第36話 アサヒと安住

 明け方には、陽が射していたのに、ユイとルカが事務所を出る頃には、空はどんより曇っていた。

 ルカは、昨夜、寝つきが悪く、夜中に何度も目が覚めた。朝になっても眠れずに、仕方なく、ずいぶんと早く事務所に出勤してきてしまった。ところが、既に先客がいた。

 「おはよう。あなたも眠れなかったの? 」

 ドアをそっと開けて入ってきたルカに、ユイはそう声をかけてきた。

 (ユイさんも同じだったんだ)

 内心そう思ったが、それには触れずに、天気のことを話題にした。

 「予報では、ギリ持ちそうなことを言ってたけど、分からないわね。下手すれば、ドシャ降りになるかもよ」

 事務所の窓に顔を近づけ、空を見上げながら、ユイはそう言って、顔をしかめた。

 「なんてったって、今日の主役はアサヒさんなんだから。荒れ模様になっても、おかしくはないわ」

 冗談めかした言い方であったが、ユイの顔は笑ってなかった。


 いつも通り、見合い会場の定番であるホテルのラウンジ。入口近くの長椅子の前に、まずは、安住さんが姿を現した。

 ホテルの玄関に、タクシーを横付けにして、長い足を踏み出すように降りてきた安住さんは、申し分のないカッコ良さだった。

 この日のために仕立てたのだろうか、英国製の高級スーツを身にまとっていたのだが、決して服に負けてはいなかった。彫りの深い顔立ちに、手入れの行き届いた口ひげが似合っていた。

 安住さんの場合、40歳という年齢が、マイナス要素とはならず、かえって男振りを上げる効果を生んでいた。絵に描いたようなダンディーが、そこにいた。

 口元に笑みを浮かべて、ユイとルカに軽く手を振り、挨拶をしてきた。頭を下げながら、二人とも、期せずして、同じ言葉をささやいていた。

 「カッコイイ! 」

 安住さんと、天気の話やら、仕事の話やら、差し障りのない話をしながら、アサヒさんの到着を待った。男性用の香水の甘い香りがする。上品な香りに包まれ、まるでハリウッドスターのような男前と話をするのだから、ユイもルカも、ちっとも苦ではなかったが、場合が場合だ。ルカは、さりげなく時計に目をやった。定刻から15分遅れていた。ルカの眉根を寄せた表情から察したのだろう。ユイは、その場を取り繕うように、安住さんに話しかけた。

 「女性は男性と違って、何かと時間がかかるものなのですよ。女性はそういう生き物だと思い定めて、もう少しだけお待ちになって下さいね」

 安住さんは機嫌を損じる様子もなく、優しく笑っていた。

 そこへ遠くから柔らかなクラクションが響いてきた。音のした方を見やると、真っ白なロールスロイスの車体が、目に飛び込んできた。

 「プリンセスのお出ましですかね? 」

 厭味でも何でもなく、嬉しそうな口ぶりで、安住さんがそう言った。

 威風堂々、ロールスロイスがホテルの玄関に横付けになった。制服を着た運転手が、後部座席のドアを開けると、プリンセス・アサヒが登場してきた。

 その姿を目撃した、通りすがりの人たちは、一律に足を止めた。中には、承諾をとることなく、スマホを向け、写真を撮るものまでいた。しかし、アサヒさんは、そのような無礼者にも寛大だった。スターを取り巻くオーディエンスの一人として、歓迎しているかのような風情であった。

 すぐに、後部座席の反対側のドアが開き、ミナトさんが急ぎ足で降りてきた。その目的は、すぐに知れた。アサヒさんが身にまとっていた、床をひきずるようなドレスの長い裾を持ち上げるためだった。

 足の付け根近くまで入った深いスリットが割れて、信じられないくらいに、長くて、細い、真っ直ぐなアサヒさんの片足が、車外に踏み出された。立ち止まっていた人たちのあちらこちらからどよめきが起きた。

 アサヒさんのすぐ傍に控えたミナトさんが、ドレスの裾を束ねると、アサヒさんは、悠然と全身を車外に現した。

 全身ゴールドに輝くドレスに、同じくゴールドのハイヒール。ヒールの高さは、優に10センチはある。190センチ近いアサヒさんが、このヒールを履けば・・・ ちょっとした摩天楼の出現だった。

 しかも、この日のアサヒさんは、長い黒髪を目にも鮮やかなゴールドに染めていた。文字通り、頭のてっぺんからつま先まで、ゴールドで統一されていた。高さ2メートルの生きた金色の像。仏教風に称するならば、完成したばかりで、全身を覆った金箔の光り輝いている菩薩の降臨であった。

 この金ピカの菩薩は、サービス精神が旺盛だった。くっきりと引かれたアイラインが、目じりからつるのように伸ばされ、1回転。その妖艶な魅力をたたえた目を細め、流し目風にオーディエンスの一角を捉えると、光沢のある真っ赤な口紅で塗られた唇をすぼめて、投げキスのサービスを始めたのだ。取り巻きから歓声があがり、シャッター音が、やかましいほどに響いた。

 ドレスの裾を持ったミナトさんを従え、アサヒさんは真っ直ぐにユイとルカ、そしてその傍らで、笑顔を浮かべている安住さんのもとへやってきた。遅刻したことを詫びる気配はない。上半身を前へ倒すようにして、アサヒさんは、ユイの耳もとでささやいた。

 「いつだったか、お見合い写真と大きくイメージを変えるのは良くないって、アドバイスをくれたわね。だから、今日は、あなたの忠告に従がったわ」

 その口ぶりに、冗談を言っている雰囲気はなかった。

 さすがのユイも、その言葉に目を大きく見開き、苦笑するしかなかった。

 アサヒさんの身にまとっていたドレスは首の後ろで布を吊るしただけの、ホルターネックと呼ばれる露出度の高いデザインだった。そのため、前傾姿勢をとった際に、ウエストラインまで入った深い切れ込みから、バストがこぼれ出そうになった。そんなことに頓着するようなアサヒさんではなかったが、今日が初対面だったルカは、ひとりでドギマギしていた。

 バストの白さもそうだったが、剥き出しになった背中の美しいライン、光り輝くような白さ、なめらかさが、ルカの目に焼きついた。

 自然の流れで、アサヒさんと安住さんが並び立つ位置に立ったときを見計らって、いつもと変わらぬ調子で、ユイが二人に挨拶をした。見合いについての注意事項を簡略に伝えた後、いちだんと厳粛さを増した口ぶりで、こう告げた。

 「今日のお見合いが、お二人にとって、実り多きものとなりますよう、心からお祈りいたします。では、いってらっしゃいませ」

 ルカには聞きなれた口上であったが、いつもとは違う何かを感じた。祈り・・・それ以上の、念のような強いエネルギーを、ユイの口上から感じたのだった。

 (「祝」も「呪」も、もともとは同じ言葉だった、とユイさんから聞いたことがある・・・ )

 ふと、ルカはそんなことを思い出していた。

 安住さんが、アサヒさんの手を取り、エスコートしながら、ラウンジで用意させた席へと進んでいった。

 今日は、いつもとは比較にならぬほどに、外国人の利用客が多かった。お国柄のせいもあるだろうが、ひときわ目をひくゴージャスなビッグカップルの登場に、拍手やら、歓声やらが盛んに起こり、中には、指笛を吹き鳴らす客までいた。

 客から盛んに沸き起こる歓待の意思表示の一つ一つに、アサヒさんは軽く会釈して、対応しているようだった。

 (ハリウッドスター顔負けの安住さんの容姿といい、この異様な盛り上がりを見ていると、ここが、アカデミー賞のレッドカーペットであるかのような錯覚を覚えそうだわ・・・ )

 じっと食い入るように、二人の後ろ姿を見送っていたユイに向かって、同じく二人に視線を送っていたミナトさんが聞いてきた。

「どこかに席をとってもらって、お見合いの様子を見学なさいます? 」

 突然の問いかけに、ユイは何も言えなかった。すると、ミナトさんはユイの返事を待つことなく、こう言い放った。

 「私は、ご免ですけどね。お見合いまでの段取りには、手を貸しました。でも、本番はお断りです。姉に任せるしかないんです。ですから、お見合いを見学したところで、何の意味もありません。

 見学・・・ 正しくは、監視、と言うべきでしょうが、監視したところで、姉の言動をコントロールするのは不可能です。

 私は、いったんこの場を離れます。姉から連絡が来たら、迎えに来ます」

 そう言って、一礼すると、ミナトさんは、車の方へ身体の向きを変えた。すると、運転手が、走って迎えに来た。手には傘を持っていた。

 路面には、黒い染みの広がっていくのが見えた。道行く車も、ワイパーを動かしていた。

 真っ白なロールスロイスがゆっくりと動き出した。ユイとルカは、揃って一礼し、走り去っていく車体を見送った。

 「お見合いの開始に合わせて、降り出したわね。アサヒさんが呼び寄せたのかしら? 嵐を呼ぶ女、か・・・ 」

 雨粒の落ちてくる、どんよりとした空を見上げながら、ユイは複雑な表情を浮かべて言った。怒っているような、それでいて、どこか気持ちが浮き立っているような。

 「見学したいんですか? 」

 小さな声で、ルカは聞いた。

 ユイの口元が、ピクリと動いたが、すぐには声にならなかった。少し間をおいてから、ユイは答えた。

 「帰ろ」

 そうぶっきらぼうに答えて、折りたたみ傘を広げると、ラウンジに目をくれることなく、すたすたと歩き始めた。

 

 

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