第15話 血まみれの手紙(過去の話)

 深い森に小屋があった。

 体長160センチの大柄な狼は血の臭いに動きを止めた。

 狼の後ろには赤い頭巾を深くかぶった10歳に満たない女の子がいて、突然止まった尻尾に顔をぶつけてしまう。


「な、なにオオカミさん?」

『……血の臭いがする』


 狼は琥珀の左目で周囲を警戒しながら、小屋に近づいていく。

 小屋の外に、壁に凭れて座り込んだ若い男がいた。

 右腕はズタズタに噛みつかれて赤黒く服を染めている。

 深い呼吸を繰り返す若い男は左手に手紙を抱えていた。

 横にはボルトアクションライフル。


「あ……」


 若い男の霞む視界に、狼と女の子が映る。

 女の子は恐怖で声をしまい込む。


『人食い共にやられたか、狩人。ざまぁないな』


 狼は嘲笑う。

 狩人は痛みを堪えるわけでもなく、ただ真っ直ぐ、穏やかに、震える左手で手紙を差し出す。


「誰だっていい……妻に、手紙を、近くに村が、ある」


 女の子か狼に手紙を渡そうとしている。


『ふん、受け取れ、もうこいつは助からん』


 狼の命令口調に従い、狩人にゆっくり近づいて手紙を受け取った。

 手紙は点々と血が付着している。

 狩人は安堵の息を吐いて、女の子に微笑む。


「ありがとう、お嬢さん……この銃、もう僕は使わないから持って行き」


 狼にちらりと顔を向けると、受け取れと首を動かして合図を出す。

 立て掛けられたライフル銃を手に取る。

 手に持った瞬間、重さに体が少し屈む。


「君にはまだ重いね。1発、装填されてる。もし危ない時があったらボルトを倒すんだよ、衝撃に耐えれるよう体を低く構えて……ここに指をかけて、撃つんだ……いいね?」


 震える左手でライフル銃の部位を指す。

 女の子は不安げに頷く。


「いい子だ……あぁ彼女に遺してあげられなかったや。悪い夫だなぁ……彼女、怖がりだから…………渡したら、すぐに出発する……だ」


 弱々しくなる狩人の声。


『行くぞ』

「でも」

『赤ずきん! さっさと来い!!』


 吠えるような怒鳴りにビクついた赤ずきん。

 穏やかな瞳に見送られ、赤ずきんと狼は森の中を進んでいく。

 徐々に白い眩しい光が差してきた。

 久し振りの陽射しを浴びた1人と1匹は瞼を閉ざし、数秒後にゆっくり開けた。

 小さな集落が目の前に映る。


『村にさっきの番がいるんだろ、探すぞ』


 赤ずきんを置いて堂々と村の中に踏み込んでいく。


「お、狼だ! か、狩人、狩人はまだ帰ってこんのか?!」


 村人達が叫びながら家の中へと逃げ込んでいく。


『道具がなきゃなんにもできん人間共が』


 悪態をつきながら、逃げる人間を無視して探し回る。

 赤ずきんは村から少し離れた場所に建つ小屋を見つけた。


「あそこかも」

『じゃあ行ってこい。渡したらさっさと出るぞ』

「分かった……これ、重い」

『持ってやる』


 ライフル銃を一旦狼に預け、手紙を持って小屋に向かう。

 扉を叩く。


「あの、こんにちは」


 もう一度扉を叩いて、挨拶をする。

 中から控えめな女性の声が聞こえてきた。

 扉が少し開き、長い黒髪の若い女性が驚きと戸惑いを混ぜた表情で見下ろす。


「こんなところに、女の子……どうしたの?」


 ビクビクと半開きの扉から訊ねる。


「あの、森で、かりうどさんから手紙をあずかりました。えと、お届けに」

「夫から?」


 赤ずきんは手紙を差し出した。

 恐る恐る受け取った女性に一礼して、急いで立ち去る。


『よし、落ち着ける場所を探そう』

「でもお母さんがしんぱいしてるかも……」

『…………人食いに喰われたと思ってお前のことなんか』


 扉が軋みながら開く音が、獣の耳に届いた。

 左目に、銃身の短いダブルアクションリボルバーが映る。

 赤ずきんを鼻先で突いて急かす。


「え、な、なに?」

『逃げろ、撃たれる!』


 1発の破裂音が村に響き渡った。

 小道に着弾し、土が抉れ弾ける。

 小屋に顔を向けると、若い女性はリボルバー銃を両手に、銃口は狼を狙ってまた発砲。

 狼は連続した破裂音に怯んで転んでしまう。


『くそ! 身体が音に』

「あ、あ……あぁ」


 赤ずきんは青ざめて、引き攣った顔の若い女性に腰を抜かす。

 落ちたライフル銃は地面へ横たわる。


「夫を喰ったのね! 許さない、返して、返して、夫を返して!! 殺してやる、撃ち殺してやる!! その腹を裂いてやる!!」


 リボルバーを続けて撃つ、騒がしい破裂音に狼は逃げ回ることしかできない。


「やめて、やめて……オオカミさんを撃たないで! なにもしてないの!」


 必死の訴えに、若い女性は標的を変えた。


「アンタが、アンタがこの人食いを操って、夫を殺したのね?!」

「ち、ちがう。かりうどさんは」

「許さない、返しなさい!! 返しなさいよ!!」


 赤い頭巾ごと掴んで、前後に揺さぶる。


『おいやめろ!!』


 狼は引き離すように若い女性へ体当たり。

 衝撃で転んだ若い女性はすぐに起き上がってリボルバーの銃口を狼に向けた。

 1発の破裂音が至近距離で響き、銃弾は当たらなかったものの、身体は銃声に反応して倒れてしまう。


「あ、だ、だめ……やめて」


 焦りながらライフル銃を急いで拾う。


『危ないと思ったら撃つんだよ』

 

 穏やかな瞳と、優しい声が聴こえてきた。

 銃口を若い女性に向け、既に装填されている銃弾を1発。

 鼓膜を刺激するには十分の衝撃波と瞬間的な爆圧に、小さな体は背中から1回転。

 リボルバーが赤ずきんの足元に転がり、若い女性の鮮血は周囲を染めていく。

 狼は顔を素早く左右に振って、呆然と座り込んだ赤ずきんを左目に映す。

 赤い溜まりがどろどろと、重力に従って流れていく。

 若い女性は手紙をポケットに入れていたのか半分が外に出て、血に染まる。

 手紙に手を伸ばした。

 未開封で、何を思ったのか引き抜き、リボルバーも拾う。

 弱々しく喉を震わしながら狼を見上げた。


『……すまん』


 街道から外れた場所に、狼が村で盗んだワンポールテントを立て、乾き始めた手紙を広げた。

 辛うじて読める文字。

 未開封のはずなのに、中の手紙は皺くちゃになっていた。

 狼はテントの入り口で伏せて周囲を警戒している。

 赤ずきんは黙読する。

 愛しい僕の妻へ、から始まった。


『これを読んでいるということは、僕はこの世にいないということ。

 君は怖がりだからこんな手紙を書いているなんて知ったら泣いて怒ると思う。

 けど、書きたいんだ。僕の気持ちを知ってほしい。

 僕は、群れからはぐれてしまった子供を守ろうとした親を撃った。

 悲痛な泣き声をあげ、亡骸に向かって呼びかける子供を前に、とめどなく涙が零れてしまった。

 まだ生えそろっていない歯で僕の足を噛むんだ。

 撃てなかった。逃がしてしまった。

 人食い狼にも家族がいる、僕らとまったく同じなんだって、気付いたんだ。

 愛する家族の為に生きている。

 でも狩人になったことを後悔なんかしてないよ。

 君との愛しい日常を守る為だと思えば、迷いを消すことができるんだ。

 それぐらい君は大きな存在なんだよ。

 だからどうか悲しまないで、憎まないで。自分のことも、誰かのことも。

 魂になっても僕は君の傍にいていつまでも見守ってる。ずっと愛している。

 直接言えなくて、ごめん。

 君をずっと、ずっと、ずっと、愛している』

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