第25話 出立提案

「……なるほど」


 ひとしきり、俺の過去の話をレオナールにした後のこと。俺が内心ぐちゃぐちゃになりながら話した、どうしようもなかった俺の地球での暮らしや扱われ方を、静かに黙って聞いていたレオナールは、そっとつぶやいた後に俺を見つめながら言った。


「そうか……思っていた以上に、君は辛い生活を送ってきたんだね」

「まあ……そうっすね」


 憐れむような、悲しむような目をして声をかけてくるレオナールに、俺は視線を落としつつ返す。まだ大麦茶は温かかったが、湯気はだいぶ落ち着いている。随分、がっつりと話してしまったらしい。

 なんとなく居たたまれない気持ちになって、大麦茶のカップに口を付ける。ほのかに甘さと、微かな苦味のある香ばしい香りが広がった。

 レオナールもカップに口を付け、大麦茶をすすってからすんと鼻を鳴らした。


「ふーむ、しかし、そうだな」


 そうつぶやいて、少しばかり考え込むレオナール。小さく視線をさまよわせ、俺をまっすぐ見つめながら口を開いた。


「マコト。元いた『チキュウ』なる世界に帰りたくない、ということであれば、私たちは喜んで迎え入れる。君の能力は得難いし、実際に成果も上げている。帰りたくないという君を、追い返すような真似はしたくない」


 レオナールの言葉に、俺は小さく息を吐きつつ胸をなでおろした。ここで「やっぱり地球に帰ってもらいたい」とか言われたりしたら、俺はきっと泣いていただろう。

 やっぱり何だかんだ、地球よりもイーウィーヤの方が居心地がいいし、生活が充実しているのもある。このまま、魔法研究所の一員として仕事を続けられればどんなに気持ちが楽だろう。

 と、そこで少しだけ申し訳なさそうな顔をしながらレオナールが俺に言ってくる。


「だが、そうなるとガリ王国の国民として役所に届け出が必要になる。居住地はこの研究所の寮で届けを出せるが、税金などはやはりかかる……そこについては、問題はないかな」

「そりゃあ……そうっすよね。当然っすよ」


 彼の言葉に、俺はすぐにうなずいた。確かに国民になる以上、納税は当然の義務だ。地球でもそこは、忘れたことはない。

 俺の返答に安心した様子で、レオナールがほっと胸を撫でおろす。


「よかった。あんまりそうした、納税まわりのことに意識が向かないものも異世界人の中にはいるからね」


 曰く、納税の仕組みがしっかり整っているイーウィーヤ、というよりガリ王国は結構特殊で、異世界から転移したり召喚されたりしてくる人間の中には、納税という仕組みについて概念的に理解できない人もいるのだそうだ。

 そう考えると、地球の、それも日本からやってきた俺は、そういう社会の仕組みが骨身に染みているわけなので。レオナールとしてもやりやすいのだろう。

 そこからは給与の支払いについて話が及んだ。驚いたことだが、この国は銀行の仕組みが結構しっかりしており、日本のようなATMの仕組みこそないものの、銀行同士を結ぶ電信の経路が整っていて、あちこちの支店で自分の銀行口座から結構気軽にお金を下ろしたり、入金したり出来るんだそうだ。


「君の給与口座は近日中に所長が発行手続きを取ってくれるだろう。税金もそこから引き落とされる形になる……納税の手間については、そこまで考えなくてもいい」

「おお……ラッキー。そういうの、あっちじゃすごく面倒だったんで助かるっす」


 レオナールの説明を聞いて、素直に感心しながら目を見開く俺だ。日本だと確定申告やら何やらで非常にめんどくさかったので、そういう手間がかからないで義務を果たせるのは助かる。

 ただ、その辺の税率だとか天引き分だとか、そういう部分はまだよく分かっていない。今後、レオナールやアルフォンスに確認しないとならないだろう。

 するとそこで、レオナールがいつになく真剣な表情をしながら、テーブルにひじを突きつつ口を開いた。


「さて、それはそれとしてだ。ガリ王国の国民として居住し、魔法研究所の所員として勤務する……ここまではいいと思う。問題は、魔法研究所の所員として成果を上げ続け・・・・・・・なくてはならない・・・・・・・・ことだ」

「成果を……上げ続ける?」


 話を聞いて、俺は微かに首をかしげた。確かに組織に属する人間として、成果を上げるのは最低限のラインだ。だが、上げ続けるとなると話が違ってこないだろうか。

 俺の疑問の気持ちを受け取ったのか、レオナールが神妙な面持ちのままでこくりとうなずく。


「そうだ。国家に従事する以上、安穏と過ごしている訳にはいかない。国家のために働くということは、相応の成果を常に求められるということだ」

「常に……っすか……」


 彼の真剣な言葉に、俺は目を見開きつつ背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 よくよく考えれば、魔法研究所は国家機関。つまりそこの職員は国家公務員だ。普通の企業に勤務する人間よりもハードルが上がるのは、仕方ないことかもしれない。

 そういう環境で俺みたいなのが、やっていけるのか。不安が鎌首をもたげてくる。と、レオナールが小さく身を乗り出しながら、俺に言葉をかけてきた。


「マコト。君は先程、自分は誰にも求められるものではなかった、どこにも居場所がなかったと言っていたな。役立たずだとも」

「はい……そうっすね」


 彼の言葉に、俺は素直にうなずいた。ここについて、否定する要素はない。何しろ俺が自分で、レオナールに向かって話した言葉だ。

 俺の反応にもう一度うなずいてから、レオナールは両手を組みつつ話を続ける。


「人間の評価というものは主観的なものだ。ある場所では無能と言われても、環境を変えれば才能を発揮し、評価されることもある」


 彼の話に、俺は静かに聞き入っていた。

 その言葉に間違いはないだろう。地球でだって、転職したり部署異動したりして環境を変えたら、能力を発揮して役立つ人材になった、なんて話はいくらでもある。なら、この世界でだって・・・・・・・・その通りのはずだ・・・・・・・・

 レオナールはなおも、真剣に真っすぐ、俺を見ながら言葉を続ける。


「私たちは君を必要としている。君の力を必要としている。ならば、その力を示してくれればいい」


 彼の言葉に、俺は胸が熱くなる思いがした。

 俺は必要とされている。ここにいていいと言われている。もちろん、その期待に応えることが出来る限り、だが。

 ここでようやく分かった。「俺が期待に応えられる場所」を、彼は提示しようとしているのだ、と。


「どうだろう、明日になったら所長に相談しようと思っているが……世界を巡る・・・・・旅に出ないか?」

「世界を巡る……旅、っすか?」


 うっすらと笑みを浮かべて、気軽な旅行に出かける相談をするかのような口調で話すレオナールに、ますます首をかしげてオウム返しをする俺だ。

 世界を巡る、旅。このイーウィーヤという世界がどれ程広いのか、俺は知らないから、どのくらいの規模の旅になるのかすら想像がつかないが、レオナールがこうして話してくるということは、きっと一日二日で終わるような旅行にはならないんだろう。

 内心のウキウキを抑えられていないような、そんな顔をしながらレオナールが話を続ける。


「ああ。世界にはまだまだ、まだ存在を知られていない古代魔法があるはずだ。ガリ王国の国内だけでは、集めきれないほどの魔法がね。それを探しに行こう。そうすれば、君の生きる意味というものも、見つけられるはずだ」

「おお……」


 彼の話に、俺はいつになく気持ちが沸き立つのを感じた。

 俺の生きる意味。今まで何をどうやっても、どんな環境でも見つけられなかったそれが、この話に乗っかることで見つかるのかもしれない。そう思うと、随分と楽しいものになりそうだ。

 だが問題は、「世界を回って古代魔法を探す旅」なんて大仰なものが、上司の許可を得られるか、ということだ。不安を露わにしながら俺は問い返す。


「許してくれますかね、所長は。だって、王国の外にも出ていこうって話なんでしょ?」

「もちろんだとも。今までだって私たちは、王国の外に出て魔法を集めてきたものだ。今更君を連れて国外に出たところで、誰もとがめない」


 俺の疑問を、レオナールはあっさりと払しょくした。そのあまりにもキッパリとした物言い、一周回って頼もしくなる。

 と、レオナールがますますテーブルから身を乗り出してきた。そのまま俺の肩を右手で叩き、顔を近づけながら声をかけてきた。


「君は恐れることはない。君のそばには私たちがいる。なんなら他の所員もいる。広い世界を見て、君の本当に見つけたいものを見つけようじゃないか」


 彼の、柔らかい笑顔と共にかけられた言葉。それが俺の心にストンと落ちた時、俺は目頭が熱くなるような気がした。実際に目元は潤んでいたかもしれない。

 俺の本当に見つけたいもの。俺の人生の目標。今までぼんやりとして、しかし探そうともがいていたもの。それを見つけるための、今回のレオナールの提案。

 ああ、なんてラッキーなことだろうか。この世界に召喚された当初は、こんな不幸なことはない、と思っていたのにだ。


「レオナールさん……」


 礼を言おうとして、声が詰まった。込み上げてくるものを抑えられそうにない。

 軽く目元を拭う。そしてくしゃくしゃな笑顔を見せながら、俺は消え入りそうな声で返した。


「……あざまっす」

「うん。さあ、落ち着いたかな。茶を飲み終わったら戻ろう」


 俺の声に、もう一度レオナールがうなずく。下を向けば、すっかり大麦茶は冷めていた。

 常温になった茶を静かに飲み干し、その液体が胃にゆっくり落ち込んでいくのを感じながら、俺は談話室の席を立つ。時計がすっかり夜中の3時を回っていることにすら、ちっとも気がつかないで俺は晴れやかに歩き出した。

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