F-2 Bloom Into Love

 その夜、あたしと咲子さきこさんは県内の温泉旅館に来ていた。

 あたしの誕生日祝いとして、パパに予約を頼んでいたのだ。もし受験に落ちていたらひどいムードになっていたかもしれないが、受かっていたので解放感も一入である。

 温泉は気持ちいいし料理は絶品、それに何も気兼ねすることもなく咲子さんと過ごせている。受験生活へのご褒美として贅沢このうえない。


 ――そして、一番に待ち遠しかったのは。


 部屋に戻ると示し合わせたかのように、あたしたちは布団の上に向き合って座る。

 言うなら今だとあたしは決めていた、けれどいざ言おうとするとやはり緊張する。

 ……やっぱり大人だし咲子さんにリードしてもらいたいなあ……けどあたしが言い出したことだし、いつまでも子供気分ではいられない。


「咲子さん」

「はい」

 これまで、知らせてはきたけど。状況を進めるために、口にしてきたけど。

 いま改めて、ちゃんと伝えたかった。

「ねえ、咲子さん」

 ちゃんと息を吸って、まっすぐに咲子さんを見つめて。


「あたしは、あなたを愛しています。あたしの恋人に、なってください」


 咲子さんは何度か深呼吸してから答える。

「本当に、私でいいんだね? 実穂の娘だからって理由が愛情の始まりで、これからもあなたの可能性を狭めてしまう私だけど」

 そう確かめられることも分かっていた、答えだって決まっている。

「あたしだって、ママの代わりとして咲子さんを求めてきた側面はあるよ。咲子さんよりも付き合いやすい女性だって、きっといるよ。

 それでも、あたしが世界で誰より大事に思えるのは咲子さんです。どんな世界でも、咲子さんが隣にいてくれたら怖くないです。この気持ちを、どうか信じてください」


 あたしが差し出した手を、咲子さんが包む。


「はい、喜んで。私も義花を愛しています――末永く、よろしくね」


 二人で頭を下げて、また見つめあって、ゆっくりと顔を近づける。


「もう、いいよね」

 咲子さんの頬に手を当てながら、あたしは確かめる。

「いいんだよ。もう、止める理由なんて誰にもないから」

 あたしに、自分自身にも言い聞かせるように咲子さんが答えて。


 そしてあたしたちは、初めてキスを交わした。


 咲子さんのそばで娘のように愛されるのがあたしの幸せだと、ずっと思ってきたけれど、全然そんなんじゃなかった。

 あたしが本当に欲しかった幸せを、何にも代えがたい喜びを、いま初めて全身と全霊が理解した。知らなかった頃には決して戻れないくらい、熱く烈しく苦しく狂おしく。


「……どうしよう、すっごく幸せだよ、あたし」

「私もだよ。生まれて初めて、本当に好きな人と、こんなふうになれたんだから」


 その瞬間に。これだけ愛おしい人を喪う痛みを想像しかけて、息が詰まりそうになる。


 咲子さんは本当の気持ちさえ言えず、永遠に実穂さんに会えなくなってしまったのだ。

 もし咲子さんがそうなってしまったら、あたしはどれほど。


「ねえ、咲子さん」

 額を合わせ、瞳を近づけ、その頬にどれだけの涙が伝ってきたかを想像しながら。

「ママがいなくなった後も、人生に絶望しないでくれて……生きててくれてありがとう。あたしを育てて、愛してくれてありがとう」

 咲子さんはあたしを抱きしめて、頭を撫でながら答える。これまでと同じようで、全く違う触れ方であたしを包む。

「私こそ、義花がいたから生きてこられたんだよ。実穂と出会えた意味は、義花につながったんだよ」


 実穂さんがあたしを産まなかったら――なんて仮定、もう意味はなくて。

 あたしと咲子さんがここにいる、お互いの世界を幸せにしている、もうそれだけで良かった――それだけで良いと、咲子さんが信じさせてくれた。


 押し倒すように咲子さんに抱きつく、伝わりきらない愛が伝わるように強く深く。

「咲子さん、好き、大好き……ずっとずっと大好き!」

 咲子さんの体と声が、ふんわりとあたしを包みこむ。あたしの世界を、優しい温もりで満たしていく。

「義花、私の可愛い義花……たくさん我慢したね、いっぱい頑張ったね。私がずっとそばにいるからね」

 どんな世界になっても、どんな時代へと変わっても。この人の隣なら、この人に愛されていたなら、あたしは絶対に明日を選べる――選ぶために力を尽くせる。

「ずっと甘えさせてね、咲子さんがいればどれだけだって頑張れるから……一生、あたしのこと愛してね」



 布団の上で睦み合っていたら汗をかいてしまったので、部屋についていたお風呂に二人で入った。他の人もいる露天風呂では普通の母娘らしい振る舞いを心がけたけど、ここなら誰の目も気にしなくていい。ぴったりとくっついて、呼吸のようにキスをして、咲子さんの愛撫に溶かすように身を委ねる。


「きもちいい……ねえ咲子さん、もっとぎゅっとして」

「はい、ぎゅう……義花、本当に可愛いね」


 おぼろげに思い出す。ほんの小さい頃、咲子さんに抱っこされているだけで全てが満ち足りたような気持ちになれた。きっと今もその延長だ、あたしの心の奥には幼いままのあたしがいて、安心させてくれる母性を求めている――それが、あたしにとっての性欲。

 どこか歪んでいるのだろう。その手の心理に詳しい人なら、何かしらのカテゴリに当てはめるかもしれない。


 けどもう、なんだってよかった。

 こんなに深く熱く狂おしく、つながって溶け合って響き合って愛し合える、その確かさは揺るぎない。誰が何を見出したところで知ったことじゃない――応えるように、咲子さんの胸の曲線を指でなぞる。漏れる声を食らうように唇を塞ぐ。


 息が苦しくなって離れて、はあはあと二人で呼吸を整えるのが可笑しくて幸せで。


「あたしね。咲子さんと触れ合ってるときが一番、自分の体が好きだなって思うの」

「私もだよ、義花が甘えてくれる私が好き」

「嬉しい……だからね」

 咲子さんの頬に触れる、目尻をなぞる。

「あたしが触れたいって思ったときに咲子さんに触れられる、そういう暮らしができたら、それだけで良いんだ。どんなしんどい日だって、咲子さんに甘えられたら幸せなんだ。だから、離れないでね」

 誓うようにあたしへキスしてから、咲子さんは答える。

「離さないよ。おばあちゃんになっても、義花が愛してくれるならずっとそばにいる」

「……うん、一生愛してる」


 体を離して、咲子さんをまっすぐに見つめる。

 その瞳に映るあたしがどんなときも誇らしく、ありますように。


「一生、愛しています。咲子さんの隣なら、あたしは一生幸せです。

 だから、頑張ってなるからね。咲子さんと生きる場所を守れる、強い大人に」

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