第38話 アサヒと安住

 長い電話だった。アサヒさんにかけた後で、ミナトさんにもかけた。

 アサヒさんには、厳しい口調で、見合いの席をぶち壊したことと、ルール違反があったことを注意したのだが、手応えはなかった。自分のしでかしたことを、素直に認めてはいるのだが、それ以上の反省となると、はなはだ疑わしい応答ぶりだった。

 その根本的な理由は、安住さんとの出会いを、彼女は失敗だったとは思っておらず、大きな収穫だったと考えてる点にあった。彼女は、安住さんと出会わせてくれたことを、ユイに何度も感謝した。彼女の目に、既に今回の出来事はなく、未来に向けられていた。彼から持ち掛けられたビジネスの話になると、その声は弾んでいた。それが、ユイの気持ちをえさせた。

 (トンデモナイ天然・・・。この人には、何を言っても通じない)

 あきらめの気分が強まったのだが、それでも、彼女の明るい声を聞いているうちに、ユイの心に変化が現れ始めた。

 (ああ、安住さんも、こんな気分の変化を味わったのかな・・・? )

 ユイは、今後、ますますの活躍を期待する言葉を告げることで、電話を切るしかなかった。

 大きくため息を一つ。傍で電話を聞いていたルカに向かって、ユイは疲れ果てた口ぶりで、こう言った。

 「バージョンアップしたルカスペシャルを飲んだけど、彼女には通じなかったわ。最強の天然キャラよ。途中で、電話した目的を忘れちゃったもんね。完全にあの人に飲まれてしまった感じ・・・ 」

 こぶしを固めて、両方のこめかみを軽く、トントンと叩いてから、ユイはミナトさんに連絡を入れた。

 つい今し方まで、安住さんから今日の見合いの顛末てんまつを聞かされていたところだった、と彼女は言った。天然キャラの姉とは異なり、妹の方は、いたって常識人だった。ユイから話題を振る前に、ミナトさんから謝罪の言葉が告げられた。

 「アニメに詳しいのは知ってました。でも、まさか、お見合いの席でそんなパフォーマンスを・・・。余りの常識のなさに身内として恥ずかしい限りです。安住さんは笑いながら姉にしかできない、姉だからこそ絵になる、前代未聞のエンターテインメントでしたよ、と言われていたんですけど、当然、お見合いのつもりでお出になられたんですから、さぞや、驚かれたでしょうし、苦々しい思いもされたんじゃないでしょうか? その場を想像しただけで、やりきれない気持ちになります。せっかくユイさんに無理をお願いし、尽力してお見合いの席をセッティングしてもらったのに・・・ 申し訳なさで、言葉もありません。ただただ許してくださいと、謝るしかありません。ホントにゴメンナサイ・・・ 」

 姉の身を案じ、なんとか見合いの場にまでたどり着けたというのに、姉の愚かな行動によって、水泡に帰す結末となった。姉に裏切られた、という悔しさから、ミナトさんの胸の中に溜まっていた思いが噴き出してきた。彼女の訴えは途切れそうもない。ユイはひたすらに聞き続けるしかなかった。

 妥協することを知らない。その場の空気を読めない。本能の赴くままに突っ走るアサヒさんは、しばしば人間関係上のトラブルを引き起こした。そのたびに、火消しに走り回り、尻ぬぐいをしてきたのが、ミナトさんだった。

 モデルとしての、姉の力量を、他の誰よりも、彼女は高く認めていた。憧れもしたし、尊敬もしてきた。だからこそ、どんなトラブルにも、彼女は自分の意思で対処してこれたのだ。

 だが、姉に対する愛憎のはざまで、ときとして、心のバランスを失った。まだこれからだというのに、モデル稼業から身を引き、家庭に入ったのも、それが一因だったのかもしれない。話を聞きながら、ユイはそんな想像を巡らしていた。

 胸の中に溜め込んでいた思いを、一通り語り終えたのか、言葉数が少なくなった頃を見計らって、ユイは彼女にねぎらいと励ましの言葉を送り、電話を切った。

 「長かったですね」

 そう言って、ルカは、たった今淹れたばかりのティーラテを、ユイの前に差し出した。

 固く目をつぶり、指先で目頭をつまんでいたユイは、ティーラテの甘い香りに気付くと、早速カップに口をつけた。フーッ、と息を吐き、つぶやいた。

 「助かった・・・アリガトね」

 ルカは嬉しそうに微笑んだ。

 さらに、ユイのつぶやきが続いた。

 「血のつながり、って、ホント、面倒臭い」

 吐き捨てるような口ぶりだった。

 ルカには、そのとき、アサヒさんとミナトさん姉妹ではなく、ユイの母親、そして、お婆さんの面影が脳裏をよぎっていった。同時に、ルカの心の中に冷たいすきま風が吹き込んできた。

 (私には、血のつながりも、その面倒臭さも、分からない・・・ )

 もの思いに沈みそうになったとき、また、ユイの声が響いてきた。乾いた口調だった。

 「今日は、もう、あがっていいよ。私は、まだやっておきたいことがあるから・・・。お疲れ」

 







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