、一緒だ」
僕の言葉を遮って、ルーマは堂々とそう言った。
「おや、仕事の話ではなかったかな?どう見てもそちらのご友人は、冒険者の体つきではありますまい」
「あんたの余計な詮索も邪魔なご託も必要ねえんだよ。さっさと案内してくれ。それとも何か。やっぱり老体に部屋まで戻れってのは厳しいか?」
「……はっはっは。ルーマ殿はご冗談がお好きなようで。よろしいでしょう。お二人ともこちらに」
どうぞ、とユッカさんは自分が出てきた扉に手をかざす。
「よっしゃ、行くか、ナリオ」
「う、うん。でも、うまくいくかな……?」
「大丈夫さ、俺達なら大丈夫」
そうルーマは言ってくれて、そして自分にも言い聞かすようにそう言った。
中央ギルドの置くには七室の部屋がある。重く、重厚な扉の先にある大きくきらびやかな部屋。美しい大理石の長机に落ち着いた色合いと木のつややかさが何とも調和した椅子。そして周りを栄えさせるための家具の数々。そこは、ギルド職員の中でも選ばれた人しか立ち入ることができない特別な部屋。
ギルド長と副長、そして五人の幹部のための部屋。一般職員は入れず、臨時職員であった僕は入れるはずもなく、そんな中で僕は。
「いや、まあなんというか……。お、落ち着かないね……」
とてつもなく緊張していた。
「え、なに、椅子ってこんなにフワフワなの?あ、すごい!大理石のテーブルだよ。これ横の装飾バスカスブカじゃない?あ、あそこに飾ってるのってゼグスソグの角じゃないかな?あれすごい貴重な素材だよ?あっ、あっちのあの爪!あれって……」
「興奮しすぎだろ。緊張は間違いなく嘘じゃねえか」
腰につけていた剣を自分の左に置き、どっしりと背もたれにもたれかけ、さらに足まで組んでいるルーマ。いや、リラックスしすぎでしょ。
「こんなのタダの部屋だろ?別に汚そうが荒らそうが俺が知ったことじゃないし」
「なんでやることが野盗のそれと同じなのさ」
知り合いの部屋だったとしても、そんな事をされたら友情破壊するわ。
「いや、お前の反応が異常だろ?小刻みに震え過ぎだって」
ルーマは右に座る僕の姿を見て、呆れながらそう言った。確かに、背筋を伸ばし手足の指の先までピシッと伸ばしながら、しかし小刻みに震える僕は、だれがどう見ても百人が百人見たところで『あ、こいつはかなり緊張してるぞ』とわかるだろう。
そして自分自身でもわかる。ギルド職員でも一部のお偉いさんしか入ったことのない部屋に入り、そして席に座っている僕は、今まさに、緊張はしている。
「分かってる。緊張はしてる。これは本当。ただ興奮もしてるのも本当。だって実際に幹部の部屋に入るのなんて初めてだし」
「昨日の朝にギルド長の部屋に入ったんだろ?そこと部屋は一緒だろ」
「入ったけど、あのときはそんな場合じゃなかったって言うか……」
実際にクビになってるけど。まああの時は、確かに周りを見ている余裕は無かった。
「でも今は余裕があるから、周りが見れるってか?」
「まあ無職だからね!」
「そこは自身持つなよ……」
部屋へと案内された僕らは、ユッカ殿を待つは談笑をしている中。
「待たせましたな、ルーマ殿」
ユッカ殿が入室。僕は反射で立ち上がり、ルーマは足を組んで座ったままの姿勢だった。僕は小声で。
「ちょ、ちょっとルーマ……。失礼だよ……」
そう耳打ちするも。
「いいんだよ」
と一言で終わらした。そしてユッカさんに向かい堂々と大きな声で。
「遅えよ、ユッカ殿。金級冒険者を待たせるってのは、ギルド幹部も偉いもんだな?」
「ええ、実際に偉いですからね。伊達に中央ギルドの中で高い地位にいませんよ」
ルーマの嫌味もさりげなくかわすユッカさん。ルーマも嫌味を言っても受け流されるんだから、言わなきゃいいのに。受付のやり取りの再来をしなくても。
「てか、遅れたのを謝罪すんなら俺だけじゃなくてナリオにもするのが筋だろ」
「『金級冒険者』を待たせたことには謝罪しましたよ?」
「『金級冒険者』の『仕事仲間』だったら謝るか?」
「お仕事仲間の実績を確認した後、必要なら考えさせていただきましょう」
「はっ!ま、あんたの屁理屈はどうでもいーわ。本題と行こーぜ」
ガダン、とルーマは左に置いていた剣を大理石のテーブルに投げるように雑において。
「単刀直入に言う。ユッカ殿、これを金貨百枚で買い取ってくれ」
「剣を金貨百枚で買い取ってもらうって、絶対無理だから!」
ルーマの話に耳を傾け終わった僕は、周りに聞こえないようにルーマの考えを力強く否定した。
「すげえな、ナリオ。小声でそんなに騒げるとは」
「そこじゃなくて!」
感心するルーマにあきれながら僕は言う。
「大丈夫だって。これ、何か分かんねえけどすごい剣だっていうし」
ルーマは左腰にぶら下げた剣の柄を二回ほど軽く叩く。
「確かにそれはすごい剣だけど……」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
てか、すごい剣って自分で言ったんじゃん。
「なんかよー。前に偉い人が町守ったお礼ってことで貰ったやつじゃん?」
「ルナカニア王国に迫る第一級禁竜を討伐した栄誉として、王様からいただいた名剣でしょうよ!」
軽いって。
ルーマのそんな説明じゃ、危機感が全然ないから。名誉が名誉じゃなくなっちゃうから。
「かなりの名剣だよ。触らしてもらったから剣に疎い僕でも分かる」
「実際にナリオが俺の剣のメンテやってくれてっからなー」
「正確には、僕がやってるのは剣に付けられている魔石の魔力補給だけどね。しかも簡単な修復程度だし。武器の刃こぼれなんかを見るのは、やっぱり専門家には劣るよ」
「それでも、研磨なんてそこらの冒険者より全然できるじゃねえか。鍛冶屋のおっさんも褒めてたよ」
「ははは、ありがと。で、そんな名剣を?」
「おお、売る」
「なんで!」
ここで二回目の否定に入る僕。
「何がどうしてそうなったのさ!なに、ルーマもお金に困ってるの!」
「いや、特には困ってねえぜ」
「じゃあなん……」
「お前が困ってるか貸してやろうと思ってさ」
「えっ……」
「金が必要なんだろ?妹さんの学費。んで、それが払い終わればお前は自由になる。だろ?」
「そ、そうだけど……。でもそれは、ルーマのお金であって……!」
「だから、貸すだけ。後で少しずつ返してくれればいいさ」
それによ。とルーマは話を続けて。
「剣を売ることには、俺にもメリットがあるからな」
「ルーマにメリット?」
「ああ。俺しか得をしないメリットがある。剣を売るのは、ついでっていうか、成り行きみたいなもんだな」
「成り行きって……。冒険者は普通、成り行きで武器を売らないよ。でも、どうして?今まで大事に使ってた剣を売るなんて」
「別に思い入れとかないし。今まで使ってたのが折れたから、切れ味も性能も高い貰いもん使っとくかって感じだし」
「でも、装備が変わって金級でやっていける?それに、次の武器はどうするのさ?」
「武器については後で考える。でもよ、武器が変わって金級でやっていけるかどうかは、考えてあるんだ」
「へえ、意外」
僕はルーマからの回答が返ってきた事に少し驚いた。てっきり、金級冒険者についても、今後の武器と同様に後回しで考えるのかと思っていたんだけど、ルーマの中では考えがまとまってたみたい。
「ちなみに、今後の金級冒険者の武器事情については聞いてみたいんだけど」
「ま、それは後で話すさ。今は、この剣を一枚でも多くの金貨買って貰わねえと」
「交渉は……僕がしようか?」
「おいおい、ナリオ。ガキじゃねえんだから。俺に任せとけよ」
「えー。大丈夫?」
「あたぼうよ。心配すんなって」
どうしよう。
今朝に感じた不安が再度、僕中で警告をならすんだけど。しかしながら、ここで自信に満ちたルーマの気を削ぐのは違うだろうし……。どうしようかと迷いに迷った僕の結論は。
「うん。それじゃあ任せたよ、ルーマ」
「おう、任された。大船に乗った気持ちでドーンと構えてろって」
これ以上にないくらいのルーマの爽やかな笑顔に、僕は安心と確信を得た。きっとなにか、策があるんだろう。いやむしろ、これまでのやりとりは、すでに策の中の出来事なんじゃないかなんて思える。さっきまで不安だったなんて、彼まるで僕はルーマをを信用していない見たいじゃないか。まったく、友として恥ずかしい考えである。
「あ、でもルーマ。余計なお世話かもしれないけど、失礼のないようにね。無礼な態度は交渉云々の前に相手への印象が悪くなるマイナスでしかないから。それに、こっちが上から目線で交渉を持っていくなんて事はしないでって、そんな失礼は働かないと思うけど一応言っとく。あ、あと。いきなり『良いから金貨と交換しろ』みたいなこと言わないでよ。そんなの貴方と交渉する気がありませんって言ってるのと同じになっちゃうから。ま、それだけ自信満々なら、今までのミスなんてやらないとは思うけどね」
そんなことを考えている時期が僕にもありました。ていうか、考えていた時期がついさっきである。しかしながら現実は。
「ユッカ殿。この剣を金貨百枚で買ってくれ」
その言葉をと同時にテーブルに乱雑に交渉の品をおいて、ユッカさんに上から目線で交渉をするルーマ。
おいおい、まてまて。
僕がさっき言った三つの注意事項をことごとく破ってるじゃないか。
僕がさっき言った三つの注意事項をことごとく破ってるじゃないか!
ルーマの言葉に、キョトンとした表情をするユッカさん。態度を崩さないルーマの代わりに僕は冷や汗がとまらず、心臓がすごい音で高鳴って行くのが分かる。いや、僕の心臓には悪いが、いくら血液を巡らせて脳みそに酸素を送ろうが、僕の頭は思考停止状態であった。
無表情のユッカさん。余裕を持ったしたり顔のルーマ。そして、同じ無表情ながら余裕はない無表情の僕。部屋の中に無言の状態がしばらく続いて。
「ほう」
陣目を破ったのはユッカさんだった。
「こちらの剣。確かグキャスザゴアを討伐したときに王から頂いた名剣、でしたかな。確か剣の名前は『レーニアー』ですな」
「確か禁竜も剣もそんな名前だったっけな」
「ほほ、あの台風竜を『そんな名前の』とは。ルーマ殿にとってはたいした敵ではなかったということですかな?」
「んなことはどうでも良いんだよ。禁竜に勝ってもらった名誉なんざ、どうでも良い。今、俺が聞いてんのは、この剣を買いとってくれってことだけだ」
「そうですか。しかし、金貨百枚ねえ」
ユッカさんはテーブルの上に置かれた剣を前屈みになりながら槓子する。しかし、手で触れようとはせず、あくまでも見るだけに留まった。
「なるほど、金貨百枚ですか。ギルドですぐに出せるかどうかは健闘して……」
「違げーよ。ギルドじゃねえ、あんたに買い取って欲しいんだよ、ユッカ殿。あくまでもプライベートに金貨百枚を俺に払って欲しい」
「えっ!」
「ほう、それはそれは……」
ルーマの提案に、僕は思わず声を出して驚いてしまった。確かにルーマの持つ剣は名剣である。買い取りの相場も高いだろうが、それを金貨百枚で買い取るのは無茶苦茶なのに、それを何でギルドではなくユッカさんに直接買って貰うんだ?
「それは無理ですな」
予想通りユッカさんはルーマの提案を拒否した。まあ当然と言えば当然だ。だってそれは。
「私が個人的に剣を買うメリットはない」
そうだ。
ユッカさんは冒険者じゃない。使いもしない剣を買う訳がない。ならば観賞用目的を狙った?だとしたら可能性は限りなく低いだろう。ギルドに飾るなら『第一級指定の禁竜を倒した褒美の剣』ということで箔がつくだろう。しかし個人用となれば、その手の趣味を持つ人手はない限り、購入はしないだろう。剣は装飾はあれど実用的に作られている。この剣を飾るのならば金貨百枚で他の物を買い飾るし、今の答え方からして、ユッカさんにその手の趣味はない。
ルーマはいったい、何を考えているんだ?
「話はこれで終いかな?それならお帰り頂いて……」
「まあまてよ。もちろんタダで買って貰うわけじゃない。あんたにも特のある買い物さ」
「特、ですかな?」
「あんたの孫さん。アギルの調子はどうだ?結構前に、金級になったって騒いでんのを見かけたけどよ」
「…………!」
一瞬、ユッカさんの顔が歪むのが分かったが、すぐに無表情に戻り。
「今、孫の話と剣の購入の話は関係ないでしょう。話を逸らさないで頂きたい」
「俺が噂じゃリーチになっちまったって聞いたけどよ、あんたの表情から見るに本当なんだな。ついこないだも依頼を受けてたけどよ、俺が思うに十中八九失敗してんな。あいつらには荷が重い依頼だったからよ」
リーチとは冒険者が使用する隠語の一つであり、依頼の失敗が続き降格の危険があるということを意味している。冒険者は銅級から銀級、もしくは銀級から金級にランクを上げるためにギルドで行なわれる試験に合格する必要がある。しかしながら、合格すればずっと同じ階級というわけではなく、依頼の失敗、長期の依頼受入拒否など、多くのペナルティーを受ければギルド側はペナルティーをおった冒険者が現在の階級に相応しくないと見なし、今の階級は取り消しとなり格下げとなる。依頼受入拒否をする冒険者はあまり見かけないけど、依頼失敗による階級格下げは、ギルド臨時職員時代に何回も聞いた事がある。
「あんたの孫さん、前も金から銀に格下げを食らってたな。今回で二回目……。いや、その前もあるから三回目か。ま、孫さんの不評判には、流石のあんたも頭が痛てえだろうな。ユッカ殿の孫はまた格下げになっていたなんて、あまり気持ちのいい話じゃねーだろうよ。しかも、噂話じゃなくてマジ話だしな」
「貴様……!」
今度ははっきりと分かるように、顔を歪ませるユッカさん。杖を握る手に力が入り、怒っていることがよく分かる。
「そこで提案だ。あんたの孫が失敗した依頼」
剣を買ってくれんなら。
失敗は全て引き受けてやるよ。
「ええっ!」
「なっ!」
僕、そしてユッカさんまでもが、ルーマの言葉に驚いてしまった。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってルーマ!それは……」
「嘘の報告になる。って言いたいんだろ?」
「それは、言いたいけど。そうじゃない。ルーマがやろうとしていることは……」
「そ。緊急処置だよ」
緊急処置。それは冒険者の暗黙のルールの一つである。
数多くのペナルティーを受けリーチとなった冒険者に対して、失敗した依頼を別の冒険者が受けたことにする事でペナルティーをリーチとなった者以外の者に受けさせる処置である。緊急処置といえば聞こえは良いが、実際は虚偽報告に近く、ルールの隙間を縫った違法ギリギリの行為。
「ギルドは確かにこの緊急処置を黙認しているけど……」
「知ってる。この制度は賛否両論だけど、ギルドは何も言ってないもんな」
「僕が言いたいのはそうじゃなくて、なんでルーマがこの処置を使って依頼失敗を請け負うのさ!」
「そうですな」
僕の言葉にユッカさんは同意して。
「あなたがこの処置を行使して得をするとは考えられません。依頼を一つや二つ請け負うだけならともかく、全て請け負うなど。裏があるとしか考えられませんな」
「裏ねえ。特に思惑なんてねえんだよなあ。アンタを脅すためなら、交渉はユッカ殿じゃなくアギル本人にしてるし。あいつはアンタと違って簡単に騙しやすいからな」
再び、顔を歪ませるユッカさん。ルーマは薄ら笑いを浮かべて。
「別に剣はアンタに売らなくても、アンタ以外の奴に売れば良い。緊急処置だって別の冒険者から請け負えば良いだけの話だ。アンタに話を持ちかけたのは、金を持ってて、問題のある冒険者が身内にいるっていう、二つの条件に合致してたからであって、他に意味はない」
で、どうだ?
ルーマはとびきりの笑顔でユッカさんに問う。
「ユッカ殿。この剣と孫の失敗の肩代わりを金貨百枚で買うか?それとも止めとくか?」
「………………」
「ちなみに金は今すぐに欲しい。その代わり請け負った失敗依頼の弁明はアンタに全て任せる。俺のことをケチョンケチョンに言っても良し、自分の孫を擁護するも良し。どうするかの判断はアンタにゆだねる。ま、俺以外にアギルの依頼失敗を請け負ってくれる奴なんていないと思うがね」
「………………………」
しばしの沈黙の後。
「……一つ、聞きたい」
ユッカさんは静かに、ルーマに言った。
「貴様の目的はなんだ?金が必要なことは分かる。しかしながら緊急処置を行使する理由が分からん」
「まあ、ちっとばかし金級の称号がじゃまになってな。てっとり早く降格したいんだよ」
「理由は?」
ルーマを睨み付けるようにみるユッカさんに対して、ルーマは僕をちらっと見た後、ユッカさんに挑戦的な笑顔で答えた。
「俺達は旅に出るんだ。目的地もやりたいことも後回しにした、面白い旅によ。そうだろ、ナリオ?」
「ほらよ」
ルーマは金貨が入った袋を片手で軽々と僕に投げ。
「うわわっ!」
僕は両手で受け取るも、金貨の予想外の重さに体をよろけかけた。ルーマはそんな僕の姿を見て「ははは」と笑いながら。
「悪い悪い。軽いと思ったんだけどよ」
「ルーマ、お金は投げちゃダメだって」
「いやー。悪いって。結構上手くいったもんだから嬉しくてな」
ルーマはそう言って、首にぶら下げた銀色のプレートを僕に見せる。
「俺も今日から銀級冒険者か。ランクは一番下だから頑張んねえとなー」
「あの、ルーマ……。やっぱりこのお金……」
僕は申し訳なさそうにそう言うと。
「言ったろ、貸すだけだ。ゆっくり返してくれりゃ、それでいいさ」
「でも、そのせいでルーマの剣と等級が……!」
「ああ、剣は良い金で売れたし等級は落ちたな」
あっけらかんと話すルーマに、お金を作ってもったという罪悪感が僕に芽生える。
「やっぱり、このお金を返して剣だけでも……」
「まあそれが目的だったからなー」
「…………え?」
「あの剣ちょっと使いづらくてよ。剣自体は名剣なんだろうし、切れ味も魔力保有も申し分ないんだけど。なんつーか、剣から嫌われてるって言うか、気が合わない感じがして」
いや剣って無機物だよ?
気が合う合わないって問題じゃないんじゃないかな?
「どのみち買い換える予定だったし、ユッカ殿に売れたのはラッキーだったな」
「で、でも銀級への降格は……」
「この階級じゃねえと国から出づらいからな。銀級になれたまでは良かったけど、階級の数字が一番下なのにはビビったぜ。ま、気長にぼちぼち上げてくさ」
なあ、ナリオ。
これで条件はそろったじゃねえか。
「俺は銀級になった。お前は妹さんの学費をそろえた。って言うことは、だ」
俺達はここから旅立てるぜ。
ルーマは僕に振り返り、両腕を名いっぱい広げる。
そして、周りには関係ないと言わんばかりの大きな声で。
「さあ、ナリオ!」
俺達は自由だ。
どこに行く?
なにをする?
どんな飯を食う?
「目的なんて後回しだ!理由なんて後付けだ!俺とお前で、なんの景色を見に行こうか?」
強く、風が吹いた気がした。
強い強い、追い風が吹いた気がしたんだ。
その風が、僕の足を前に押す。
「僕は……」
かなえたいと思っている夢がある。
近づきたいと思う人がいる。
調合士であると。
胸を張って言いたい人がいる。
白い本を取り出した。
ルーマの阿恵で、本を開く。
「この本の知識を全て知りたい」
「おう」
「この本の中身を全て調合した」
「おう」
「全ての調合素材をこの目で見たい」
「おう」
「この本の全てを」
小さいころからあこがれていた。
調合士大全の作者、偉大なる調合士カルフレット。
彼は何を見て、何を感じ、何故調合できたのか。
「全てを知る旅に出たいんだ」
「なら行こうぜ!全てをはじめる旅に出るぞ!」
ルーマは僕に手をかざす。
「うん、行こう!」
決意とあこがれと好奇心と共に。
僕はルーマの差し出す手をパシンと叩いた。
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