3:姪を探してII(ジュラ紀はカカオの香り)





 ふたたび暗黒の通路に戻り、青い矢印がつくる冷ややかな気流に乗る。

 通行客が宝石店かと見間違えていくほどの光輝を放つ、高級チョコレート専門店ジュラ紀の前を通り過ぎようとしたときである。

「オイ、止まれ、そこの兄ちゃん。くせえな、くさすぎるぜ。ずいぶんとヤニくせえ。おまけに硝煙くせえよ。火薬の臭いが染みついてやがるな」

 大木のような太ももをもつ巨漢に眼をつけられた。

 堅肉なアグロよりも首三つぶんはデカい巨体。肩幅はカヌーほどもあり、上半身を傾けるだけで相手を圧し潰すような体勢になるほどだ。

「しかも、どことなく女くせえときた。女をとっかえひっかえしてきた野郎だな。まじヤバいぜ。女なんて毛だらけだし、近くにいてもキーキーうるせえだけだし、なんもいいことないぜ。何度も羽目をはずしてきたみたいな顔してっけど、あんなぐにゃぐにゃの猫みたいな体の、ウソツキの、年中血まみれの生物のどこがいいんだよ?」

「もしかして、おれに話しかけてる?」とアグロは訊いた。

「そうだぜ兄ちゃん。煙草や、女よりも、ずっと奥深いチョコレートの世界へ招待してやる。このTレックス様がな!」

 彼は店のマスターだった。

 Tレックスは胸を張り、鼻息を鳴らした。

 トウガラシのように赤黒い肌。シャープに吊り上がったまなじりと血走った眼。かみ合わせの悪そうな白い牙。バチで叩けば良い音が響きそうな胸筋。テストステロン過剰の、恐竜じみた筋肉野郎だ。

 なにより目立つのは巨大な尾である。本人の図体とつり合いが取れるほどたくましい。

 その幅も長さもじゅうぶんな尻尾に、五匹のリスが小型自転車に乗って競輪をしている。

「見てくれよ。リスちゃんたち、かわいいだろう? けさから飽きずに俺の尻尾で自転車レースをしてんだ。はらいのけてもまた上がってくる。そんなに俺の尻尾が気に入ったのかなあ? でも、これじゃ仕事になんねえよ!」

 ふむ……とアグロは手を顎にあて、後ろ足でペダルを踏み続ける五匹のリスたちのけなげな頑張りを見つめる。目的もなく、ただ走ることだけにとらわれているようだ。

 そこで提案。

「なにか景品のあるレースを開催したら、リスたちは満足するんじゃないか。優勝者には黄色いジャージを送るのがいいだろう」

「いいアイデアだ! おまえってイカス! でも黄色いジャージなんかより、フード付きの黒いパーカーのほうがカッコいいぜ。俺がふだん愛用しているやつさ」

「きみの着ているパーカーでは、リスにはぶかぶかすぎる。掛け布団にしても大きすぎるな」

 一瞬、Tレックスは顎に手を添えながら大口を開けていたが、いきなり巨体をのけ反らせながら崖崩れみたいな音を出して笑った。

「おもしれーヤツ! チョコレートを買っていくといい。安くしとくぜ!」

「ラッキー」真顔でうれしがる。「どの産地のがおすすめなんだ」

「おいおい、産地なんてのはどうでもいいんだ。大事なのは、この店の商品は、産地がどこであれ、ちっちゃい子どもを強制的にはたらかせて採ったヒキョーなカカオ豆は使用していないって点なんだ。可愛くて純粋な子どもたちにツラい思いをさせて作ったチョコなんか食えるかよ? そういうのってマジでよくないぜ。マジで」

「たしかにそうだな」顔を変えずに同調する。「でも、どんな味があるというのだ」

「いろんなフレーバーを取りそろえているぞ。俺のおすすめはオレンジピールが入ってるヤツさ」

 Tレックスは五匹のリスを尻尾から落とさないように摺り足で動き、通路からも目立つアクリルの棚から板チョコを一枚つまみ上げて、アグロに手渡した。

「色の近い食品どうしの相性がいいのはおまえも知っているはずだ。たとえばチョコとオレンジ、チョコとアーモンドがそうだな。これらはよき伴侶ともいうべきマリアージュを生み出すんだ。でもな、ブロッコリーとチョコは色が遠いからどうにも合わないぜ……オーノー、離婚調停だ。わかるよな?」

「じゃあ、カボチャとチョコは結婚できんのかよ?」

「ヘーッヘ! ふたりに聞いてみな!」

 Tレックスは尾を地面に勢いよくたたきつけ、歯を見せて笑う。

 尻尾に乗っていたリスたちは、自転車ごと落下した。

「ならば、ローストしたターキーレッグとチョコは合うというのか」

「七面鳥に聞いてみな、七面鳥と話せるんならな!」

「カラスミとチョコなら、どうだ」

「さあな? カラスミに聞いてみやがれ!」

「スピッツとチョコは合わないが、アイリッシュテリアとチョコなら合うというのか?」

 Tレックスは、やれやれ、と言いながら、五匹のリスと五台の自転車をつまみあげ、手前に滑らせた尾に慎重に乗せていく。

 そのあいだアグロは手中の夏ミカンを見つめながら、「オレンジはチョコと相性がいいんだって。おまえはどうだ?」と話しかけていた。

 そんな酔狂なようすを眺めながらTレックスはニヤリと笑い、一つの珍品を薦めた。

「おまえ、度胸あるな。じつはこんな新機軸も用意してある。幸せの葉っぱ入りハッピーチョコだ! 試してみないか、葉っぱチョコを?」

 Tレックスはサイケな虹色パッケージを手に持って、アグロの眼前で見せびらかす。

「いらない」渋面をつくって手のひらを突き出す。「同系色ではないからね」

「なんだと、ハッピーになりたくないのか」

「いまでじゅうぶん幸せだからな」

「いまでじゅうぶん幸せだって? いまのいままで、おまえを生命保険会社の営業マンかなにかだと思っていたが、じつはクアッカの心臓を移植した生命保険会社の営業マンだったんだな、このハッピー野郎がよ! 俺もなりたいぜ! 俺なんてガキのときにオカンによ、バトエンを勝手に削られたせいで反抗期に突入してからずっとユーウツなままだぜ、マジで!」

 巨大な腕で肩を小突かれた。

 それだけで、一メートルほど後退してしまう。

 その腕よりも太い脚で蹴られたら、あるいは脚よりも巨大な尾でぶたれたらどこまで吹っ飛ばされるのか。これでも手加減しているのかもしれなかった。

「なにを言っているのかひとつもわからない。すまないな。おれは実のところ、しがない探偵らしいのだ。どうやらね」

「ハァン? 探偵風情が昼間っから何してんだよ。尾行か?」

「いいや。姪っ子と、プラネタリウムにな」

「じゃあその姪はどこにいるんだよ、ええ?」

「迷子になった」

 Tレックスは眼を点にして、蒼ざめ、顎が外れるほど口を開けた。

「そりゃあ大変だ! いまごろ危ねえゴロツキどもに臓器をぜんぶ抜かれ、身体の空洞にもち米を詰められちまう。おまえの姪っ子がいかめしになってもいいのか? 早く助けに行けよ!」

「大丈夫。姪は強いから」

 その時、迷子放送のアナウンスが鳴った。


《××地区の××ストリートからお越しのアグロさん。姪っ子さんがお待ちです……あ、あの……至急、迷子センターNo.66へ……大至急お願いします、あっ、こら、やめっ、ちょ……グ、ギャ、ギャアアアァーーーッッ!!》


「うん。アグロっておれだわ」

「マジかよ!? のんびり道草でジョイント巻いてる場合か!? どうして早く迷子センターに駆けつけてやらないんだ」

「おまえが止まれって言ったから止まってやったんだ」

「減らず口はいいから行けって。さもなくば、プラネタリウムの上映時間に間に合わなくて姪っ子ちゃんを泣かす羽目になるぜ! 姪がどんなやつであれ、子どもを泣かすやつは、俺がこの脚ですり潰してやる。ペシャンコにな!」

 アグロは付近のフロア案内図に目を通した。

 だがあまりの複雑さと視認性の悪さに、上半身を右に四十五度傾け、それから左にも四十五度傾け、しまいに悪態をついた。

「ああ、なんてことだ。キュビスムとアクションペインティングで描かれている上にアクリルで固められている。バッドデザイン賞を何遍受賞しても足りないほどだ。美大生に作らせるからこうなる」

「いいや、美大生の卒業制作のせいだけじゃねえ。そもそもこの万貨店はダンジョンだ! だから看板なんか見たってムダなのさ! 看板よりも……フフン、俺を頼りにしな!」

「迷子センターNo.66の場所を知っているのか?」

「もちろんだ!」

 彼は自信ありげに胸をたたいた。

「66ならすぐ近くだぜ! ええと、どこだったかな……たしかここをウォリャーッと直行して、ビラビラッと流れて、グワーッと左に曲がり、ギニャーッと回って、ドタドタッと降りていき、ムフーンっと攻めて、モリモリッと離れて、ボエーッと滑って、モフモフッと破壊し、ヌルンッと会話し、パゴニャーッと泣いて、デヘデヘッと笑って、バリバリッと祈って、グヤグヤーッと飛んで、シュビドュビッと駆ければ、そこが迷子センターNo.66だった気がするぜ。間違いねえ。これでいいだろ!」

「いいわけねーだろ!」

 しぶしぶアグロは、彼の言う通りにウォリャーッと直行して、ビラビラッと流れて、グワーッと左に曲がり、ギニャーッと回って、ドタドタッと降りていき、ムフーンっと攻めて、モリモリッと離れて、ボエーッと滑って、モフモフッと破壊し、ヌルンッと会話し、パゴニャーッと泣いて、デヘデヘッと笑って、バリバリッと祈って、グヤグヤーッと飛んで、シュビドュビッと駆けてみたが、もちろんたどり着かなかった。

 たどり着くわけがないのである。

 そこで麻薬を売るやつと声がデカいやつは基本的にウソツキなのだと確信が芽生えたときだ。

 突然、耳に心地よい音が聞こえてきた。

 爆弾が炸裂する轟音。しかも二発や三発では終わらない。

 思わず薄ら笑いを浮かべた。ゆっくりと首を回してから、音のしたほうへ進んだ。

 客たちは恐慌状態。前方から転げながら走ってくる。

 アグロは逃げてくる客の流れに逆らって、客をかき分け、彼らのあわてた表情をつぶさに検分しながら、迷わずに進んでいく。

 煙草に火をつけ、ゆっくり煙を吐く。大股で歩く。


 見覚えのある場所に戻って来ていた。そこは先ほどのチョコレート専門店ジュラ紀のあった場所だった。

 迷子センターNo.66は《ジュラ紀》の斜向かいにあったのだ。

 だが爆発によって一帯はクレーター状に陥没。

「アイツ、さすがに死んだかな」

 目を細めてはるばる見晴るかす。いたるところで黒煙が上がっている。

「愉快なやつだったよ、天使くさくなくて。せめて死ぬ前に聞いておくんだったな、『クアッカの心臓を移植した生命保険会社の営業マンって何?』って。クアッカワラビーにだってツラいときくらいあるだろ……たとえば点耳薬を眼に差してしまうとか……剥いたゆでたまごが滑って冷蔵庫の下まで転がってしまうとか……食品用ラップの始まりを見失うとか……何度やっても坂道発進でエンストとか……何度も会っている先輩が一向に名前を覚えてくれないとか……朝起きたら夕方だったとか……」

 足元に矢印が落ちているのを見つけた。

 壁面で青く光っていた矢印だ。いまは死んで灰色になっている。もはや光っていない。

 そりすべりの要領で矢印に座る。すり鉢状にえぐれたクレーターの中心をめがけて加速、加速……一直線にすべり降りていく。

 真正面に黒焦げの痩せ男があらわれた。邪魔者発見。斜面をはい上がろうとしている。正面衝突待ったなし。痩せ男は口を開けた。どうせ靴底で蹴飛ばされるのに、片腕だけで防ごうとしている。

 衝突の瞬間。アグロの右足の靴底から鋼鉄のニードルが飛び出す。仕込みドリルの秘密の靴だ。煙が噴き上がるほどの高速回転。その切っ先は瀕死の痩せ男の喉元を正確に指している。

 串刺しにされたくなければ、横に転がってよけるだけでよかったのだ。だが痩せ男は果敢にも、来るなら来いという表情を見せて、構えのポーズをとった。

 つらぬく瞬間は、残忍な嘲りを口元に浮かべている。姪の前ではなかなか見せない笑顔。だれにだっていろんな顔をもっているものだ。


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