第18話 リエと早瀬

 「今日は、ありがとうございました。いい方を紹介していただいて。高校の先生をされているだけに、とても知的で、ロボット工学の話をしても、理解が早くて関心しました・・・」

 案の定、早瀬さんからの電話だった。表面上は、平然とした態度で、話をきいているように見えるユイとは対照的に、その傍で、ルカは電話に聞き耳を立てながら、いかにも落ち着かない様子だった。

 「・・・ハイ。・・・ハイ。分かりました。私からお相手の方へは連絡を入れますので、後のことはご心配なさらなくても結構です。今日はお疲れさまでした。今回の経験をいかして、次回こそは、早瀬さんの期待に添える方を紹介できるよう、尽力しますので、今後ともよろしくお願いします。では、失礼します。」

 電話を切ると、ユイは事務所の天井を見上げ、小さく息を吐いた。そして、自分の顔に穴が開くほどに、熱い視線を送っているルカに気が付いた。どちらも口を開けようとはしなかった。最初に口を開いたのは、ユイだった。たった一言。

 「鼻・・・」

 「ユイさんの心配が、的中したんですね? 」

 と、ルカが聞くと、

 「親にせっつかれて、入会した早瀬さんだもんね。結婚を焦ってたわけじゃない。写真を見て、気に入ったんだから、写真の通りじゃなきゃ、こういう結果になるのも当然でしょ」

 ユイの返事は冷たかった。

 電話で、早瀬さんの語った内容は、こうだった。

 ラウンジ前で、リエさんと初めて会ったとき、目が合ったにもかかわらず、早瀬さんは彼女に気付かなかった。彼女の方から会釈され、

 「今日は、よろしくお願いします」

 と言われて、初めて、目の前にいる女性がリエさんであることが分かったのだった。

 「あっ、失礼しました。こちらこそ、よろしくお願いします」

 慌てて挨拶したものの、気持ちが急速にしぼんでいくのを、早瀬さんは自覚せざるをえなかった。写真をひと目見て、気に入って以来、彼の頭の中で、リエさんの顔のイメージが、勝手に膨らんでいった。無意識であったが、自分好みの顔に、彼女の顔が、どんどん変容していったのだろう。

 いやいや、話をすれば、彼女のいい点に気付けるかもしれない。ああ、いい感じだな、とか・・・。そうすれば、また気持ちが高まってくるかも・・・。

 早瀬さんは、そう思い直して、見合いに臨んだのだが、期待通りにはいかなかった。

 リエさんの顔の中央に、どっかりと居座った鼻が(彼の目には、そう映った)、全てを邪魔した。自分の話に彼女が笑っても、鼻が笑っている、としか見えなかった。

うん、うん、と彼女がうなずいても、鼻があいづちを打ってる、と見えてしまう始末だった。

 見合いの途中で、彼はあきらめてしまった。大きな鼻を好きになるなんて、土台が無理な話なのだ。早く時間が過ぎればいい・・・。ただ、それだけを願っていたと言う。

 早瀬さんが語ったという話をユイから聞いて、ルカの表情は曇った。

 「残酷ですね」

 すると、ユイは突き放すように、こう答えた。

 「たった二時間かそこらで、お付き合いをするかどうか、決めるんですもの。お見合いは、一期一会。残酷な真剣勝負になるのは当たり前でしょ」

 何も言い返せず、不安そうな顔を見せて、ルカは聞いた。

 「リエさんには、今日のお見合いのこと、どう連絡するんですか? まさか、鼻のことを・・・」

 ユイは唇を曲げて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 「それも面白いかもね。・・・でも、リエさんが、がんじがらめになってるコンプレックスに下手に触れたら、脱会するか、結婚自体をあきらめてしまうか、整形に走るか、どれにしても、ろくな結果を招かないわ。

 もう一度、彼女にはここへ来てもらうつもりなの。今日のお見合いの失敗を、彼女という人間の成長につなげていかなきゃ、意味がない。それが出来ない間は、私の持っている、もう一人のお見合い候補。彼女にとっては、ド本命になるに違いない、と踏んでいる男性とのお見合いをセッティングするわけにはいかないわ。また同じあやまちを繰り返すだけだものね・・・。

 私は、一人でも多くの会員さんに、幸せになってもらいたいのよ。私は悩めるアラフォー女で、恋のキューピッドなのよ」

 最後は冗談めかした口調で語ったユイではあったが、ルカには、その目は、決して笑っていなかったように見えた。

 そして、ふと、ユイのおばあさんの告白を思い出した。

 「パパと結婚できた私は、今だって、幸せ! 」

 人間の理解を超えたシンクロニシティーの力? そのおばあさんの言葉が、ユイを変えていくのでは? 理屈なんかいらない。それでも、ルカには、そう思えてならなかった。


 ラベンダーのブラウスに、同色のスカート。彼女の膝の上に置かれたアイボリーのジャケット。その色の組み合わせが、4月も中旬を迎えた春本番の季節感とマッチしていた。

 紅茶とお茶うけを、リエさんに運びながら、チラリと視線を送った彼女の装いに、ルカは

 (ああ、やっぱり、この人も自分とは違う世界の住人なんだ・・・)

 という思いを強くした。リエさんばかりではない。ハイスペックな結婚相手を求めて、この事務所を訪れる女性を見るたびに、ルカは同じ思いを抱かされていた。

 でも、誰一人として、ルカがそんな思いを抱いていることなど、想像もしていない。そもそも、眼中にない。見合いに成功すれば、有頂天になり、ルカの存在など、ないに等しいものとなり、反対に、上手くいかなければ、自分だけが悲劇のヒロインと思い込み、自分を羨望の眼差しで見つめているルカのことなんか、いないも同然であった。

 今、ユイを前にして、身を縮こまらせているリエさんには、後者だった。

 紅茶とお茶うけを出されても、リエさんは無反応だった。今に始まったことではない。今さらルカは、そんなことで傷つきはしない。それでも、ほんのちょっとだけ、自分を透明人間扱いする女性たちに、意地悪な目を向けるようになっていた。

 (運良く恵まれた環境で生きてきたんですもの、お見合いに一度か二度、失敗したところで、どうってことないでしょ? それでも、悩みたければ、好きなだけ、悩みなさい・・・)

 そんな呪詛じゅそにも近いルカの思いを、地で行くように、ユイからの説明に、リエさんは深く悩み、落ち込んでいった。

 (たかが、鼻が原因で、お見合いに失敗しただなんて・・・)

 リエさんは、あまりの情けなさと理不尽さに押しつぶされそうになり、泣くまいと自制していたのに、いつの間にか、涙がこぼれ落ちていた。ユイは、スッと、ティッシュの箱を、リエさんの方に押しやった。

 蚊の鳴くような声で礼を言い、ティッシュでリエさんは涙を拭き、意外と大きな音を立てて、鼻をかんだ。ルカは、リエさんの死角に入り、声を押し殺して、微かに笑った。

 彼女の涙になど無反応に、ユイの目は鋭く光っていた。そして、こう言った。

 「ねぇ、リエさん。あなた、まさか、鼻が問題だ、なんて考えてないでしょうね? 」

 ほんのわずかだが、うつむいていたリエさんの顔が上がった。

 ユイはさらに続けた。

 「誰にだって、コンプレックスの一つや二つはあるわ。あるのが自然よ。ただし、それを自分の価値を下げるものとだけ捉えて、コンプレックスと感じ、ひたすら隠そうとすると、そのコンプレックスに感じるところが、かえって強調されちゃうの。結果として、その意識が相手にも伝わってしまい、相手も、否定的に感じとってしまうということなの。

 鼻は、あなたにとって、コンプレックスに感じるものじゃなくて、唯一無二のあなたという個性を作り上げている要素の一つに過ぎない、っていうことよ」

 そう言い切ってから、ユイは手鏡を取り出して、リエさんの顔の前に突き出した。

 「リエさん、これは魔法の鏡なの。私の祖母はね、夫を外国人女性に略奪されたというのに、死んだ今になっても、自分を捨てた夫を愛している、私は幸せよ、と広言してる人らしいの。スゴイ話でしょ? そんな祖母から譲り受けたのが、この鏡なの」

 ルカはびっくりした。ユイさんの、心に、深く深く、おばあさんの言葉が突き刺さっていく。今も、どんどんと。ユイの中で、確実に、何か科学反応のようなものが起きているのを、ルカは感じた。

 「鏡を見てくれる? 笑って。無理でもいいから、ともかく、笑ってくれる? あなたは、素敵な女性よ。口角を上げて、笑おうと意識するとき、一瞬、あなたは鼻のことを忘れるはずよ。それは、鼻も含めて、あなたが素敵な女性であることの証拠よ。 

 でもね、今のあなたは、鼻が目に入った途端、その素敵な笑顔が消えてしまう。どんなときでも、その素敵な笑顔を見せていられる女性になること。それが、今のあなたにとっての最大の課題よ。もちろん、それが、お見合いを成功させるためのカギなんだけどね。分かる? 」

 リエさんは、ユイを見返そうとはせず、虚ろな眼差しで、首を縦に振りかけたのだが、その動きは止まり、強く首を横に振った。虚ろだった眼差しに力が宿り、再び涙で目が潤み始めた。そして、リエさんの口から言葉がほとばしり出た。

 「鼻に修正をかけずに、お見合い写真を撮るなんて・・・裸を見せるより恥ずかしい! バカな女と、思われるでしょうが、あの写真以外に、男性に見せられる写真は、ありません。あの写真で、・・・お願いします」

 リエさんは、苦しげだった。

 見合いで失敗することを恐れながらも、それを克服するために、のままの自分を見合い写真に使うことには、耐え難い恥ずかしさを覚える。矛盾していることは百も承知だ。それでも、その矛盾から抜け出せないでいる苦しさが、彼女の言葉からはにじみ出ていた。

 ユイは、鋭い視線をリエさんに向け続けていた。涙ぐんだリエさんの目とぶつかった一瞬だった。ユイの顔がほころんだ。

 「リエさん。あなたのその我の強さ。ご自分で認めている通り、あなたのバカなところ。私は嫌いじゃないわ。私の中にも、あるもの。バカのくせに、頭のいいあなたのことだから、もう気付いているんでしょうが、今のままじゃあ、あなたのお見合いは上手くいかない。・・・それじゃあ、結婚相談所の所長としては困るのよね。成婚率が上がってくれないと、相談所の評判が悪くなっちゃうし。・・・そうだ」

 と言って、ユイは一冊の文庫本を取り出し、リエさんに見せた。

 「これね、あなたも読んだことがあるかもしれないけど、芥川龍之介の小説。短編集なんだけど、その中の『鼻』という小説を、あなたに読んで欲しいの。

 あなたが、鼻を修正した写真で、見合いを続けたいと言われるなら、こちらもお客様あっての仕事ですから、従います。何人でもお見合い相手を紹介します。

 それはそれで、・・・でも、その前に一度、この小説を読んでみてほしいの。お見合いに失敗し、心に傷を負った今だからこそ、その傷口から深くしみ込んでくるものがあると思うから。

 もう、これ以上、くどくどと先生相手に説教するつもりは、ありません。後は、あなたの判断にお任せします」

 そう告げると、手にしていた文庫本を、リエさんの前に差し出した。リエさんは、すぐには手に取らず、黙って、その表紙に目を注いでいた。

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