5-9 シン・家族カンファ(レンス)

 翌日、午前10時。九郷くごう家のリビングにて。

 あたしとパパ、仁輔じんすけ咲子さきこさんと岳志たけしさんの五人が顔を揃える。


「では――津嶋つしま家ならびに九郷家の合同会議を始めます」

 進行兼書記はパパ。パソコンの文書ファイルを立ち上げ、他の人にも見えるように画面をテレビにも映している。よその家では分からないが、九郷家で大事なことを決めるときには議事録を残すのが恒例だ。


「議題は、義花よしかと咲ちゃんの間に発生している恋愛感情に対し、両家――ここにいる5人がどのように対応するか。心理的な位置づけだけでなく、具体的なビジョンまで固めておきたい。

 まずは岳志から、立場を明確にしてほしい」


 岳志さんは頷くと、麦茶で喉を湿してから発言。

「津嶋家でも話はついた。まず俺は、仁がここまで立派に育ってくれただけでとても安心しているし、こんなに俺の理想を継いでくれたことは本当に幸せだ」

 その後に続く内容を分かっているからだろう、仁輔は表情を固くしている――けど、口元が少しだけ緩んでいた。やっぱり嬉しいんだろうな、認められるのが。 


「その仁の面倒をずっと見てきたのは咲子だ。ずっと愛してきた実穂みほちゃんとあんなに悲しい別れ方をしてからも、俺が留守にしていたときも、17年間も母親を投げ出さないでいてくれた。咲子が自分の幸せを求めるのを、俺はもう止められない。

 そこで結論だが。俺と咲子の離婚、ならびに咲子と義花の恋人関係。どちらも強く反対はしない……条件付きで賛成ってところだ」


 ――よし、良かった……

 あたしは立ち上がり、深く頭を下げる。

「ありがとうございます」

 ひとまず希望は見えた、とはいえまだ気を抜くわけにはいかない。口ぶりからして、本題はここからだ。


「じゃあ岳志、条件を聞かせてくれ」


「おう。まずは仁のことだな、離婚は仁が家を出てからだ。高校卒業後、進学なり就職した後。それまで咲子には母親をやり抜いてもらう。防大なら寮生活だし手は掛からん、それ以外でも自分の面倒は自分で見てもらうことになるがな」

「お金とかの面倒は父さんが見てくれるし、母さんと離れるのもそんなに強い抵抗はない……というか正直、離れた方がお互い良いだろうからさ」


 仁輔には迷いがなさそうだが、それでも聞いておきたいことがあった。

「仁に質問いいかな」

「ああ」

「咲子さんを自由にするために無理して防大に行こうとしてたりは」

「都合がいいとは思ってるけど、それを理由にはしていない。父さんから防大時代の話も聞いた、今の様子も結構調べたし他の進路も視野には入れた……自衛隊組織の暗部だって父さんから散々聞いたさ。それでも俺はあそこがいい、国を守ることを仕事にしたい」

「分かった、健闘を」

 どれだけ過酷そうであっても、お互いの行く道にエールを。それがあたしたちの未来である。


 再び岳志さんより。

「次に住まいについてだが、今の津嶋家――咲子と仁が住んでる部屋、あそこは手放す。家族で住むのを想定していたから咲子だけには広すぎるし、その金でお互いの新生活に役立てた方がいいからな」

「私はもっと狭くて安いところを探そうと思うの。義花と一緒に住むかもしれないから、また相談しようね」

 あたしにとっても思い出深い場所なので残念ではあるが、津嶋家の選択なら反対はできない。しかし、別の心配がある。


「分かりました……けど仁と岳志さんの私物とか帰省先はどうするんですか。岳志さんの実家に?」

「お袋とも相談して、あそこも引き払おうって話になっててな。なので、ここを使わせてもらいたい」

「ここ……ここ? 九郷家?」

 パパを見ると、頷いている。

「ああ。僕はそれでいいと思ってる、というか僕から提案した……義花がどうしてもダメって言うなら別を考えるけど」

「う~ん……パパが良いならあたしは良いよ。だったらあたしも、高校出たタイミングで咲子さんと一緒に暮らしたい」

「ね、私もそうできたら嬉しい」


 パパの打鍵音。時系列に沿って、あたしたちの生活が変化する順番が記されていく。再び岳志さんの発言。


「じゃあ金の話もするか。まず、津嶋家の資産はいい感じに分ける。こればっかりはゆっくり計算したいが、お互いに何かあってもしばらくは路頭に迷わないようにはする。義花が就職したら咲子と二人で上手くやってもらうことになるが、もし経済的に困ることがあれば、そのフォローは康に託す」

「え、パパそこまでいいの?」


 さすがにパパに頑張らせすぎではと、あたしは思ったのだが。

「どんな形であれ娘の伴侶だからな……それに、僕がここまで仕事に集中して出世できたのは、咲ちゃんが義花を預かってきてくれたからだ。その恩返しだと思えば妥当だろう?」

「なるほど……パパがそう言ってくれるなら甘えます。じゃあ、今後のあたしと咲子さんの生活費用に関しては?」

「義花が大学を出るまで僕が扶養を担当する、それは元から決まっていただろう。配分は要相談だが、咲ちゃんに丸投げする気はないよ」

「はい、お世話になります」

「だから最短で就職すること、浪人とか留年とか国家試験落第は勘弁」

「もぎ取ります」


「その件だが、」

 岳志さんが手を挙げる。

「もし義花が学業で頓挫しているようなら、俺が咲子との仲を応援するのは難しいと思ってくれ」

「……失敗できない心構えを身につけるため、ですか?」

「そういうことだ、まずは大学入試からだな」

「了解です、決死の覚悟でいきますね」


 今まで座学の試験で落ちたことはないが、やはり緊張感は違う。ちなみに体育の課題ですんなり通ったこともほとんどない。


 ここでパパから質問。

「ところで、義花と咲ちゃんは公的にどういう間柄になるんだ。信野のぶの市ならパートナーシップの制度もあるが」

 やっぱり聞かれるよな、事前に咲子さんとちゃんと話しておいた方が良かったかも。

「咲子さん、まずあたしの意見から良い?」

「ええ」

「うん、諸々を考えると養子・養親に落ち着くのが妥当と思ってます」


 意外そうにしている津嶋家の三人と、納得しつつ沈痛そうなパパ。


「理由ね。咲子さんが女性と……それも親子くらい歳の離れた女性とカップルになったと知られるのは、咲子さんの友人関係にとっては割とリスキーだと思うの。あたしのこと知ってる人なら尚更」

「そうね。だから義花には申し訳ないけど……パートナーと養子のどっちになったとしても、周りには秘密にしてほしいって頼むつもりだった」

「同意、あたしだって人の奥さんに浮気させたとかは知られたくないしね。離婚して養子を迎えるのだってイメージ悪そうだけど、こっちはストーリー作りやすいじゃん。亡き母に代わって娘同然に面倒見てきたから、実子の独立を機に義理の親子になりましたって……この方がまだ言いやすいでしょ。戸籍はそのままで同棲だけってのもダメじゃないけど、ずっとそれだと権利まわりで困ることが多いし」


 一気に喋ってから、空気が重いのに気づく。

「……とあたしは思ってるんだけど、咲子さんはどうでしょう」

「そうだね……ゆっくり考えなきゃだけど、今の雰囲気だと養子になってもらう方が良いって思っちゃうかな。けどね、」


 言葉を濁した咲子さんに替わり、仁輔が口を開く。

「いいのか義花は、周りにずっと嘘ついて生きるのは」

「周りに祝福されたいとか認められたいって欲はそんなに無いよ」

「……同性婚とかパートナー制度とか、前から気にしてたろ」

「今だっていち国民としては関心あるし充実したら良いと思ってるよ、けどあたしは別の枠でも嫌じゃないってだけ……そもそもあたしはもう、社会の形にそこまで夢見てないからさ」

 ネガティブな政治観になるので、深入りしたくなかったのだが。


「……ねえ義花、私もちゃんと分かりたいから、もうちょっと聞いていい?」

 咲子さんに頼まれると、さすがに誤魔化せない。

「分かった、ちょっと長い話になるんだけどね」

 あまり思い出さないようにしているけど覚えてはいる、数年前からの思考の変遷。


「あたしが小学校の高学年、コロナが始まる前くらいの頃さ。世界は色んなものに優しくなっていくんだ、古くてダメなものは全部新しくなっていくんだって信じてたの。メディアとかもそういうムードだったし、パパともそういう話をしていたからさ」

 自分は本当は女性が好きなのかも、と少しだけ思いはじめていたこともあり。マイノリティと呼ばれる属性にスポットが当たる空気は好ましかったのだ。


「けど、コロナが始まって、国内でも海外でも色々起こって、あたしも中学生になって視野が広がるとさ。あたしが正しいって思ってた人たちは別の人たちに残酷だし、あたしが悪いと思ってた人たちが時には真っ当に見えたりしてきたのよ。偏った見方ばっかりしてた、都合のいい世界の見方していたのはあたしも同じだって」


 リテラシーのない人は馬鹿にしていいとか。感覚の古い人は罵倒していいとか。勉強してこなかった人が困っても自業自得とか――話の通じなくなった老人なんて、とか。

 その人たちだって何かに追い詰められて、必死に生きようとして、誰かと大切にしあっているんだと、なかなか思い至らなかった。あたしが嫌った誰かと同じような偏見や攻撃性を、あたしだって持っているのだ。


「それに、これからってさ。あたしたちにとって、そんなに優しい時代にはならないんだろうなって予感があったの。前に思ってたほど世界の未来はバラ色でも虹色でもない、リソースと共感の奪い合いは終わらない――加速はしても減速はしないんだろうって気がした。そうなると、自分たちにとって優しい世界になれって求める流れに参加するのも、なんか虚しくなってさ。疲れちゃったんだよね」


 多分、普通はもっと大人になってから抱く感情なのだろう。

 あたしは様々な思想や背景の複雑さが分かるくらいには賢かったけど、その複雑さに向き合えないくらいには子供だった。だから、深入りを辞めた。


「そういう、世間の大きな流れじゃなくてさ。いつもすぐそばであたしに優しくしてくれる人のことの方が大事だって思うようになったの。

 いつもパパと咲子さんと仁がそばにいて、遠くで岳志さんも頑張ってて。

 世の中で大事件が起ころうと、この人たちと一緒の日常が続くなら大丈夫だって思えた。コロナで行事が潰れても、そのたびにどこかに連れてってくれたから……仁は部活なくなったりでもっと辛かったかもだけどさ、あたしはそんなに不幸じゃなかったし、毎日楽しかったよ。

 だから、世間が多少あたしたちに冷たかろうと、大事な人との毎日が続くならそれで良いし、それを守るために頑張れるし……一番大事な咲子さんと一緒にいられれば、後はそんなに大きな問題じゃないんだよ」


 あたしが喋り終えるのを聞いた岳志さんは、長い溜息をつく。

「俺はな、義花が頭良いのは凄えって思ってるけどさ……子供がこんなに物わかりよくならなきゃいけないほど夢のない時代だっての、結構辛いぞ」

「人妻にガチ惚れするくらいには頭悪い子供なんでバランスは取れてるんですよ。それにあたしも仁も、ちゃんと大人に夢見させてもらった側ですから……ねえ仁?」


 仁輔が答える。

「父さんたちのおかげで人生に目標持ててるってのは確かだけどさ、俺はお前ほど現実を割り切れてねえし……義花が誰にも祝われないでいるのに、俺が結華梨ゆかりと結婚式とかやるのはさ」

「あたしに申し訳ないとか思ってる?」

「思うよ、そりゃ。母さんだって一応やってるし」

「あたしは元からイベント事に興味薄いからいいんだよ、もし仁と結婚したとしてもお金かかる式とかしたくなかったとか言ったじゃん」

 言いつつ、別の心配が湧き上がってくる。

「……今更だけど、あたしの感覚は女子のスタンダードから外れまくってるから、仁は一旦全部忘れなよ? 例えばミユカは結婚式みたいなイベントに凄く憧れてる子だから、仁はちゃんとやってあげなきゃ。そのときはあたしだって素直に祝うから、遠慮とかされても困る」


 まだ渋い顔の仁輔に、さらに言い聞かせる――もう、あたしを心配して歩みを止めてほしくはないのだ。

「いいか仁、あたしたちが女同士だからこう言ってるんじゃないんだ、中身はどうあれ外から見たら浮気だし略奪愛だから明かしにくいんだよ。

 本来なら糾弾するような立場の仁が祝福してくれるなら、あたしはそれで十分……この恋を誇るのに、十分」


 咲子さんも、仁輔の手を握りながら伝える。

「そうだよ仁。私のワガママを許してくれてくれるだけで嬉しいし……こんな母親でも、お父さんと離婚した後でも、晴れの場にいさせてくれたら本当に幸せだから」

「……分かった、俺たちは俺たちで幸せにやる」


 言葉では納得していても、仁輔はやっぱりあたしたちとの差を気にしているようだった。やはり優しすぎる奴である。

 とはいえ。同性パートナーまわりの制度は過渡期であり、将来はより恵まれた環境になる可能性も残っていることから、あたしがもっと大きくなってからの検討で良いだろう……という着地になった。あたしもそんなに詳しいわけでもない、今度ミセミセの二人に聞いてみよう。あたしに合う声の上げ方も、意外とあるかもしれないし。


 

 それから、さらに話し合いを続けていく。

 あたしが成人――今の法律に合わせ十八歳になるまで、咲子さんと恋人に準ずる行為はしないという取り決め。

 他の人に家族の変化をどう説明するかの打ち合わせ。

 お金の動きや働き方の変化に対する子供たちの疑問と、もう打ち合わせ済だったらしい親たちの回答。


 気になることを言い合っているうちに、時計は正午を回っていたし、パパの議事録は10ページを越えていた。


「……今回はこんなとこじゃねえか、腹も減ったし」

 岳志さんがそう言って、会議は締めの空気になる。


「けど岳志さん、その……」

「本当にこれで良かったか、ってか?」

「方針というより時間ですよ、早すぎませんか。話が行って一週間……あたしがお願いしたのも昨日の今日ですし」

「元から咲子との間で、離婚の話はポツポツ出ていたからな。相手が義花ってのは度肝抜かれたが、康が本気で説得に来た時点で半分くらい納得してたよ……俺は康と趣味は合わんが、あいつの判断は誰のより信用してる。仁も賛成してるなら、後は義花の覚悟を量るだけだよ」


 やはり、岳志さんとパパの友情あってこその着地だったらしい。パパ渾身の保証人ムーブがなければ、泥沼に間違いなかった。


「それに俺はな、若者の可能性を潰す大人が嫌いなんだよ。

 けどな。大人の積み重ねも苦労も知らずに、ただ古いものを貶してりゃ格好いいんだって偉ぶってる若いのはもっと嫌いだ」

 岳志さんの目が仁輔に、そしてあたしに向く。


「お前らは、大人の背中からちゃんと学んでる。学んだ上で、その意味を分かった上で、自分の答えを見つけに行ってる。だったら俺はその邪魔はしたくねえ、身を引くのが大人の矜持だ。

 だから。誓った生き様を、簡単に裏切ってくれるなよ」

「……ええ、貫きます」

「俺も、俺の中にいる父さんに負けるつもりないから」


「その上でな。本当に無理だと思ったら、ちゃんと身を引け」

 これまでの厳しさとは一転、岳志さんはあたしたちに逃げ方を示す。

「自衛官じゃなくても、医者じゃなくても、他の道でいくらだってお前らは立派な大人になれる――立派じゃなくても、生きていればそれでいい。

 簡単に諦められたら困るが、壊れないために諦めるのは恥じゃない。それは忘れるな」


 しばらく考えてから、あたしは答える。

「はい、引き際はちゃんと見極めます。

 けど……多分、みんなが生きていく社会に必要な頑張りの量って、それなりに決まってるじゃないですか。だったらあたしは、自分よりしんどい誰かが頑張りすぎなくて済むように、自分にできる頑張り方を続ける人でいたいです。

 咲子さんがそばにいたら、きっとあたしは続けられます」


 それから仁輔に視線を向けると、彼も答える。

「俺もそう考えてるよ。義花がそばにいるなら俺は頑張れるってのが、義花が別の場所で頑張ってるなら俺も負けられないってのに変わっただけ」

「……という関係になりました、あたしら」


 宣言しつつ、あたしはピースサイン。あたしたちの仲直りを祝いつつ、今後の勝利を祈って。

「私も嬉しいよ。そんな二人になって」

 咲子さんが微笑む。その笑顔に、今度こそ本音で賛成してくれているのだと分かる。


「よーーーーし、飯食うぞ飯!」

 岳志さんは立ち上がると、パパの肩を掴む。

「康よ、今日は奢ってくれるんだろうな」

「……まあ、ファミレスくらいならな?」

「いや、肉買って家で焼く」

「分かった分かった、スーパーの肉だよなスーパーの」

「デパ地下に決まってんだろ」

「勘弁しろ、ただでさえ最近は肉がバカ高いんだ」

「おい仁、今日は康の金で好きなだけ肉食っていいからな」

「ゴチっす康さん」

「お前ら二人が何人前だと思ってるんだ!」


 言い合いながらリビングを出て行く男性陣の後ろで。


「……じゃあ、義花」

「うん。一年半くらい後から、よろしくね咲子さん」

 泣きそうなのを何とか呑み込んで、控えめにハイタッチを交わした。



 ――こうして。

 仁輔からあたしへの告白に端を発する、およそ二ヶ月に渡る二世帯の激動は。

 ひとまず、着地を迎えた。

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