#27

 目が覚めると外はもう暗かった。

 慌てて時計を見ると予約の時間まであと三〇分。今から準備すれば大丈夫。


 ベッドからのそりと起きて、キャリーケースからお気に入りのワンピースを引っ張り出す。


 かわいい服を着て、去年カエデにもらったイヤリングを耳に着ける。

 そろそろ足になじんできたロングブーツを履いたら準備は完了。


 私が持っている中で一番おしゃれなファッションで決めたのに、なんとなく外に出たくないなと思ってしまう。

 レストランにキャンセルの連絡をしてまたベッドに沈み込んだ方が幸せなんじゃないかという直観。


「そんなわけないじゃん」


 鏡の自分に言い聞かせるように独り言。もう出ないと間に合わない。

 覆現にナビをお願いして街へと繰り出す。


 街路を歩き、レストランに近づくにつれ、後悔の念は強まった。


 なぜかって、遊歩道を歩く人々がみな子ども連れだったから。


「そうよ。金曜日じゃない」


 金曜日は家族の日。


 仕事を早抜けした大人たちは、子どもたちを迎えに行き、家族の団欒を過ごす。


 道行く家族の組み合わせは色々で、瓜二つの男性カップルとその二人の腕に捕まってブランコ遊びをしている双子の女児もいれば、喧嘩でもしたのかムスッとしたまま速足で歩く少年とその後ろを心配そうについていく女性もいる。

 今時めったに見ない三世代の大家族もいれば、親と子ふたりだけの家族もいるし、楽しそうに肩を叩き合いながら歩く家族もいれば道端で止まって大きめの声で口論する家族もいる。


 けれど、みんな親がいる。


 今自分がどんな顔をしているか。誰にも見られたくなくて、顔を伏せ通りを歩く。


 カエデが親に誘われた時点で今日が金曜日だってことを思い出していればよかったのにと自分にいら立つ。


「親がいたってなによ。関係ないわ」


 私の目標はカエデ奢りの高級フレンチを食べることで、だれかと馴れあうことじゃない。

 歩幅を大きく、目線を下に、ずんずんと靴を鳴らして歩みを進める。


 目的のレストランまであと少しのところで足が止まった。


 通りに面したガラス張りのウィンドウ。

 透明な壁の向こう側にはピザやパスタを楽しむ人々の姿。


 そのお店には見覚えがあった。


 カエデと晩御飯を考えた時に候補に挙がったイタリアン。

 美味しそうなお店だったけれどリーズナブルな大衆向けのお店だったから、せっかくならもっと高い店に行こうと選ばれなかった店だ。


 私の足が止まった理由は店内でディナーを楽しむ家族の中にカエデの姿を見つけたから。


 三人で囲むにはちょっと大きな丸テーブルの上には、カエデの好物、ミートソーススパゲティやマルゲリータ、生ハムたっぷりのサラダ。


 やっぱりカエデとフウマはまだぎこちないのか、ふたりの表情は硬いけれど、母親がマルゲリータを取り分けたり、笑顔で話しかけたりと場を和ませようとがんばっている。


 ムスッとしていたカエデは母親から渡されたピザを口にすると笑みがこぼれ、なにか話しかけたフウマに対して肯定するようにうなずいた。


 ああ。あそこに私の欲しいものがある。


 もう私は一歩も動けず、日も深く沈んだ暗い通りから明るい店内を見つめる。


 まるでショーウィンドウにへばりつく子どものよう。

 欲しくてたまらないものがあるのに手に入らない、飢えと渇きに苦しむ餓鬼。


 もちろんあれが貶すところのない完全無欠の幸せでないことを私は知っている。


 娘は親に失望しているし、今回この場を取り持ってる母親だって娘が自分に知らせず東京に行かなければ三人での食事会を開こうなんて思わなかっただろう。


 晩になればメチャクチャな食事会だったとカエデの愚痴を聞いているのかもしれない。


 けれど私には仲違いする親すらいないのだ。


 ショーウィンドウの中のカエデが窓の外に顔を向ける。

 思わず私は顔を背け、レストラン街に背を向け、一刻も早くその場を離れたいと早歩きで歩き出す。


 覆現が一八〇度ターンして戻れと命令するけれど、ナビを切ってしまえばそれまでだ。


 やたらめったらと路地を歩き、昨晩カエデとまずい晩御飯を食べた食品プリンター自販機のフードコートにたどり着いた。


 昨夜と違い、フードコートにはだれもいなかった。

 「新世代フード」と書かれたのぼりがさみしく風に吹かれるだけ。


 晩御飯も食べず、ずっと早歩きで歩いてきたから、もうへとへとだった。適当にハンバーガーを注文し、川沿いにあるベンチに座り、息を整えてひとかじり。


 ぼそぼそとした偽物の触感に思わず吐き出しそうになって、それ以上食べる気を無くして、ベンチの脇にハンバーガーを置き捨てる。


 壊れた冷蔵庫や自転車が投げ捨てられた汚いどぶ川を見たくなくて目を瞑る。


 目を瞑ると、西日差し込む病室の風景が瞼の裏に浮かんできてしまった。


 存在しない母が泣きながらアイへの愛を騙る映像。


「あなたたちは存在しない」


 目を見開き、振り切るように宣言する。

 そんな記憶は忘れてしまえ。それはノルマと現実の擦り合わせもできない無能がフリーソフトででっち上げたチープな偽装工作だ。六歳のアイは騙せても、一六歳のアイは騙せない。


 親がなくとも、子は育つ。親があっても、子は育つ。


 私を愛し私の誕生を望む親がいるという幸福な妄想が書き割りのフェイクに過ぎないと暴かれても、私は生きている。昨日までの私と同じ私のままでいられる。


 両腕を体に巻き付け、暴れる心臓を押さえつけ、呼吸を保とうと努力する。


 私は悲しんでなんかいない。いつも通りの私がここにいる。


「私たちはあなたの、アイの幸せをいつまでも祈っています」


 今度は存在しない声だ。


 それは偽りだったと真実に気付いたはずだ。私は頭を膝の間にうずめ、両耳を掌でふさぐ。どくんどくんと頭蓋の血流の音に耳を集中させる。


 私は目と耳を閉じ口をつぐんだ人間になろうとするけれど、思考までは止めれなかった。


 カエデが母親と泊りの旅行に行ってしまった週末、何もする気になれず部屋の隅で両親の動画を何度も見返したこと。

 アイの他にどんな名前と迷ったのか命名図鑑を見ながら考えたこと。

 働いてお金を稼ぐようになったら、東京に行って病院でふたりを知っている人を探そうと計画していたこと。

 いつか私も子どもを持ったら、その子にも同じように愛を伝えるのだろうと空想したこと。


 私の理性が親の存在を消そうとしても、記憶がそれを否定する。


 たった数分のチープな動画は私の人生の各処にしっかりと根を下ろしている。


 フェイクが私を定義している。


「ああ、私にはいないんだ」


 私に親はいない。


 私というヒトの誕生を望んたヒトはいない。


 私を定義してくれた愛は錯覚だった。


 私は単なる生産物だ。


 すばらしい新世界を築くためだけに造られたただの歯車。


 そうして岸辺で私は泣いた。

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