#30

「さあ、今日もこの時間がやってまいりました。リアル・ディベート。変わりゆく世の中で今をとらえる感覚型討論番組。本日のテーマは男性妊娠。義胎妊娠、社会妊娠、遺伝子工学。テクノロジーの進歩によって妊娠の在り方が刻一刻と変わりゆく中、ついに男性は妊娠できないという常識が破壊されようとしています。今回はいつもの豪華出演者に加え、スペシャルゲストをお招きし、これからの妊娠の在り方について鋭く議論していただきます」


 元お笑い芸人の司会の流暢な番組開始の挨拶と共に、円卓に座る各出演者にスポットライトが当たっていく。


「鋭すぎる論理で前回は討論相手がべそをかいたと話題になった九州大学遺伝子工学科特任講師鷹野ロゥさん。本日もその日本刀のようなロジカルは発揮されるのでしょうか」


 紹介と共に、私も慇懃に礼をする。


 前回はあまりに非合理な理論を振りかざすコメンテイターを激つめしたら泣かせてしまった。

 素を出してしまったと反省したのだがプロデューサーに大うけし、これからもそのキャラで行ってほしいと後押しされてしまった。


 特任講師として安くはない年俸を貰う身分ではあるが、生命維持装置やヒューマノイドの維持費、毎週呼んでいた回春マッサージなど出ていくお金も尋常ではない私にとって、このような副業には非常に助けられているのだが、今日の議題はあまりに酷だった。


 妊娠がテーマなら、私がここで孕ませプレイがいかに性的欲情を掻き立てるものなのか一演説をぶちまけてもいいのだろうか。

 気持ちよく演説をかました後の周囲の反応を想像すると皮肉な笑みが浮かんでくる。


「そして、今回のスペシャルゲスト、世界初の子宮とペニスを両方持つ男性こと、鷹野マサさんとそのパートナー鷹野ミィ、ご夫婦です」


 円卓に並んで座る両親にスポットライトがあたる。


「妊娠前の大切なお身体ということで、ディベートに参加するのはミィさんだけとのことで、先に夫のマサさんにコメントを頂きたいのですが、どうでしょう。妊娠中と発表してから賛否両論入り混じり、世間から多くの反響が返ってきていますが」


 司会の合図とともに、円卓の中央に男性妊娠に対する反応を記した記事、投稿、ムービーのサムネイルが数多く示される。


「否定的な意見が寄せられるのは想定していましたが、私や家族に害を与えることをほのめかすような脅迫まで寄せられたのはショックでしたね」


「孤児連盟の表明ですね」


 司会が眉をひそめ、自分も憂慮していると表明する。


 男性妊娠の話題に触れることを極力避けていた私も、孤児連盟の脅迫のニュースは耳に入っていた。


 孤児連盟。


 家族妊娠で親を持って産まれてくる子が居ることを生まれながらの差別として憎悪の対象とし、家族妊娠の廃絶を唱える過激団体。

 市民の子がパトリエ間の交流を持つために覆現上で作ったコミュニティが母体だったらしいが、近年では同じように様々な理由で家族妊娠を憎む人々が集まり、家族妊娠を支援するNPO団体へのサーバー攻撃や政治家への攻撃など、攻撃性を増しつつある。


 円卓の中央に数多並ぶサムネイルの中には、歯並びの悪い男が憎悪の籠った睥睨をこちらに向けているものがあった。


 その憎しみの眼差しは私に強く印象を残していた。


 瀬戸内海のある小島で科学技術の過度な利用を拒絶するナチュラリストたちの集まるコミュニティで起きた殺人事件。


 両親を殺害した犯人が自殺前に送った投稿で、乱杭歯の隙間から泡を飛ばしながら彼は自らのような劣等遺伝子は淘汰されるべきで、個人的な生殖、つまり家族妊娠は廃絶されるべきだと手当たり次第に集めたような破綻した論拠を捏ねながら何度も何度も繰り返していた。


 孤児連盟のシンボル、点線で描かれた男女とその下に実線で描かれた子どものピクトグラムの旗を背景に血走った眼で支離滅裂な論理を語る狂人に私が強い印象を覚えたのは、私も父の射精があともう一瞬でも遅ければ彼と同じような狂人になっていたのだろうとかなしみを覚えたからだ。


 遺伝的多様性を担保する有性生殖では、私のように中央値を並外れた頭脳が発生することもあれば、私とは逆方向に中央値を並外れた頭脳が発生することもありうる。


「脅迫を行った団体に対しては刑事捜査が進行中とお聞きです。このような状況の中、リアル・ディベートの出演を快諾していただきありがとうございます」


「父は強し、ですから」


 父はそう言って笑い、

「新しい技術が世に普及するときは多かれ少なかれ反発が生じるのは自然なことです。反対者を狭量だと非難するのではなく、その実情を知っていただく。未知のものが次第に慣れ親しんだものに変わっていけば反発も自然と和らぐ。そのような考えから今回番組に出演することを決めました」

と真剣な面持ちで続けた。


 父の言葉が終わると共に、両親の真上に表示されている赤色のバーがくくっと伸びる。


「じゃあがんばって」


 母に声をかけ、父の覆現がふっと消えた。


「さて今回のディベート前に論者のみなさんには、男性妊娠に賛成か反対かアンケートを取っております」


 余興は終わり、これからがメインコンテンツだとばかりに司会が声を張り上げる。


 円卓が白と黒の両陣営に分けられる。私も賛成派の一派として円卓の周囲が白く塗り分けられる。


「そもそも男性妊娠に反対の論者がいらっしゃることが驚きですね。これまで男性は妊娠から疎外され続けてきました。女性が子を産むか産まないかの選択を迫られている一方で、男性にはその選択肢すら与えられていなかった。男性妊娠は男女の身体的差異を埋める最後のピースで、社会妊娠すら認められるようになった現代で妊娠出産について考え直す良い契機になると信じています」


 最初に口火を切ったのは母親。


「私はその考えには賛同できませんな」


 母の口上に真っ向から反対の意を示したのは義胎妊娠に長年反対していることで知られた宗教団体の教祖だった。


「男女の差異を無くすことが正義のように語られますがな、本当にそうでしょうか。産む性としての女、戦う性としての男、そもそも男女は別々の存在として形作られているのですから。わざわざ自らの体をいじくりまわしてまで、子どもを産もうとすることが本当にただしいのですか」


 母があからさまに眉をひそめるのを見て内心空恐ろしくなるが、彼女が見つめる対象は私ではないと思い直し、気分を落ち着かせる。


「男が子を産めるようになったところで、男と女の身体が異なるように造られている事実は相も変わらず残ります。男に子宮を与えた次は、女も射精可能なペニスを持つべきだなんてうそぶく未来が見えますな。差異を悪だとする単純な世界観ではなく、なぜ我々がひとりひとり異なる存在として形作られているのか、女性のみが子宮を持って生まれてくる意味を今一度考え直すべきではないのですか」


 教祖が発言する間、彼に対する賛同と反対を示す赤青二本のバーは共に伸び続けた。


 根強いファンがいるけれども、同時に宗教味を帯びた主張に反感を覚える視聴者も多いということだろう。


 議論番組を名乗ってはいるが結局リアル・ディベートはエンタメだ。

 反対票が賛成票をある程度上回ると強制的に発現権が奪われる悪趣味な仕掛けがあるこの番組で、この芸を続けるのは旗色が悪いだろうな、と傍からジャッジする。


「同じ反対派として一緒くたにされたくはないので口を挟ませていただきますが」


 教祖への反論の仕方を何通りか脳内でシミュレーションしていると、予想外に教祖と同陣営から反対の声が上がった。


「私が男性妊娠に反対するのは、それが不自然だからなどではなく、単に生まれてくる子どもが負うリスクを考えない産み方だからです」


 彼の顔には見覚えがあった。私と同じように遺伝子工学の分野で業績を残している研究者だ。何度か学会で会話を交わした覚えがある。


「母胎妊娠に対する義胎妊娠の優越性を証明するメタ解析は、五〇年も前から既に十八の論文が出ています。妊娠者と子の健康を考えれば、母胎妊娠と義胎妊娠どちらを選択すべきかはもはや結論がついて久しいわけです。歴史的経緯もありますから、母胎妊娠を禁ずるのが非現実的であるのは確かでしょうが、ですが選択肢を増やすという美麗句のために生まれてくる子を危険に晒すのは相応しくないのではないか、と私は思います」


 彼の主張は、もし私が反対派として参加していたら言っていたであろう主張と寸分たがわず同じで、思わず苦笑してしまった。


「倫理委員会の認可もきっちり通過しており、安全面には十分配慮したうえでの試みということを理解していただきたいのですが」


「安全面の配慮といっても比較対象は母胎妊娠でしょう」


 母の反論に即座に言葉を返す研究者。


「道を歩いていたって足をくじき骨折する人はいます。ヒトが産む限り、出産に一〇〇%の安全は保障されませんし、さらに人工子宮の移植という医学的処置が加わる男性妊娠ではなおさらでしょう。自己実現のために子をリスクに晒す正義はどこにあるのですか」


「貴方の話を伺っていると、妊娠をまるで危険でできればやりたくない苦役のようにとらえているように聞こえますな」


 研究者の主張に、再度教祖が首を突っ込む。


「その通りじゃありませんか」


 教祖の指摘に、研究者は両手を広げ、開き直ったかのように答える。


「現代医学が発展するまで、出産は文字通り命がけの行いでした。先ほど教祖様がおっしゃったように、男が戦う性、女が産む性として神に形作られていたとするのなら、正確な表現は、男は戦って死ぬ性、女は産んで死ぬ性だったわけです。明日死ぬかもしれないという恐怖から無縁の現代社会を享受しておきながら自然が一番だなんてうそぶくのはダブルスタンダードですよ」


 二枚舌だと貶され、教祖の顔が真っ赤に染まる。


「妊娠を神秘的だとロマンチックなまなざしでみるのは構いませんがね、妊娠という行いが人体に多大な負担を与える行いであるという真実から目を背けちゃいけません」


 例をあげましょう、と必死で反論を考えているであろう教祖を圧倒する様に、研究者が隙を与えず話し続ける。


「女性の骨盤は男性のそれに比べ幅広に造られています。この構造的差異によって一般的に女性は男性よりも股関節の柔軟性に富むのですが、変形性股関節症や骨盤臓器脱といった疾患に苦しめられる比率も上がります。また月経による女性ホルモンの変動は、月経前症候群、PMSとして知られる、情緒不安や自律神経の乱れ、腹痛、頭痛など様々な精神的、身体的症状を引き起こします」


 ヒステリーの起源が子宮を意味するギリシア語であり、ヒポクラテスがヒステリーは子宮が体内で動き回ることで生じる症状だと語ったように、かつて社会規範に相応しくない女性の振る舞いの原因は子宮にあると解釈されていた。


「女性は子宮がない方が幸せだとでも言いたいんですか」


 教祖が円卓を叩き、強い憤りを見せる。


「男性だって同じですよ。男性もPEMによってさまざまな不利益を被っています」


 興奮した教祖に対し、研究者は相変わらずの飄々とした態度を崩さない。


「すみません。どういう意味の言葉ですか」


 司会が突然出てきた造語の解説を求める。


射精前症候群Preejaculation syndromeです」


 説明不足でしたね、と補足説明を加える研究者。


「男性の性衝動、欲求不満が、認知機能の低下や不適切な行動を誘発することは広く知られています。女性の生理前の体調不順は病理化され、個人のなまけ癖などではないと医学的事実によって免責されているというのに、男性の性衝動は未だに個人的にコントロールすべき悪癖として責められ続けています」


「なにを言うかと思えば、男も去勢しろという主張かね」


「貴方はなんでも大げさに受け取るきらいがありますな。生殖機能の野放しはメリットよりデメリットの方が多いという事実を指摘しているだけです」


「それは家畜化となにが違うのかね」


「ヒトの動物性を否定することが家畜化と呼ぶのならそれでもかまいませんよ」


 自分が言うのもなんだが、なんとも癖の強い連中が集まった討論会だ。


 エンタメを成り立たせるためにも私も討論に首を突っ込んだ方がいいだろうかと考えていると、熱暴走した議論を続けるふたりの覆現が不意に円卓から消え去った。


「おっと、私もふたりの暴走に気を取られてポイントを確認するのを忘れておりましたが、どうやらマイナスポイントがプラスポイントの二倍に達し、強制退場になったようですね」


 突然の現象に司会が説明を加える。


 最初は面白がっていた視聴者たちも、癖の強い主張の競い合いにはさすがに食傷気味になったらしい。


 議論のボールをとんでもない方向へと蹴り飛ばしたふたりが消えたことで円卓に一瞬弛緩した空気が流れる。


「ミィさんに伺いたいのですが」


 緩んだ空気を縫うようにそう発言を求めたのは、ジャーナリストの女性。

 全国各地で行われていた非合法な社会妊娠についてのルポタージュで一躍有名になったと最初に説明があった。


 彼女の姿を見た瞬間、綺麗な人だ、と思った。


 不思議だ。


 覆現を介したヒューマノイドの眼から見つめる世界は私の肉情からあまりに遠く離れすぎている。他人の美醜を気にしたことなんてこれまでなかったのに。


 鋭い意志を表すかのような切れ目と打って変わって柔らかな眉。濃い目の化粧で大きく涙袋を描く一方で頭髪は後頭部で気楽に纏めたポニーテール。ローズ系の口紅で大人らしく装った唇はよく見ると小さく少女のそれにも見える。


 なんとも相反する要素を持った女性だった。


「男性妊娠に掛かる費用はどれくらいになる予想ですか」


「まだ試算ベースですが軌道に乗れば、出産までの管理も含めて五〇〇万台に収まる見込みですね」


「それだけの金銭的負担をしてまで産もうとする人々はいわゆる富裕層ですよね。結局性別によって妊娠から疎外されているかどうか決まっていたのが、富によって決まるようになるだけなのでは。既に男性妊娠の被検者として立候補されている方も芸能人や政治家、みなさん裕福な方々ばかりですし」


「最初はそのような不均衡も生じるかもしれませんが、最終的には男性妊娠の保険適応を目指しています」


「ということは結局私たちの税金によって賄うことを考えているわけですね」


 嫌味な質問だ。母親が答えを返すのを待たずに、ジャーナリストは台詞を続ける。


「地球環境、第三世界の貧困。現代文明が解決すべき問題はまだまだたくさんあり、産み方という個人的な問題のために国を挙げて支援する必要があるのでしょうか」


 先ほどの奇人たちに比べれば、うまい回し方だなと感心する。


 どのような産み方がただしいのかなんて議論し合ったって意味はない。


 ある種のただしさにぶつけるべきは、まったく別の種類のただしさだ。


「ロゥ先生にお伺いしたいのですが」


 そんな風に他人事で感心していると、彼女の矛先が今度は私に向いた。


「先生自身の研究を鑑みれば、先ほど暴れていらっしゃったあの方と同様に義胎妊娠に賛同する立場として同じ反対派に属するものだと思っていたのですが」


 痛いところをついてくるな、と内心苦笑する。


 私が賛成派に付いた理由を端的に説明するのなら、結局両親に表立って反対するのが怖いから、それだけに過ぎない。


 経済的自立を求め、物理的に両親と距離を取ろうとしても、私の精神は未だ両親に従属し続けているわけだ。


「遺伝子工学を研究している人間が全員同じように義胎妊娠に至高の価値を置いているわけではありませんよ。彼と違って私は妊娠を生産性だけで図るほど心が渇いているわけではありません」


「妊娠者の主体性を重んじる、と」


「そういう立場ですね」


 語りながら、自分でもこの理屈を崩す論法が少なくとも三つは思いつくなと考える。


「なるほど。ありがとうございます」


 しかし彼女はそれ以上の追及はしてこなかった。

 彼女は再び母親との討論に戻り、私と論を戦わせる際も私の立場を云々することはなかった。幸せに似た情動に打ち震えていた。

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