第37話 アサヒと安住

 帰る途中、コンビニに立ち寄り、二人分のサンドイッチを購入し、事務所に戻ってきた途端、雨脚がひどくなった。窓から、突然のどしゃ降りに、傘が役に立たなくなり、ビルの下で雨宿りをする人たちの姿が見えた。

 ユイがスマホで天気予報を検索したところ、大雨警報が発令されていた。スマホの画面をにらみつけながら、ユイがつぶやいた。

 「さすがはアサヒさん。警報級の雨雲を呼んだみたい」

 ルカはキッチンに立ち、紅茶を淹れ、簡単なランチタイムとなった。どちらが口を開いたというわけでもなく、自然に、今見てきたばかりのアサヒさんのゴージャスな装い、全身金ぴかの菩薩像の話題になっていった。

 互いにいくら話しても、話題は尽きなかった。しかし、あの拍手と歓声に包まれ、指笛が吹き鳴らされる、アサヒさんが望んでいた通りのイベント会場と化したラウンジで、本来の目的を達するためのお見合いが行われているのかどうか、大いに心配になってきた。

 アサヒさんの大胆で、豪華絢爛なドレス姿の話題では限りなく盛り上がり、ケラケラと笑い転げていた二人であったのに、そこに意識が及んだ途端、二人とも無口になった。

 そこへ、事務所の電話が鳴った。とっさに、二人は顔を見つめ合った。思いは一緒だった。

 (この時刻では、まだお見合いは終わってない。何かが起きたのでは!? )

 ユイは気をとり直そうとするように、一つ大きくうなずき、咳払いをしてから、受話器を取った。

 「ハイ。『ユイ・マリアージュ・オフィス』です」

 固唾かたずを飲んで、聞き耳を立てていたルカであったが、どうやら緊急事態を告げる連絡ではなさそうだった。

 ビジネスライクで冷静沈着なユイの声が続いた。

 「ありがとうございます。・・・ハイ、大丈夫です。一時間後ですね。お待ちしております。あいにくの天気ですので、足元にお気をつけて、お出で下さいませ・・・」

 新規会員の申し込みのようであった。


 入会手続きをすませた女性と、付き添いの母親が帰っていった。

 事務所の外へ出た途端、ドアの向こうで、女性のいきり立った声が響いた。

 「あんなことまで言わなくてもいいのに! 」

 母親も何か言い返していたようだったが、内容までは聞き取れなかった。

 一時間半ばかり、いたろうか? ルカには、ユイが事務連絡する以外の大半の時間は、母親が一方的に喋っていたような気がする。家柄の話ばかりしていたように思うのだが、ルカには、ほとんど記憶がなかった。

 途中から、母親の声がルカの耳に入ってこなくなり、壁にかかった時計にばかり目をやっていた。そして、今にも事務所の電話が鳴りそうな気がして、気が気ではなかった。

 テーブルに残された食器を片付けて、キッチンに運ぶと、その背中に向けて、ユイの言葉が飛んできた。

 「紅茶、おいしくなかったよ。気持ちが入ってないと、露骨に味に出るんだね。それはそれで、スゴイことだけどさ」

 「・・・スミマセン」

 ルカは、しゅんとして、消え入るような声で謝った。

 事務机に移動し、今し方までいた新規会員の資料整理を始めていたユイは、その手を止めようとはせず、口だけを動かした。

 「あなたの気持ちは分かるけど。お客様に上下はないの。皆さん、大事なお客様。良縁に恵まれたい、と誰しもが真剣に望んでいる。その全ての願いがかなえられるよう、全力で取り組むのが、私たちの使命なの・・・ 」

 ユイの手が止まった。顔を上げ、からだの向きを変えると、ルカを正面から見た。反射的にルカは身構えた。厳しく説教をされるに違いない。そう覚悟を決めた。

 「お客様がいらしてたとき、あなた、時計ばかり見てたでしょ? 」

 「ハイ・・・ 」

 ルカは、この場から消えて、いなくなりたいと願った。

 「時計を見てから、必ず電話を見てたでしょ? 」

 「ハイ・・・ 」

 全てお見通しだった。ユイの目はごまかせない、と観念した。泣きそうになった。でも、涙を見られたくなかった。叱られて、泣くような情けない自分をみられたくない、とルカは下を向いた。泣くまいと、強く唇を嚙み締めた。

 「ルカ、顔を上げて」

 (もう、ダメだ・・・ )

 涙がこぼれ落ちる寸前だった。だが、ユイの命令には背けない。恐る恐る、ルカは顔を上げた。視線の先には、表情の読めないユイの顔があった。

 その直後だった。ニマ~ッ、とユイの表情が崩れ、ケラケラと笑い始めたのだ。

 「お客様に気付かれないように、チラッと時計に視線を走らせると、決まってあなたも時計を見てた。電話もそう。この子、同じこと考えてるんだわ~、と分かると、そのシンクロ具合がおかしくて、おかしくて、吹き出しそうになったわ。でも、目の前にお客様がいるんだもの、必死になってこらえたわよ。笑いをこらえるのに必死で、お母様の喋ってることが、ちっとも耳に入ってこなくて、困っちゃたわ・・・ 」

 せきを切ったように、ユイは喋り出し、ひとりで勝手に、ケラケラと笑い転げた。

 余りにも意外な展開に、ルカは茫然としてしまった。それでも、ケラケラ笑い続けるユイにつられて、ルカも何だかおかしくなってきたのだが、直前までの緊張感をまだ引きずっていたために、泣き笑いの表情にしかならなかった。

 そんなユイの喋りと笑いが、唐突に止み、ルカの泣き笑いの表情が消えた。

 電話が鳴ったのだ。

 ユイは時計を見た。もう見合いは終わっている時刻だった。フッと一つ息を吐いて、冷静沈着な表情を取り戻したユイは、受話器を取った。

 「もしもし・・・、ああ、安住さんですか。今日はお疲れさまでした・・・ 」

 受話器を通して、安住さんの思いのほかに大きな声が漏れ聞こえてきたのだが、声が途切れ途切れで、話の全容をルカが聞きとることは不可能だった。テーブルの椅子を一つ引き寄せ、そこに座ると、ルカは黙って成り行きを見守ることにした。

 ユイは必要最低限の相づちしか打たない。ひたすら相手の話を聞きとることに徹していた。ときおり、笑いをこらえながらも、言葉だけは、

 「それは、それは、大変でしたね~」

 と言うのだが、込み上げてくる笑いを我慢して、紅潮している表情とは、明らかに合っていなかった。

 そんな時間が、30分以上続いた。安住さんは興奮して、今日の見合いの様子を語っているようだった。そして、一通り説明した後に、その気持ちが吐露された。ユイは、電話での会話を、こう締め括った。

 「・・・そうですか。分かりました。もう私の出番はないようですね。これからは、お見合いから離れた、安住さんとアサヒさんとの別の話題になっていくわけですから・・・。 ハイ、ハイ、そう言って下さると、私としても、少しは肩の荷が下りたような気分になれます。お気づかい、ありがとうございます。

 それで、引き続き当結婚相談所の会員を継続されるおつもりですよね? ・・・ありがとうございます。今日の貴重な体験と、安住さんが語って下さった思いを参考にして、次のお相手をご紹介出来るよう、頑張りますので、よろしくお願いします。

 ミナトさんには連絡されますか? ああ、そうですか。私の方からも一報入れておきますし、改めて、アサヒさんにも連絡を入れます。・・・ええ、ええ、ハイ。分かりました。後のことは、こちらで責任を持ちますので、ご安心下さい。

 本当に、今日はお疲れさまでした。ご連絡ありがとうございました。では、失礼します」

 割れ物を扱うように、受話器をそっと置いたユイは、もう我慢できないとばかりに、大笑いし始めた。キョトン、としたルカの表情が目に入ると、大笑いはさらに爆発的なものになった。笑いすぎて、目に涙を浮かべていた。ハンカチで涙をぬぐうのだが、後から後から湧いてくるおかしさに、ユイは目にハンカチを当てたまま、いつまでも笑い転げた。過呼吸を起こすのではないか、とルカが心配し始めたころになって、ようやく笑いがおさまってきた。間欠泉のように噴き上げてくる笑いをこらえつつ、ユイは話だした。

 「ゴメンネ。ともかくおかしくって・・・。ホント、やってくれたわ、アサヒさん。もう私の常識では、とうてい計れない。あの人、別格だわ・・・ 」

 そう言ってから、安住さんが話してくれたことを、ルカに語って聞かせた。

 「あなたも見ての通り、今日のラウンジには外国人客が多かったわよね。しかも、ノリのイイ人が多かった。そこに、あのドハデなカップルが登場してきたものだから、初めっから、ラウンジのボルテージは、異様に高まってたらしいの。案内された席に着いたときから、安住さんは、そのハイテンションな雰囲気が気になって、落ち着かなかった、と言ってたわ。

 それでも、最初はお見合いらしく、自己紹介やら、近況報告やら、意識してたらしいんだけど、世界のファッション業界を股にかけて活躍してきたアサヒさんだけに、自然な流れで、世界から見た日本の文化、って話になったのよ。その途端、彼女の語りのギアが、一気に上がったらしいの。

 『今の日本の文化を代表とするものと言えば、やっぱりアニメですわ』

 誇らしげに、そう話を振ってきたものだから、仕方なく安住さんも、話を合わせようと、軽く相づちを打ったんだって。それが、トリガーを引くことになった。

 身を乗り出すように、聞いてきたんですって。

 『安住さんの好きなアニメは? 』」

 ユイの目が、妖しく光った。

 「アサヒさんって、アニメ・オタクだったんですか? 」

 意外そうに、ルカは聞いた。

 すると、ユイは大きくうなずいた。

 「しかも、重症! 」

 そう答えて、ニヤッと笑った。

 「安住さんは、そんなに詳しくなかったんだけど、知ってるアニメをいくつか口にしたの。

 そしたら、アサヒさんの表情が一変して、彼が口にしたアニメの有名なシーンを、その場で再現し始めたのよ。あの長身なんだから、それだけでも迫力がある。しかも、長い手足を振り回して、表情もアニメキャラが憑依ひょういしたみたいに、洒落にならないくらい、激しく変化したって言ってたわ。

 そして、最大の見せ場。アニメに登場してくる何人ものキャラの決め台詞と決めポーズ。彼女なりに、多少は遠慮したんだろうけど、椅子から立ち上がるようにして、決め台詞を口にしながら、ものの見事にポーズを決めて見せたんだって。

 びっくりしたのは安住さんよね。どんなにさまになっているとはいえ、目の前で、アニメキャラの決めポーズを見せつけられて、どういうリアクションをしたらいいのか・・・? アニメに詳しければ、素直なリアクションが出来たんだろうけどね。

 でも、元のアニメのそのシーンを知らなくても、長台詞をスラスラと口にして、歌舞伎役者が、ミエを切るような感じで、ポーズを決めたんだから、礼儀上、『スゴイ! スゴイ! 』を連発し、拍手を送ったって言うのよ。彼は、立派なジェントルマンだ、と私は思うわ。

 でもね、彼の頭から、かたときも疑問が消えることはなかったって、言ってた。

 これが、お見合いか!? という疑問。当然よね。その疑問こそが正当なものよ。

 ところが、ぶっ飛んでるアサヒさんに、そんな常識は通用しないわけ。お見合い相手が、手を叩いて喜んでくれた。ヤッター! 嬉しい! もっともっといろんなアニメキャラを演じてあげよう、とますます気分が上がっていっちゃったのよ。

 こうなると、もう誰も彼女を止められないわ。この場がお見合いの席だということを、忘れちゃってるんじゃないか!? と思えるぐらいに、演技が白熱して、大胆になっていったわけ。

 それに拍車をかけたのが、ラウンジにいたノリのイイ外国人客だったのね。アサヒさんが演じてるのが、日本のアニメのキャラだって気付いた当初は、それぞれのテーブルで立ち上がり、拍手したり、歓声を上げたりする程度だったのが、だんだんとテンションが上がってきたのか、飲み物片手に、アサヒさんの傍までやってきて、見物し出したの」

 「安住さんは、どうしてたんですか? 」

 ルカが、我が事のように、心配そうな顔つきで聞いてきた。

 「どうするも、こうするも、呆気あっけにとられて、見守るしかなかったらしいわ。下手に制止して、アサヒさんの機嫌を損ねても、マズイと考えたって言ってたわよ」

 ユイは居住まいを正し、ルカの方に身を乗り出すようにして、話を続けた。

 「それで、ここからが彼女の本領発揮で、面白くなってくるんだけどね。

 一人の客が、アニメの題名を叫んで、リクエストしたの。そしたら、アサヒさん、その客にウィンクして、日本語じゃなくて、英語で、そのアニメキャラの台詞を喋り出したって言うのよ。さすが、世界で活躍してきたモデルね。彼女は何か国語も喋れるらしいの。アニメキャラの台詞を、その場で外国語で、ホンモノそっくりに演じたって言うんだから、アニメオタクもここまでこれば、立派な一つの才能よ。

 それで、外国人客の興奮も一気にマックスに達したらしいわ。当然よね。彼女の周りには、グラスとスマホを手にした外国人が鈴なりになって取り巻いて、さながらライブ会場みたいなノリになっちゃたの。ここまでくると、おとなしい日本人の客も、つられて、その人垣に加わってきたんだって。

 客からフランス語でリクエストが飛べば、ためらうことなくフランス語で演じ、ドレスの深いスリットから、長~い手足を突き出し、長~い腕を自由自在に操って、舞うようにして、キャラの決めポーズを再現したんだって。安住さんが分かるだけでも、英語やフランス語の他に、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語、それと・・・ そうそう、ハングルでも演じたらしいわ」

 ここまで述べたところで、ユイは間をおいた。再び語り出した時、声のトーンが変わっていることに、ルカは気付いた。

 「呆気にとられて、アサヒさんのワンマンショーと、周囲を取り囲んだ客の熱狂ぶりを見守るしかなかった安住さんの気持ちに、いつしか変化が生まれていった、と彼は言ったの。

 お見合いにこだわっている限り、困惑と精神的な苦痛しか覚えなかったんだが、その枠を取り払ってみると、この場の雰囲気は悪くないって思えてきたらしいのね。

 エンターテイナーとしての彼女の得難えがたい魅力を発見しちゃったわけ。瞬く間に、これだけの数の、しかも、国籍を越えた人たちの心を、ぎゅっとつかんでしまう能力は、ただごとではない。イベント企画会社の社長である彼の血が、ざわざわと騒いだわけね。

 そんな気持ちにスイッチが入ってからは、目の前で繰り広げられているイベントは、実に刺激的なものだったんですって。アサヒさんという稀有けうなタレントの力を借りて、彼女の魅力を最大限に引き出せる演出が出来たなら、誰も見たことのない画期的なイベントを創造出来るに違いない。それは、彼にとって、確信に近いものだったらしいわ。

 エンドレスに続くんじゃないか、と思えたアサヒさんのパフォーマンスを満喫していたところへ、ラウンジ・マネージャーがそっと忍び寄り、彼の耳もとで、『そろそろ時間でございます』と告げたんですって。楽しんではいたものの、少々疲れを感じ始めてもいた安住さんにとっては、救いだったらしいわ。立ち上がって、ちょうどアニメキャラのポーズを決め、万雷の拍手と歓声を浴びていたアサヒさんに、今、マネージャーから告げられたことを伝えると、彼女は、顔色一つ変えずに、観客に両手を上げて、こう言ったの。

 『今日は、ホントに楽しかった。それも、全て皆さんのおかげ。心から感謝してるわ。いつか、また、どこかで会いましょうね! 』

 堂に入った態度で、終演を告げると、アサヒさんは、あっさりとテーブルに戻ったんですって。

 さて、ここで、ルカに問題です。席に戻ったアサヒさんは、安住さんに何を言ったでしょう? 」

 テーブルに頬杖をつき、ユイはルカの顔を見ながら、ニヤニヤと笑った。

 ルカは、どう返答して良いのか、心底困り果てた。口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返すルカを見て、ユイは、さらに嬉しそうな、意地悪そうな笑みを浮かべて、こう言った。

 「酸欠の金魚みたい」

 挑発的な言葉に、ルカはますます返答に詰まってしまった。それでも、ユイは答えを教えてくれそうにはなかった。ルカが何かを言うのを、いつまでも待つつもりのようだった。仕方なく、考えのまとまらぬまま、ルカは思いついた言葉を口にして言った。

 「・・・お客さんは喜んでたけど、安住さんはどうだった? ・・・とか、その…感想を求めたというか・・・ 」

 すかさず、ユイはツッコミを入れてきた。

 「そんなの当たり前すぎるじゃないの!? アサヒさんだよ。ぶっ飛んじゃってる人なんだから、よく考えなさいよ。このタイミングで、こんなこと聞くか!? っていう内容よ」

 「あっ! 」

 突如、閃いたものがあったルカは、声を上げ、目をまん丸にした。その表情に、ユイは満足したように、こくりとうなずいた直後、今度は困惑した表情を浮かべて、こう言った。

 「そう。あの人らしいわ。完全な掟破り。事実上、お見合いをぶっ壊した上に、ルール無視の質問を安住さんにぶつけたのよ。よくもまあ、聞けたものだと感心するけどね」

 「それで、安住んさんはその場で、直接答えたんですか? 」

 ことの成り行きを早く知りたい、という好奇心を抑えられずに、ルカが聞くと、表情をさらに険しくして、ユイは答えた。

 「彼も、困ったって言ってたわ。交際に進むかどうか、返事をするのは結婚相談所を通してするように、って強調しておいたんだから、今は返事をするべきではない、といったんは考えたらしいのよ。だけど、目の前にいるアサヒさんの真っ直ぐに問いかけてくる目を見ているうちに、考え直したんだって。なんとなくだけど、分かる気がするわ。彼は、こう答えたんだって。

 『お見合いのルール上では、直接伝えてはいけない、となってるんですが、お伝えします。残念ながら、あなたを妻にする気はありません。あなたと夫婦になって、どんな家庭を築けるのか? まるでイメージが湧きません。それが理由です。申しわけありませんが、この話はなかったことにして下さい』 

 断りの意思を、直接相手に伝えるのって、辛かったと思うわよ。でも、曖昧さのかけらもなく、はっきりと伝えきった。立派だと思うわ。」

 ルカの好奇心は、まだ満たされなかった。さらに、こう聞いた。

 「そう伝えられたときのアサヒさんの反応は、どうだったんですか? 」

 困惑の表情は、ユイから消えていた。素に戻ったように、平然と答えた。

 「安住さんが言うには、

 『あら、そう』

 その一言だけだったそうよ。彼女も薄々分かってたんじゃない? 私の想像だけどね」

 そう言ってから、にわかにユイの目に力がみなぎってきたように、ルカには感じられた。

 「実はね、話はそれで終わらないの。安住さんね、お見合いはこれで終わりにして、ビジネスの話をしませんか? って話を振ったのよ。大勢の人たちを、一気に魅了したアサヒさんのパフォーマンスの力に、イベント企画会社の社長として、ピンッとくるものがあったんですって。彼女と契約を結んで、ウチの得意とするCGを駆使した演出方法を組み合わせることで、世間をあっと言わせるようなイベントを創ってみませんか? って誘ったんだって。安住さんという人も、なかなかの人物よ。転んでも、ただでは起きない。チャンスは絶対に逃がさない、という企業人として貪欲な人なんだ、と思うわ。

 その話に、アサヒさんは、じっと耳を傾けていたらしいの。私には分からないけど、何か考えるところがあったんでしょうね。

 『近々、またお会いしましょう。今、抱えてる仕事は、もうじき終わるから、その後でよろしければ、お話を詳しくうかがいたいわ』

 彼女はそう言って、互いに名刺交換をしたって言うのよ。

 初めてだわ。お見合いの場で、お見合いに失敗した相手と、ビジネスの話に持ち込んでいくという意外な展開を見せるパターンは・・・ 」

 自ら口にした言葉に、何かひっかかりを覚えたのか、ユイはルカから視線をそらし、窓に顔を向けた。その動作につられて、ルカも窓を見た。まだ、雨は降り続いていた。二人そろって、窓を見つめたまま、黙り込んだ。

 ユイの視線の先にあるのは、窓であって、窓ではない。今回の件で、動き出した彼女の心であることを、ルカは感じていた。

 (何を考えているんだろう? ・・・でも、今は聞けそうにない)

 心の内で、そう思っただけで、そこから一歩も、ルカの考えは先へ進んでいかなかった。

 (ユイさんが、何か言いだすのを待つしかない。私に出来ることといったら、それぐらいしか―)

 そう思いかけたとき、急にユイが喋り出した。

 「さて、あの人に連絡を入れましょうかね。掟破りの連続に、お灸をすえてやらなきゃ、気がすまないわ。でも、どんな反応をすることやら・・・。ちょっと気合を入れ直さないと、あの人の天然パワーに負けてしまう。ルカ! 」

 ユイが、ルカの顔を、キッとにらみつけるようにして、こう命じた。

 「戸棚に、リキュールの小瓶が何本かあったはず。その中の一番強いのを使って、ルカ・スペシャルの、さらにバージョンアップしたやつを淹れてちょうだい。そうでもしないと、あの人には勝てないわ! 」

 本気半分、冗談半分の口ぶりであったが、ルカは小さく返事をすると、急いでキッチンに向かった。



 

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