最終章 この恋に仁義の花道を

F-1 Birthdayの誓い

 それから、1年あまり。あたしたちはそれぞれ、高校生活の後半を送り。

 励まし合いながら受験勉強に明け暮れた高校3年目の年明け、それぞれの実が結ばれ始めた。


 まずは仁輔じんすけ。柔道を高3の夏まで続けた後、防大の理工学分野に進学を決めた。あたしも先生役を続けた甲斐があった……学科選びはこれからだが、土木や建築に関わる勉強がしたいと話していた。部活動も推奨されているようだが、また柔道を続けるかは検討中らしい。大学時代にしかできない活動もある、彼なりに面白いと感じることに飛び込んでみるのが正解だろう。


 合わせて、咲子さきこさんと岳志たけしさんは離婚に踏み切った。咲子さんによると、諸々の手続きこそ面倒だったものの、職場の人たちからは意外なほどあっさりと受け容れられたらしい……まあ、離婚率が3割を超える時代だからな。咲子さんの両親は納得していないようだったが、もう親の顔色を気にする歳でもないという。

 仁輔と咲子さんも、1年かけて少しずつ仲直りしてきたようで。離れて暮らす前に蟠りは解けたのではと、あたしには思える。あたしが思いたいだけかもしれないけど、そこは二人を信じよう。


 続いて結華梨ゆかり、志望通りに県外の公立大の薬学部に合格し、薬剤師を目指すことになった。地元からも仁輔からも、そこまで遠くはない場所だ。そもそも防大は相当に忙しいらしいから、一年のほとんどは遠距離恋愛になるだろうが……あの二人の絆も固い、大丈夫だろう。最近は離れる前にと熱心にデートを繰り返していた。


 そして、あたしは。



 3月半ば。あたしの誕生日、つまりママの命日。

 あたしは咲子さんと、九郷くごう家のお墓を訪れていた。


 もうママの名前と命日が刻まれている墓へ花を供え、あたしはママに話しかける。

「久しぶり、ママ。今日であたしは18歳です、今の法律だともう成人なんだよ。そしてね、」

 持ってきた書類を見せる。

「医学科、受かったよ。ドクターへの第一歩、達成です……大学生活、頑張るからね」


 志望通り。岳都がくと大の医学部医学科に合格していた。

 ……大変だったなあ、あれだけ自分の限界と向き合い続けたのは初めてだった。勉強だけでなく体力作りも続けていたから、遊ぶ時間なんて全然なかった。時間の使い方から寝具に至るまで、生活を受験仕様に改善してやっと到達した。パパもよくサポートしきってくれたものだ。

 とはいえ、これで晴れてスタートである。それを誰より知ってほしいのはママだ、本当はもう知りようがないとしても。


「あたしね。今でもね、ママに会いたくてたまらないです」

 18年かかっても、その寂しさが埋もれることはなかった。どんな願いも叶えられる魔法があればママの命を願う――そんな仮定に意味はないとしても、願ってしまうくらいに。

「大きくなるのを見ていてほしかった。嬉しいことも悲しいことも、ママと分け合いたかった。もし仲良くはなれなくても、あたしと離れたいって思うようなことがあったとしても……ただ、生きていてほしかった。生きていなきゃいけない人だったんだよ、ママは」


 涙で言葉に詰まりそうなあたしの背を、咲子さんがさすってくれる。

 その手に支えられて、誓いの言葉を声にする。


「ママは、あたしを産まなかったら、もっと長生きできたんだと思う。

 けどね。あたしを産もうと決めた、あたしに会いたと願った、ママの覚悟と決意をね。間違っていたなんて誰にも言わせたくない、あたしだって思いたくない。


 だから。ママみたいな無念を、あたしたちみたいな寂しさを、誰も抱えなくて済むように。命が生まれる最前線で頑張る大人に、あたしはなります。お母さんと赤ちゃんが無事に出会えるために必死に戦う、そんな人生にします。ママにも応援してもらえたら、嬉しいな」


 心臓に手を当てて、今もそこに息づいているであろう想いを確かめながら。

「あたしに世界をくれてありがとう――いってきます、ママ」



 そして、咲子さんに場所を譲る。咲子さんはしばらく無言で墓石を見つめてから。


「ねえ、実穂みほ。私が義花とこんな関係になったこと、怒られても仕方ないって、私は思ってるよ。私のことをあんなに幸せにしてくれたあなたを、裏切っているのかもしれないってことは、分かってるつもりです」


 あたしは口を挟まない。親子のようだった人間同士が恋人になること、それを悪と言う人もいるだろう。あたしたちも足を踏み外しかけていたし、見ようによっては踏み外している。ママがどう思うかはママしか知らないし、つまりは確かめようがない。


「それでもね。あなたの娘を、私は幸せにしたい。そのことは、あなたのお腹に義花が宿った日から、ずっと変わっていません。何度も何度も今を嘆いて、運命を呪いもしたけど、やっぱり私は、義花と生きている今が好きで……義花を産もうと決めたあなたが好き」


 咲子さんはあたしの手を握る、一緒に生きている温もりを確かめる。


「この子に会えたことが、私の人生で一番の幸せです。

 だから、約束。あなたの産んだ女の子を、私の全部で幸せにします」


 何度も、涙を呑み込みながら。

 ずっと言えなかったであろう言葉を、咲子さんは墓前に手向ける。


「実穂、義花を産んでくれて本当にありがとう。

 そしてね。あなたを、心から愛していました――さようなら、実穂」

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