エピローグ

第54話 もう行かないの?

 綺羅星と二人、ドリンクを片手に黒廻川と白廻川が交差する地点を見下ろす橋の上にいる。綺羅星はアイスロイヤルミルクティーで、俺はそれの砂糖抜きだ。


 時折、車が後ろを通り過ぎる。その度に綺羅星の日傘が風に煽られる。日傘が似合う男など綺羅星をおいて他に居ないだろう。俺は近所のスーパーで買ったシュプリームの偽物のキャップ(母ちゃんが買ってきた)で日差しを防いでいる。


 今日は晴天で、日差しが強い。とはいえ、一頃のような干ばつは収まったようだ。


 異世界から戻ったあの日の後、雨は一週間も降り続いた。しかも、今までの干ばつを一気に取り返そうとするかのような豪雨だった。川の水量が戻ったのは良いことなのかもしれないが、今度は氾濫とかして大変だった。


 全く、自然というものは人間の手に余る。余り過ぎる。それを意のままに操るんだから、帝妃ってのは狂気の沙汰だ。いや、その力を使おうとする輩が狂気だ。過ぎた力は、持っていたとしても使わないに越したことはない。


 そんな天候だったので、学校は休校、そのまま夏休みに突入してしまい、綺羅星ともなかなか会うことができなかった。天気が落ち着いたら、今度は塾の夏期講習が始まってしまった。俺も会いたいのは山々だったが、夏期講習が終わるまでは会えず、今日ようやく会えた。夏休みは半ば近くになっていた。綺羅星は早速、異世界について聞きたがった。


 綺羅星の家に遊びに行くと、例によって綺羅星パパの歓待を受けた。すると、綺羅星パパは俺を見るとじッとメンチをくれ(正直、ビビり上がった)、丸太のような腕を俺の首にかけ(絞め殺されるかと思った)、耳元で囁いた。


「チェリー捨てたのか?」


「さくらんぼですか?」


「ん。大丈夫だ」


 という会話が交わされた後、善男さんは解放してくれた。


「いやー、それにしても、夏って怖ぇな。ウチのプリンスは一気に抜かれた感じだ」


 そして背中を一発叩かれた(少し、息が止まった)。なんだかわからないが、それでもどういうわけか、なんとなく嬉しかった。


 例によってクレープとドリンクをいただいて、それを持参してこの橋に来た。綺羅星の提案だ。何でも、異世界の話を聞くには、ここがふさわしいんだそうだ。なんとなくわかる気がした。


 俺が話してる間、時折相槌を打つ以外は、綺羅星は黙って聞いてくれた。多分信じてくれたと思う。一通り話し終えた後、「大変だったね」と言ってハグしてくれた。大変だったよ。そして最後に「向こうの人は誰も僕の中には入ってくれなかったようだね」と、ちょっと残念そうだった。


「他の人たちとはどうなの?」


「え?」


「異世界に一緒に行った他の人たち。七瀬くんとかさ」


「あぁ。すっかり疎遠だねぇ」


「そうなの?」


 綺羅星は少し驚いていた。


「うん」


「一緒に異世界行ったのに?」


「まぁ、正確に言うと、彼らは行ってないからね。むしろ、こっちに来ていた人が向こうに帰った、て感じだから」


「あぁ、そうか」


「まぁ、夏休み中だから、原先生とは疎遠なのはしょうがないけどね」


「学校が始まるまで会えないからね。七瀬くんは?」


「塾で会った」


「どんな感じだったの?」


「あぁ。挨拶しようかと思ったけど、スルーされた」


「あ、そう……」


「もう、クイルクの影響がなくなったからだろうね」


「そうかあ……。ちょっと寂しいね」


 そう言われると……、いや、そう言われるまでもなく、正直寂しい。頭ではわかっているけど、一度は一緒に異世界を目指した同志だ。例えそれが、向こうの人の意志であっても、実感としては葉月さんと原先生なのだから。


「優紀くんは?」


「うーん……。なんとなく、よそよそしいんだよねー」


「ふーん」


 こっちに戻ってきてから、家が隣同士ということもあり、何度か顔を合わせた。葉月さんほどはそっけなくはないが、それでも、以前の優紀と比べると、なんとなく距離を感じてしまう。俺と目が合うと、すぐにそっぽを向いてしまう。


「優紀の方は、逆にレティエヌの影響があるからなのかなぁ……? でも、最終的にはそんなに険悪でもなかったと思うんだけどなぁ……」


 異世界に行く前に、不用意に「好き」と言ってしまったことは伏せておいた。急に顔面に熱を感じた。アイスロイヤルミルクティー砂糖抜きを一口あおる。


「産みの苦しみだね」


 と、綺羅星が言った。なんだか楽しそうだ。


「もう行かないの? 異世界」


 唐突に、そんなことを聞いてきた。


「え? うん。もう、行かない」


「即答だね」


「まあな」


「もう、行きたくない?」


「いや、行きたくないわけじゃない。大変だったし、向こうは向こうで色々問題はあるけど、すごく綺麗なところだったし、思い描いていたような世界だった」


「じゃあ、なんで?」


「こっちでやりたいことができたから」


「あ、わかった」


「え?」


「オギーのやりたいことって、僕が喜ぶようなことでしょ?」


「あぁ、うーん……。どうだろうなぁ……。なんでそう思った?」


「突然、塾の夏期講習に行き始めたからさ」


「そっかぁ……」


 多分、綺羅星の言う「僕が喜ぶようなこと」というのは、おそらく俺が公務員になって、この町で働くことを意味するのだろう。まぁそれは……当たらずとも遠からず、といったところか。それもよくわからない。


 俺が帝国を支配していた時、悪逆の限りを尽くした。帝国人、獣人、それこそ色々な人から憎しみや侮蔑の目で見られた。それで良かった。それが目的だった。


 でも一方、こうも思った。


 この人たちが喜んだ時、どんな顔をするんだろう。


 その時は頭を掠めただけだったが、こっちに戻ってきてから、日に日にその思いが強くなっていった。あの人たちの笑顔が見たかった。


 俺がやりたいことは、そういうことだ。


 ただ、何をやりたいのかはわかってるけど、何をどうやればいいのかは、わからない。


 ただ、居ても立っても居られず、闇雲に夏期講習に行ったのだった。


 とにかく今の俺には力がない。


 人を笑顔にする力を、俺は得たい。


「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」


「ぼちぼち行くか」


「いや、君はもう少しここにいるといい」


「え? なんで?」


「いいからいいから」


 そう言い残し、綺羅星は行ってしまった。相変わらず不思議な男だ。仕方がないので、眼下に見える飛沫を眺めた。川と川がぶつかっている。


 河原に目を転じると、親子連れが楽しそうに釣りに興じている。いや、全然楽しそうじゃない。子供が「釣れない」と言って駄々をこね、父親を困らせている。その様子を見て、母親は苦い顔だ。でも、なんだかそれもまた、楽しそうに見える。


 長かった雨も止み、徐々に観光客が戻って来た。父ちゃんの帰りも、少し遅くなった。


「荻窪田ぁー!」


 声に振り向くと、遠くからこちらへ向かう優紀の姿が見えた。シュプリームのキャップを被っているが、多分偽物のような気がする。大方、優紀の母ちゃんが買ってきたものと思われる。……多分、ウチの母ちゃんと一緒にスーパーに行ったのかもしれない。



 思えば俺は逃げていただけなのかもしれない。逃げる先を異世界に求めていただけだったのかもしれない。


 でも、逃げた先で見つかることもある。薄ぼんやりしたものでも、見つかることはある。逃げた先でしか見つけられないものもある。そういうことも、あるような気がしないでもなくはない。



 さて、今度は俺は逃げるのか逃げないのか。


 優紀は駆け足になった。



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行・け・な・い異世界マジック 涼紀龍太朗 @suzuki_novel

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