第39話 恋占い

 ずいぶんと小降りにはなっていたが、まだ雨は降り続いていた。ルカの足は、アパートに向かっていたのだが、足取りは重かった。なじみのスーパーマーケットの前にさしかかったとき、その足は、ぴたりと止まった。

 雨ににじみ、夕暮れどきの寂しげに沈んだ通りに、店の光が漏れ出ていた。

 光が啓示けいじとなった。ルカの顔は、パッと明るくなり、迷うことなく、小走りで店に入っていった。

 (これで言いわけが出来る。最後まで見届けなくっちゃ・・・ )

 嬉しさが溢れてきて、ほくそ笑んでしまうのを、ルカは抑えられなかった。


 ルカが事務所から出ていくのを見送ってから、ユイはおもむろに事務机に座り直した。バッグのポケットから鍵の束を取り出すと、机の引き出しの鍵穴に差し込んだ。引き出しの中から、太くて赤いキャンドル、水晶玉、明るい水色の絹製の布、そして、古びたカードケースを一つ一つ取り出して、机の上に並べていった。

 カードケースは赤いベルベットで覆われていて、長年使い込まれてきたせいで、ところどころ剥げていた。ユイは、ケースを左手に持ち、右手の指先の腹で、その表面に円を描くように、そっと撫で回した。ケースに視線を落とし、ユイはささやいた。

 「おばあちゃん。ずっと、男運のない人、って思い込んできたけど、そうではなかったようね。ルカから聞いたわ。だったら、おばあちゃん、私に力を貸してね・・・ 」

 ユイは、再びカードケースを事務机に戻すと、光沢のある水色の布を手にして、テーブルへと向かった。テーブルいっぱいに布を広げた。青い空、青い海。布の周辺には、幾つもの白い影が描かれていた。イルカだ。

 布に寄ったしわを伸ばすユイの手つきには、愛しいものを撫でさする思いが溢れていた。

 次に、テーブルの上方に、小さな台に据えた水晶玉と、銅製の受け皿に立てた赤いキャンドルを置いた。マッチでキャンドルに火をともすと、縦に伸びた楕円形の炎が現れた。

 ユイは、椅子から立ち上がり、入り口近くにある室内灯の電源を切った。

 テーブルの上、及びその周辺だけを、キャンドルの炎の優しい光が照らし出した。その一区画を除いて、事務所の中は、薄暗い影に沈んでしまった。

 ユイはテーブルの椅子に戻ると、キャンドルの光が最も強く当たる位置に、ケースから取り出したカードをかざし、その中心部分を人差し指で軽くノックした。それから、裏を向けたカードをテーブルに広げ、右回りに混ぜていった。充分に混ぜてから、一つにまとめたカードに、念を送るような動作をした後、静かに目をつぶった。

 さらに、両手を使って、カードをカットしていく。繰り返し、繰り返し・・・。すると、いつしか、そのカードと手の動きにリズムが生まれてくる。リズムがユイの心の変化をもたらし、一種のトランス状態へと導いていった。ユイはカットするカードを見据えたまま、まばたきをしなくなった。

 ・・・と、突然、カットを繰り返していた手が止まった。ユイ自身の意識によるものなのか、あるいは、カードが、もういいよ、とユイに命じた結果なのか、定かではない。

 カードを揃え、テーブルの上に置くと、両手を重ねるようにして、カードに添えた。唇が動き、ブツブツと何事かを唱え始めた。何を言っているのか、分からない。これもまた。彼女の意識的な行為なのかどうか、はっきりしない。

 唇の動きが止まった。静かに揃っていたカードを二つに分け、新たに現れた面が最上位にくるように、一つに重ねた。

 その直後に、フーッと一つ息を吐いた。そのときだった。ユイの視界に、事務所のドアの前にたたずんだ黒い人影が飛び込んできた。

 「うわっ! 」

 とっさに、ユイは大声を出した。

 その大声に、黒い人影が、全身をビクッと震わせ、同じように大声を発したのだった。

 その声には聞き覚えがあった。ユイは、恐る恐る訊ねた。

 「ルカ・・・? 」

 蚊の鳴くような声で、ハイ、と返ってきた。

 「驚かさないでよ~、全く。てっきり、私にも見えるようになったのか、と・・・。で、なんで、アンタがここにいるのよ? 」

 近づいてきたルカの顔が、キャンドルの灯りに照らされ、はっきりと見えるようになったところで、片手にぶらさげていたビニール袋を持ち上げた。

 「一人で食べてもおいしくないから、一緒に食べようと思って。スーパーでお寿司を買ってきました。まだ、することがあるって言われたから、お寿司なら、何かをしながらでも、つまめるかな? と思って・・・。やっぱり迷惑でしたか? 」

 申し訳なさそうに、そう聞いてくるルカに向かって、ユイは手を振った。

 「トンデモナイ! ありがたいわ。でも、さすがにこれはお寿司をつまみながら出来るものじゃないから。お寿司は終わってからにしましょ」

 ユイは、自分の横に座るよう促した。ルカは、とりあえず、お寿司をキッチンに置いて、言われるがままにユイの横に座った。

 ルカの目は、ユイが左手を添えているカードに留まった。

 「それ、トランプじゃなくて・・・ タロットカードですよね? 」

 ルカは興味津々だった。

 「そう。おじいちゃんから、おばあちゃんへのプレゼント。ヨーロッパのどこかの国で手に入れた物だと聞いてるけど、よく知らないわ。それが母に譲られて、・・・私が事件を起こした後、家で引きこもっていたとき、暇つぶしに、って、母が手ほどきをしてくれたの。それ以来、このカードは私の物になっちゃった。カードだけじゃなくて、この布も、水晶玉もキャンドルも、タロット占い一式全部がそうよ」

 そんなユイの説明に呼応したのか、静かに灯りを点していたキャンドルが、初めて、ジジッと音を立てた。

 音に驚いたイルカの白い影が、テーブルに敷かれた布の青い海原ではねたように、ルカには感じられた。

 (おばあちゃん。おじいちゃんとの愛を語ってくれた・・・ )

 ルカが結婚相談所にやってきて間もなくの頃、この事務所で出会ったユイのおばあちゃんの姿が、ありありとルカの眼裏まなうらに蘇ってきた。蘇ってきたのは、姿ばかりではなく、おばあちゃんの全身から発せられていた温もりもそうだった。心地よくって、眠気を催させるような温もりに包まれながら、ルカは聞いた。

 「タロット占いするのは・・・ アサヒさんの・・・ 結婚についてですか? 」

 ユイの口元が緩み、フフッと小さな笑みが漏れた。

 「なかなか鋭いわね。私なりの予感はあるんだけど、タロット占いではどう出るか? 興味あってさ。いわば、答え合わせみたいなもの」

 ユイは、再び両手を重ねるようにして、ブツブツとつぶやき始めた。傍で聞いていたルカにも、その全ての言葉は聞きとれず、わずかに、アサヒさん、安住さん、という名前だけが耳に入ってきた。最後に、ユイは両手でカードの束を押しいただいてから、一番上にあるカードにキスをした。

 神妙な顔つきになったユイを見て、ルカの緊張も一気に高まった。

 (いよいよ、アサヒさんの結婚占いが始まる・・・ )

 左手に持ったカードの束から、最初の六枚を捨て札として、テーブルの脇に置いた。そして、神聖なメッセージを伝える七枚目のカードを、ユイはからだの正面、比較的遠い位置に置いた。まだ、裏向きのままだ。それから、そのカードの頂点の角に見立てて、正三角形を描くように、二枚のカードを置いた。カードをシャッフルしたときのように、全て右回りで作業は進んでいく。

 次に、再び六枚のカードを捨て札として、脇に置いた。七枚目のカードを、既に作られている正三角形の頂点の角と対になる位置に置いた。今度は、頂点が下にくる、下向き三角形を創るイメージで、残り二枚のカードを置いていった。

 こうして、上向き三角形と下向き三角形が重なった、陰陽統合を表す図形、角が6つある六芒星、ヘキサグラムが出来上がった。

 そして、ファイナルだ。ヘキサグラムを形作る六枚のカードの中央に、七枚目のカードをセット。これで、ヘキサグラムスプレッドという占いをするためのカードの配置が完成した。

 「さあ、カードをめくっていくわよ。果たして、アサヒさんの前途に、結婚運は開けているのか? カードとの対話の始まり、始まり・・・ 」

 くだけた口調ではあったが、並べた七枚のカードを見つめるユイの目は真剣そのものだった。

 (いい結果が出ますように)

 ルカは胸の前で合掌し、目をつぶって、ユイに負けず劣らず、真剣に祈った。

 置いた順に、ユイは次々とカードをオープンにしていった。その手つきに、迷いはなかった。七枚全てのカードがオープンになったとき、ユイは息を止め、目を大きく見開いて、カードをにらみつけた。

 ルカも同じだった。ただし、彼女には、カードが何を語っているのか、まるで分からない。それでも、息を止め、カードをにらみつけることで、何か感じられるものはないか? ルカは懸命に探ろうとしていた。

 そんなルカに解説するために、ユイはゆっくりとした口調で語り出した。

 「最初に置いたカード、これは過去を示しているの。星のカードなんだけど、天地が逆になってるわね。アサヒさんの恋人に対する理想の高さ。でも、それにかなう人とは出会っていないということ。彼女の抱いている理想が高すぎるのよね。

 二枚目のカードは、現在を表している。このカードは、聖杯8、と言うんだけど、自分の思い描いているような恋愛は実現しないんじゃないか? 諦めかけていることを表わしている。

 過去、現在ときたのだから、当然三枚目は未来ってことになる。杖3、というカードで、最初のカードと同様、天地が逆になってる。恋を諦めてる今のままでは、この先も、理想の恋人とは出会えない、と読めるの。

 ここまでが、上向き三角形の三枚。分かった? 」

 ルカは、うん、と首を縦に振るしかなかった。ユイの口ぶりは淡々としたものだったが、要するに、恋も、結婚も絶望だということを語っているにすぎなかった。

 (タロット占いって、残酷・・・。 ユイさんは平然としているように見えるけど、本心はどうなんだろう? )

 ルカは不安を覚えながらも、この先、ユイは何を語ってくれるのか? 期待も込めて、解説の続きを待った。

 「それじゃあ、下向き三角形の三枚に行くわよ。一番下に置いた四枚目のカード、これが大事でさ。アサヒさんが希望する未来を招き寄せるためには、何をすべきなのか、を教えてくれてる。対策を示すカードなの」

 途端に、オッ! という表情になったルカが、身を乗り出してきた。すると、ユイは例の笑顔、片方の口角を上げる、どこか意地悪そうな笑みを見せた。

 「剣1、というカードが出てるけど、アサヒさんが新たな出会いに積極的にならなければ、話にならない、と教えてくれてるわ」

 反射的に、ルカが口を挟んできた。

 「お見合いには失敗しちゃったけど、新しいビジネスパートナーとして、安住さんもですけど、アサヒさんも結構乗り気になってますよね。これって、いい兆候なんじゃ・・・? 」

 ユイは問いをスルーして、ルカから目をそらし、次のカードに視線を向けた。

 「五枚目のカードは、周囲の影響について表わすものでね。杖キング、というカードが出てる。アサヒさん次第なんだけど、恋愛関係にまで進展させられるお相手は、並の男ではダメで、カリスマ性のある年上の男性だ、と出ているわ」

 さらにルカが前のめりになった。

 「だったら、安住さんはピッタリじゃないですか!? 」

 ユイはルカを見ようともしなかった。次の六枚目のカードに視線を送った。

 「六枚目は、本心、を表わしている。もちろん、アサヒさんのね。このカードは、愚者、と言うの。恋愛や結婚を望んではいるんだけど、それ以上に、自分のことを大切に思ってる。どんなに好きな相手でも、束縛されるのは、イヤ。これまで通り、自由奔放に暮らしていきたいと願っている。それが、アサヒさんの本心なのよ。ま、今さら説明なんかしなくても、とっくに分かっていることだけどさ」

 ルカは、自分の顔をユイにぐっと近づけて、迫った。

 「それで、それで、最後のカードは、何を語ってるんですか? 」

 ユイは、落ち着け、落ち着け、とばかりに、ぐいぐい迫ってくるルカの顔を手で制しながら、こう言った。

 「ヘキサグラムの真ん中に置いた七枚目のカード。最終結果を示してるんだけど、金貨2,というカードが出てる。イイ関係を続けられるよう、コミュニケーションを重ねていけば、そうね・・・ 半年ぐらい先に、アサヒさんの希望はかなう、かも・・・ 」

 ユイは、チラッと横目で、ルカの顔を見た。ルカは腕組みをして、う~んとうなっていた。

 「不満そうね? 」

 相変わらず、片方の口角の上がった笑みを浮かべて、ユイは聞いた。 

 「・・・かも、というのが気に入らないんです」

 ルカの視線の先で、ユイはつまみ上げた、金貨2、のカードをヒラヒラさせながら、こう言った。

 「タロット占いは、そういうものなのよ。方向性は示せても、要は、本人の努力次第。な~んにもしなくても、絶対に未来はこうなる、なんてこと自体ありえないのよ。分かるでしょ? 」

 ヒラヒラと蝶のように舞うカードを目で追いながら、ルカは口をとがらせて、つぶやいた。

 「わかりますけど・・・。 なんか、物足りない」

 カードの舞いを目で追うルカが面白いのか、まるで猫じゃらしでも扱うように、ユイは、左右に、上下にカードを動かして、ルカをからかった。

 「方向性がわかっただけでも、もうけものよ。ハリウッドスター顔負けで、カリスマ性もある安住さんというビジネスパートナーを得て、アサヒさんは、新たな夢の実現に向けて、チャレンジしていけばいい。そのプロセスで、二人が親密になっていけば、晴れて、ゴールイン! ってこともありえる。それぐらいの緩さがある未来予想図で、人間にとっては充分なんじゃないかな? バッチリ運命が分かっちゃったら、それこそ、人生という映画に、エンドロールが出ちゃうわよ」

 そう言うと、ユイは手にしていたカードを元に戻し、つと立ち上がり、テーブルを離れた。

 ルカは、目の前に置かれた七枚のカード、アサヒさんの結婚運を占ったタロットカードの並びを、ボンヤリと眺めた。そんな彼女の目に、ユイが左手に持っていたカードの束が留まった。

 振り返って、ユイを見た。自分には背を向ける格好で、窓の外を眺めていた。彼女の目を盗んで、ルカはそのカードの山の一番上のものをめくってみた。

 上半身は裸、大きな角を生やした、恐ろしげな顔の男が描かれていた。カードの下の方に、英語が書かれていた。

 THE DEVIL―悪魔!

 思わず、ルカはカードを伏せた。

 (何もかも、知ればいいってもんじゃない。知らないから・・・ 私みたいな人間でも、生きていられる)

ルカが、もう一度、ユイの語っていたことを心の中で繰り返し、その意味するところを我が身に引き付けて考えていたとき、ユイの声が耳に届いた。

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