#29

 方針は固まったが、大きな問題がひとつあった。


 私には気軽に誘えるような女性関係がほとんど存在しない。


 対人コミュニケーションに問題を抱えているわけではない。

 私自身の発達特性は、定型発達者が好むコミュニケーションを行うには向いてはいないが、一般的なコミュニケーションに頻出のパターンを学習しさえすれば十分対応可能だ。


 しかし、異性と恋愛関係を築くためのコミュニケーションを私は知らない。


 どのようにして異性をデートに誘うのか。

 デート中どのような話題を選択すべきか。

 そして最終的にどのような段取りを踏んで恋仲になるか。


 いくら優秀な学習モデルを持っていても、学習データが用意できなければ無意味だ。


 データを蓄積するまでの間に多くの失敗を重ねるコストを疎んで、これまでは恋愛に興味がないようなふりをしていたがそのような悠長なことは言っていられない状況だ。


 というわけで馴染みのセラピストに連絡を取った。


「あら。もうイキそうなの」


 寝室に粘性のある淫靡な水音が響く。


「う、うん」


 自分では動かせない部位を好き放題弄られ、痴態の窮まった情けない声が人工声帯から出てしまう。


「また手に出しちゃんですか。子ども作るための精液なのに」


 クスクスと嘲笑の籠った笑い声を浴びせながら、セラピストが私の陰部を弄る速度を上げる。


 自分でも非合理的とは思うのだが、ひとり暮らしを望んだ理由のひとつに、回春マッサージを家に呼んでみたいというものがあった。


 障碍から生活の大半を覆現に沈んで過ごす私は、必然的に覆現セクシュアル動画にハマった。


 そもそも覆現普及の原動力となったのが性交の追体験が可能という男の夢だったわけで、覆現に入り浸る私がエロに引き寄せられるのも当然の話というわけだ。


 しかし覆現に氾濫するエロ動画の大半は、あまりに非現実的で耐えがたい代物だった。

 無論、そういったエロ動画は男の欲望をパッケージに詰め込んだ現実では起こり得ないものではあるのだけれど、私がウンザリとしたのはクラス一の美人が冴えないボクを好きになってくれるとか、急に超能力に開花した男が時間停止能力を使って好き放題するといったストーリーではなく、覆現ムービーの中で多知覚モデリングによって五感を共有する男性出演者が四肢を自由に動かし、異性と肌と肌を触れ合わせる感覚そのものだった。


 美少女が取り柄のないムサ男を好きになることも、ある日超能力に目覚めることも、どちらも現実味のない出来事ではあるけれど、美少女の内面心理にも超能力の非実在証明にも詳しくない私にはそれが起こり得ないと実感を持って語ることはできない。


 けれど、四肢を自由自在に動かし、女体を我が身に抱くあの感覚は、私にとってあまりにも白々しいものでしかなかった。

 私は自分の身体が監獄に過ぎないことをあまりにも知りすぎていた。


 結果、私が好む覆現AVは男性出演者が寝そべるだけの受け身のもの、つまりSMモノや風俗ものばかりで、その中でも特にマッサージものが大好物だった。


 念願のひとり暮らしを始め、お金に余裕はあるのだからと試しに回春マッサージを呼んだ私は案の定ドはまりし、週一以上の頻度でセラピストを呼ぶ太客となり果てた。


「どこに出したいんですか」


「う、」


 源氏名アケミちゃんの言葉責めに恥ずかしくてうまく言葉が出ない。

「ちゃんと言ってください」


「子、 子宮の中」


「本当、変態さんね」


 マゾっ気を刺激する純粋な唾棄を浴びせ、セラピストがさらに陰部を擦る速度を上げる。


 身体的事情からも自然とひとりのセラピストを呼び続ける私は、自然とアケミちゃんと仲良くなり、彼女は私の性的嗜好に理解を示して私が好むプレイをしてくれるようになった。


 自分の性的嗜好に気付いたのは一〇年前、私としては珍しく同年齢の小学生と共に保健体育の授業を受けていた時だ。


 男女の解剖学的差異や受精の仕組みを説明する授業は、自分ひとりだけ大人の体格を模したヒューマノイドで机に座っているのが場違いでひどく苦痛な時間だった。


 オスには精巣と陰茎があり、メスには卵巣と子宮、膣がある。オスの陰茎をメスの膣に挿入し射精によって放出された精子がおおよそ二八日周期で排卵される卵子と受精し、着床することによって妊娠が成立する。


 小学生向けの簡易な言葉で先生が説明している最中、ある男子が近くの女子に「お前もエッチしたら子どもができちゃうんだぞ」といった類のからかいをした。


「今、からかった人。すぐ立ちなさい」


 途端に教師が怒気の籠った大声を上げ、ふざけた男子を叱った。

 怒声を浴びせられ怯えた男子を席に座らせた教師は続けてこう言った。


「みなさんが性行為に興味を持つことは正常です。もう少し大きくなったら、互いに好きな人とそういう行為をすることもあると思います。ですが、その時にはコンドームや精管結紮、卵管結紮といったただしい避妊方法を実践し、決して妊娠することがないよう注意を払わなければなりません」


 彼女は「決して妊娠することがないよう」という箇所に力を込めて語り、その禁忌を語る言葉は怒声でしんと静まった教室の中、殊更に響いた。


「どうしてでしょうか」


 私は思わず手を上げていた。


 母親は私を母胎妊娠で産んでいた。


 彼らが遺伝子検査を行っていなかったことには不信感を覚えていたが、母胎妊娠そのものが悪であるという発想は存在しなかった。


 教師は突如話を遮った私に一瞬鋭い眼光を飛ばし、興奮した気持ちを抑えるよう一呼吸置いた。


「妊娠とは他者を害する行為ですから」


 その言葉を聞いた瞬間、脳が膨れ上がるようなぞくりと身震いする陶酔感を覚えた。

 どうしたのだろうと一瞬戸惑ったのち、生身の下半身が痛いくらいに怒張する感覚を覆現を超えて遠くに感じた。


 なぜ興奮を覚えたのか、その時は戸惑うばかりだったが、今なら説明できる。


 自分自身の身体すら我がものとならない私でも、下半身から放出される欲情を介して他者の身体を我がものとして占有できることに興奮を覚えたのだ。


 後になってから思い返せば、教師の妊娠に対する認識は、当時としても多少過激な部類ではあったが、それでも他者を妊娠させることに性的興奮を覚える嗜好は、キュエフェリアという名称をつけられ、ペドフェリアやネクロフェリアと同じような明け透けに語ることのできない禁忌になりつつあった。


「本番禁止のお店で子宮に出したいなんて変態にはこれで十分よ。ほら。さっさとイキなさい」


 禁忌と性的嗜好は強く結びつく。セラピストの機械的なピストン運動に私はたちまち限界を迎えた。


「変態ね」


 手に付いた白い液体をふき取りながら唾棄された、その言葉にまた私は身震いしてしまう。


「コーラでいいんだよね」


 意識を肉体からヒューマノイドへと移し、寝室に常設してある冷蔵庫から飲み物を取り出す。


「いっつも思うけれど、プレイが終わったとたんそっちに意識を移されると他人が現れたみたいでビビるんだけれど」


「そうか。どっちも私なんだけどな」


 次からは何十秒かインターバルを取るべきだろうか。


 手を清潔にしている彼女の脇にコーラを置き、自分の口には給水機から水分を補給してやる。


「鷹野もコーラとか飲まないの」


「清掃するのが面倒だし、そうじゃなくても炭酸はダメだね」


「なんで」


「げっぷをさせなくちゃいけない」


「まるで赤ちゃんみたいね」


 手に持ったグラスを揺らしながらけらけらと声を上げ笑うセラピスト。


 屈託ない笑みに私はドキリとしてしまう。


「ずっと赤ちゃんでいられたらそれはそれで気楽だろうけどね」


「心配事があるの」


「最近、結婚を考えていてね」


「へえ、まだ二十歳にもなってないのに。どうして」


「親がうるさくてね」


 嘘をつくのは苦手だ。


 結婚を考えた切っ掛けが親にあるのは確かなのだから、ギリギリ解釈次第では嘘ではないと自分に言い聞かせる。


「ふーん。教授様も大変なんだね」


「君はどうなんだい」


「ん。私が結婚を考えてるかってこと」


 セラピストは意味深な笑みを浮かべ、幾分かもったいぶってから言葉を繋げる。


「この仕事は好きだけれど、一〇年二〇年後も同じように続けるのは難しいだろうからね。気が合って、ちゃんとした仕事をしてる人となら一緒になってもいいかもね」


「大学の講師はちゃんとした職にはいるかな」


「それが入らなかったらあとは総理大臣ぐらいしか残らないわよ」


 いけるぞ、と私の灰色の脳細胞がGOサインを出した。


「そしたらさ」


 ヒューマノイドの大きな手で、セラピストの手を包む。


「私と結婚してほしい」


 セラピストの目が大きく開かれる。


「それって、」


 彼女が何か言葉を返そうとするけれど、私はまだセリフを言い続けている途中だった。


 勢いのまま、私は事前に考えていた口説き文句を言い切る。


「そして私の子を産んでほしい」


 いつか私にも自分の子を産んでもよいと受け入れてくれる女性が現れるだろうと信じて、配偶子治療は一八歳の時、ひとり暮らしを始めてすぐに済ませている。いつでも妊活バッチコイだ。


 衝動的な告白の後に訪れたのは沈黙だった。


「それって、義胎で生むって意味じゃないのね」


 大きくうなずく。


「ごめん。キモすぎるわ」


 プレイではない、純粋な唾棄。


「じゃ、時間だから」


 一刻も早くこの場を去りたいと、急いで荷物をバックに詰め込み、ドタドタと足音を鳴らしながらセラピストは部屋を出ていき、玄関のドアが勢いよく閉められた大きな音が響いた三〇秒後には店から出禁の通知が届いた。


 手詰まりだ。

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