5-8 I Will Take You Over.

 そして翌日、午後。マンションの駐車場にて待ち合わせ。


「……よう、義花」

「お疲れ様です、岳志さん」

「よし、乗った乗った」


 温度感を量る間もなく、岳志さんの車に乗せられる。車内での三十分弱、岳志さんは本題ではなくあたしや仁輔の学校生活について聞いてきた。あたしは答えつつ緊張を解そうとする。


 連れてこられたのは、山麓にある公園である。昔、あたしと仁輔がよく来たがっていた。

「久しぶりに来たな」

「ええ、もう十年ぶりとかですね」

「どうだ、それなりに大きくなってから来て」


 かつてはジャングルか城のような迫力を放っていたアスレチック遊具を眺める。遊んでいる家族連れは記憶よりもずっと少ない、それに。

「覚えているより小さいです」

「だよなあ、こんなに小さかったもんなお前ら」

 腰のあたりに手をやる岳志さん。岳志さんは昔のあたしにとって、一番大きい人だった。


「そのお前と、まさかこんな話をするとはな」

 本題の気配。あたしたちは公園の外れ、街並みが一望できる場所へやってくる。近くに他の人もいない。

「……この辺か」

 岳志さんは足を止め、あたしへ振り向く。パパは少し離れたところで話を聞くようだった。


「まず、義花と康に謝ることがある。

 うちの妻が、子供に本気で惚れるなんて真似をして、本当に申し訳ない」


 深く頭を下げる岳志さん。

 ……まあ、そうなるよな。あたしとしては岳志さんに謝られても仕方ないというか、むしろ謝られても嫌なんだけど。大人として通すべき筋なのは分かる。


「その件は僕は十分に話した、後は義花が答えなさい」

 パパに言われ、あたしは進み出る。

「ご丁寧にありがとうございます、社会通念に照らして過ちであることは理解しています。具体的な行為には及んでいませんので、これ以上は」


 岳志さんは顔を上げる。

「俺がするべきはずだったのはここまでだ、頭を下げてリセットを願い出ることだ。だが……義花は違うようだな」

「ええ。成人したら咲子さんとお付き合いしたいと考えております」


 岳志さんの表情が変わる――さあ、始まった。


「俺の話から聞いてもらうぞ」

「はい」

「よし……もうずっと前からな、俺は咲子と向き合えてなかった。仁の親同士として相談することは山ほどあったし、家計やら将来の話はずっとしてきたけど、咲子の心に正面からぶつかることから逃げてた」


 あたしにとって岳志さんは、いつも豪快で強気な人だった。

 だから余計に、岳志さんはそれまでの自分を責めているように聞こえた。


「お前を怒らせるようなこと、言うぞ?」

「どうぞ、怒られるようなお願いしているのはこちらですし」

「ああ。咲子は本当は実穂ちゃんが好きだったって聞いたのは、実穂ちゃんの葬式の頃でな。正直、女同士で恋なんて何言ってるんだって思ったし、俺とずっといればその気持ちも忘れるだろうとか考えてた」


 同性愛を軽く見られていたのはムカつくが、言いたいことがそれじゃないのは分かる。


「けどな、咲子はずっと忘れてなかった。実穂ちゃんへの想いを背負って、お前のことを大事にしてきた……実穂ちゃんへの愛の分も、お前を愛してきた。

 咲子と話して分かったよ。あいつは、仁とお前の両方の母親をやっていた気でいる。そして俺は康と同じ位置だ、子供を一緒に育てる相手って関係」


 その解釈が正しいかは、あたしには分からない。ただ、岳志さんにとって正しいなら、あたしがどう訂正しようとしても無意味だろう。


「つまりな。子供が出て行ったら、あいつにとって俺は軽くなる。生活の上で必要、それくらいにな。そうなるんじゃないかと心配になっても確かめようとしなかったのは俺だ。咲子も歳取れば他と付き合おうなんて考えなくなるとか、夫婦の惰性に甘えてきたのは俺だ。

 

 だから、咲子に捨てられるのは俺の落ち度でもあるんだろうよ。子育ては終わったから離婚したいとか言い出したら、苦労しねえように送り出してやるのが俺の仕事だろうよ……あいつに家庭を任せてきた俺にとってのケジメだろうよ。

 離婚した後にどんな女と付き合おうと、もうそれは咲子の自由だよ、俺に聞かれても困るよ。

 けどな、」


 岳志さんの眼光があたしを射貫く。仁輔のよりさらに鋭く、あたしの背筋を打ち据える。


「昔から家族ぐるみで面倒見てきた子供に奪われる――なんて言われて納得できるか!」


 びしりと打ち据えるような声に足が竦む、それを押し返すように大きく息を吸い込んで。

「本当に申し訳ありません!!」

 人生で一番ってくらいに声を張り、深く頭を下げる。

 

 なよなよするのも、泣きつくのも、この人は嫌いだろう。足は震えたままでいい、涙が零れても構わない、納得してもらうだけの根性を見せたい。それが苦手でも、苦手だから、見せなきゃいけない。

 それに仁輔は、ずっとこれくらい怒られてきた。だからあたしも逃げたくない、仁輔に学ぶと誓ったのだから。


「恩に仇を返す真似と分かっています、義理にも道理にも反すると分かっています。

 けど誰にとっても、それが一番幸せになれる道だと、あたしは信じています!」


「そりゃくっつけりゃ幸せな気分だろうさ、けど夫婦だろうがパートナーだろうが家族ってのは幸せだけで決められるほど軽くないんだよ!」

「知っています。今のあたしには分からないほど重いってことは分かります、その重さを岳志さんが背負い続けてきたことも分かります!」


 あたしの喉は大声を出し慣れていない、正直もうイガイガしてるし水分を取りたい。

 けど、ここで引けない。道理で負けているのこっちが、意地で負ける訳にはいかない。


「だからこれからは、あたしに背負わせてください。咲子さんのことも人のことも守る、その役目を背負える大人になるために、咲子さんにそばにいてほしいんです」

 あたしの将来の目標、岳志さんはもう聞いているかもしれない。


「あたしは、産科医を目指すことにしました――なると、決めました。

 母親になる勇気を出した人の、生まれようとする子供の、命を守れる人になります。その人たちを愛する人の願いに、応えられる人になります。稼ぎだって、咲子さんと二人で生きていくには十分でしょう」


 一歩、岳志さんへ近づく。


「あなたが、この国に生きる人を守ることで、咲子さんや仁の暮らしを支えてきたこと。知らないことばかりでも、努力の大きさも献身の深さも覚悟の重さも分かります。違う道で、あたしにそれを継がせてください」

「命を背負うのも負託に応えるのも生半可な気持ちじゃ叶わねえぞ、半端な奴に来られても迷惑なのは俺がよく知ってる」

「過酷なのは分かってます、人並み以上の厳しさに曝される道だとも分かります、それでも誰かに求められる仕事なら」

「感謝と尊敬と信頼ばっかじゃない、怒りや恨みも向かってくる。誰より自分が自分を責める、俺がいた命の最前線はそういう場所だ。医療だって遠からずそうじゃないのか」


 岳志さんがどんな任務に参加していたのか、あたしはあまり知らない。数々の災害派遣に参加したことは知っていても、その先の具体的な景色は聞いてない。

 それでも、岳志さんがそうした痛みに耐えてきただろうとは分かった。


「尊敬されたいからじゃないです、輝きたいからじゃないです。

 ただあたしは、あたしを大人にしてくれた人に報いたい。生まれた瞬間の母との永訣を、誰かを守る理由にすることで、自分の命を自分に誇りたい。

 その道を行くときに。誰よりもあたしを愛してくれる人に、そばにいてほしい。咲子さんに、恋人としていてほしいのです」


 睨み合っていた岳志さんが、あたしへ一歩近づき、大きく息を吸う。


「――九郷義花!」

「はい!」

「我が身の安らぎよりも、患者を救う責務を優先する覚悟はあるか!」

「あります!」

「苦難の中でも、自らを甘やかさず、患者の負託に応える覚悟はあるか!」

「あります!」


 自衛官の服務の宣誓のアレンジだ。医師には本来関係ないし、医師に求められる素質とはまた違うかもしれない。

 けど、ここで突きつけられるのはそれでいい。

 この人から大切なものを奪うのだ。代わりに、自分が捧げられるものは。

 この人が仁輔に教えてきた、命の在り方とは。


「道は違えど。人を守るべく自らを厳しく律してきた、あなたの正義と献身と努力の心を、私もこの身に宿して大人になることを、ここに誓います!!」


 あたしの誓いを聞いた岳志さんは、しばらくあたしを見つめてから。


「――康よ、」

「ああ」

「立派な子供を持ったな」

「……すまん」


 そして、あたしの肩に手を置く。

「今日の試験は合格だ」

「……ありがとうございます」

「怒鳴り散らしてすまんかったな」

「ビビりましたけど、子供扱いじゃなく大人目線で向き合ってくれるのは嬉しかったですよ」

「この程度で親父の後ろに逃げるようだったらガッカリだったがな、思ってたより根性あるじゃんよ」


 岳志さんは麓の方へ歩いていく。あたしもついていき、一緒に街並みを眺める。


「お前、仁とも色々あったんだってな」

「散々振り回しちゃいましたね、けど結構良い着地したんですよ」

「だろうな。あいつはお前のこと本気で応援してるようだし」

「なら嬉しいです。最高に格好いい、あたしの一番の友達なので」

「へえ、良いゴールじゃねえか」

「仁のおかげですよ……良い両親に育てられた、あいつの」

「ああ。俺にとっても、これ以上ない自慢の息子だ……俺が留守の間、咲子がずっと育ててくれた息子だ。咲子が守り育ててくれた、俺の人生で一番の宝だ」


 本気でぶつかり合うと怖いけど。やっぱり、子供たちの成長を真剣に導く優しいお父さんである。


「その仁が俺に頼みこんできたんだよ。咲子と義花が幸せになる、その未来を叶えてほしいって。あいつの人生最大のワガママだからな、叶えてやりたくもなる」

「叶えてくださるんですか?」

「答えは明日、仁と咲子も混ぜてな。それに、叶えるのはお前たちだろ」

「……そうでした」


 岳志さんがどう向き合うか、その結論はもすぐにはくれないらしい。

 代わりに、あたしから岳志さんに伝えたいこと。


「あたし、ここが好きなんですよ。自分の生まれた場所が」

「信野市のことか?」

「それも合ってますけど……家族であり、信野市まちであり、日本くにであり、地球ほしであり、周りで支えてくれた人たちであり。要は共同体ですね」

「康に似て頭でっかちな言い回しだな」

「親子ですから……だからあたしは、それらがずっと続いてほしいんですよね。エコと経済と国防はお互い相性悪いみたいな現実は分かりますし、何かを切り捨てなきゃいけないことばっかりでしょうけど」


 ここが続きますように、人々が幸せでありますように――どんな人も、根底にある願いは同じはずなのだ。その手段や優先順位の違いでずっと争ってしまう現実も、割り切れつつあるとはいえ。


「でも自分なりに、共同体が続く努力はしたいんですよ。岳志さんは国の安全を、うちの両親と咲子さんは薬で人の健康を守る仕事をして……全員とも、未来に生きる人を産み育てたみたいに」

「それがお前にとっては産科医か」

「ええ。女なら子供産むってのが一番分かりやすそうですけど、あたしに向いてるのはそっちじゃないですし」

「康と実穂ちゃんの子供なら、医者が一番似合う職業だろうよ。それに俺だって、ずっと自衛官やってほしいって思ってた女性陸自隊員WACが結婚して辞めていくのを何回も見送ってきたんだ。仕事で活躍したいって思いは封じたくねえよ」

「……人生はもらったものを返す旅だって昔から言ってましたよね」

「返し方は自分で決めていいだろ。子育てじゃなくてもいくらでもある、自分が納得できるかが全て……だから外野は気にせず、お前は胸張って行けばいい」

「はい、励みます」


 そして岳志さんは、あたしに車の鍵を渡す。

「先に戻ってろ。後は大人と大人、男と男の話だ」

「了解です」

「その辺で覗こうなんて思うなよ」

「ええ、津嶋の男は気配に敏感だって仁で知ってますから」


 車に戻り、持ってきていた水筒を呷る。

「……緊張したあ」

 気を張ること、自らの姿勢を態度で示すこと。ただでさえ慣れていないのに、人生で何度もないほど大きな意味の懸かった説得だったのだ。ひと月ぶんの気力を使い果たしたような気分だ。


 安心を求めて咲子さんの声が聞きたくなる――が、発信ボタンを押す直前に思い直す。

 今はパパが、岳志さんと向き合っているのだ。娘の不義を詫びているのか、娘の望みを聞いてもらうべく説得しているのか、今後について相談しているのか……とにかく、あたしのために全霊で親友と対峙しているのだ。

 パパがどんな心境かは分からないが、あたしに想像がつくよりもよほど重い時間であるのは確かだろう。だったら、せめてあたしは。


「……頑張るんだろ、九郷義花」


 する気になれなくても勉強道具を持ち歩く、そんな癖があって良かった。する気になれないなんて言っていられる場合か、たったひとつの強みを証明できなくてどうする。

 古文の教科書を開く、以前に扱った文に目を留める。頭に入れつつある活用表と照合しつつ、迷いなく品詞分解ができるかチェック。前に覚えたことが抜けていると気づく、焦る、その焦燥に安堵する。得意なことに全力になれば苦手にぶつかる、自分より得意な人間がいる場で競い合う、これからそうやって学んでいくんだろあたしは。


 二人が戻ってきたのは、一時間近く経ってからだった。二人とも目は腫れていたが、何やら清々しい顔つきだった。

「義花よ、親父に感謝するんだぞ」

「ええ、勿論」

「よし、帰るか!」

 どんな話をしたかは教えてくれなさそうだったので、あたしも聞かなかったが。


 家に帰るまで、パパと岳志さんはずっと楽しそうに、学生時代の話をしていた。

 どんなケンカだったかは分からないけど、仲直りは済んだらしいことは分かった。


 あたしにできることはやった、これで岳志さんに憎まれても仕方ない、そんな気分で家に着いた。


 そして、意外にも熟睡だった夜が明け、二つの家族の将来を決める話し合いの日を迎える。


 

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