4:vs.Tレックス





 すり鉢状に穿たれた穴の底の中心にビビはいた。

 うつむき加減に、足をくずして正座していた。

 くせっ毛だが、透きとおるような桃色の頭髪。肩甲骨からは黒い翼。お尻からは鉤のある導火線のような尻尾を生やしている少女だ。

 おまけに爆弾使いとして名を知られていた。というより迷惑がられていた。雄偉な面については知られず、怪異な面だけが港町に伝わっていた。

 赤茶けた土地の殺風景な故郷の家を飛び出して、おじでもあるアグロのいる事務所にやって来ていた。ビビは彼と結婚するつもりだ。何度自分を疑ってみても《ダンナさまラブ》には変わりなかった。事務所に住みついて、二人で暮らしてきた。

 しかしいまは独りぼっち。両眼はひらかれているものの、視線はどこにも注がれていない。

 アグロは靴音を鳴らしてビビのもとへ近づく。

 いつもの彼女であれば、すぐに起き上がって、ダンナさまダンナさまと連呼して抱きついたに違いない。涙を流して、そのぐしゃぐしゃな顔を背広にこすりつけたに違いない。もうどこにも行かないでと懇願したに違いない。

 だけどビビは立ち上がらない。

 顔だけよこして「忘れるなんてひどいわ」と言った。

「二億年待ちくたびれたの」

「まあ立てよ」

 すげなく言われたが、ビビは意外な従順さを見せて立ち上がる。とはいえご立腹なようすだ。そして堰を切ったように話し始めた。

「あのね、聞いてよ! 迷子センターのひとたちったらイカれてるのよ! 私、アンヘルナダル・チャンネルのくだらないアニメなんて見たくないし、粘土みたいな食感のする星型クッキーも食べないし、ダンナさま以外とは話したくもないって主張したら、『よし、この子で決まりだ! きみを《生意気クソガキカレンダー》の8月のモデルに採用しよう』ってほざくのよ! 信じらんない! 迷子センターってなにしてんの? 憤然と席を立ったら大人たちに囲まれて場が紛然としたけど奮然と立ち向かったわ。なんでもずっと8月のモデルだった娘が、ビーチで自発的に電気クラゲ駆除のボランティアをしているのを発見されて、名実ともにクソガキではなくなったから、代わりのクソガキが欲しいんだって! そんなに私って写真うつりいいかな? そんなに私って悪魔な小生意気かな? そんなに私って生ガキカレンダーの8月を務められるほど新鮮かな?」

「一向に分からん、あとで聞く」

 ビビはアグロの背中をたたく。背中によじ登って頭蓋骨をたたき割ろうとする。三親等であろうと頭を粉々にする強さでなぐる。

「ずっと怖かったんだからね! 冷凍庫のなかの氷の気分だったんだから! 真っ暗で、がんじがらめで、冷たくて、どうにもならない」

「ジュース買うか?」

「いらない!」

「じゃあ清涼飲料水を買ってやるから落ち着けよ」

「わかった……いや、同じ同じ! いらない!」

 姪を肩車で運んでいる。

「まあ、どこに行ったって、こうしてまた再び出会える。おれたちはそんな仲なんだな。それがわかってよかったじゃないか」

「もう二度と離れないでね」

 と、色の淡い唇をとがらせていた。

「あいよ」

 それじゃプラネタリウムに行くぞ、だなんて言いながら、フロアを見上げる。

 すり鉢状の坂をよじ登っていく男の背後で、低い声がする。

「……テメエら、俺を置いていく気か?」

 瓦礫の中から這い出てきたTレックスが二人を引き留める。

「おお、生きていたのか」

 彼の生存を感心して迎えるアグロの肩で、ビビは怪訝そうに耳打ちする。

「ダンナさま、このデカいのだれ?」

「チョコ屋のおっさん」

「チョコ屋って薬物売りの隠語じゃないよね?」

「半分合ってるかもな」

 チョコ屋のおっさんは背中の皮膚が焼きすぎたトーストのように焦げていたが、命に別状はなかった。大きな腕で五匹の震えるリスを抱えて守っている。ただ五台の小型自転車はどれもぼろぼろの豆炭と化して、もはや原形をとどめていなかった。

「よくも……よくもリスちゃんたちの自転車を壊してくれたな! 俺の店と俺自身はどうでもいいが、よくもリスちゃんたちを悲しませてくれたな!」

 Tレックスは隠し持っていた秘密のチョコレートの銀紙をむいて口へほうりこんだ。咀嚼せずに飲み込んだ。ゴルフボール大の塊が喉を通過する。一瞬、渋いものを口にしたように眼を閉じて顔を震わせたが、すぐ眼を開いた。

 Tレックスの背が爆発的に伸びて雑居ビルほどになる。カヌーほどもある肩幅は一気に屋形船ほどにまでひろがった。太ももはむちむちと膨れ上がり、まさに獣脚類の強靭な脚と化した。

 秘密のチョコレートで筋肉増強を図ったのだ。

「わあ、うっそー……おじさん、おっきーい!」

 ギガントTレックス、覚醒。

 巨大化したTレックスは鼓動を激しくさせ、血のめぐりも速くさせた。

 アグロの肩から下りたビビを目敏くにらみつける。

「フン……そいつが姪っ子か。危ない火薬遊びをさせるなんて、キョーイクが行き届いてねえんじゃねえか? アグロといったな。姪っ子の代わりに、保護者のテメエをキョーイクしてやろう」

 一瞬の、空気の揺らぎ。

 すり鉢状の斜面に立っていた二人のまつ毛が仲良く揺れる。

 途端に、二人がその場から消えた。

 そこに巨大な尾が飛んで来る。

 巨大な尾は斜面に衝突し、めり込み、えぐり、瓦礫を圧縮した。

 逃げるのが少しでも遅ければ、真っ平に潰されていただろう。いや、実際ぺしゃんこにされた者がいた。

 野次馬根性を肥大化させた男たちが爆発現場のようすを見に来ていたのだが、そのうち一人が背後から押されて、不幸にも足を滑らせ、死への斜面をまっすぐにすべり落ちていたところ尾の餌食になった。彼は存在ごと消されはしなかったものの、幸運なことに潰れた肉片とぶちまけられた脳漿だけは取り留めた。

 そんなことはお構いなしに、ビビとアグロは疾駆する。

 アグロは隠密さえ出し抜くスピードで股の下へもぐりこむ。影のような男だ。それからどこへ行ったのだろう。標的を見失ったTレックスは周章狼狽して首の角度をあちこち変える。

「クソ……どこへ逃げやがった! ちょこまかと……!」

 いつしか二人は別々に斜面を駆けまわっていた。会話はなくとも一脈通ずるところを発揮して、二人で渦をつくるように走っていた。

「そこかっ!」

 暴走機関車のようなミドルキック。瓦礫が飛び散り、砂塵が舞い、Tレックスの繰り出す凶悪な蹴りが不発に終わる。

 すかさず尾で場を薙ぎ払う。壁のような尾だ。獲物は尾を見る前に跳んでいる。《跳ぶ前に見よ》よりも《見る前に跳べ》が堅実だ。

 アグロは蹴りで応戦する。

「シャドウウィング」

 蹴り上げた勢いで、足の先からディフォルメの利いた平たいコウモリ型の波動弾を放つ。

 一度の蹴りで複数のコウモリが生まれ、直線状に滑空していく。

 形状は簡素だが、その縁が身体を掠めればダメージは決して軽くない。目にも留まらぬ影の翼だ。

 着実にTレックスの体力を削っている。

 塵埃の吹雪に見通しが悪くなり。Tレックスは獲物を見失う。

 彼の自慢の尾の上にのぼったアグロは、空気を裂いて背中を一気に駆け上がる。

 Tレックスの肩で立ち止まり、顔面にむかって話しかける。

「それだけ身体が大きいと消費エネルギーも多くて、すぐに疲れないか?」

「うるっせえ! 頭から喰ってやれば、気力も湧くだろうがな!」

「喰うってどっちがだ。おまえがか、おれがか」

「減らず口を慎まないと、ひどい目に遭うぜ?」

「おう、ひどい目に遭うぜ」とアグロは請け合う。「それは保証する」

 そのときTレックスの足元で小爆発が二度起こり、不快感から足をもつれさせる。

 宙返りして地上に着地したアグロが、右足を大きく上げて、靴の底を見せる。

 一見なんの変哲もない真っ黒の靴底。近くで見れば、奇怪な模様が複雑に刻まれている。

「……これは古きよき悪魔の靴。バネ仕込みで跳躍量が上がるし、逃げ足も速くなるが、もちろんそれだけじゃない」

 言い終わる前に、靴の底から弾丸を何発も放っていた。

 ヒドゥン・ガトリング。

 足の指を交差させるだけでお手軽発射。反動には気をつけよう。

 ビビはお手製のスパークボムを投げつけている。爆弾としての殺傷力だけでなく、対象を電気で痺れさせる効果もある。

 最近はタブレット機器で、尊敬措くあたわざる元砲丸投選手の配信動画を参考に投擲フォームを改善していた。以前より腰のひねりや足の踏み出し方に改善が見られる。予測不可能な時代の、悪鬼羅刹だらけの港町において、自分の身を守るための鍛錬は日々欠かせない。

 やがてTレックスは手と膝をついて気を失った。

 これを好機ととらえた二人は徹底的に非情な愛情を注いでやった。

 気絶中の恐竜野郎をボコしていると、知らぬ間に加勢の徒が増えている。

 なぐるはたく蹴るの暴行を試みているのは、Tレックスに多大な迷惑を被ってきた近隣店舗の者たちだ。

「こいつに売り物のシャツを試着で何枚も破られたんだ!」とアパレルショップの青年。

「こいつって、いつもデカい声で叫んでるから、客が怯えて、ウチの占い屋が閑古鳥なんだよね!」と手相占いのお姉さん。

「毎日、毎日、焼き立てのクッキーを食われちまってるよ!」拳固が赤くなるほど殴打しているのはステラおばさんだ。「目星はついてるさ! こいつのリスがやったってね!」

 参加者が増えるいっぽうなので、アグロは皆を帰らせる。もうじゅうぶんだよ、と。

 ビビはよろめきながら金色の球体を背負っている。ビビお手製のくす玉爆弾である。

「うふふ……ここからは、私の見せ場っ……!」

「いや、もういい。火は消しておけ」

「え、そんなあ……」

 音を上げたTレックスは尻を突き出してうずくまっていた。尾を天に向けてゆらゆらさせている。

 満身創痍の身体を丸くして、いまだにリスたちを守ることにとらわれている。

 だが腕の中には一、二、三……四匹しかいない。

 一匹足りない。

 Tレックスは顎が外れんばかりに口を開けた。悲鳴をあげようとしたが声にならない。

 見上げた視線の先には、アグロがリスの尻尾を引っ張って遊んでいる。

「やっぱり黄色いジャージだよ。コイツが黒パーカーでいいわけがない」

「やめろ! リスちゃんにだけは手を触れるな! 俺はどうなってもいい! 降参だ」

 デカブツがうずくまって哀願するそのさまを、物足りなさげに見つめる。

「受け入れよう。敗者が強ければ強いほど、勝者は光り輝ける。おれをこんなにも輝かせてくれてありがとな」

「……あの、ダンナさま、私の見せ場は?」

「野次馬どもにでもプレゼントしな」

「わかった! 祝砲!」

 金色の球体が放物線を描き、見惚れていた見物客の上空で弾けて七色のリボンと紙吹雪が舞った。燃えさかる炎の渦の中で、折り重なった死体が《オメデトウ》の文字をつくった。

「……望みはなんだ。俺にできることなら頑張るからよ」

「じゃあ姪のためにチョコをくれ。迷子センターでおいしいお菓子が出なかったんだってさ」

 Tレックスは辺りを見渡した。店はすでに消滅。なにかを言うそぶりを見せたが、けっきょくなにも言わず、唇をしめらせてから、うう、と小さく唸った。

 それから長いため息を吐いた。

「そんなことかよ。もうこれだけしか残ってねえよ」

 それは彼が携えていた、最後の秘密のチョコレートだった。

「私にくれるの? ありがとう! チョコ屋のおじさんっ!」

 ビビは大男の眼に焦点を合わせ、よく通る声で感謝を伝えた。軽く握った右手を口元に添え、品よく笑っている。

 ビビは紙箱の封をむりやりちぎり、銀紙に包まれた板状のチョコを引き出した。

 銀紙をはがし、ただよう甘い香りとスパイシーな香気が渾然一体となっているのを感じる。

 黒い板にひと口かぶりつく。

「わぁっ……おいしすぎ……! 食感も味もこんなの初めて! これはもうチョコレートだなんて名乗らずに、『カカオ焼かせていただきました』と言うべき!」

 そんなたわごとを言うビビの声が二重になっている。

 身体が二つに分身しているのだ。

 そっくり同じ体躯が二つ。すなわち「カカオ焼かせていただきました」を喰らい、「分身させていただきました」。

 ちいさい翼をはためかせ、足を折り曲げて三角座りの姿勢のまま、空中でふわふわと浮かび静止している。

「すごーい、私、増えてるー!」

「おいおい待て待て、おれの周りをくるくる回るな」とアグロは眉間にしわを寄せて言った。「それ以上はとっておけ」

 しかしビビはにこにこしたまま、うんともすんとも言わない。

「ダンナさま、そっちは偽物よ」

 背後から声がする。アグロは振り向く。もうひとりのビビが笑っている。

「私が本体ね」

 正面からまた声がする。

「いや、私が本体かもよ?」

 二人のビビが同時に主張する。

「やれやれ、手に追えんな。増殖されても二人とは付き合えないからな」

 その一言で分身が解かれる。ビビはアグロにぎゅっと抱きつく。

「ヤダーッ!」

 やがて二人は仲良くその場を去る。

 二人の背を見つめていたTレックスは座り込む。巨大な尾にリスたちを並べたまま坐禅を組んでいた。

「とりあえず回復したら、俺たちも行こうかな。たまには星でも見によ……」


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