第33話 アサヒ

 ミナトさんがよく使うという中華レストランが手配され、そこでユイは二人と初めて出会うことになった。

 先に到着したユイが、案内された個室で待っていると、ドアを開け、姉妹が二人そろって入ってきた。姉妹を見たユイの第一印象は、デカッ! の一言だった。

 身長の高さが、より強調させているのか、二人とも、顔のちっちゃいことと言ったらなかった。

 さすがに、現役モデルと元モデル。普段着だと言っていたが、世間一般の女性が着る普段着とはレベルが違っていた。

 先に入ってきた妹のミナトさんは、膝が隠れる絶妙の丈感のワンピース姿だった。ネイビーの落ち着いた色で、首からさげた長めで、細いゴールドのネックレスとは、相性が抜群だった。体にまとわりつかない、柔らかな生地で、お洒落なワンピースだった。

 その後ろから入ってきた姉のアサヒさんは、足首まで丈のあるカーキー色のロングワンピース姿で、一見すると、麻素材のような質感であり、清涼感を感じさせた。胸元あたりまでスリットが入っていて、インナーのTシャツの白がすがすがしい。背中も深いⅤネックになっていて、大人の女性のシャープさを感じさせる装いだった。両耳に光る銀色の大きめのイヤリングが、お洒落のプロであることを主張しているかのようであった。

 姉妹共に、普段着使いにおけるさりげないお洒落とは、こういうものだと、その装いで伝えようとしていたのかもしれないが、いかんせん、二人の並外れた高身長が、さりげなさからは縁遠いものにしていた。

 ユイもまた、まるで時候の挨拶のように、彼女たちの高身長について触れずにはいられなかった。

 この手の話題になると、二人とも、すっかり慣れっこになっているのだろう。嫌な顔一つせずに応じてきた。アサヒさんが口火を切った。

 「この人は現役の頃から、公称『175センチ』を貫いているけど、どう見たって、それっぽっちであるわけないわ。180近くあるに決まってるもの。それに、この人が小さいものだから、一緒にいると、私がやたら大女に見られて、損することだって多いのよ。嫌になっちゃう! 」

 身長175センチを「それっぽっち」と言い切れるアサヒさんの感覚に、ユイが驚いているところへ、おおいかぶせるようにして、ミナトさんが食ってかかってきた。

 「それは、こっちの言い分よ。お姉さんは、公称『185センチ』となってるけど、本当はプラス5センチぐらいはあるんじゃないの? 」

 トンデモナイといった顔つきで、アサヒさんは反論した。

 「いっくら何でも、190センチはないわよ! 確かに、185センチというのは、サバ読んでるけどさ・・・ 」

 ニヤニヤ笑いながら、ミナトさんは追及の手を緩めない。

 「仲間内では、みんな言ってるわよ。絶対あるって。気持ちは分かるのよ。さすがに190センチというと、世間の目も違ってくるものね。ちょっとした珍獣扱いをしてくるしさ。国内のショーだと、その数字を目にした途端、二の足を踏んでくる舞台演出もいるものね」

 実際にそんなこともあったのだろう。アサヒさんもうなずきながら、腹立たしそうに応じた。

 「外国のショーじゃあ、そんなこと絶対ないもんね。背が高すぎるから、ショー全体のバランスが崩れるとか、何とか・・・。 全然わけのわからない屁理屈をつけてくるものね。日本のファッション業界がおかしいんだよ。世の中、グローバルになってるんだ。モデルだって、世界基準で考えてもらわなくっちゃ。いつまで経っても、日本はファッションの二流国、三流国のままだよ、全く! 」

 ひとしきり、アサヒさんの日本のファッション業界への批判が続いたのだが、場の空気を読んだのだろう、ミナトさんが割って入った。

 姉が見合いを希望するに至った経緯について、ミナトさんが主に語った。ポイントを外さぬ冷静な説明だった。傍でアサヒさんは、妹の説明をおとなしく聞き、うん、うん、とあいづちを打つばかりだった。

 その様子が、ユイには面白かった。妹のミナトさんの方が現実的であり、精神的にも、ミナトさんが姉の役割を果たしていることがよく分かった。アサヒさんも、そんな姉妹の役割分担については、納得しているのだろう。

 「結婚相談所に入会して、お見合いすることに、お姉さんは異論ないもんね? 」

 話の流れの中で、ミナトさんが、改めて念押しすると、まるで幼い少女のように、アサヒさんは、うん、と声に出して、うなずいた。

 だが、その直後に、こうも付け足した。

 「自分を偽ってまで、お見合い相手に合わせて、何が何でも結婚したい、というわけではないのよ。所長さんを前にして、こんなことを言うと、叱られちゃうかもしれないけど、私にとって、お見合いはイベントなの。そこで、見せたいと思う私を見てもらって、その上で結婚したいと望む相手が見つかれば、結婚してもいい・・・。そんな気分なの。ダメかな? 」

 アサヒさんは、下からすくいあげるような目つきで、ユイの方を見ながら、そう言った。

 ユイは、アサヒさんの言い分を黙って聞いていた。いつもなら、所長として何かを口にするべきところなのだが、今は何も語るまい、とユイは判断した。

 アサヒさんのような普通の女性ではない、破格の存在を前にして、初対面のこの席で、彼女にさとすようなことを口にして、最悪、ちゃぶ台返しのような結果を招いてはならない、と考えたからだった。姉をその気にさせた妹の努力を無にしてはならない。

 ユイには、アサヒさんが、それほどに小さな枠には納まりきらない特別な女性に思えたのだった。だからこそ、大事にしたい会員さんだったし、付き合えば付き合うほど、面白い女性に思えてならなかった。

 事前に連絡をした通りに、ユイは淡々と結婚相談所の規約を説明し、入会の手続きをすませる事務処理に徹した。用意しておいてもらった見合い用の写真三枚と釣り書きを受け取ったとき、写真をみて、さすがに、これは・・・と思ったのだが、結局、何も言わずにカバンの中にしまった。

 その後は、食事をしながら、フリートーク。再び世界を股にかけて活躍してきたモデル稼業について、面白おかしく語る、アサヒさんの独壇場となった。

 話が佳境に入ると、つい熱が入り、身振り手振りがおおげさになってくる。話の面白さはもちろんであったが、まるで舞うように、自由自在に動き回るアサヒさんの手の長さに、ユイは思わず見とれていた。長きにわたる豊かなモデル経験の中で、身に着けてきたのだろう、より美しく見せるにはどうしたらいいのか、を考え抜いた挙句に、これまた長くて細いしなやかな動きにも、ユイの目は吸い寄せられた。アサヒさんは無意識なのだろうが、一本一本の指先にまで神経が行き届き、美しい流れを作り出していた。

 (この人は、骨の髄まで、プロのモデルなんだ・・・ )

 改めて、ユイはそう感じた。

 (こんな人を、妻に迎え入れ、生涯にわたって添い遂げられる男性とは、どんな人だろうか? )

 アサヒさんの愉快な話に耳を傾けながら、ユイは、そんな想像を膨らませていた。

 (よほどスケールの大きな、人間的な器の大きな男性ではないと、無理だわ)

 そう結論づけるしかなかった。

 そう思ったとき、アサヒさんの隣りで、にこやかに微笑んでいる妹のミナトさんが顔が、目に留まった。

 (そうか。ミナトさんのような男性だ! )

 自分のモデルとしての実力を信じ、自由奔放に生きてる姉を、事実上の姉の目で、いや、母親目線と言った方がいいだろうか、優しく見守りながら、同時に、冷静な目でその人間性を見抜き、ここぞというときには、しっかりと手綱たづなを引いてぎょせられるスーパージョッキーのような男性。

 (・・・果たして、見つかるのだろうか? )

 ユイは一抹の不安を覚えながらも、人生というランウェイをさっそうと歩こうとするアサヒさんとの付き合いを楽しもう、と頭を切り替えた。

 アサヒさんの身ぶり手ぶりを交えた、楽しい独演会をさかなに、ユイもミナトさんも、この店自慢の中華ランチに舌鼓したつづみを打ったのだが、当のアサヒさんの箸は進まなかった。申しわけ程度に、温野菜を中心にカロリーの低い料理に箸をつけただけだった。まだ、これからファッション雑誌の撮影会が控えているのだ、と言う。

 仕事の前は、いつもこんな感じで、長年の習慣からか、からだも戦闘モードとなり、自然にスイッチが入って、まるで空腹を感じなくなるとも、アサヒさんは語った。

 「よくそれでからだが持ちますよね? 」

 と、ユイが感心すると、アサヒさんは澄ました顔で、こう答えた。

 「大丈夫。仕事が終わると、反対のスイッチが入って、焼肉店に直行するの。一晩かけて、牛一頭、丸ごと食べちゃうから」

 そう言われても、ユイには、まんざら冗談とは受け取れなかった。

 (このからだだったら、充分ありうる・・・ )

 華やかなファッション業界の陰で、花形と言うべきモデルには、こんな苦労があるんだ。どんな業界でもそうだが、プロと呼ばれる人たちは楽でない。

 (それでも、からだの続く限り、プロのモデルであり続けようとするアサヒさんは、やっぱりスゴイ女性なんだ)

 と、ユイはつくづく思った。

 ひとしきり喋り終えると、さすがに喉が渇いたと言って、アサヒさんは、小さなグラスに注がれた紹興酒しょうこうしゅを一気にあおった。

 「くーっ! カラッポの胃袋に、紹興酒は染み渡るわ! 」

 そう言って、切れ長なキャッツアイをパチパチさせるアサヒさんを見て、ユイもミナトさんも大笑いした。

 店の外には、梅雨ならではの雨が、朝からずっと降り続いていた。けれども、底抜けに明るく、天真爛漫なアサヒさんの周囲だけは、一足先に梅雨が明け、陽射しのまぶしい夏の青空が広がっているように、ユイには感じられた。


  事務所の窓越しに見える雨脚が、強まってきたように、ルカの目には映った。風も出てきたらしい。窓ガラスが雨で濡れてきた。

 アサヒさんの話を語り終えたユイは、手にしていた釣り書きにさっと目を通してから、細かな字で書き記されていた手帳に視線を落としていた。

 テーブルに並べた三枚の写真を眺め直していたルカが、口を開いた。     

 「どうして言わなかったんですか? 」

 その問いかけに、ふと目を上げたユイは、写真を眺めているルカの姿に、何を聞きたがっているのか、すぐに察しがついた。

 「彼女には、言わない方がいいと思ったからよ」

 説明になっているとは思えないその言葉は、疑問を抱いているルカを挑発しているように感じられた。

 ルカなりに、ユイの意図を汲みとろうと、黙って考えてはみたのだが、どうしても疑問は解消されなかった。

 「ファッション雑誌の表紙を飾るなら、申し分のない写真ですけど、これでお見合い写真の役割を果たせるんでしょうか? この写真を見て、お見合いしてみようと決心できる男性が、そうそう現れるとは思えないんですけど・・・ 」

 ルカは、率直に自分の考えを述べながら、シャカに説法、そんなことは、ユイさんなら、とうに考えていることだ、と思えた。

 予想通りの返答が、ユイから返ってきた。

 「・・・でしょうね」

 プツンと言葉が切れた。

 シャカに説法第二弾、と承知しながらも、ルカは言わずにはいられなかった。

 「結婚商談所の使命は、恋愛じゃない。お見合いを成立させて、成婚にまで導くことなんだ、と日頃からユイさんは言ってますよね。そこのところをカン違いしている会員さんに、キツく釘を刺しているユイさんを何度も見てきました。

 アサヒさんが、いくら特別な存在だからといって、成婚にまで持っていくという使命からはずれてしまっては、意味ないんじゃないですか・・・その・・・人から言われなくても、ユイさんには分かっていることなんでしょうけど・・・どうしても、そこが納得できなくて・・・ゴメンナサイ。私みたいな半人前が、エラそうな意見をしてしまって・・・ 」

 最後の方は、しどろもどろだった。

 ユイは、何事かを考えているような目を、窓に向けた。窓ガラスが音を立てた。ザっと雨が降りつけてきた。

 ユイの目は、雨に濡れた窓ガラスから離れなかった。それでも、口だけが動いた。

 「そうよね。あなたの言ったことが正論。私の考えも、言ってくれた通りで、少しもブレてはいないつもりよ。でも・・・ 」

 口元に、微笑みが浮かんだ。

 「アサヒさんの長くて、白くて、ホレボレするほど美しい手足を眺めながら、彼女の語るスケールの大きなファッション業界の裏表を聞かされているうちに、何て言ったらいいのかな・・・どうでもよくなってきちゃったのよ。

 お見合いから仮交際、本交際、そして成婚へ―そんな決まりきったレールに乗せられる人なんかじゃない。声がかかれば、地球の裏側にだって飛んでいく、こんな私を受けとめて、ワイフにしよう、っていう男と出会ってみたい。彼女にとっては、お見合いも結婚もイベントなのよ。常識じゃあ、理解不能だわ。突き抜けちゃってるのよね」

 雨に濡れた窓ガラスを見つめるユイの目に宿る光が強くなった。

 「このうっとおしい梅雨空を突き抜けて、その裂け目から、次に控えている夏の明るい陽射しが差し込んでくる光景が見えたのよ。アサヒさんをみてたらね。ただそれだけのこと。

 面白そうだな、と思える方へ、たまには自分も走っていきたい。あれこれ余計なことを考えずにね。

 いっときの衝動かもしれないけど、アサヒさんみたいに、衝動のままに、正直に生きてみたい。それだけのことよ。以上! 」

 相変わらず、説明にはなっていない気がした。でも、ユイが「以上! 」と言った以上、それ以上の説明らしい説明を期待しても、無理なのだ、とルカには思えた。

 雨に濡れて、視界がにじんでしまった窓ガラスを通して、ユイが見ている、陽射しのまぶしい夏の青空を、自分も見てみたい、とルカは願っていた。

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