回想⑤ 愛した数だけ強くなれる / 津嶋 岳志

 仁輔じんすけ義花よしかが、小学2年生の頃。



 津嶋つしま家で開かれていた岳志たけしの誕生日会は、義花が眠そうにしはじめたところでお開きになった。まだはしゃぎ足りなさそうだった仁輔も、風呂から上がって岳志と一緒に本を見ているうちに目を閉じていた。


「仁、寝た?」

 咲子さきこに聞かれ、岳志は小声で仁輔を呼んでみる。返ってきたのは寝息だけだ。

「ああ、布団に連れてく」

「うん、早めに歯磨きさせといて良かった……」

 仁輔を抱えて静かに移動、そっと布団に寝かせる。

「おやすみ仁」

 今日は仁輔から「おやすみ」を聞き損ねたのが、少し寂しい。


「ねえ、岳志さん」

「うん?」

 咲子が手に取っていたのは、さっきまで仁輔に見せていた自衛隊の写真集だ。

「やっぱり仁には、自衛官になってほしいの?」

「それが俺の夢ではあるけどさ、あいつ次第だよ」

 父親の仕事を理解しはじめた頃から、「俺もパパみたいになる」と目を輝かせていた仁輔。それが岳志にとって心底嬉しかったのは間違いない。さっきまで自衛隊の活動の模様を食い入るように見つめていた横顔だって、愛しくてたまらない。


 とはいえ――あくまで岳志の偏見だが――多くの男の子は一度は、警察か消防か自衛隊に憧れるものだろう、親がそうであれば尚更だ。それに仁輔の喧嘩っ早さは明らかに問題である、自衛官に向いている性格とは考えにくかった。


 しかし。柔道をやらせて礼儀を身につけ、身勝手な暴力は悪だと何度も叱ってきたうちに。少しずつだが、己を律しながら心身を鍛える姿勢が出来上がっているように見えた。

「最近の仁は我慢も覚えた、元から根性も据わってる、勉強は……義花とならやる気出すだろ、自衛官の素質ならあるだろうな。ただ、息子にも来てほしい職場かって話は別だ……見かけほど誠実な組織でもねえ」

「……色々あったみたいだもんね、岳志さんも」


 当時の岳志を悩ませていたのは、諸外国の脅威でも国内の災害でもなく、隊内のトラブルである。指揮系統が明確でないと破綻する組織であるとはいえ、立場の違いを悪用する輩は後を絶たない。そうした問題を起こさず真面目に勤めている隊員が大多数とはいえ、将来の仁輔が悪意に巻き込まれるリスクは無視できない。


 自らを鍛え誰かを助けるための過酷さと、人に傷つけ貶められる過酷さは、全く違う。仁輔には前者に立ち向かう人生を歩んでほしいが、後者からは縁遠くあってほしい。

「仁が自衛官になりたいって言うなら俺はそっちに導くさ、けど他のことやりたいって言うなら止めねえ……たとえ子供の間だけでも、こんなに憧れてくれたなら俺は十分だよ」


 岳志は、誕生日のプレゼントとして渡された自由帳を開く。

 描かれているのは、仁輔と義花が作ったマンガのような作品だった。コマ割りも何もなく、絵の合間に文章が綴られているような子供らしい作りなのだが。

「……あの場で号泣するとこだったぞ、俺は」


 主人公は、大きくなった仁輔と義花――が変身するヒーローである。その名もペルソナイト仁義ジンギ、去年放送されていたペルソナイト双流ソウルが基になっているようだ。

 原作と同じく、仁輔と義花のバディが一体のヒーローに変身する。仁輔と義花の漢字を取って仁義になると、言い出したのは義花らしい。仁輔はパワーを活かした格闘が強く、義花は科学の力で治療も攻撃もできる……など、二人らしい設定が詰め込まれている。


 悪の組織が日本を侵略、放たれたモンスターは街を破壊しながら毒をばらまいて市民を苦しめる。そこに登場したペルソナイト仁義が敵を倒し市民を救う――というあたりはいかにも子供らしいが。

 なんと、親たちも登場するのである。誇張されているとはいえ、実在の職業で。


 康信やすのぶと咲子は毒を治す薬を作り市民に届ける。

 岳志たち自衛官は市民を救助しつつ、ペルソナイト仁義と共にモンスターを倒していく。

 大ボスの怪獣を倒すときは、岳志の指揮する自衛隊に援護されながら、ペルソナイト仁義が必殺技を放つ――なんて連携まで描かれている。


 それを説明する仁輔はとてつもなく楽しそうで、本当にそんな活躍ができると信じているようだった。義花は妄想だと割り切っているようだったが、熱の入った仁輔を見て嬉しそうだった。二人で長い時間をかけて仲良く作った、それだけで親は嬉しいのに。

 二人にとって親たちは、テレビのヒーローに負けないくらい格好いいんだと、こんなにも熱烈に表現されたことは。どんな苦労も憂鬱も吹き飛ばすくらい、父親として誇らしかったのだ。


「自衛官じゃなくてもいい、俺と縁遠い仕事でもいい。誰かを守るために自分を鍛える、守る責任をまっすぐに背負う――そういう志を、仁はきっと継いでくれる。人生の先輩としてそれ以上の幸せはないよ。

 だから……仁が大きくなったら、咲子はもう俺を気にしなくていい」


 岳志だってもう分かってくる。自分が咲子の最愛の人になることは、きっとない。

 咲子は実穂みほへの愛を消せないままだ。実穂への恋心の代償として義花を親として愛する、子に会えなかった実穂のぶんも母親らしい愛情を注ぐ、それで何とか自分を保っている。

 その咲子をずっと自分の妻でいさせるべきか自問したとき、岳志の答えは否だ。

 

「……岳志さんから離れたいって、決めてるわけじゃないよ?」

「一生は続かないだろ。夫婦のままでいたいってお前が言うなら付き合うけど……将来俺と二人っきりでこの家で過ごすのは、難しいんじゃないか」

「それしかなかったら私だって合わせるよ。独身でやってく自信もないし……バツイチの四十越えの女なんて男でも一緒になってくれる人は少ないんだから、女で見つかるはずないって」

 

 夫婦とは生計の単位である、気持ちだけでは動かしがたい。岳志もそれは分かっているから、咲子からの妻としての愛情がなかろうと夫を投げ出す気はなかった。

「むしろ私が、岳志さんに愛想つかされないか心配だよ」

「そこは心配するな、お前が逮捕でもされない限りは旦那やめねえよ」

「……それは、男としての責任感?」

「それもあるっちゃある。けど一番は、お前が仁を育ててくれてるからだよ」


 リビングに飾られた写真に目を移す。仁輔が5歳のときの駐屯地祭、自衛隊らしい迷彩服の父に会える数少ない機会。岳志に肩車された仁輔の、太陽のように眩しい笑顔。

 何を置いても元気に育ってほしい、尊敬なんてしてくれなくても大事なのには変わりない――父親の予想を遥かに越えるほど、仁輔は岳志に憧れてくれている。


「強がりでも何でもなく。仁が元気で立派な男に育ってくれることが、何より大事な俺の幸せだ。自衛官を続けながら父親も諦めたくない、その夢が叶っているは咲子のおかげなんだよ。夫婦を続けるにせよいつか送り出すにしても、俺の理由はそれだけでいい」


 普段の咲子は快活で愛嬌のある、ひいき目を抜きにしても魅力あふれる女性だ。結婚式では知り合いに羨ましがられてばかりだったし、あの頃は岳志だって夢のようだった。

 だからこそ、咲子への愛情が一方通行なのは、思いのほか苦しい。夢を返してくれと詰りたくもなる。それでも、元気な仁輔を産み、今も毎日育ててくれているのは咲子だ。岳志の転勤が始まってから、そのありがたさは身に沁みてばかりだ。


 咲子は涙ぐみつつ、何度も頷いてから。

「……ありがとう。私、結婚したのがあなたで良かったよ」

「ああ、俺こそ」


 咲子は嘘は言ってはいないのだろう。咲子に取れる選択肢の中で、岳志は正解の側だった。

 けど、咲子が一番に望んでいたのは、実穂と共にある生活だったのだろう。その望みが叶ったとしたら、仁輔は生まれていただろうか。

 


 再び仁輔の隣で横になる。あどけない寝顔の彼も、いつか親たちの抱えてきた矛盾を知るだろうか。ずっと昔から繰り返されてきた犠牲の上に、今が成り立つことに気づいていくだろうか。


 そのうえで。

 大切な誰かに相応しい人間であるため、人を支える人を目指すことを。岳志は仁輔に、諦めてほしくなかった。繰り返される犠牲から人を守るための役目を、誰かがやらなくちゃいけない役目を、引き受ける人になってほしかった。


 誰かへの愛を支えに強くなったなら、それに報いてくれる愛にもきっと出会える。かつて思い描いた通りじゃなくても、自分を誇らせてくれる何かはきっと見つかる。


 岳志にとっての仁輔が、そうであったように。


「俺、父さんの息子で本当に良かったよ」――数時間前に贈られた言葉を、きっと一生忘れない。


「……生まれてくれてありがとうな、仁」


 俺なりに守るよ、お前が生きていくこの場所を。

 俺なりに渡すよ、自分を誇れるための在り方を。

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