異種出産譚

#28

 かつて両親に、なぜ子どもを作る際に遺伝子検査を行わなかったのか尋ねたことがある。


 その質問は純粋な合理的好奇心、その頃の私はすべての物事に合理的理由があると信じてやまなかった、から来たものであって、回復不可能な神経疾患に悩み四肢どころか、自発的に声を発することすらできない自らの現状をあてこすったものではなかったのだが、両親はそうとは取らなかった。


「配られたカードで勝負するしかないんだ」


 取り乱した母を落ち着かせた後、父は言った。


「たしかに私たちは君に健康な肉体をあげることはできなかったが、聡明な頭脳を与えることはできた」


 スヌーピーの言葉からとったその励ましは、私には一ミリたりとも響かなかった。


 遺伝子の分配は多分に偶然性を含み、また先天性な遺伝が一〇〇%すべてを定めるのではなく、環境因子によって表現型は変化する。


 ランダムに配られる手札の情報を元に、コール、レイズ、ドロップ、どの戦術を取るか決定できるポーカーをたとえに使うのはよい比喩と言えるが、私が問題にしていたのは配られるカードの期待値であった。


 勝負の仕方など他人のアドバイスを聞かなくとも合理的に思考すればすぐに答えにたどり着くことができる。


 遺伝子の分配は五二枚のトランプから五枚のカードを無作為に抜き出す52C5の組み合わせとは異なる。


 メンデルの法則を知っていればすぐに分かるはずだ。

 丸いエンドウ豆同士を配合しても子が丸いエンドウ豆になるとは限らない。


 顕性遺伝と潜性遺伝。


 わが子に自分と同じような丸いエンドウ豆になってほしければ、自らの遺伝子にシワのあるエンドウ豆の遺伝子があるかどうか調べる必要がある。

 両親が自分たちの表現型から、わが子も同じような表現型になるだろうと判断したのは間違っている。


 常染色体潜性遺伝病。一〇〇万人にひとりの変位対立遺伝子のホモ接合によって発症する、現在日本の患者数が私ひとりの極まれな疾患であっても事前に遺伝子検査を受けてさえいれば、子どもが被るかもしれない遺伝疾患のリスク確率が計算され、配偶子治療を受けるよう助言を受けることができたはずだった。


 なのに両親は遺伝子検査を行わなかった。


 彼らは昔ながらのやり方、つまり、射精によって放たれた精子が卵管膨大部に漂う卵子へと受精し着床する自然妊娠で子を造り、子に配られたカードがブタなのかロイヤルストレートフラッシュなのかは神のみぞ知るに任せた。


 私はこの不合理の解釈として、両親は私の表現型にこだわらなかったという仮説を立てていた。


 多数ある表現型の内、どの表現型が優れているかを絶対的に判断することは不可能だ。


 寒冷地で生存するためにはベルクマンの法則から大きな体の方が優れており、孤島で生存するためには獲得しうるエネルギー量から小さな体の方が優れている。


 だからこそ多細胞生物の多くは雌雄合体という遺伝多様性を広げる生殖方法を採用したのだし、ホモ・サピエンスにおいても同じである。


 文明崩壊後生き残るのは頭脳明晰な人間でも身体能力に優れた人間でもなく、感染症のはびこる不衛生な環境をものともしない免疫機能に優れた人間だろうが、現代の環境では「バカは風邪をひかない」という俗話から推察できるように優秀な免疫機能を持つことは尊敬の対象にならない。


 ある人物が傑物として褒めたたえられていてもそれは表現型が環境に適していたという幸運に過ぎない。


 サバンナでは同じことは言えないのだ。


 たかだか三〇年の知見からわが子の表現型に手を加えるのは差し出がましい行いであると考え、国が推奨する遺伝子検査を断ったのだとしたら、それは合理的根拠に基づく判断だ。


 しかし両親の反応は違った。


 両親は説明できなかった。


 言い訳すら用意していなかった。


 彼らが遺伝子検査を受けなかったのは「その方が善いと、ただ信じていた」で、生まれた我が子が走り回ることができないのだと知った後に、自らの判断が間違ってなかったのだと信じたいがために私が優秀な頭脳を持って生まれたことを後付けの理由としたのだ。


 両親の反応を見て、私は人生で初めての失望を覚えた。


 失望は期待値と結果の落差から生じる。

 物心ついた時から私は他人が合理性を尊重せず感情的な行動を行う不合理な実在であると理解していたのだが、同じ遺伝子を半分ずつ持つ彼らはそうではないだろうとナイーブな信頼を置いていたのだ。


 私は彼らから早急に自立することを欲した。


 首から下の随意運動が一切不可能で、思考操作ヒューマノイドによる自己介助なしでは排便すらままならない私だったが、皮肉にも父が述べたように中央値を軒並み外れた頭脳が私にはあった。


 十二歳の私でも飛び入学が可能な大学、学科の中で、将来性と私自身の適性双方を満たすのが遺伝子工学科であった。


 私が飛び入学を志した一年前、とあるジャーナリストが、パレンス・パトリエ制度の施行以降より一層盛んになった義胎妊娠においてその誕生を望んだ親が存在しない事例、俗に社会妊娠と呼びならわされる事例が多く行われていることを告発した。


 このセンセーショナルな告発は世論に大きな反響を呼び、当時の厚生労働大臣が辞職する事態に至ったが、最終的には生まれてくる子どもへの告知義務などいくつかの条件を付けたうえで社会妊娠は公式に認められた。


 継ぐべき財産も信じるに足る信念も持たない一般大衆にとっては、自分が死ぬまで社会が持続することが最も重要で、自ら子を産むリスクを取るよりは親の存在しない子が勝手に生まれてくる方が都合がよかったというわけだ。


 私は社会出産の認可がサピエンスに対する遺伝子工学の応用を発展させるだろうと予測していた。


 ヒトは我が子には自分と同じような姿かたちで生まれてきてほしいと願う非合理性を持つが、赤の他人に対しては有用性で価値を判断するだけの合理性を持つ。


 私たちが糖度の高い果物を好むように。


 私たちが赤身の多い肉を好むように。


 私たちは自分の生活を支えてくれる誰かさんには、頑迷で物わかりの悪い人物よりも、人当たりがよく有能な人物の方が好まれる。


 そして遺伝子工学にはそれを実現する能力がある。


 この未来予測はおおよそ的中し、十八歳になった私は九州大学遺伝子工学部の特任講師の職に就くに至った。


 経済的にも自立し、二台の思考操作ヒューマノイドによって私生活も不自由なく過ごせるようになった私は、心配性の両親から離れ、念願の一人暮らしを始めることに成功した。


 けれども親の頚城から脱することはいまだ叶わない。


「私たちもこっちに来たんだし、また一緒に住まない」


 ベッドに横たわる私の身体の横で懇願する母を憑依するヒューマノイドのレンズから眺めながら、その事実を痛いほどに痛感した。


 博士課程で取り組んだ人体発生における神経リモデリング技術の改善が高い評価を受け、多くの大学から提示されたポストの中で九州大学を選んだ第一の理由は、両親が在籍する東京大学から遠く離れていたことに尽きる。


 大学生時代、都心の実家から筑波大学は遠いから下宿したいと訴えた際は、専属の送迎をつけると逆に説得され、むしろ両親の束縛がきつくなってしまった。


 東京から福岡にはさすがに通うことは不可能だからと、東京大学にポストを用意するから今からでも辞退してくれとわめく母を宥め、親の監獄から抜け出したのが一八歳の春の事。


 それが翌年の春には、両親揃って大学のポストを辞し、ベンチャー企業を立ち上げて、博多へとやってきた。


 無論、研究成果を事業化し、産業を興そうとするのなら博多に拠点を構えるのは相応しい判断だ。東京の人口減少は止まらぬ一方だし、アジア圏との連携を考えればなおさらだ。


 けれど、このタイミングで事業を設立したことに私は要らぬ邪推をしてしまう。


 両親は私を一生手離さないつもりなのだろうか、と。


 こうして生身の私に話しかけることに固執するのだってそうだ。


 私は自らの動かない身体を他者に開陳することを好まない。


 物心ついたころから徐々に自由を奪われていく身体の代わりとしてヒューマノイドを延長された身体として扱ってきた私にとって、炭素繊維強化プラスチックで構成された身体は自らのアイデンティそのものだ。


 一〇年前はただ思考操作可能なロボットに過ぎなかった自己介助用ヒューマノイドに覆現を通じた視聴覚共有やルーティン作業可能なAIを搭載するなど自分で改良を重ねたことで、今では自室のベッドに横たわったまま、研究室に出勤し、進捗報告をいつまでたっても送ってこない院生を指導することができる。


 自宅に友人を招く時も応対するのはヒューマノイドで、生身の体は開かずの扉とも揶揄される寝室の奥深くに隠し入れ、極力他人が私の本体と見えることがないように気を配っている。


 生身の私の身体は眼球運動以外の随意運動のできない置物、ただ単に頭脳を生きている状態に保つための器官に過ぎず、ヒューマノイドこそが私の体である。


 なのに両親は私の生身の体と対面したがる。


「このマンションにも慣れたところだからね」


 ズバリと一緒に住むのは嫌だと否定すればいいのにあいまいな返答をしてしまう。


「そんなことより母さんたちだって立ち上げで忙しいんじゃないのか」


 同居の話をしたくなくて、努めて話題を変えようとする。


 両親が立ち上げたベンチャー企業は臓器移植用人工臓器の商業化を目的としている。


 人工膵臓や人工甲状腺、多くの人工臓器が一般医療に利用されるようになって久しいが、これまで実用化された人工臓器は内分泌器官ばかり。


 積み木に例えられる3Dプリンティング工法は積み木同様に積層方向から垂直の圧に弱い。

 甲状腺や膵臓のようにホルモンの生産工場としての機能を果たすことが目的であれば十分な強度でも、毎分五リットルの血流を絶え間なく産みだし続ける心臓、肺胞や糸球体のような微細構造こそが肝心要な肺や腎臓のようなシビアな強度が求められる臓器を製造するには不十分であった。

 チタンメッシュを織り込んだ強化筋肉や生体セラミックを組み合わせる解決策は存在したが、異物の存在は免疫反応の問題を抱え込むことになる。


 これらの問題を解消するための最もシンプルな解法は、臓器を本来の作り方、つまり受精卵から育てあげることだ。

 完成までに十数年かかること、目的の臓器以外にもフルセットの人体が余剰品として出来上がってしまうことを除けば、真核生物誕生以来何十億年も使い古されてきた非常に信頼性のある製造法だ。


 無論このやり方は、倫理的問題を十二分に孕んだSF的解法でしかないが、目的の臓器のみが発生する受精卵でさえあれば問題は解決可能だ。

 ヒトゲノムプロジェクトの延長として、受精卵から全細胞へと発生する細胞系譜が解明されたことを契機として実現した新技術、臓器接合子の作成によって両親は二年前にノーベル医学生理学賞を獲得し、人工臓器培養を新しい産業として興すため企業を立ち上げた。


「需要が多い心、腎、肺の製造ラインの確立は一先ず片付いたわ。貴方が心配しなくても大丈夫」


 先ほどまで私の手をさすりながら懇願していた母が急にしゃんとして、既に契約も何十件か締結済みで、経営も上手くいく見込みがあると説明する。


「さすがノーベル賞受賞者。有能なことで」


「最年少教授に褒められるなんて嬉しいわ」


「特任講師さ」


 皮肉のつもりだったのだけれども、母は朗らかに笑うだけだった。


「けれどふたりの目標は人工心臓や腎臓で大儲けすることじゃないんだろう」


「ええ。すべての臓器を接合子によって製造できるようにするのよ。臓器は人体の内部で機能するんだから。人体を構成する素材だけで形作られるべきよ」


 母の強い語尾に私はイデオロギーの臭いを感じ、顔をしかめる。


 両親は優秀な研究者で、その点は尊敬しているのだが、既存の人工臓器を異物の混入した不自然として毛嫌いする点についてはどうしても受け入れられなかった。


 ヒトはヒト本来の素材だけで構成されるべき、だとしたら私のように生身では自発呼吸すらおぼつかない、ヒューマノイドを介して世界とつながる存在は不自然と見なされないのだろうかと皮肉めいた見方さえしてしまう。


「しかし採算を取るのが難しい臓器もあるだろう。膵臓なんて特にそうじゃないか」


「確かに、3Dプリンティングで作られた人工膵臓が競合だからな。コスト面で戦うのは厳しいが、皮膚直下に埋め込む既存の人工膵臓は美容上の問題がある。一定の需要はあると見込んでいる」


「問題は子宮よ」


 父の説明に割り込むように、母がため息をつく。


「義胎が実用化されて既に半世紀。これまで母胎妊娠を自然な産み方だと尊重してくれていた保守層さえも近年では義胎妊娠を当然のものとして受け入れてしまった」


 当たり前だと内心思う。


 今の時代、子宮で子を産むことにメリットを感じる人々は少なく、そのような神秘を信じる人々で生命工学を許容する人の数はさらに少ない。


「解決策があるのかい」


「お前に弟か妹ができるかもしれないぞ」


 父が得意気な笑みを浮かべ、着ていたシャツをめくる。

 赤みを帯びた真新しい切開痕がへその下から恥骨にかけて走っていた。


「子宮移植、か」


 瞬時に連想が浮かび、思わず言葉が出るが吐かれた言葉に自分自身理解が追い付かない。


「そうだ。男性妊娠だ」


 父が意気揚々と述べる。


「社会妊娠が認められて一〇年近く、最近では家族妊娠や母胎妊娠を復権しようとする動きがある」


 どこかの芸能人が母胎妊娠を理由に長期の活動休止に入るニュースが話題になっていたなと想起する。


 いつの世も革新と反動は交互に訪れる。


「が、母胎妊娠には大きな問題がある。何だと思う」


「母胎妊娠が出来るのは女性のみ」


 父の試すような質疑に的確に答えが浮かぶ自分の脳みそが恨めしい。


「そうだ。自ら進んで子を成す女性には賞賛が集まるが、妻に子を産むことを合意させた男性には負担の強制として非難が殺到する」


「男が妊娠できるようになればそれも解決可能か」


 父は頷き、

「状態が安定したら、人工着床を試みる予定だ」

と自分の腹を撫でた。


 ぞわりとした。


 経腟分娩は不可能だから帝王切開で産むことになるとか、プレリリースはまだだがセレブ層を中心に自分も男性妊娠の被験者になりたいと相談が複数集まってるなど、あれこれと父が展望を語るが、身の内に生じた嫌悪感を隠すのに精いっぱいでろくに話を聞けなかった。


 その日は悪夢を見た。


 腹を不自然に膨らませた父とそれを愛おしく撫でる母。


 両親の周りには父母と瓜二つの小さな子どもたちが無数にわらわらと群がり、彼らもまた腹を膨らましている。


「次はお前の番だよ」


 私の肩をがしりと抑えつけ、父が言う。


「元気な子を産むのよ」


 私の腹にぬるりと手を入れ、母が言う。


 彼らは私の返答も待たずに、腹の内に人工子宮を押し込もうとやたらめったら私を切り刻んでいく。


 なんとか口を開こう。「嫌だ」と一言叫ぼう。

 やるべきことを決め、実行しようと努めるけれどどうしても口が開かない。


「やめろ」


 絞りだした悲鳴の代わりに、ピーピーピーと神経をいらだたせる警告音が口から吐き出され、目を覚ました。


 生命維持装置や充電中のヒューマノイドのランプでうっすらと明るい寝室の天井。


 首を回し、警告音の理由を確認すると人工声帯ユニットの接続不良だった。

 生身の体で声を出す事なんてしばらくなかったからメンテナンスを怠っていた。


 あとで一応直しておこう。


 充電ユニットに繋がったヒューマノイドに憑依し、背部のケーブルを外し立ち上がる。

 警告音を消し、ベッドのそばに設置してある給水機から生身の体にチューブを咥えさせ、水分補給をしてやる。


 ごくごくと喉を鳴らす自分の体を外から眺めながら、ひどい悪夢だったと振り返る。


 両親がどのような信条を持ち、自分の体に作り物の子宮をねじ込もうと私には関係ない話のはずなのに、私は父が男性妊娠することに嫌悪感を覚え、あのような悪夢を見てしまった。

 自分たちの体で子を生めることを立証したら、今度は息子である私にそれを求めるのではないかと恐れを抱いた。


 理屈にそぐわない普段の私であれば唾棄するような非合理的思考だが、恐怖は思考を歪ませる。


 彼らと距離を取るために何をすべきだろうか。彼らも九州に来てしまった以上、仕事を理由にすることはできない。


「仕事がダメなら家庭か」


 私は決意を固めた。


「結婚相手を見つけよう」

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