母が生きてるんですよ

鏡 竟金

ちょっとあなた、

 あなた、そこのあなた。

 右でも左でも後ろでもなくてあなたですよあなた、そう、ええ、あなたです。

 あぁよかった、ずっと気付かれないままかと思いましたよ。いやぁ、今日はカンカン照りで暑いですねぇ、木陰に入りましょうか。

 えぇ、そんな身構えないでくださいよ。取って食うわけじゃないんですから。

 ね、ね、あなた。ちょっと僕のお話聞いてはくれませんかね。

 え? なんでってそりゃ、あなたここの人じゃないでしょう? こんな小さな田舎町みぃんな家族みたいなもんで、よその人は一目でわかりますよ。こんななところまでわざわざやって来るってことはつまり相当お暇なかたじゃないですかね? 違います? 違わないでしょう、そうでしょう。

 じゃあ僕の話に付き合ってくださいよ、いいじゃないですか、単なる暇つぶしですよ、ね、付き合ってくださいますよね。


 僕の母のことなんですがね、背は小さいのに体重は標準値の倍以上ありそうなくらいふっくらとした人でね、あ、でも僕それを恥ずかしいなんて思いませんでしたよ。むしろ恥なのは僕の方でね、もう二十歳はたちになるって言うのに親離れというか母離れできなくてね、あはは、そうなんです、マザコンってやつなんですよ。

 いやぁ、でもあんな人を母に持つと誰でもマザコンになりますよ。優しいし、なんでもしてくれるし、なんでも知ってて、度胸もあるんです。僕が子どもの頃、野良犬に噛まれそうになったことがあるんですよ。母がかばってくれて噛まれてしまって、それで一生残る傷痕つけてしまって、僕、絶対にこの恩を返そうと思いましたね。他にも猪に遭遇した時に逃げさせてくれて……あ、出るんですよこの辺、猪。あなたも気を付けてくださいね。背中見せたり走って逃げたりすると追っかけてくるんで、猪をじっと見つめてゆっくりゆっくり後ずさるといいですよ。


 いやちょっと待ってくださいよ、まだ話は始まったばっかしばかりじゃないですか。猪の注意喚起のためにあなたを呼び止めたんじゃないんですから。せめて本題まで付き合ってくださいよ。


 そんでね、母は飯もうまいんですよ、特に里芋の炊いたんが絶品でねぇ、ほぉんとに、あぁ、思い出すだけでよだれが出てしまいますわ。今晩は煮物作ってもらうようお願いしようかなぁ。

 まぁ、母の器量は一般的に見て平凡、体型が体型なものですからブスって言う人もいるかもしれませんね。でもそういうのも全部ひっくるめて僕は母が大好きだったんです。でも数年前から病気で臥せってて、父も母のことが大好きだったんでなんとか病気治しちゃろうなおしてあげようってたっくさんむつかしそうな専門書うたりいろんな医者呼んだりしてたんですけれどもね。


 その甲斐もなく、先月亡くなってしまって。

 え、あぁ、どうも、お心遣いありがとうございます。

 でも別にそんなんどうでもええんですよ。

 だって、母は今も生きてるんですもん。


 変な話だと思うでしょう? 僕も最初はそんなことあるか思いました。

 母は確かに息を引き取ってたんです。

 湯灌ゆかんの時――へ? ゆかんですよ、ゆ・か・ん。言い方違うんかな。よその人だから方言使わんようにしてたんだけどな。とにかく、亡くなった方の体をきれいに洗ったげるあらってあげるでしょう? え? 洗わない? はぁ、洗わないんですか、よそでは。この辺ではそういうがあるんですよ――でね、その時にちゃんと僕も確認したんです。息してないし、心臓も動いてない。触るとかたくて冷たくて、肌はもう見ただけで、なんというか生きてる体じゃないんですよね。死んでるんですから当たり前なんですが。それ見ると嫌でも実感がわいてきてしまってね。

 あぁ、もうおかんはおらんいないのか、おかん、のぉなってしもうた死んでしまったか。て、悲しゅうかなしく悲しゅうかなしくて、おとんと一緒になっておいおい泣いたんです。


 その晩「ご愁傷様です」「恐れ入ります」てうてつつがなく通夜終えて、それから夜伽よとぎで――夜伽もせんしないのかぁ。あのぉ、故人のそばでね、一晩過ごすんですよ。家族が一人一人交代交代こうたいごうたいに寝ずに一緒にいたげていてあげて故人との最後のお別れをするんですよ――そういうのやるんですけど、おとんが代わってくれんのですよね。僕にもおかんにお別れ言わせてくれってお願いしたんですけど「絶対にダメだ、お前は来るな、せわぁねぇけ大丈夫だから」って言われて、一向に戸を開けてくれんのです。最後のお別れすらさせてもらえんでまた僕はひとりおいおい泣いて、そんで翌朝、

「おはよー」

 って、トコトコ歩いてきた素っ裸のおかんが言うんですよね。


 どういうことじゃと思います? 夜伽の間にね、息吹き返したんですって!

 いやぁ、僕だって驚きましたよ。でもね、よく考えたらありえない話でもないでしょう。怖い話なんかではさぁ、火葬中に棺から悲鳴が~っていうのは定番でしょう。そもそも、夜伽というのは医療が未発達な時代に、死んだっていうんが間違いでもしかしたら生きとるかもしれんのを見誤らんようにって意味もあったんだと思うんですよ。

 おかんがは医者のミスだったんですわ。だけに、なんちって。

 いや、スベったな。

 そんで、なんでかわからんけどそれからおかんは病気も治って元気になりましてね。おとんは「いっぺん死んだけぇから病原菌も死んだんじゃ」って言うんですよね。


 おかんは生きてるんだから、準備してたもん全部片付けんとね、ってなってね、置き布やら七本塔婆しちほんとうばやら……え、これもせんしないの? 普通じゃと思うとったおもっていたもんが一般的じゃないってなんか妙な感じじゃねぇ。いや、ええんですよ。こっちもそういうの知れて面白いんで。まぁね、葬儀関連のもんは地域地域でえろぅとても差が出るもんでしょうよ。

 出棺の時に故人が着てた服を持って立ち会うんを置き布って言うんですけどね、もう必要ないけぇから用意しとった服おかんに着せたんよ。そしたら何がどうと具体的なことは言えないんですが、どこかが変でしてね、僕はその違和感について病気で痩せたからかなぁってまぁ見当をつけました。「病み上がりなんじゃけぇだからもうちょっと寝ときんちぇえねておきなさい」って言ったら「げんきげんきぃ!」って腕ぶん回しながらこたえてくれて、それが病気になる前と同じ調子で、おかんが生きとる、元気になっとるって思うと嬉しゅううれしく嬉しゅううれしくて「あぁ、よかった、おとん、よかったな」って言うとおとんも「じゃけぇだから言うたじゃろ、せわぁねぇ大丈夫だって」って言って大声で笑うんですよ。

 七本塔婆っていうのは、すごく簡単に言うと塔婆を七本立てることです。……この辺だけじゃ生前に塔婆作ってもらっとくんですよね。というのもこの辺寺がないんですよ、だから人が死んでから慌てんですむように、手間かけんですむようにね。生前墓や生前戒名と同じようなもんですよ。縁起悪いとかそういうんじゃないです。で、昨日死んだとは思えんくらいおかんがめっちゃくちゃ元気なもんですから、しばらく用もないだろうってことでその塔婆も棺桶と一緒におとんが倉庫にしまったんですよ。

 他にもいろいろあったんですけど、ま~あ、近所の人に驚かれましたよね。爺婆ジジババからは「きょうさみぃきょうさみぃおそろしいおそろしい」言うて気味悪がられもしましたが、若い人は「よかったよかった」って一緒に喜んでくれて、立飯精進落としが祝い飯になりましたわ。


 あぁ、ちょい待ち、話はここで終わりじゃないんですってば。そんなすぐ去ろうとせんしないでくださいよ。まだ話は続くんですから。


 それから一ヶ月おかんと過ごしとるんですけどね、なぁんか、変なんよね。つくる飯はうまいし、お節介なところも相変わらずなんじゃが、違和感のような、落ち着かんような居心地悪いような、とにかく、なんかが変なんですよ。それはおかんに対して感じるで、でもおかんをようようよくよく観察しても原因がわからん。ただ、なんとなく変な感じ。

 でもおかんはなんも変なことないんよ。さっき言ったじゃろでしょ、僕をかばって野良犬に噛まれたことあるって。その噛み痕も足にちゃんと残ってるから、間違いなくおかんはおかん本人なんよ。

 なんか釈然とせんしないままなんじゃけどだけどね、まぁ、おかんは生きとるしええかって思って、気にせんしないことにしたんよ。


 あの~、あっこあそこあっこあそこに見えるかね、おっきい倉庫の屋根あるじゃろでしょ、そうそう、その青い屋根のやつです。あれ、うちの家の倉庫。見るからに安物やすもんってわかりますよねぇ、う~ん、ちぃとちょっと恥ずかしいな。

 あれ開き戸でね、引き戸じゃないんですよ。じゃけぇだから戸の下に隙間があってね。この前ぇ、一週間前くらいかなぁ、その隙間から塔婆の先っぽがはみ出て見えたんです。

 いや、ね、おかしいよね、ははっ。

 おとん、塔婆片付けるん下手かって思うて、ちゃんととらげちゃろ片付けてあげよって、ね、鍵開けて戸ぉ開いたんよ。

 そしたらザラザラザラザラーッて音立てて倉庫の床から地面に向かって勢いよく絨毯が敷かれたかと思ったらその絨毯がボロボロにほつれてバラバラになった。よく見たら絨毯じゃなくてシバンムシでねぇ、なんか倉庫で大量繁殖しちゃったみたいなんよ。塔婆かじられとりゃせんかじられてはいないかなぁって不安になりながら倉庫に入ったらね、今度はガタガタガタガタッて地面が揺れて、そう、地震よ、地震。とっさにしゃがみ込んで、上から物落ちてきてもケガせんしないようにどたまあたま抱えて……いや、ね! ほんと! とっととあだ出りゃええのにね、ほんな本当にそれはあなたの言う通りよ! びっくりして動揺しとったんじゃろうね、倉庫出るって考えが浮かばんで、きょうてぇこわいなぁ思うてかがんどったわ。どたまあたま抱えながら倉庫ん中ちらっと見たら立てらせとった立て掛けていた塔婆がバタバターッて倒れるし、目の前の長い大きい箱は内側からドンドンドンドンッて鳴っとるし、おっこう結構でかい地震じゃった。

 しばらくすると地震も止まって、今度は耳が痛くなるくらい静かになったんよ。

 おかしいじゃろでしょ? 八月よ? セミの鳴き声も聞こえんなったんよ。

 立ち上がると倉庫の床がぎぃって鳴って、それがぼっけぇとてもうるそううるさく感じたわ。


 で、ふと、気付いたんよ。目の前の箱、棺桶じゃがじゃないかって。

 一晩、おかんが入っとった棺桶じゃがじゃないかカラなのにさっき、ドタドタ揺れとった。中で誰かが暴れとるような揺れ方じゃったんよ。

 おかしいじゃろでしょ? おかしいじゃろでしょ

 そんでね、棺桶の上になんか小さい破片がようけたくさん散らばっとるけぇから見てみたらバラバラに砕けた鏡じゃった。地震で割れたんじゃないよ。僕が倉庫に入った時から割れとった。

 割れた鏡になんか付いとってね、黒うくろくて、粘度が高うたかくて、なんかわからんが気持ち悪いもんじゃった。

 破片でケガせんように気を付けながら蓋開けたんよ。そしたらどうじゃったと思う? ね、そう、ね、おかんの死体が入っとった。


 僕ねぇ、そこで初めておかんをきょうてぇおそろしいと思うたんよ。

 おかんの死体はおかんの死体じゃ。間違いなくおかんじゃ。

 夏場よ? あまり腐りせんとせずに、おかんの死体が、きれいに残っとるんよ。

 変じゃなぁ思いながら、でも、湯灌の時とおんなじおかんの体があるんよ。死装束着とったけんから、それちぃとちょっとめくって足確認したらね、犬の噛み痕あるんよ。その死体がおかんじゃない理由がほしくて、今度は全部死装束脱がした。そしたらね、胸のところ、心臓に近い位置、皮膚がうが剥がされとった。


 大祓おおはらえ、わかる? あ、わかる! よかったぁ、大祓はここだけじゃないんじゃね。くぐりやるよね。

 その、大祓の時に使う形代カタシロあるじゃん? うん、人形ヒトガタとも言うねぇ。名前と年齢書いて、息ハーッて吐きかけたり体の悪いところに擦り付けたりして、そんで罪とか穢れとかを祓うってやつ。ね。その、形代、あるじゃろうでしょう


 その形にね、皮膚、切り取られとったんよ。


 本当はさぁ、和紙みたいな紙で作られた形代を自分の身代わりにして、罪なすりつけてそれ水に流したりお焚き上げしたりするもんじゃろでしょ? それで本体の自分は罪も穢れも祓われましたよ、って。ね。

 あれ、和紙使わずに、人間の皮膚使つこうたらどうなると思う? そんで、供養せんしないまんまじゃと、どうなると思う?

 藁人形に呪いたい相手の髪使うたら効果あるとか言うじゃん。写真とか、爪とか、血ぃとか、体の一部使うたらもっと強力になるって言うじゃん。

 僕ねぇ、そういうん、全然詳しくないんよ。でもね、そのあとおとんの部屋行ったらね、なんかわからんむつかしい専門書じゃあ思うとったおもっていた本ん中に混じってね、陰陽道じゃぁだの呪術じゃぁだのいうんがあるんよ。

 夜伽の時におとんが僕を部屋に入れてくれんかったのは、なんかそういうへちげな妙な儀式しとったけんからじゃなかろうかね。

 人の皮膚使うて形代作るくらいじゃあ、たぶん、なんも起こらんはずよ。いろんな方法ないまぜにして作ったんが、生き返ったおかんなんじゃないかって、思えてきたんよね。じゃけぇだから、おかんってどこか変なんじゃないかって。


 僕ねぇ、でもねぇ、それでもおかんが生きとんならええか、って、気にせんしないことにしたんよ。


 倉庫ん中戻って、おかんに死装束着させ直して、棺桶に蓋して、塔婆はまた倒れるかもしれんけんしれないから棺桶の近くにおとんのと僕のとまとめて寝かせてすけて置いて、で、倉庫の戸締めて、鍵かけて、なんも見んかったことにした。

 不思議なことにね、その時起こった地震、僕しか気付かんかったんよ。おとんやおかんに「さっき地震ひどかったね」って言うてもなにそれって言われるし、近所の人に言うても地震なんて起きてないって言われたんよね。

 せぇからそれから僕、なんでかわからんけど、三日ぐらい胸がにがってにがって痛くて痛くて、しまいにゃ倒れちゃった。気にせんしないことにしようとしても、見んかったことにしようとしても、ストレスが溜まっていったんかねぇ。倒れて、目ぇ覚ましたら、おとんが心配しすぎで大泣きしとったわ。


 ね、あなたね、こっち、ね、こっち来てもろうてもらってええかね。

 ちょっと、遠いよ、そんな離れなさんなはなれないで

 ごめんね、腕ちぃとちょっと掴むよ。あなたすぐいぬろう帰ろうとするけぇから

 ほらこっち、この角度からじゃと見えるじゃろでしょ、うちの倉庫の戸。

 ね、なんか見えん? なんかはみ出とらんでてない? ね、あるよね。

 あれ、たぶん、塔婆よ。


 おかしいじゃろでしょ? おかしいじゃろでしょ


 ね、あなたね、思うとるじゃろでしょ、僕と話してて、なんか変だなぁって。なんか違和感あるなぁって。あなたはじめっから、僕のこと避けとるもんね、すぐ離れようとするもんね。

 僕もね、なんか変だなぁって、思うんよ。自分の体、なんかおかしいなぁって思うんよ。


 ね、あなたね、ちぃとちょっと見てきてもろうてもらってええかね。

 これ、倉庫の鍵。戸、開けて、中確認してきてもろうてもらってええかね。

 ちぃとちょっと見てきてもらいたいんよ。

 棺桶、ふたつあったりなんかせんかね。

 その中、僕がおったりなんかせんかね。

 ないよね。ないよね。

 僕、自分で見るのがちぃとちょっとばかしきょうてぇけんよぅせんこわいからできないのよ。


 ね、ちょっとあなたね、ちょっと、ね、どこ行くん? ごじゃ無茶言うとるわけじゃないんじゃけぇえかろうがだからいいでしょう。見るだけじゃがじゃないかちぃとてごぅしてちょっと手伝ってくれてもよかろうが。ねぇ、ちょっと、あなた!

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