第17話 リエと早瀬

 翌日、昨夜起きた不思議な出来事について、二人は一言も触れようとはしなかった。昨日、ユイが夕食を共にした会員のリエさんの件で、朝からバタバタしていたことが、主な理由ではあったが。今は、これ以上、おばあさんのことに深入りしたくない、という気持ちが、ユイに強く働いていたのは明らかだった。そんな気持ちが作用して、いつも以上に、仕事にのめり込んでいるように見受けられた。

 リエさんは地元の有名私大を卒業後、母校の高校で、生物・化学を教える非常勤講師として勤務していた。年齢は28歳、今年29歳になる。ご多聞に漏れず、アラサーの仲間入りをしたという意識が高まって、危機感から結婚相談所に入会したのだった。

 彼女には、3歳離れた弟がいたが、やはり母校の高校で、物理の教師をしていた。

 両親は二人とも、同じ国立大学を卒業し、母親は専業主婦、父親は大学院に進み、今はその大学院の医学部研究室の教授であった。

 家族揃っての高学歴、必然的にリエさんのお見合いに対する希望も、高いものであった。高学歴、高収入、イケメン、高身長・・・。リエさん自身は、出来れば、という程度であったが、母親が、娘の結婚相手は医者がいい、と明言していた。

 しかし、難航したメイさんの母親のように、何が何でも医者でないと困る、それ以外はご免だ、と異常なほどにこだわっているわけではなかった。

 昨日の夕食の席には、リエさんだけでなく母親が同席していた。入会するために、初めて事務所にやってきたときも、二人は一緒だった。これで、二度目の出会いとなる。

 食事のときには、ワインも飲んだため、アルコールの勢いもあって、母娘ともにお喋りになり、本音がポンポンと飛び出した。

 事務所で会ったときは、物静かで、控えめであったリエさんだが、猫をかぶっていたようだ。言葉の端々から、けっこう上から目線でものを言うタイプであることが分かった。母親の言い分に対して、『ちょっと、黙っててよ』と平然と言ってのけ、自分の言い分を通そうとするわがままぶりを、ユイは何度も目にすることになった。

 それでも、この程度のことはよくあることで、高校の理科の先生をしているならば、どうしたって上から目線になりがちだ、とユイには理解出来た。見合い相手の男性がよっぽど子供っぽくって、それが気に食わない、と言うようだったら、そんなオコチャマは、やめときなさい、とユイが進言するまでのことだ。

 だが、問題は、そんなことではなかった。母親から見せられたのは、釣り書きのみで、見合い写真は、また後日に、と入会時に言われたものだから、今夜の食事の席で渡されるもの、とユイは決めつけていた。ところが、いつまで経っても、渡そうとするそぶりを見せなかった。

 忘れているのだろうか? とユイはいぶかったのだが、食事もそろそろ終わりという頃になり、こちらから催促しようか、と思った矢先に、リエさんがバッグの中から写真を取り出し、ユイに渡してきた。

 「これで、お願いします」

 と、声を潜めて、リエさんは言ったのだが、写真を確認した途端、ユイは、あれ?   と思った。

 目の前にいる実物のリエさんと、印象がずいぶんと違っていた。違和感の原因が、どこにあるのか? すぐには分からなかった。ところが、その原因に気付いた途端、ユイの胸の中で、違和感が爆発的に膨れ上がったのだった。

 鼻だ・・・。

 今どきの見合い写真に、修正を施すなんてことは、日常茶飯事であった。全く修正を加えていない見合い写真の方が、稀になっていた。シミや皺をとる、目を大きくする、小顔にする・・・何だってアリ、だ。要は程度問題だ。

 リエさんが、ユイに渡した写真では、彼女の鼻のラインがボカされていた・・・というよりも、はっきり言って、鼻が照明で飛ばされていた!?

 写真から、鼻が消されてしまっていたために、かえって、目の前にいる実物のリエさんの鼻が、異様に巨大に見えてしまう。口にこそ出さなかったが、ユイは、内心、 

 (これは困ったことになるかもしれない・・・)

 と直感した。

 (不安が、杞憂きゆうに終わってくれればいいのだが・・・)

 と考えたのだが、とうとう食事も終わって、お別れをするまで、ユイの感じた違和感と不安を、リエさん母娘に伝えられなかった。写真を渡されたタイミングと、そのときにリエさんが口にした言葉、「これで、お願いします」という言い方から想像するに、リエさんは鼻を消したことについて、今はあれこれと言ってほしくなかったに違いない、とユイは考えたからだった。

 結婚相談所の所長として、その経験智から、見合いに支障が出るかもしれない心配事については、事前に、きちんと注意するべきなんだ、と思う。まずは、見合いを成功させることが、自分の果たすべき使命なんだから。分かってはいるんだが・・・何だろう? 同性として、リエさんのしたことの根っこにある思いを、分からないでもない、と共感してしまう、そっちを優先させてしまう、所長としての弱点が自分にはある―。

 ユイは、そう思わないではいられなかった。そして、悩ましかった。


 見合い候補として選んだ、何人かの男性会員のファイルをテーブルに並べて、ユイは見比べていた。そんな作業をしながら、同時にリエさんのことを語るユイの口調が、どこか、いつもと違うことに、ルカは気付いていた。

 見合い写真に問題があった場合、ルカの知っているユイならば、迷うことなく指摘し、撮り直させていた。それが、昨夜に限っては出来なかったことを、自分の弱点ととらえ、まるで愚痴を漏らすような口調で語った。

 (ユイさんらしくない、何か、変・・・)

 とルカは感じ、

 (もしかしたら、昨夜のおばあさんの一件が影響しているんじゃ・・・)

 と、考えたところで、すぐに否定した。

 (リエさんとの食事と、おばあさんの一件は、ほぼ同時刻に、別々の場所であった出来事なんだから、関係あるはずが・・・な・・・い・・・)

 と、考えかけて、思考が止まってしまった。

 (理屈に合ってるとか、合ってないとか、この場合、そんなことは大事じゃない気がする。そもそも、ユイさんの亡くなったおばあさんが、私の前に現れて、おじいさんのことを語ったこと自体、理屈じゃあ説明出来ないことなんだし・・・。ユイさんの迷いと、おばあさんが現れたこととが、同時に起きたってことに、意味があるように思える。偶然の一致に過ぎないかもしれないけど、何とかいったよね、・・・シン・・・そうそう、シンクロニシティ! 前に、雑誌で読んだことがある。それだ! )

 自分で考えていることなのに、ルカには、わけが分からなくなっていた。だが、それでもなぜか、ストンとに落ちたような感覚を味わっていた。

 我知らず、ニターッ、と笑顔を浮かべたルカの顔を、ユイは不審そうに、じっと見つめた。その視線に気付いて、慌ててルカは目を伏せた。何とかして、この気まずさをまぎらわせようと、とっさにルカは口走った。

 「ワッフル、ワッフル買ってあるんですけど、食べます? 紅茶、淹れますけど」

 まだ、不審そうな視線を向けていたユイであったが、ワッフル、と聞いて、表情が一変した。

 「食べる! 食べる! 悩めるアラフォー女子にとって、甘いものは必需品よ。ルカブレンドでお願いね」

 いつもの音声に戻ったユイに、ホッとして、呪縛から解放されたように、ルカは腰を上げ、いそいそとキッチンへ向かった。そのルカの背中に、ユイの声がかぶさってきた。

 「・・・うん、迷っていても仕方がない。ド本命は後に回して、まずは、この方に当たってみようかな? あの写真を見せたら、どんな反応が返ってきて、その後、どう展開していくか、実験してみる価値はありそうね。縁は異なもの、味なもの、と言うからね。スイス~イとまとまるのならば、それはそれで良いし。まとまらなくても、やっぱりね、仕方がない、で納得できちゃう。

 お相手の男性には悪いけど、この二段階作戦で臨まないと、リエさんに成長はないし、私の悩みも解消しない。個人的なことに利用するみたいで、気がひけるけど・・・。あなたにだけは打ち明けとくね。絶対に内緒だよ。ま、必要なこともあまり喋らないあなたに口止めする必要はないけどね」

 ルカに向けて言っているようで、実質は、ユイのひとり言のように、ルカには聞こえた。それに、絶対に内緒だよ、と言われても、ユイが胸に秘めている作戦の中身を、ルカにはよく理解できなかった。それも、ユイは分かっているはずだ。でも、それでいい、とルカには思えた。

 ルカは返答せず、黙って紅茶を淹れた。皿にワッフルを取り分けて、生クリームとブルーベリージャムを添えてから、ルカは心の中で、ヨシッ、とつぶやいた。悩めるユイさんの吐き出す思いを受け止めること。そして、ユイさんを元気にするために、おいしい紅茶を淹れること。それが私に課せられた使命なのだ、とルカは自分に言い聞かせた。


 ユイが選んだ見合いの相手は早瀬俊介さん。産業用ロボットの部品製造で、急速に売り上げを伸ばしてきた会社の若手社長だった。35歳。仕事一筋で生きてきて、家庭を持つことなど、考えてもいなかった。180センチを超える長身で、俳優になってもおかしくない、渋めのイケメンだった。若い頃から女性にもてたが、長続きしない。本人に結婚する意志がまるでないのだから、自然消滅のような形で終わることがもっぱらだった。

 結婚相談所に入会したのも、心配した両親からの強い勧めで、仕方なくであった。

 だが、ユイから送られてきたリエさんの写真を見て、一発で気に入ってしまった。是非、会いたい、とすぐさまユイのもとに連絡を入れた。ほぼ同じタイミングで、リエさんからも見合いを望む返答が送られてきた。

 見合いは一週間後の土曜日、場所はいつも通り、例のホテルのラウンジで、ということで決まった。

 出足は順調。いつもならば、上機嫌になるはずのユイに笑顔は見られなかった。口数も減ってしまったユイの様子に、ルカまでが緊張を強いられた。ユイのカバン持ちで、ホテルへと向かう道中でも、ルカは一言も喋らなかった。ユイが、殻を閉ざしたように、何も語りかけてこなかったからだ。こんな経験は、ルカにとって初めてだった。

 ラウンジの入り口で、リエさんと早瀬さんを引き合わせた後、ユイは二人に見合いについて簡略な説明を行った。いつもと変わらぬ見合いの光景であったが、ユイの傍にいて、ルカには、これまでのユイには見られなかった変化を、はっきりと見てとっていた。ユイの視線は、早瀬さんの表情に注がれていることが、圧倒的に長かった。

 ルカには、よく分からなかったが、何というべきか・・・早瀬さんの表情に張りがない、とでも言ったらいいのだろうか・・・?

 見合いに臨む場合、男女を問わず、緊張していることが多い。抑えきれないほどの緊張感から、顔を紅潮させている場合も少なくない。当然だろう。ところが、そんな反応が、早瀬さんには全くなかった。

 それ以上に、ルカに強い印象を残したのは、リエさんに出会った瞬間の早瀬さんの態度だった。彼の歩みが、ピタリと止まり、明らかに戸惑ったような表情を浮かべたのだ。

 もう一つが、ユイの反応だった。早瀬さんの戸惑い、混乱に気付いた途端、ユイも歩みを止めた。ユイの異変に、ルカが思わずその表情をうかがうと、片眉がぐっと上がったのが見えた。フラットだった表情が、みるみる険悪になったようにも見えた。ユイは何も言わなかったし、その一瞬の早瀬さんやユイの心の動きを全て読めたわけではなかったが、ユイの胸の中で、ある思が一気に噴き上がり、もの凄いスピードで計算し始めたのを、ルカは感じ取っていた。

 ラウンジの中へと二人を誘導し、顔なじみのフロント・マネージャーに後のことを託し終えたユイは、席へと向かう二人の後ろ姿を目で追いながらも、心は、もう既にここにはなかった。

 ちょっときつめの声で、ユイはルカに告げた。

 「事務所に戻るよ。たぶん、お見合いが終わったら、すぐにでも連絡が入るから」

 ユイは、ルカの返事を待とうともせずに、スタスタとホテルの階段を降りていった。


 ユイは紅茶を口に運び、ワッフルを頬張りながら、電話をにらみつけていた。そして、電話が鳴った―。

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