第14話 シャーロット

「ようやく見えてきたね、狼さん」


 深い深い緑の森を越えれば、広大な湖があった。

 赤ずきんと狼は湖に沿って街道を進んだが、見えるのは湖畔に映る山と森だけで町が全く見当たらない。

 3日間似たような景色のなかで夜を過ごし、時折馬車に先を越されながらもマイペースに行けば湖畔のコテージが見えてきた。

 さらに町もある。

 尖った屋根に細長い3階建ての家ばかりが並ぶ。


『3日もかかるとは、相変わらず大きい湖だな……』


 振り返れば既に広大な湖しか見えず、通り抜けてきた深い深い緑の森がどこなのか分からなくなっている。 

 弱々しい足取りでコテージに向かう。


「疲れたの? 狼さん」

『まぁ……そうだな。どうせ町には入れないんだ、無人なら休憩に使わせてもらおう』


 赤ずきんはボルトアクションライフルを手に持ち、窓から覗いた。

 薄暗く、人の気配はない。

 少し埃がかぶっている程度の家具と、荒らされた形跡もない室内を見て、


「誰もいないみたいだね」


 銃口を下ろす。

 狼の背中からキャンプ一式と食料が入ったリュックを外し、床に置いた。

 軽くなってもふらつき、ゆっくりと湖が臨めるベッドに乗る。

 伏せの姿勢になり、ゆっくり波紋を描く湖面を眺めた。


『それじゃあ行ってこい。シャーロットに伝えなきゃいけないこともあるだろ、ついでに鹿肉をたらふく買ってきてくれ……腹が減った』

「はいはい」


 呆れながら町へ。

 人通りが多く、身なりの整った人がたくさんいる。

 ボルトアクションライフルを背負い、リボルバーを腰ベルトに収めている赤ずきんに自然と視線が集まる。

 軍の支配を批判するポスターが所々に貼られ『法整備を整え人民の為の新たな組織を作ろう』と希望者を募集中。

 町の中央には台に乗って、


「権力を使って暴力を振るう軍なんかいらない! 奴らのせいで戦争が始まってしまったんだぞ! 勝利したことを豪語するなんておかしいと思わないか!?」


 1人の中年男性が高らかに訴えている。


「レイプに強盗、虐殺……9割が狩人を含めた軍人だ! もう軍に正義はない! 俺達が立ち上がって奴らを追い払うんだ!!」


 台に集まる町民達は片腕を上げて握り拳をつくった。

 教会の壁に凭れて眺めている軍人が2人、特に何もしない。

 興味を示さず、赤ずきんは通り過ぎた。

 食料品店の看板を見つけ、ガラス扉を開けるとカゴに敷き詰められた瑞々しい葉菜類、根菜類、果菜類の野菜が目に飛び込む。

 奥には様々な肉が小分けにされてショーケースに並んでいる。

 脂は切り取られ赤身の部分ばかり。

 小さなコーナーには、味付けに使う粉状の物が入った袋とビンに入っている液体が並ぶ。

 赤ずきんは干し肉と赤ワイン、それと鹿肉を多めに購入。


「旅人さんですか?」


 店主の男は訊ねる。


「はい、それと何でも屋です。困っていることがありましたら人食い狼駆除から小さなことでもやります」

「はぁー外は大変でしょう。よそじゃ人食い狼がいますが、この町は特別安全で特に困ってる人もいませんねぇ」

「そうなんですね、分かりました。ところで、人探しをしているんですが、シャーロットという方を知りませんか?」


 店主はシャーロットという名前に首を傾げた。


「人が多いので、常連さんじゃない限りなかなか名前までは……どんな方です?」

「えーと、金髪に青い目をした綺麗な方です。最近引っ越してきたはずです」

「最近引っ越してきた綺麗な方……あぁ! 挨拶に来てました! 美人でしたから覚えてますとも、つい先ほど湖畔のボート場に行くのを見かけましたよ」


 店主にお礼を言った後、ボート乗り場に足を運んだ。

 近づいていくにつれて人通りが減っていく。

 寂れた桟橋の傍には古びたボートが湖に浮かんでいる。

 桟橋から広大な湖を正面に佇む金色の柔らかい髪を肩まで伸ばした美しい少女がいた。

 黒い礼服姿の美しい少女はくしゃくしゃになった手紙を胸に添え、俯いている。

 そして、隣には先程まで湖畔のコテージで休憩していた老齢の狼が……。


「あれ、狼さん」

『遅かったな』


 顔を上げた少女は、もの悲しさに満ちた表情を向けた。

 細く尖った顎、鼻は高く目立たない、目元の周囲は薄く赤く腫れている。


「買い物に行ってたんだよ。それで、シャーロットさん、でよかったですか?」

「はい……あの、どこかでお会いしましたか?」

「いえ初めましてです。一応皆さんからは赤ずきんと呼ばれています」


 赤ずきんの自己紹介に、シャーロットは首を横に振る。


「せっかくお尋ねくださったのに申し訳ありません。わたし、今は誰かと話す気分じゃないんです……喋る大きなワンちゃんにも」

「それは失礼しました。で、狼さんがどうしてここに?」

『ベッドから見えた。特徴が似ていたから、人気もないし声をかけた。それだけだ』

「ふーん……」

『まぁあとでゆっくり話してやる』


 気を取り直し、悲しんでいるシャーロットに声をかけた。


「礼服ということは、ご不幸ですか?」

「…………すみません」

「あの、グレタさんから伝言を預かっています」


 グレタ、その名前に目を大きく開けたシャーロット。

 赤ずきんの両肩を掴んで迫る。


「どうしてグレタのことを? 会ったことがあるんですか? いつあの町に?」


 ぐいぐいと詰め寄ってくるシャーロットに押されてしまう。


「落ち着いてください。数日前に町へ寄ったことがありまして、グレタさんと話す機会がありました」

「グレタが……わたしに、な、なんて言ってましたか?」


 不安そうに喉を震わせたシャーロットに、


「愛している、会いたい、と」


 優しく伝えた。

 青い瞳はどんどん潤み、震える喉は何も言えなくなり、手紙を赤ずきんに渡す。

 ゆっくり手紙の封を開け、丁寧に折りたたまれた紙を広げた。

 走り書きの文字を読み、内容に驚いてしまう。


「……今朝、届きました。2日前の夜に容体が急変したと……」


 シャーロットは声を絞り出す。

 無言の時間が過ぎて、詰まる呼吸を整えたシャーロットは続けた。


「あなたに厚い信頼を寄せたのでしょうね……手紙だと、両親が先に捨てるでしょうから」


 すすり泣く声に、穏やかな瞳のまま耳を傾ける。


「わたしはグレタに特別な感情を持っていました。両親が気付いて……迷惑をかけないようにと引っ越すことに、なりました」

『……』

「引っ越す前夜、想いを伝えたくて会いに行ったのに…………怖くて、このまま親友としていた方がいいのかと竦んで……なのにっ」


 堪えられず、頬を濡らしたシャーロットは両手で覆う。

 赤ずきんは静かに頷くと手紙を返す。

 涙で滲ませながら手紙を受け取り、唇を震わせている。

 呼吸を整えて、赤く滲んだ目元と頬は前を見つめた。

 

「……取り乱して申し訳ありません。赤ずきんさん、アナタのおかげでグレタの想いを知ることができました。同じ想いだったこと、直接言えなかった後悔もありますが、それでも嬉しく思います。ありがとうございました…………」


 頭を下げ、再びシャーロットは遠い故郷がある方角に身体を向けた。

 祈るように胸に両手を寄せ、瞼を閉ざす。

 赤ずきんと狼は湖畔から立ち去る。


「あ、あの、大きな狼さん」

『なんだ?』

「先程の質問ですが……胸が溢れるくらい、締め付けられるぐらい、満たされるものだと思います」

『……そう、か』


 人通りが疎らな通路に戻ると、中年の夫婦が悲しみと不安に挟まれた表情で赤ずきんを待っていた。

 狼は赤ずきんの足元で伏せる。


「お嬢さん、うちの娘と何の話を?」


 グレーのスーツを着たシャーロットの父親。

 隣で俯いている青と白の服を着たシャーロットの母親。


「彼女の大切な方から伝言を頼まれたので、伝えに来ただけですよ」


 赤ずきんは簡潔に答えた。

 夫婦は突然、硬い金属ケースを差し出す。

 ケースを開け、束となった紙幣が入っていることを見せる。


「……グレタのことは残念に思う。だが、どうかお願いだ、娘の異常を黙っていてくれないか」

「異常?」

「グレタに対して、異常な感情を抱いたんだ。そんなことが知られたらもう、どこにも暮らせない」

『この野郎何が異常だ』

「受け取れません。言いふらすこともしません。失礼します」


 怒りに満ちた狼の言葉を遮る。

 素通りして町から離れた湖畔のコテージに戻った。

 尻尾を時折揺らし、再びベッドに伏せた狼は湖を眺める。


「そうそう、お望みの物を買ってきたよ、狼さん」

『そうか』

 

 赤ずきんは荷物を下ろし、狼の隣に座った。

 ふわふわのクッション、触り心地のいいシーツに手を添えて、赤ずきんは小さく頷く。


「うん。ここが気に入った?」

『あぁ、まだ居座っていたい気分だな……』

 

 狼の呟きに、赤ずきんは微笑む。


「それで、シャーロットさんと何を話したの?」

『…………忘れた』

「なんだそりゃ」

『近いうちにちゃんと言うさ……今は待ってくれ』

「はいはい、良いところだねぇ」

『あぁ』


 1人と1匹は静かに湖畔を眺めてゆっくり時間を過ごした……――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る